こんばんは。
なんだか、やっと疲れが取れた気がする。
なんの疲れ?
そりゃもう、忙しかったものねえ。
で、今日は、お部屋の片づけをする。きれいになると気持ちいいなあ。
さて、7月11日(木曜日)曇りのち晴れ
この日はピカソ美術館、バスティーユ広場、カフェでお茶して、凱旋門、ヴィトン、モノプリ、ドラクロワ美術館と行った。そのあとに、ルーブル美術館である。
まずは自分たちで入る。




ミュージアムチケットがあるので、スイスイだ。
中に入れば、とにかく広い。
最も外見も随分な広さだものねえ。38万点の収蔵物、で、展示が35000点。
あとで、説明を受けたけど、10秒ずつ見たとしても1週間かかるという。
まずは、自分たちで、あちこち見ていく。
私は夜の貸し切りの鑑賞ではショップが開いていないからと買い物をする。
モナリザのグッズとかね。
で、あっという間に集合時間。
ピラミッドの入り口が集合場所なのだけど、そこへ行くのも大変。
出口、入り口たくさんある。
まあ、どうにか、ピラミッドのところで、仲間に会える。

しばし、待機。
そのときにカリフォルニアから来たという12歳の女の子とおしゃべり。
隣にいた子にも年を尋ねたら12歳だという・・・そう、双子ちゃんだったのだ。
わからなかった。
かわいい赤ちゃんもいた。親戚で来たという。
素直なそんな子どもたちと話していると、なぜ、戦争なんかをしたのだろうと思うし、これから、絶対にあってはならぬと思った。
で、仲間も集まって、貸し切り鑑賞。30名位ずつの数グループあり。
さっきとは雲泥の差。人がいない。
こんな感じで鑑賞。

静かな中をガイドさんの話を聞きながら、進む。
ルーブル美術館が要塞だったこと。

ミロのビーナス、モナリザ・・目のまえでたっぷり鑑賞できて、こんな幸せなことはないと思った。写真も何枚も撮れる。
ミロのビーナス。教科書で見たミロのビーナスが目の前に!

後ろからパチリ。

モナリザ。

モナリザの前で、夫と並んで写してもらったのだけど、モナリザのように手を組んでとったつもりが、逆だったというのも愛嬌か。
フランスに住む日本のガイドの方の話がおもしろい。
なんでも、あとで添乗員さんが言うには「最高にいいガイドさんでしたね。私もとても勉強になりました」と。30年添乗員をされている方にそう言わしめるガイドさん、確かに素晴らしかった。
マリアさまと背景をみればその絵がルネサンス以降かその前かがわかるということ。
「岩窟の聖母」

また「民衆を導く自由の女神」は、素晴らしかったのだけど、右後方の建物に旗があり、それがフランスの国旗と聞き、びっくり。

ここで、美術館鑑賞に必要だからと夫の持ってきた双眼鏡が威力を見せた。
目の前の絵なのだけど、双眼鏡で見ると、確かにカラーなのがわかる。
もう、びっくり。
ドラクロワのその繊細さ、絵に対しての真摯さ、欲望、愛国心、もうあれこれ思った。
また、ガイドさんに「レオナルドダヴィンチの絵はここに5枚あるけど1枚は、今、ドバイにいっていて、そのうちの4枚を見られるとは皆様、ラッキーですね」と言われた。
「油絵ゆえにできたこと、涙を描けたんですよ」とも。

「この絵に十字架が見えますか」という絵もあり、不思議、目を凝らすと見えてくるのだ。
指先の左上なのだけど・・。
写真では見えないけど、見えたのです。

サモトラケのニケ。

右側から。

左側から。

今回の鑑賞は、いろいろな蘊蓄を聞けて、本当に充実していた。
絵は、やはり、ガイドがあれば、いっそう楽しめると思ったものだ。
ピカソ美術館に日本語の案内のパンフレットがなかったのは、残念だった。
いっぱい書きたいけど、ルーブル美術館はやはり素晴らしい。
夫とまた来たいねえと話すことだった。
ホテルに着いたのが10時過ぎ。
ああ、私の足は分解しそう。
とにかく、歩いた、歩いた一日だった。
ルーブル美術館の写真もたくさん撮れたけど、ここにいくつかアップします。



「アモルの接吻で蘇るプシュケ」1793年のアントニオ・カノーヴァ作。
いろんな角度から。



帰りに写したルーブル美術館内。



本当に楽しく充実した時間だった。
ルーブル博物館を出たときは21時過ぎ。
まだ、外は明るかった。
古代オリエント美術を見られず、夫は残念がったゆえ、再訪するしかないのだろうか・・・。
果たして、どうなるか。
ルーブル美術館、素晴らしい!!
でも、この日もまた自分の無知さを思い知らされた日でもあった。
勉強すべしです。
ラストに帰りの夕日がとてもきれいだった。




