細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(75) 『さいたま市の道路、線路から考える「無くても何とかなる」という状態について』 大木 陽介(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:38:30 | 教育のこと

『さいたま市の道路、線路から考える「無くても何とかなる」という状態について』   大木 陽介

 私の地元の埼玉県さいたま市は、非常に道が狭く、また曲がりくねった道路や交叉角が直角と遠い変則的な十字路も多い。加えて川越線は単線であるため1時間に3本程度しかなく不便に感じることがある。その理由について、次のような理由を聞いていた。

「このあたりは農村地帯だったため、道路ができる前から家が建てられていた。その間に道路や線路を通したから、細くて曲がりくねっている。」

 実際に、現在の地図と明治時代の地図を重ねてみると、確かに明治時代に田畑や住居を避けて作られた道が現在も多く残っていることが窺える。また、ここに川越線の路線図を重ねても、やはり住居や田畑の間にあった比較的広い(鉄道を通すには狭い)道路を用いていることが分かる。

 さて、ここで問題になるのは「ではどうするか」である。選択肢は
1:土地を収用し開発する
2:我慢する
3:全く新しいアイデアを考える
であろう。使いたい土地が個人または法人に所有されている場合、法律上は正当な理由と相応の補償の下で土地を収用することが出来る。しかしながら、長く住んだ土地に愛着を持つ住民は多く、住民と自治体の間に摩擦を生んでいる場所もある。ここで反対派が必ず唱えるのが「不要論」である。

 これまでの授業の中で、何度も予備インフラの重要性は紹介されてきており、この講義を通して自分なりに理解しているつもりである。(働きアリの戦略に近いと感じている。)故に、このままではいけないし、時には強引な手段も必要だと思う。(他ならぬ憲法に書かれている以上、残念ながらそうなのだろう。)一方で、自分の家が収用されると考えると、どうしても受けいれがたい。この自己矛盾を考えた時、ポイントは「(確かにあっても便利かもしれないが)無くても何とかなる」という状況だと気づく。

 現在自分は片道2時間かけて実家から通っており、そのため20分に1度しかない川越線やよく遅延する埼京線にはいろいろと苦労させられているが、正直「何とかなっている」のである。そして、日本人には「あるもので何とかする」「それでもダメなら我慢する」という美的価値観があるように思う。実際に考えてみると、新宿と大宮をつなぐ電車が30分遅れる(その程度なら毎日起こっている)ことによる経済損失は計り知れず、川越線には大雨時冠水する線路すらある(南古谷―指扇駅間)。探せばロスはいくらでもあるのだが、今ある環境に合わせる知恵ばかりが尊ばれ、(遅延しても間に合うように動く―というような)あまり目を向けられていないように思う。個人の技術としてはそれも良いかもしれないが、社会全体に目を向けた時、それは通用しないことを頭に置いておく必要があるだろう。

 そしてそれはきっと、日本のインフラ問題の多くに共通している。

 蛇足になるが、プログラムの世界や数学には「楽をするための苦労はいとわない」という格言がある。より便利なプログラムの書き方やエレガントな証明のための勉強や工夫は非常に面倒ではあるが決して怠ってはならない(=「できる」ことに満足しない)ということであるが、これと同じことが言えるのかもしれない。

参考
https://wata909.github.io/habs_mirror/compare.html
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000731509.pdf (直接的にはあまり使っていない)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E5%8F%8E%E7%94%A8
https://www.bengo4.com/c_1012/c_11/b_511889/

 


学生による論文(74) 「道で道を切り開く」 You Younggeun(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:37:14 | 教育のこと

「道で道を切り開く」 You Younggeun

 1970年7月7日、その日は韓国にとって実に歴史的な日だった。街のあちこちに慶祝アーチが建てられ、全国がお祭りムードに包まれていた。史上最大の土木工事と呼ばれた京釜高速道路が完全開通する日だった。計428kmの区間の中で最後の大邱と釜山の間が完工したことにより、ついにその開通式が盛大に開かれることになった。人々の胸にもう私たちも一度やってみることができるという夢と野望と挑戦と繁栄の道が開いたのだ。今すぐ生計を立てることも難しい状況で、自動車も数台ない国で高速道路に何の必要があるのか」と強く反対する世論も少なくなかった。さらに野党の大物の一人は、高速道路の起工式を行う日、ブルドーザーの前を塞いで道端に横たわることさえあった。しかし、当時の政権勢力の考えは違った。何をしても祖国近代化と産業化を成し遂げ貧困から抜け出し繁栄の道に進むためには、この京釜高速道路を建設することが国民意識を変えるのに決定的な役割を果たすと信じた。もちろん、すぐにはこの道を運ぶ輸出商品も多くなく、高速道路の上を走る自動車もあまりないが、いつかはそのような日が来るように、私たち自らの力で作ってみようという意欲と意志があふれる起爆剤のような道だった。道が先なのか、運ぶ物が先なのかは、単に順序や方法に過ぎないという判断だった。特別な副存資源もない韓国のような国では、国民の意欲と自信が何より大きい資産だと考えた。「いつまでこの狭い地面にしゃがんで飢えてばかりいるのか。私たちも一度豊かに暮らしてみよう。そのためにはどうすべきか」この高速道路建設の夢は、当時のパク·チョンヒ大統領の西ドイツ訪問で芽生え始めた。

