内藤先生の「形態デザイン講義」を読み終わりました。大変に深い内容で、私のフランス滞在期間を充実させるヒントも数多くいただきました。
このブログを読んでおられる方もぜひ一読されることをお薦めしますが、内藤先生ご自身も最も難しいと言われている「時間の翻訳」について。
「翻訳」の意味は本を読んでいただければ、と思います。
建築物、街、インフラを造る、ということは長い時間それらはそこに留まるわけで、我々現代人に最も欠けていることの一つが、その時間をイメージすること。特に、時間が経過した将来から現在の方向を見てイメージすること。
私たちインフラに関わる同志たちも、100年先をイメージすることは非常に難しいと話し合っていますが、私は100年先をイメージするためには100年前をイメージするように心がけています(内藤先生もそうおっしゃっている)。それでも100年先をイメージすることは不可能に近いし、ましてや、100年先から「待つ」感覚で、現在をイメージすることはこれまでもやったことがありませんでした。
私の本分は教育であると思っています。エンジニアだし、なるべく実務に近いところで自分の能力を最大限に発揮したい、とももちろん思うし努力するけど、やはり教育が私の仕事だと今朝も思いました。
教育においては、「時間の翻訳」を無意識に行ってきたように思います。また、将来から「待つ」ということについても、少しはやってきたように思います。
その一つが、学生に対するメッセージ。
私がいろいろな方から教えていただいたことの中にも、そのときには分からなくても、経験を重ねるごとに身に染みるように分かってきたことがいくつもあります。また、ふっと、その言葉を思い出すこともあります。
これこそが、言葉が我々を「待つ」という感覚であり、私たち教育者は、将来を支える学生たち若者を待ち続けるような言葉を、将来に向かって投げなければならない。
また、今現在の状況を改善することのみに没頭するのではなく、今取ろうとしているアクションが、中期的、長期的にどういう効果をもたらすのか、「時間の翻訳」を考えながら、研究室の改善や自身の研究プロジェクト活動などを行ってきたつもりではあります。
いずれにせよ、「時間」についてもっと考え、感じながら生きていこうと思います。
内藤先生から本の中でヒントをいただいていますが、音楽は時間の芸術であり、最高レベルに純度の高い思考形式である、と。音楽の構成、旋律、リズムなどがエンジニアリングで言うところの何に相当するのか、ゆっくりと考えてみたいと思います。