細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

葉隠入門

2016-05-20 11:35:36 | 人生論

今年もまた色々と本を読んでおりますが、年齢的なものもあるのか、三島由紀夫をたくさん読もうかと思っております。現在は、新潮文庫の「葉隠入門」を、非常に考えさせられながら、また、実践的な知恵も吸収しながら、楽しく読んでいます。

葉隠の著者の山本常朝の思想に、三島の解釈が加わり、人間の真理、人間社会の真理、について深く考えさせられます。

「人間が自由を与えられるとたんに自由に飽き、生を与えられるとたんに生に耐えがたくなることも知っていた。」(三島の文章)

「その理想へ向かった歩一歩を進めながら、同時に理想が達せられそうになると、とたんに退屈してしまう。」(三島)

「死を意識の表へ連れ出すということこそ、精神衛生の大切な要素だということが閑却されているのである。」(三島)

「毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを「葉隠」は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。」(三島)

「重んずるに足りないからこそ、その夢のような十五年間を毎日毎日これが最後と思って生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いている生の哲学の根本理念である。」(三島)

「武士道というものは、そのしおたれ、くたびれたものを、表へ出さぬようにと自制する心の政治学であった。健康であることよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考える、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも男性的な道徳観といえるかもしれない。」(三島)

「言行のはしばしに気をつけることによって、かつてなかった内心の情熱、かつて自分には備わっていると思われなかった新しい内心の果実が、思いがけず豊富に実ってくることもあるのである。」(三島)

「行動的能力と実務的才能とを、年齢の差によってそれぞれの時代の最高の能力として、同等に評価していることである。ここに「葉隠」という本の、ふしぎな、プラクティカルな性格があるといわねばならない。」(三島)

○「三十を過ぎれば、とくに謙虚になること」
 世に教訓をする人は多し。教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は稀なり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。されば教訓の道ふさがりて、我儘なる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。道を知れる人には、何とぞ馴れ近づきて教訓を受くべき事なり。」(山本常朝)

現代語訳
 世間一般、教訓を述べる人は多いが、逆に教訓をよろこんで聞く人はすくない。まして、教訓をよく理解して実践する人はまず稀である。年齢も三十を過ぎた者には、教訓をしてくれる人もいない。教訓されることもまったくなくなり、わがままになるから、一生愚行をかさね、つまらぬことをかさねていってだめになるのである。だから、道理を知っている人には、なんとかなれ親しんで、教訓をうける必要があろうというものだ。 (笠原伸夫 訳)

葉隠、お薦めです。