 1964年、朴正熙(パク·チョンヒ)大統領が借款を得るため西ドイツを公式訪問した際、国賓用乗用車に乗り込み、戦後繁栄の象徴として誇る高速道路「アウトバーン」を時速160kmで走り、歯を食いしばって決心を固めた。そして帰国するやいなや高速道路の勉強に没頭した。

 そのように1968年2月1日に着工し、1970年7月7日、約2年5ヵ月ぶりに開通したのだ。外国資本が一銭も入っていない、純粋に韓国国民が納めた税金で、純粋に韓国の技術で、物流輸送の一大転換と革命を成し遂げた。延べ900万人が動員され、建設過程の犠牲者は77人だった。この時に生じた「早く早く」は後日少なからぬ副作用を産んだりもしたが、予算の都合上、その時高速道路の幅をわずか4~6車線にしか作れなかった残念さもあった。しかし、それは当時の韓国経済力のやむを得ない限界だった。以後、高速道路が通る道ごとに工業団地と産業団地が入り、そこで生産される輸出品を果てしなく運ぶ産業の大動脈に、物流輸送の画期的な一大変化をもたらすことになった。自動車、製鉄、精油工場などの関連産業が京釜高速道路を軸に位置している。ソウルから釜山までわずか4時間で行けるというのが夢のようだった。東西と南北間でまるでクモの巣のように絡み合っており、その上に乗用車と貨物車が昼夜を問わず走っている。だから京釜高速道路は単なる道ではなく、私たちの夢と挑戦精神まさにそれだった。


学生による論文(73) 「大国のアキレウスの踵:巨大な経済力は十分に発揮できるか」Chen Taoyu(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:35:07 | 教育のこと

「大国のアキレウスの踵:巨大な経済力は十分に発揮できるか」Chen Taoyu

 今回の講義ではデフレがもたらす課題に関することを扱った。今日の国際社会においては、科学技術の進歩に促され、人物・資金・情報の流れが急速かつ飛躍的に増大した反面、コロナ、金融危機、デフレと戦争の影響で、国家間の相互に影響を受け会う状態、つまり相互依存関係が悪化し、政治面においては、大国間の基本的対立構造に劇的な変化が起き、古き良きの「ヤルタ体制」がついに崩壊し、このような不安定な世界情勢の構築に向けて、政治・経済についての新たな動きが生じている。

 Peter Druckerの「新しい社会と新しい経営」によると、現代社会の経済体制の基本は、「国民的共動」と「費用効果」という双方を確保できる「国民経済」である。もとはフリードリヒ・リストの重商主義的な経済ナショナリズムと国家間の競い合いの概念に由来していた国民経済のウィジョンは、冷戦後にはより際立って技術主義的な意味合いをもつようになった。「国民経済」が技術的(企業内)、商業的(産業内)、国家的、国際的レベルから構成され、体系化された秩序、効率、統計比較、社会福祉の原則に基づくと説明する。国民経済の目的の一つは、体系化された、技術的な共同作業により、より合理的な経済組織の実現と社会福祉の拡大である。国民経済は外向きには国家間の競争、内向きには国内企業の協調を促す。つまり、現代社会の経済の礎は、高度に統合、調整され、機能的に相互に依存する経済である。しかし、大国にとっては、常に最適の均衡と調和を果たすわけではない。

 中国を例とすると、中国では、中央政府と地方政府の間には、ほぼ明確な権力分立がある。外交、国防、人口抑制などは中央政府が担当し、地方政府は基本的に発言権を持たない一方で、地方の公共安全、インフラ建設、教育投資は地方自治体の責任であり、経済事務のほとんどは地方政府が担っている。多くの政策は中央政府によって策定され、地方で実施し、政策を策定する際、中央政府は地方政府と協議することが多い。

 このシステムは、「行為連邦主義」(De Facto Federalism)と呼ばれ、政府間の分権化の産物である。「行為連邦主義」の特徴は、政府間の経済的および政治的権力の分散化である。このシステムは中国のローカルイノベーションと急速な経済発展に貢献した同時に、このシステムの中央集権的な政治・経済構造は、中央政府が地方政府を支配することを保証し、計画経済から市場経済への移行を促進することができる。つまり、中国の高速経済発展は、行為連邦主義に関係している。中国の改革は市場志向ですが、市場経済に不可欠な完全な私有財産権、商法、独立した司法制度がまだ欠けている。そのため、高度経済成長の前提は、重要な理由は行動的連邦主義、政府間の経済力の分権化である。

 「行為連邦主義」は中国の経済発展に大きく貢献したが、多くの問題ももたらした。金持ち地域は、経済力が強いため、中央の政策イニシアチブに抵抗することが多く、貧しい地域は、財源が不十分なため、中央の政策を効果的に実施し、有意義な改革を促進するのに苦労することがよくある。その結果、1990 年代以降、中央政府は多種多様な形で再中央集権化を進め、州および地方政府に対する統制を強化した。地方分権とは、改革前の状態に戻ることではなく、選択的に、特定の権力を中央に戻すことである。初期の「選択的中央集権」は経済的中央集権で、主に分税制の確立と中央銀行制度の改革である。分税制の確立は、中央政府の財政力を制度的に保証するものであり、集権前の中央政府の財政が地方政府に大きく依存していた状況を変えた。同時に、中央銀行システムの改革により、地方政府が国の金融システムに直接介入することが効果的に遮断され、中央政府がマクロ経済の規制と管理を行う制度的能力が向上した。

