感受性と感性は違うと思うけど,まずは感じることから。大事なのは感性かもしれないけど,そのためには感受性を豊かにすることから。
たくさん感じるのがよい。体をたくさん動かせば,運動機能が高まるのと同じ。頭もたくさん使えば,回転が速くなるのと同じ。たくさん感じることが,感受性を高め,ひいては豊かな感性につながると思う。
今日も3限は土木史と技術者倫理。「都市の巨大化と環境問題」というトピック。
昨年準備した講義の説明補足のパワーポイントを見ていたが,全く物足りない。
豊島の産廃不法投棄事件のことを,学生たちに伝えるべきだと思い,大川真郎弁護士の本を読んだ。
豊島には教室の見学会で行っており,それなりに知っていたが,この本を読んで改めて深い経緯を知り,ある場所では涙が溢れた。むせび泣いたというのが正しい。私なりに理解したことを,今日の講義でも伝える。近代化,大都市化は廃棄物と表裏一体であり,どんなにきれいごとを言っていても,我々国民は,廃棄物問題の「当事者」である。
前回の「橋梁」の講義では,「つなげる,つながる」というキーワードを用い始めたが,今日は「当事者」であることを徹底して意識していただく。
そして,今日も前回の学生たちのレポートを採点したものを返します。90名程度の学生の「感じていること」を読ませてもらうと,私もいろいろと感じ,考えさせられます。私の講義からいろいろとキャッチしてくれていることには素直にうれしく思うし,私のインプットを受けて自分の中の従来の観念との相違にとまどっている学生もたくさんいます。それで良いのです。私のインプットは強烈かもしれないけど,押し付けはしません。いろんな考え方があることも講義では話しています。
毎回,90人の学生たちが感じていることを読ませてもらうだけで,私の感受性は向上します。
一級のものに触れ,感じ,笑って,泣いて,多くの人たちと交わることで,感受性は向上していくと思います。その先に,豊かな感性があると思われます。