よく、人間に早熟型、晩成型などがあるとの議論がなされます。
私は、中学校くらいまで自分自身において、明らかに早熟であると思っていました。体の成長も早かったし、体力もあったし、勉強も周囲よりよくできていました。しかし、自分なりに冷静に観察しておりまして、早熟だからそうなのであって、いずれ成長も止まり、後からどんどんと成長してくる人たちに追い抜かされるのだろう、と悲観的でした。実際に、私よりも身長が大きくなった晩成型の人も多かったり、中学では進学校でトップだった成績も、高校では少しずつ下がってきたりしたことも、その観察を裏付けていました。高校で成績が下がったのは、バスケットに夢中になったこと、恋愛というこれまたやっかいなことに興味?を持ち始めたこと、が主因だったように、今では思いますが。
今は、決して早熟型とは思っていません。むしろ、研究の世界においては晩成型となりうると思って、日々努力を重ねようと思っています。その大きな転機になったのは、やはり東大のコンクリート研での教育でした。
たかが中学、高校レベルで自身を「早熟型」と見切りをつける時点で傲慢以外の何物でもありません。本物の研究者や、一級の人間たちを見て、自分自身がいかに未熟な人間かを覚ることがまず第一歩。その過程でくだらない自分自身のプライドなどはこなごなに砕かれました。砕かれてよかったと思っています。自分自身の素直さ、誠実さ、などがそのことによって存分に引き出される結果となったと思っています。
はるか上の目標を見据え、少しずつ努力を開始し、ステップアップしていくことの楽しさが身につけば、あとは死ぬまで続けるでしょう。
まだまだ研究においては未熟でして、いつの日か、自分で自分の研究に心から満足できるようなレベルに達したいと思います。