 しかし、1990年代から始まった再集権化は、「中央金持ち、地方貧乏」、「国は金持ち、国民は貧乏」という現状ももたらした。権力は中央に集中していますが、責任は中央に集中していないため、権力と責任の間に深刻なギャップが生じていた。地方自治体は責任能力、特に財政能力を著しく欠いており、医療、教育、不動産などの社会分野に無制限に参入する新たな道を切り開かなければならず、結果として地方と中央政府との間で深刻な対立が生じている。その上、経済の中央集権化は、中央の指導者が権力を持つことを意味するものではない。ほとんどの中央集権化は、実際には権限の部門化、部門の中央集権化です。中央権力はさまざまな官僚機構に分散され、さまざまな機関によって集中された無制限の権力と富は、さまざまな既得権益集団の手に入れた。

 データから見ると、2019 年の中国の財政支出は 477兆 8,858 億 3700 万円でした。中央レベルの支出は 200兆 9,475 億 1000 万円で、このうち、中央自体の支出は60 兆 5155 億 1500 万円に過ぎない。では、中央政府の 140兆円の支出はどこに行ったのでしょうか。その答えは、補助金とも呼ばれる貧しい地域の生命線、「地方振込」である。地域の公共安全、インフラ、教育、社会保障、就業、健康、農業、林業、水力発電などの重要な支出はすべて中央政府が負担している。アメリカと比べると、アメリカの教育システムは、政府の助成金以外の収入源に大きく依存している。アメリカの初等中等学校の年間支出は 7,390 億ドルに達し、軍事支出を上回っているが、教育省(department of education)全体が連邦政府から支給されたのはたった 705 億ドルである。さらに、中国の財政の 5% 以上を占める医療および年金プロジェクトは、アメリカでは非政府資金に大きく依存しており、都市部および農村部の公共施設の建設費は連邦政府とは何の関係もない。その結果、中国中央政府の財政の 30.28% を占める、地方に関する各分野で、アメリカ連邦政府の支出は財政の1%である。

 アメリカの経済体制にも、数多くの問題が存在している。軍産複合体(Military industrial complex)による軍事費の増加、政治・社会の分裂による国内部の軋轢と政策実行の非効率化など、どちらも何百兆円の支出である。例えば、アメリカがアフガニスタン戦争での総支出321兆円の278兆円が、軍産複合体が扱った利益になる。Katrina vanden Hauvel によると、新たに提案された 240 億ドルの新しい国防総省資金だけで、連邦政府は家賃を滞納している約 1,400 万人のアメリカ人を支援したり、台風「アイダ」が破壊した地方や都市部のコミュニティの再建を支援したり、コロナウイルスのワクチンを80億回接種に資金を提供することができる。

 以上により、「デフレ」という問題をもつ日本の経済政策は、今のような不安定な世界で、「世界最悪」な経済政策ではないだと考える。これも「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である」という「アンナ・カレーニナの法則」の実証ではないかと考える。

資料:
Stockholm International Peace Research Institution. 2020. Military Expenditure By Country, In Constant (2018) US$ M., 1988-2019. Stockholm: Stockholm International Peace Research Institution, pp.15-21.
 The World Bank. Data.worldbank.org. 2020. GDP (Current US$) - China, United States | Data. [online] Available at: https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.MKTP.CD?locations=CN-US.
中国財政部, 2020. 2019年度の中央予算支出に関する説明 Description Of Central Level General Public Budget Expenditure. [online] Yss.mof.gov.cn. Available at: http://yss.mof.gov.cn/2019qgczjs/202007/t20200706_3544615.htm.  
 EXECUTIVE OFFICE OF THE PRESIDENT., 2020. BUDGET FOR A BETTER AMERICA. Washington, D. C.: BERNAN Press, Table S-4.
中国財政部, 2020. 2019年中央一般公共予算支出決算表National General Public Budget Expenditure. [online] Yss.mof.gov.cn. Available at: http://yss.mof.gov.cn/2019qgczjs/202007/t20200731_3559718.htm.
中国財政部, 2020. 2019年中央一般公共予算支出決算表 Central Government’s National General Public Budget Expenditure. [online] Yss.mof.gov.cn. Available at: http://yss.mof.gov.cn/2019qgczjs/202007/t20200706_3544353.htm.
中国財政部, 2020. 2019年中央一般公共予算支出決算表Central Government’s National General Public Budget Expenditure. [online] Yss.mof.gov.cn. Available at: http://yss.mof.gov.cn/2019qgczjs/202007/t20200706_3544353.htm.
中国財政部, 2020. 2019年中央一般公共予算支出決算表Local Government’s National General Public Budget Expenditure. [online] Yss.mof.gov.cn. Available at: http://yss.mof.gov.cn/2019qgczjs/202007/t20200731_3559702.htm.
 National Center for Education Statistics, 2020. The Condition Of Education - Preprimary, Elementary, And Secondary Education - Finances - Public School Expenditures - Indicator April (2020). [online] Nces.ed.gov. Available at: https://nces.ed.gov/programs/coe/indicator_cmb.asp.
 Usgovernmentspending.com. 2020. US Government Spending In $ Trillion, Total, Federal, State, Local For 2019 - Charts. [online] Available at: https://www.usgovernmentspending.com/total_2019USrt_21rs1n.
The U.S. Capitol Riot Was Years in the Making. Here's Why America Is So Divided. Times. [online] Available at: https://time.com/5929978/the-u-s-capitol-riot-was-years-in-the-making-heres-why-america-is-so-divided/
It’s time to break up the military-industrial complex. Washington Post. [online] Available at: https://www.washingtonpost.com/opinions/2021/09/21/its-time-break-up-military-industrial-complex/
「The New Realities in government and politics, in economics and business, in society and world view」Peter F Druker   Chapter1 P 19