おやすみなさい。
なんだか、やっと疲れが取れた気がする。
なんの疲れ?
そりゃもう、忙しかったものねえ。
で、今日は、お部屋の片づけをする。きれいになると気持ちいいなあ。
さて、7月11日(木曜日)曇りのち晴れ
この日はピカソ美術館、バスティーユ広場、カフェでお茶して、凱旋門、ヴィトン、モノプリ、ドラクロワ美術館と行った。そのあとに、ルーブル美術館である。
まずは自分たちで入る。




ミュージアムチケットがあるので、スイスイだ。
中に入れば、とにかく広い。
最も外見も随分な広さだものねえ。38万点の収蔵物、で、展示が35000点。
あとで、説明を受けたけど、10秒ずつ見たとしても1週間かかるという。
まずは、自分たちで、あちこち見ていく。
私は夜の貸し切りの鑑賞ではショップが開いていないからと買い物をする。
モナリザのグッズとかね。
で、あっという間に集合時間。
ピラミッドの入り口が集合場所なのだけど、そこへ行くのも大変。
出口、入り口たくさんある。
まあ、どうにか、ピラミッドのところで、仲間に会える。

しばし、待機。
そのときにカリフォルニアから来たという12歳の女の子とおしゃべり。
隣にいた子にも年を尋ねたら12歳だという・・・そう、双子ちゃんだったのだ。
わからなかった。
かわいい赤ちゃんもいた。親戚で来たという。
素直なそんな子どもたちと話していると、なぜ、戦争なんかをしたのだろうと思うし、これから、絶対にあってはならぬと思った。
で、仲間も集まって、貸し切り鑑賞。30名位ずつの数グループあり。
さっきとは雲泥の差。人がいない。
こんな感じで鑑賞。

静かな中をガイドさんの話を聞きながら、進む。
ルーブル美術館が要塞だったこと。

ミロのビーナス、モナリザ・・目のまえでたっぷり鑑賞できて、こんな幸せなことはないと思った。写真も何枚も撮れる。
ミロのビーナス。教科書で見たミロのビーナスが目の前に!

後ろからパチリ。

モナリザ。

モナリザの前で、夫と並んで写してもらったのだけど、モナリザのように手を組んでとったつもりが、逆だったというのも愛嬌か。
フランスに住む日本のガイドの方の話がおもしろい。
なんでも、あとで添乗員さんが言うには「最高にいいガイドさんでしたね。私もとても勉強になりました」と。30年添乗員をされている方にそう言わしめるガイドさん、確かに素晴らしかった。
マリアさまと背景をみればその絵がルネサンス以降かその前かがわかるということ。
「岩窟の聖母」

また「民衆を導く自由の女神」は、素晴らしかったのだけど、右後方の建物に旗があり、それがフランスの国旗と聞き、びっくり。

ここで、美術館鑑賞に必要だからと夫の持ってきた双眼鏡が威力を見せた。
目の前の絵なのだけど、双眼鏡で見ると、確かにカラーなのがわかる。
もう、びっくり。
ドラクロワのその繊細さ、絵に対しての真摯さ、欲望、愛国心、もうあれこれ思った。
また、ガイドさんに「レオナルドダヴィンチの絵はここに5枚あるけど1枚は、今、ドバイにいっていて、そのうちの4枚を見られるとは皆様、ラッキーですね」と言われた。
「油絵ゆえにできたこと、涙を描けたんですよ」とも。

「この絵に十字架が見えますか」という絵もあり、不思議、目を凝らすと見えてくるのだ。
指先の左上なのだけど・・。
写真では見えないけど、見えたのです。

サモトラケのニケ。

右側から。

左側から。

今回の鑑賞は、いろいろな蘊蓄を聞けて、本当に充実していた。
絵は、やはり、ガイドがあれば、いっそう楽しめると思ったものだ。
ピカソ美術館に日本語の案内のパンフレットがなかったのは、残念だった。
いっぱい書きたいけど、ルーブル美術館はやはり素晴らしい。
夫とまた来たいねえと話すことだった。
ホテルに着いたのが10時過ぎ。
ああ、私の足は分解しそう。
とにかく、歩いた、歩いた一日だった。
ルーブル美術館の写真もたくさん撮れたけど、ここにいくつかアップします。



「アモルの接吻で蘇るプシュケ」1793年のアントニオ・カノーヴァ作。
いろんな角度から。



帰りに写したルーブル美術館内。



本当に楽しく充実した時間だった。
ルーブル博物館を出たときは21時過ぎ。
まだ、外は明るかった。
古代オリエント美術を見られず、夫は残念がったゆえ、再訪するしかないのだろうか・・・。
果たして、どうなるか。
ルーブル美術館、素晴らしい!!
でも、この日もまた自分の無知さを思い知らされた日でもあった。
勉強すべしです。
ラストに帰りの夕日がとてもきれいだった。




おやすみなさい。