あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

菜の花畑の浜離宮恩賜庭園へ~3・11~

2023-03-11 22:59:24 | Weblog

菜の花を見たくて、菜の花の香りを嗅ぎたくて浜離宮恩賜庭園へ行く。

まずは、簡単な説明から・・・(スルーしてもいいですけど)

潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもの。現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけ。承応3年(1654年)
この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場だった。四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重が海を埋め立てて、甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と呼ばれるようになった。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成。

明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となる。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945年)11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年(1946年)4月有料公開されるに至る。なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年(1948年)12月には国の名勝及び史跡に、同27年(1952年)11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定される。

とまあ、説明はこれくらいにして・・・

菜の花が見事。私の菜の花。

最高にいい気分。

菜の花のいい香り。ああ、ふるさと指宿を思い出してほんのり。

そして、三百年の松。

そして、将軍お上がり場。

庭園の一部です。

こんなお花もありました。

外国の方も多く、周りがビルというそんな環境を忘れるほどに癒しの空間でした。

 

そして、今日の大事なこと。

庭園に入ってすぐに14時46分を迎えました。

そのときを意識していました。

手を合わせて、無念の思いで亡くなられた方々のご冥福をお祈りしました。

夫も黙祷です。

まだ菜の花畑に行く前でした。

二度とこんな天災が起こりませんようにと・・・。

日本が世界が平和でありますようにと・・・。

東日本大震災から12年。

まだ、何をどう話したらいいのかわかりません。

辛いです。

ただただ、亡くなられた方々のご冥福を祈るばかりです。

 

コメント
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