 


学生による論文(72) 「東京一極集中の原因と解決方法」 横山 大翔(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:33:44 | 教育のこと

「東京一極集中の原因と解決方法」 横山 大翔

 土木史でたびたび話題になる東京一極集中。地方から東京に多くの人口が流れ、地方の過疎化が深刻な問題になっているというのは有名な話だ。地方が過疎化すると、地方に住む人々の行政サービスの質が低下する。また商業施設が撤退しさらに不便になり人口が減るいう悪循環に見舞われる。一方過密が進んだ東京では災害などに脆弱になり、東京で大地震が起こったとき、それが日本の致命傷になりうる可能性がある。一極集中によって業務効率化などのメリットもあるが、やはり日本全体で見たとき、国土を非効率に使ってしまっているという印象を受けてしまうというのが感想だ。

 ではなぜ東京一極集中が進むのか。直接的原因としては企業が東京に集まるからに他ならない。日本企業は、特に大企業において、東京に本社を置く傾向が強すぎる。もともと地方に本社があった企業も成長するにつれて東京に本社を移すパターンが多い。例えばブリヂストン。もともとは福岡県の久留米市に本社があったが、企業の成長とともに国際競争力確保のため本社を東京に移した。もし、今も久留米市に本社があれば、それだけ久留米市に雇用が生まれ、ブリヂストンは世界でもトップクラスのゴム製造会社であることから、優秀な人材も多く久留米市近郊に住むことになっただろう。最近の例だとパナソニック。経営不振から国際競争力アップや新たな風を取り入れるためということで、2022年4月に本社機能を大阪府門真市から東京に移転。登記上本社は門真市に残ったものの、実質上は東京に移ったと言って良いだろう。この流れがある限り東京一極集中が止まることはない。

 東京一極集中を地方分散型のドイツと比較してみよう。世界の企業トップ500に入った日本企業57社のうち、三大都市圏以外に本社がある起業は浜松のスズキと広島のマツダだけである。一方ドイツの28社のうちベルリンに本社があるのは1社、一番本社が多い第三の都市ミュンヘンでも4社であり、各地方に国際競争力のある企業が幅広く分布している。ドイツは歴史的にも連邦国家であり、地方分散型になりやすいという歴史的要因や、国土が概ね四角形で使いやすいとう地理的要因もあるが、一番の要因は政治であると考えられる。ドイツは地方行政の力日本よりも大きく、それゆえに各州でいい意味での競争がある。地方政府が積極的に、自発的に企業に工場や本社機能移転を誘致する。企業の進出が決まったら具体的な計画などを地方政府が率先してサポートをする。各地方政府は経済振興公社をもっており、それが主体となって企業のコンサルをするようだ。単に税制優遇をして企業が来るのを諦観しているだけのような印象を受ける日本の地方行政とは一線を画している。また、若者の人材流出が根本的な原因ということで、地元企業のインターンシップ制度が充実している。州の教育制度の一環としてもインターンシップがあり、中小企業も含め若いうちから様々なインターンシップで地元の優秀な若者を囲い込む。グローバル化が促進する傾向がある日本の教育だが、逆にだからこそ、地方の優秀な若者を外に取られてはいけないというような意識を地方は持つべきではないだろうか。人口流出を嘆く地方の人々はまず自分の地域の行政が機能しているかを確認すべきだろう。兵庫県明石市など、ある程度都市圏から離れたところでも人口増加がみられる例もあり、まだまだ方策はあるはずだ。

 コロナ禍で在宅勤務の増加もあり、ここ最近では本社機能を地方に移転する例も増えてきた。NTTが本社機能の一部を高崎に移したというのは有名だ。新幹線を使えれば東京近郊に住んでいる人でも十分通勤は可能であり、また将来的には高崎周辺の人口が増える結果になるだろう。群馬には大学もあり、この流れが続けばそれらの学生が東京に流れることを抑えることができる。新幹線や高速道路があるところであれば、企業や労働者に大きな負担をかけずに地方移転が可能である。まずはこのようなインフラが十分整備されているところから地方移転を始めていければ、結果としてこの東京一極集中をある程度食い止めることは可能だ。


学生による論文(71) 「デルタ航空の成田撤退から考える成田空港の将来」 松田 大生(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:32:05 | 教育のこと

