内藤廣先生の「形態デザイン講義」の5章を読み進めています。相変わらずのめり込んで楽しく刺激を受けながら読んでいます。
これだけのめり込むのには理由があると思います。おそらく、私が内藤先生の考え方、教え方等にあこがれているのだと思います。
非常に多くの書物をこの本の中でも紹介されています。すべて、ではないですが、その多くを私も購入して読もうとしています。この本と出会わなかったら私の人生で決して読まなかったであろう本がほとんどです。その出会いが心からうれしい。
私も、自分自身の講義や講演などで書物の紹介をしますが、その点も似ているように思います。あこがれる、ということは共通性が根本にあります。
この「形態デザイン講義」ではとにかく受講者の若者たちに伝えたい熱情に溢れていて、その姿勢も私が共感を受けるものです。私の一番の売りと言ってもよいかもしれない。
私も多くの方々に教えをいただいて、自分を築いていきながら、後進を指導する立場にもあるわけですが、内藤先生のような姿にあこがれている今の自分があります。
私は実務者ではないけれど、決して象牙の塔にこもる研究者ではない。自身ではどちらかというと実務者に近いイメージを持っています。
徹底して現実の世界で経験し、同志と連携することで少しでも世の中が良くなるように我々のできることを実践し、そこから体得したことを教育という形で還元する。
凡人ですからコンクリートのことをしっかりとやるだけで多くの年月がかかっていますが、本当にコンクリートのことを全うしようとすると、視野を広げなくてはならないし、歴史や文化、経済などのことも知らないとできないように思います。
先ほど、ゲーテの「ファウスト」(岩波新書)の上巻を読み終わりました。ファウストを読むときは、ベートーヴェンを聴くようにしています。二人は仲が良くなかったような噂を聞きますが、ベートーヴェンの交響曲、協奏曲を聴きながらファウストを読むとしっくりきます。本当は仲が良かったのかしら。上巻よりも、下巻のゲーテの生涯が詰まっているそうなので、最終局面ではCivil Engineerという職に就いていることに感銘を受けるとは思いますが、読んでいる時間にも幸せを感じながら読み進めたいと思います。
内藤先生に戻りますが、とにかくこの先生の言うことには説得力がある。博識とバランス感覚と、実務の経験に裏付けされた確信、自信があるのだと思います。
私も非常に未熟ながら、話に説得力がある、とが周囲の評判なので、その素質?を生かして、自身のあこがれる方向に成長していければと思います。
たくさん勉強することも大事だけれど、実践の場を多く与えていただけていることが私の説得力の根源だと自覚しています。これから実践の場は広がる一方だと思いますが、山口システム、復興道路の品質確保という、コンクリート分野では超大物のプロジェクトに最前線で関わらせていただいていることに、再度感謝の念をいだきつつ、今日土曜日は内藤先生の本の5章以降、ファウストの下巻(第2部)を堪能したいと思います。
私のPanasonicのLet's Note一台により,相当なことができ,大変にありがたく思っています。このPCが一台あることで,私がフランスでできることの幅は格段に広がります。質が高まるかは別問題ですが。
内藤廣先生の「形態デザイン講義」を読んで、戦後、高度経済成長期の「化学革命」のことをおぼろげながら認識はしていましたがもう少しはっきり認識し、そして現在は確実に「情報革命」の時代であることを再認識しました。私が高校生のときにはパソコンなど持っている人はいませんでしたので、その進化を肌で感じてきた世代の一人です。
内藤先生は情報革命により、これまでの様々なboundaryが溶解していくであろう、と言われており、数十年先には人間が新たな状況に至る、と予想されてもいます。シミュレーションが人間の自然観を変えるかもしれない、とも言われています。
私が現在、フランスでの生活で感じていることは、高度な情報化のため、場所が離れていることのデメリットをほとんど感じない、ということです。空間による制限からほぼ自由になっているように思います。実際、日本の多くの知人、友人は私がフランスにいるのか、日本にいるのかよく分からないくらいに普通にメールをやりとりしています。ブログやfacebookから情報発信もできます。
今は自宅のソファで、土曜日の朝食後にこのブログを書いていますが、私の太ももには少し体調の悪い次女が甘えて寝そべっています。こんなソファがオフィスの机とほぼ同じ仕事環境になってしまう。これは高度な情報化のおかげです。
一方で、このような情報化の時代に、母国から離れて外国で勉強することの意義とは何だろう、と常々思います。
それを滞在期間を通じて考え、感じていくことが滞在の目的なのだろう、とも思います。
一つ、確実に感じるのは、フランスにいるからこそ興味を持てることがたくさんある、ということです。そもそも、日本にいる限り、フランス語を勉強しようというモチベーションは私には絶対に持てない。 10月や11月に一時帰国した際にも、日本にいる間は全くフランス語を勉強する気になりませんでした。
つい最近は、ゴシック建築にも強い興味を持って勉強を始めましたが、アミアン大聖堂、サン・ドニ教会など、実際に行ってみたい気持ちを非常に強く持ちます。
当たり前ですが、所属している研究所IFSTTARの研究についても勉強を開始しましたが、これもフランスにいるから。
今朝、欧州の土木遺産に関する解説書を読んでいましたが、昨年学生たちと訪れたイギリスのアイアン・ブリッジについて読んでいました。深い解説がなされていましたが、これも実際にアイアン・ブリッジを見たから勉強しようと思えます。
高度な情報化で場所から自由になっているのに、やはり人間は場所と深くつながっている。
誰でもできるバーチャルな経験が本質ではなく、時間とお金をかけて手間暇かけて経験することがやはり大切だと感じる。
しかし、それにしても情報化というのは便利で、勉強したいと自分が思うことをほぼ自由に勉強できます。現在の私の場合、自分で持参した図書、PC内の情報、クラウドにストックしてある情報、 インターネット経由で取得する情報、日本のスタッフに依頼して送ってもらう情報、日本の研究室宛で購入して空輸で送ってもらう本、Kindleなどにより、勉強したいすべての情報を入手できています。これだけ駆使すれば当たり前ですね。
問題は、このような高度な情報環境に身を置いて、またフランスに身を置いて、何ができるか、ということだと思います。手段ばかり高度になり、結局情報に溺れて堕落し、何もなさない愚人にならないよう、常に考え、感じながら大事な時間を過ごしたいと思っています。