ブログの更新がすっかり滞っていました。
8月上旬に、最後の、5回目の日本出張を終えました。5回それぞれ、私にとってはとても大切な、思い出に残る出張となりましたが、今回も無事に終わりました。
日本出張中の最重要業務であった、指導学生の博士論文の最終審査も無事に終了し、私もホッとしました。博士論文はいつも死闘の様相を呈しますが、今回もまさに死闘であったと思います。4月上旬の予備審査の前からはタフな議論を重ね、Namさんもベストを尽くしたと思います。7月ごろからも何度もSkypeでのミーティングを重ね、最終審査では非常に良いプレゼンテーションであったと思います。私の指導が厳しい時もあったかと思いますが、お互いに心は通じ合っていたと思います。最後、8/9(土)の午後、彼の最終審査終了のお祝いを二人で、うなぎを食べて行った後、横浜駅で別れるときに抱き合いましたが、私は涙がこぼれました。
また、出張中に土木学会のコンクリート構造物の品質確保委員会(350委員会)の準備会を開催し、その準備会の直前には、田村先生、岩城先生とともに、小澤一雅先生にアドバイスをいただきに参りましたが、すべて含めて有意義な議論ができたと思います。頭の中ではそれなりに本質が整理されたつもりですが、少しずつ吐き出し、形にしていきたいと思います。かなりミッションの大きな研究委員会になりますが、これまで着実に進めてきた取組みを体系的に強力に前進させる大きなチャンスであると思います。
日本出張を終えてパリに戻り、数時間の差で入れ替わりでロンドンに出張した奥さんの不在の間、子どもたちのお世話をしました。特に長女は研究所で長時間一緒に過ごしたりもしましたが、家族で支え合いながらの生活です。
8/14(木)に鞆中学校の毛利先生ご夫妻が我が家に遊びに来てくれました。ハネムーンの最終盤でしたが、私と子供たち二人でおもてなしをし、濃厚な楽しい時間を過ごした後、最後に少しだけロンドン出張から帰ってきた奥さんとも面会でき、良かったです。毛利先生とは我が国家の教育について、秀逸なワインを飲みながら語り合いました。今後も、海野先生とともに、仲良くしていただければと思います。
その後、家族でギリシャにバカンスに出かけました。肌寒いパリとは異なり、まさに灼熱でしたが、アテネ、村上春樹が住んでいたスペッツェス島、サントリーニ島での家族でのバカンスは楽しい時間でした。私の仏滞在は最終盤に入っていますが、日本での生活にけじめを付けて家族でフランスに移住することも大変な出来事でした。まだ様々なことが現在進行形で、今後も家族にはいろいろな環境の変化が待ち受けていますが、気が付けば家族四人水入らずでの旅行は約1年半ぶりでした。夫婦間でいろいろと意思疎通がうまく行かないこともありましたが、今回のバカンスでは家族みなでとても良いコミュニケーションができました。その意味でも非常に楽しい時間でした。
バカンス中も、もちろん仕事はそれなりにしておりましたが、本格的には今日から仕事も開始です。パリは肌寒く、日本人からするといわゆる夏の時期はほとんど無かった印象です。今日も、終日次女のお世話をしながらではありますが、次女も行儀よく一人で遊んでおり、家事、育児、仕事は並行です。