「デルタ航空の成田撤退から考える成田空港の将来」 松田 大生

 2020年3月28日。アトランタ行きのデルタ航空DL296便をもってデルタ航空は成田空港を撤退した。デルタ航空と2009年に合併したノースウエスト航空も含めて遡ると、成田空港開港から、同航空会社の成田における42年の歴史が幕を閉じた。デルタ航空はアメリカの航空会社であるが、合併したノースウエスト航空の成田ハブを受け継ぎ、以遠権を行使して成田からのアジア路線やグアム・ミクロネシア路線を運航していた。だが2010年台から徐々にアジア方面の以遠権路線を中心に運休。そして先述の2020年3月。同年に開催が予定されていた東京オリンピック・パラリンピックに併せて実施された羽田空港の発着枠配当に伴い、残っていたアメリカ路線を羽田空港に移管。成田空港を撤退した(その後コロナウイルス流行に伴い運休期間に入る)。デルタ航空が成田から撤退した要因はいくつかあるが、それらから今後成田空港が置かれていく状況を考える。

 デルタ航空の撤退要因としてまず挙げられるのは日本国内においての提携パートナーの航空会社がいないことがあった。デルタ航空はスカイチームという航空アライアンスに加盟している。だが日本国内の大手航空会社の日本航空はワンワールド、全日空はスターアライアンスと別のアライアンスに加盟しておりそれぞれ同アライアンスに加盟しているアメリカン航空、ユナイテッド航空とそれぞれ提携し、国内線や東京発のアジア路線を中心にコードシェア便として運航を行っている。だが、デルタ航空にはそのパートナーがいなかった。そのため、自らの力でノースウエスト航空から成田ハブを引き継ぎ、運航していたのである。一時期はシンガポール、バンコク、マニラ、上海浦東、ソウル仁川、北京、香港などのアジアの大都市にサイパンやグアム、パラオなどのミクロネシア路線といった、国内航空会社に引けを取らない路線網を持っていたのである。ノースウエスト航空はアジア本土への乗り継ぎを重視していたがデルタ航空の方針としては直行便を重視した。そのため成田を最終的に撤退したのである。アジアにおいてのハブ空港は同社と同じスカイチームに加盟する大韓航空がハブとしている韓国のソウル仁川空港へと移った。また、上記の路線を減らしていく展開で、2016年には羽田発のロサンゼルスとミネアポリス線の運航許可を得た際に「日本でパートナーがいない中で羽田成田の2つの空港においての運航を強いられた際に、客は羽田-成田の移動を強いる同社よりも羽田どうしで接続できる他社の便を使うであろう」として、合理的な理由で成田撤退と羽田への移行、そして日本路線の集客層を日米間の客に絞ったのであった。

 また、デルタ航空の場合ではないが、羽田空港の国際化に前後していくつかの航空会社が成田空港を撤退している。この中で問題に挙がるのがロンドン線を運航していたイギリスのヴァージンアトランティック航空の日本路線撤退である。同航空は羽田移管を図ろうとしたものの、国土交通省が設定した、「羽田路線を持つ航空会社は成田線も維持しなければならない」という暗黙のルールである「成田縛り」に邪魔をされ羽田に移管が出来ず、かつ成田だけでは競争力が弱く日本路線から撤退していった。成田空港から羽田空港へのビジネス路線の流出を防ぐべく図られた方法であったが、これは結果的にいくつかの航空会社を撤退させてしまうという結果になってしまった。余談になるが、数年後には成田縛りは事実上なくなった。そのため現在は先述のデルタ航空のアメリカ路線、ルフトハンザ航空のフランクフルト線、全日空のロンドン線など、成田縛りを破って運航している路線も多くある。そのため撤退したヴァージンや羽田路線を開設できなかったKLMオランダ航空などがいたたまれないと個人的には思う。

 地元住民や左派団体と大きい闘争があって最終的に開業した成田空港であるが、2010年からの羽田空港の再国際化によって現在のままでは窮地に立たされているのではないかと考える。成田空港と比較しての羽田空港の利点としてはやはり立地の近さである。京急線で品川まで最速で12分で出られるのはやはり大きい。2010年の京成成田スカイアクセス線開業による特急スカイライナー運行開始により日暮里成田空港が最速36分と所要時間が縮まったが、やはり羽田の近さにはかなわない。また、国内線の規模の大きさによる国内からの乗り継ぎ需要といった利点もある。国内線と言ったらまず羽田に飛び、成田に飛ぶ国内線は、LCC参入以前は大阪、福岡、新千歳、那覇といった一部の空港にしか路線がなかった。これの利点は国内線網が豊富な大手航空会社、そして大手航空会社と提携している海外の航空会社に顕著である。海外の航空会社も全日空や日本航空とのコードシェアで国内線を運航でき、そして羽田乗り継ぎで日本各地からの客を獲得することができるのである。他にも、羽田空港は24時間飛行機の発着が可能である。成田空港は周辺住民との闘争の結果化から騒音対策として厳しく運用時間を制限している(現在は6-23時)。一方で羽田空港は24時間運用が可能であり、シンガポール線、ドバイやドーハといった中東路線、オーストラリア線をメインに深夜路線が現在も飛んでいる。羽田にはこのようなメリットがあり、実際に成田空港の会社や国土交通省は高需要ビジネス路線を中心とした稼げる路線が羽田に流出することを危惧し、それで成田縛りを実行したのだった。

