月に一回程度の、私の師匠の岡村甫先生を囲む夜のオンライン懇談会があり、8月19日の夜にもありました。私が一番下っ端で、前川先生、岸先生、石田先生もおられる雑談会なのですが、私も楽しく勉強させていただいています。
8月19日の会の終盤に、岸先生が東北の復興道路のトンネルについて言及されました。お盆休みに東北に旅行されたとのことで、復興道路のトンネルのコンクリートが「本当にきれいだった」と言われ、「細田さんらが品質確保の活動を頑張っているのは聞いて知ってはいたが、トンネルのコンクリートを見てすごいと思った」との趣旨のことを言われ、大変うれしく思いました。
復興道路の数多くのトンネルのコンクリートの見た目がきれいなのは事実かと思います。
復興道路のトンネル群には、NEXCOの高速道路で現在は標準的に使われている中流動コンクリート(締固めを必要とする高流動コンクリート)が標準的に使われているわけではありません。多くは、国交省の標準的な仕様の、特別でないコンクリートを丁寧に施工することで、見た目がきれいな仕上がりになったものと思います。
このように品質が良くなったことは、誰が頑張ったからなのでしょうか?
私の貢献がゼロ、という可能性もあり得ますが、私も何らかの貢献をしたものと思います。
私が復興道路のトンネルの取組みに関わる前から、東北地方で非常に品質の良いトンネルコンクリートを施工していた方も知っています。代表格は、安藤ハザマの佐々木照夫さんです。佐々木さんと初めてお会いしたのは2014年4月のことで、佐々木さんが現場所長を務めておられた新川目トンネルでのことでした。
佐々木さんも私も含め、数えきれないくらいの方々の努力や貢献があって、復興道路のトンネルの品質は全体的にとても良いものになった。私には、これに関わった非常に多くの仲間、同志たちの顔が思い浮かびます。そして、当然ながら、私が会ったことのない方々の貢献もあるに決まっています。
これを歯車の一つ、という紋切型の言い方でまとめてしまってよいのか分かりませんが、私はこのようなみんなで取り組むプロジェクトが大好きで、肌に合っています。日本人の本来の強さを引き出すようにも感じています。
山口、東北、と紡いできた品質確保の物語は、まだまだ完成には至っておらず、あちこちで様々な物語につながっています。
私のライフワークの一つと思っていますので、これからも多くの方々と出会いながら、改善を重ねていきたいと思います。
研究や研究的な活動をたくさん行っていると、直観や感性で気付いたり判断したりすることが、私の場合は少なくありません。
「AとBを比べると、なんとなくAの方が正しいように感じる」とか、
「あなたの説明を聴いていると、〇〇の部分に違和感を覚える」とか、
そのような場面が非常に多いです。
直観や感性に支えられているということは、普段からどのような態度で生活しているか、が極めて重要になると感じます。
日常の当たり前の感覚から外れているので違和感を覚えるのです。健康体でいるから、体のある箇所の不具合を敏感に感じるのと同じでしょうか。
だから、普段からおかしな生き方をしていると、正しい直観や感性が作動しない。普段から嘘ばかりついている人が、いざというときだけ正しい直観が働くなどということはあり得ないでしょう。「正しい」というのはその人にとって正しい、という意味ではなく、自然界の道理にかなった「正しい」という意味です。
全く嘘をつかずに生きることができるのかは分かりませんが、必要のない嘘はつかずに生きたいものです。
最近、身の回りにあふれた怪しい言説の代表格は、脱炭素社会とか、カーボンニュートラル、などですが、私の考えはすでにブログに掲載しています。私の専門のコンクリートに関して言えば、私は、製造した後に(固まった後に)、どんどんCO2を吸収して固定することを目的とするコンクリートに一切の魅力を感じないし、意味も感じません(ただし、CO2を大量に吸収することで強度が向上したり緻密になったりして、圧倒的に長持ちするようになる、というように目的が異なれば全く別、です。それは、「活炭素」。)。皆さんが本当に(本心から)そういうものを良いと思っているのか知りませんが、それが正しいと普段から思っておられる方々の直観や感性で、この世の中が良い方向に向かうのかな、と心配になってしまいます。
百歩譲って、十分な知識がないからカーボンニュートラルやらを正しいと思って行動している人がおられるとして、十分な知識がなく間違ったことをしている場合は決して罪は軽くなく、「無知の知」を早く自覚すべきだと思います。
私の師匠の岡村甫先生は、その弟子の前川宏一先生をして「心のきれいな人」であり、今でも月に一度くらいの夜のオンライン懇談会(雑談会)で岡村先生や前川先生らと少人数でお話する機会をいただいておりますが、つくづく岡村先生は正直な方だな、と感じます。そして、今でも勉強されて、以前と異なる考え方を受け入れる柔軟性も持たれています。
その岡村先生の直観に基づくご発言には、ハッとさせられることがやはり多いし、私もやはりそのような方向を目指したい、と思うのです。
ちなみに、脱炭素社会やらカーボンニュートラルについての私の考え方は、岡村先生の考え方とそれほど違いません。