 現在単独で採算がとれるようなビジネス客中心の高需要路線が羽田に移管し、成田空港はどのような方策を採ればよいのか。考えられるのは乗り継ぎ路線の誘致、貨物路線の誘致、新規路線を優先的に成田へと就航させるといったところであろうか。だが現在航空業界はボーイング747やエアバスA380のような大型機でハブ空港を結び、そしてそこから中小規模の路線を飛ばすハブ&スポークよりも、一回り小さな旅客機で様々な都市へ直行便を飛ばすポイント・トゥ・ポイントへトレンドが移行している。13,000kmレベルの長距離を飛べる中型機ボーイング787や単通路機ながら7,400kmを飛ぶことができるエアバスA321LR型機、更にその長距離型で10,000kmを飛ぶことができるA321XLR型機といった航空機が飛ぶように売れている現状からも、これからもこの傾向が強くなっていくであろう。そのため乗り継ぎハブとしての発展は現実的ではない。先述のデルタ航空の成田空港撤退の要因はこれである。また、貨物ハブも24時間運用可能ではないことが足を引っ張ってしまう。実際に、世界最大手の貨物航空会社であるフェデックスは日本のハブ空港に選定したのは24時間運航が可能な関西国際空港であり、24時間運用できるメリットを最大限に活かして貨物便を運航している。また成田空港を貨物ハブとして運航している貨物航空会社は日本貨物航空とANAカーゴのみである。世界最大の都市圏である東京が近く、また羽田空港とは違い発着枠にまだ余裕がある中、この点はもったいないように感じる。

 だが、成田空港に一切メリットがないわけではない。先述した発着枠の問題などでは大きく成田空港は羽田空港に勝っている。羽田空港は国内線を多く運航し、また都心から距離が近いこともあり発着枠はいつも上限いっぱいに使われる。発着枠を巡った航空会社同士の争いも日常茶飯事である。また着陸料も安くない。そのため羽田空港に新規に就航することは簡単なことではない。だが成田空港においてはまだ発着枠に余裕があり、新規の路線なども簡単に受け入れることができる。実際に近年ではカザフスタンのSCAT航空によるヌルスルタン線、ネパール航空によるカトマンズ線などの中央アジア線や来年三月に開設されるイスラエルのエルアル航空によるテルアビブ線といったこれまで開設されてこなかった路線が多く就航している。LCCが成田空港を中心に展開している理由もこれである。また既存の航空会社が飛んでいる国から東京へ新たなLCCが就航しようとしても、ほとんどが成田空港に就航し、羽田空港に就航するLCCはごくわずかである。また、羽田空港には超大型機エアバスA380型機が事実上就航できないというデメリットが存在する。これは機体の重量からくる使用できる誘導路の制限やこの航空機の後方乱気流が航空路を乱してしまうという理由である。だが4,000mの滑走路を持ち、運用の制限が少ない成田空港にはA380型機は制限なしに就航が可能である。実際に、羽田空港の再国際化の前にはルフトハンザドイツ航空やブリティッシュエアウェイズ、エールフランス航空といった羽田へ移管を進めた航空会社はA380型機で成田線を飛ばしていた。

 確かに成田空港が置かれている状況は以前とは変わっている。羽田の再国際化による高需要路線の流出や世界的なハブ&スポークからポイント・トゥ・ポイントへのトレンドの移行、そして全世界的なLCCの成長。そして新型コロナウイルスによる生活・ビジネス・旅行の様式の変革。このような航空業界の変化の中で、いかにして成田空港は自身の立ち位置を確保していくのか。だが、成田空港に全く未来がないわけではない。例を挙げるとコロナ前はLCCやこれまで就航してこなかった航空会社が新たに就航し、エミレーツ航空やシンガポール航空、タイ国際航空といった成田空港での乗り継ぎ需要にあまり縁のない航空会社がエアバスA380型機を就航させていた。コロナ禍では貨物を多く受け入れ、そして最近コロナ禍により姿を消していたエアバスA380型機の姿も成田に戻り始め、新たな路線・航空会社の就航もぽつりぽつりと始まっている。このように、成田空港にはまだまだポテンシャルがあるように感じる。第三滑走路の建設、24時間運用、そして不便な分離しているターミナルの解消。これらにどう対応するかでこれから成田空港の未来は変わってくるであろう。また、新たな路線・航空会社を受け入れるために着陸料を引き下げるという方法も考えられる。いかにして成田空港はアフターコロナの航空業界で生き残っていくのか、その様子をこれからも注視したい。


学生による論文(70) 「われらが夢は」 松崎 蒼斗(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:30:47 | 教育のこと

「われらが夢は」 松崎 蒼斗

未来こそ 未来こそ 横須賀の夢
大いなり 大いなり われらが夢は
黒潮に 黒潮に わたすかけ橋
天そそる 横断路線
ひと跨ぎ 東京湾も・・・・・・

 これは、堀口大學作詞、團伊玖磨作曲で知られる二代目横須賀市歌の五番の歌詞である。初代横須賀市歌は戦前の戦争色の強い、軍や皇といった歌詞が含まれていたため、戦後に演奏がされなくなっていった。そこで、地理、歴史、産業、自然、未来といった歌詞に変えられ、1967年の市政記念日に制定された。横須賀市立小学校では、毎年横須賀芸術劇場へ集まって横須賀市歌を歌うイベントや、毎日16時、17時に鳴る防災行政無線の定時チャイム、ごみ収集車の音楽に採用され、横須賀市民なら聞いたことのない人はいない曲である。一番から四番までは黒船や観音埼灯台、荒崎、造船など当時の世相が現れている。五番については毛色が違い、未来の構想を歌っている。

 私が小学生の時は、てっきり久里浜港から金谷港へ運航されている東京湾フェリーのことを歌っているものと勘違いをしていた。しかし、これは東京湾口道路構想を歌ったものであった。東京湾湾口道路とは、現在の東京湾フェリーの運航ルートを明石海峡大橋に勝る長大橋で結んでしまおうというものである。第二の東京湾アクアラインといったらわかりやすいかもしれない。神奈川県横須賀市と千葉県富津市は国道16号線のそれぞれの末端を有している。末端のよう行き止まりになっている国道16号線の起点・終点は横浜の高島町交差点なのである。すなわち、行き止まりになっている地点は末端ではない。分断されている神奈川県横須賀市と千葉県富津市間を事実上連絡しているものが現在の東京湾フェリーであり、国道16号線は横浜高島町から町田、相模原、八王子、さいたま市、柏、木更津、富津、横須賀を経由して横浜高島町へ帰ってくる環状道路なのである。

 東京湾口道路の計画として面白い点は、東京湾に明石海峡大橋に勝る長大橋をかける点だけではない。東京湾には戦中に海堡と呼ばれる人工島が3つ作られている。その3つの海堡は東京湾のすぼまった部分、横須賀市観音崎と富津市富津岬、横須賀市猿島の防衛ラインとしてより強固にするために海上に築造された砲台である。その3つの海堡を主塔として、2本のつり橋を建設する計画があった。海軍施設をそのように活用することには大いに賛成したい。第三海堡は、老朽化によって撤去されてしまったが、第一海堡、第二海堡も同様に老朽化が進んでいる。老朽化が著しいのであれば、つり橋の主塔として活用し、遺構として管理維持していってほしいと思う。しかし、この構想の難しいところは、浦賀水道を跨ぐ長大橋となる点である。東京湾の玄関口を長大橋で結ぶとなると、毎日大量に行き来する大型船舶を考慮する必要が出てくる。代案として、トンネル化として開通させる計画もあった。

 もしこの計画が実現したなら、東京湾沿岸にぐるりと道路が敷かれることになり、横須賀市、富津市に通過交通が形成されることになる。さらに、今回の講義での大事なキーワードである「大事なものは2つあってもいい」ということであると思う。東京湾アクアラインが分断された場合、陸路で行く他なくなってしまう。

 東京湾口道路が開通することによって、災害時の保険を掛けることが可能になるし、道路交通渋滞の解消、沿道への経済波及効果が大きくなることは明らかだろう。これもまた道路特定財源の廃止によって、“われらが夢は”夢のまた夢となってしまったが。

横須賀市歌|横須賀市: https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/1210/sougo/shika2907.html
東京湾口道路|横須賀市:https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/5510/g_info/l100050924.html
東京湾口道路 | 富津市:https://www.city.futtsu.lg.jp/0000000003.html

 


学生による論文(69)「『快速道路』を整備すべし」 堀 雅也 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:28:02 | 教育のこと

「『快速道路』を整備すべし」 堀 雅也

 『高速道路』は主に大都市間を連絡し交通の軸となる。また、国道や主要な県道も、都市間を連絡する軸と成り得る性質を持っている。しかし、都市間を連絡する軸と成り得る、なるべき存在にしてはどうも障害が多すぎるように感じている。今回の授業でも日本の道路の小規模さが説明されたが、特にこの主要な一般道は必要とされている割に流れが悪いように見える。そこで私が提唱するのが『快速道路』の整備である。なお、『快速道路』は決して私の造語ではなく、上越・南魚沼間のバイパス道路として整備中の『上越魚沼地域振興快速道路』(通称:上沼道)から引用したものである。

 私は『快速道路』をただ単に『高速道路』に準じた存在、或いは『有料道路』や一般道を格上げするものとは考えていない。交差点や信号を減らし立体交差を多用する事で渋滞を避けつつ交通を流す道路、強いて言えばバイパス道路のような物だが、地方都市・町村間に軸を作り、経済圏を広げるのが大きな目的として挙げられる。前回の論文で自家用車や高速バスは最低限にすべきとは論じたが、これには少し説明不足な点があった。それは、短距離の高速バスと長距離の路線バスを『急行・準急バス』として整備し、町村間など鉄道へのアクセスがない地域を運転するべき、というものである。現代で言えばサンデン交通の準急バスのような「中心市街地では需要の多い場所のみに止まり、郊外の市町村には停留所を多めに設け、現在の路線バスより長距離を運転するもの」を考えている。

 さて、ここで以上の例として岐阜県南部を挙げる。この地域は、南部にJRや名鉄が通っている他は旧国鉄の長良川鉄道が存在するのみであり、この長良川鉄道も地域の取り組みによりどうにか経営だけは持ち直したくらいのローカル線である。この長良川鉄道の難しさは、中心街へのアクセスを確保出来ていない点である。起点の美濃太田は交通の要衝ではあるが、JRの利用者が3000人弱、長良川鉄道に至っては420人(いずれも2019年のデータ)という利用者の少なさを見せている。これは長良川鉄道がどうこうという以前に、そもそも美濃太田に出てくる需要が少ないと言える。

 長良川鉄道で美濃太田の次に利用者が多いのは関口駅であるが、2000年頃は関駅の方が多く、800人程度であった。一方、当時関には名鉄美濃町線という軌道線が乗り入れており、特に昔から存在する新関駅は利用者が1900人弱(1992年)と圧倒的に凌駕していたのだ。毎時2本程度の路面電車でこれだけ利用されるのは、ひとえに岐阜に直接乗り入れられるメリットがあったからである。

 しかしその美濃町線は廃止されてしまった。岐阜と関という路線の両端を結ぶ需要が主であったので、路面電車には岐阜・関間の20km弱を結ぶのは力不足であった。また、岐阜という都市自体の求心力も低下していたことも理由の一つと言えるだろう。その表れとして、現在は美濃・関エリアから名古屋に直通する高速バスが6時台には4本(中濃庁舎基準)出ており、名古屋へのアクセスは便利になっている。当時から見ると本数はほぼ倍増している。

 ところでこの高速バスであるが、関シティターミナルから名古屋の名鉄BCまで1時間7分から1時間22分かかる。しかし手元の名鉄時刻表(2001年)によれば、名鉄美濃町線経由でも関駅から新岐阜乗り換えで新名古屋まで最速1時間24分と、時間面ではそれほど改善したとは言えないのだ。また、岐阜・関間においても、美濃町線も路線バスも50分前後と大差ない。それでは需要のそこまで少ないとは言いにくい軌道を廃止した意味が薄いと言うほかない。

 当時中心地の1つであった新関はただの住宅地となり、2000年まで順調に増えていた人口は周辺を吸収して市域を拡大した2005年から減りはじめ、中心地は新関から関口の方に変わってしまった。長良川鉄道の需要は増えるどころか半減し、いよいよ当時の美濃地方中心地は「岐阜ではなく」名古屋の不便なベッドタウンの一つになってしまった。

 ここで私は関・岐阜間に『快速道路』を整備せよと提言したい。名古屋と、ではなく、岐阜との間に、である。現在も、岐阜から岩田地区までをショートカット出来る岐阜東バイパスは存在するが、このようなショートカットでは不足である。東海北陸道に接続するまで伸ばしてネットワークに組み込むのは必須と考える。また、途中にバス停を置くことで、さほど利便性の落ちない路線バスにて岐阜・関間を30分-35分で結ぶことが出来る。こうなれば、名古屋まで最速1時間以内に到達でき、名実ともに名古屋のベッドタウンとして存在し得るであろう。たとえ美濃・関エリアからの需要が岐阜と名古屋にあるとしても、全てを名古屋に直通させるのはロスが多く、岐阜をターミナルとして再び整備する事が岐阜南部を活用する鍵である。同じようにターミナルを整備して中心地のバスを整理している新潟のBRTと違って、こちらには岐阜までJRや名鉄といった大量輸送手段が来ているのだから、使わぬ手はない。また、岐阜が変わらず中心地にはなれなくとも、ターミナルとして再興することで、「名古屋にしか行けない不便なベッドタウン」が「『岐阜の他に』名古屋にも行けるベッドタウン」として生まれ変わるのだ。これによって関には人が、岐阜には需要がもたらされ、相互に良い影響を与え合えることを確信している。

 ちなみに、既に美濃地方には坂祝から鵜沼、各務原、岐阜を経由し大垣までを結ぶ国道21号バイパスが存在し、岐阜南端を横断する交通を支えている。また横浜でも、日本一利用されている保土ヶ谷バイパスが活躍している。これらはいずれも環状方面の道路であり、郊外を結ぶ『快速道路』に分類できる。このような道路こそ、郊外の更に衛星都市と郊外を結びつけ、相互に発展させるカギである。

参考
・名鉄時刻表vol.18 2001年10月1日ダイヤ改正号
・関市の人口・世帯数・人口増減率の推移 1920年~2015年(大正9年~平成27年)
http://demography.blog.fc2.com/blog-entry-4983.html


学生による論文(68) 「高速道路を新設する目的と土木技術の未来~新東名高速道路やSociety5.0を例に~」 藤田 光 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:26:06 | 教育のこと

 「高速道路を新設する目的と土木技術の未来~新東名高速道路やSociety5.0を例に~」 藤田 光 

 今回は現代の自動車道路と空港の建設がテーマであった。今回の授業では新東名高速道路の建設の目的についての話もあり、そこについて深く考察をしようと思う。また、新東名高速道路の建設現場を見たことを元に現代の土木技術について述べ、最後に未来の土木技術について述べたいと思う。

 まずは、新しい高速道路を建設する目的について新東名高速道路を例に以下述べる。

 現在、新東名高速道路の建設が行われている。新東名高速道は、神奈川県海老名市(海老名南JCT)を起点とし、東名高速道路と並走し、静岡県を経由して愛知県豊田市(豊田東JCT)を結ぶ約270kmの高速道路である。途中で数か所の連絡路を介して相互に補完、連携し合ってもいる。新東名高速道路が開通することにより、東京-名古屋間の移動時間の短縮や広域的な経済発展への大きな役割が期待されている。新東名高速道路建設により考えられる大きな効果を以下4点述べる。

 1点目としては、新東名高速道路を開通させることで渋滞の低減に繋がることが挙げられる。現に新東名高速道路が静岡県内で開通する前の2010年には、約2500回の渋滞が静岡県内の東名高速道路では起きている。新東名高速道路の整備されることにより、静岡県内の渋滞が解消し、高速性や定時制の確保、安定的な輸送が実現するようになる。実際に、新東名高速道路も開通した静岡県の区間の1日あたりの交通量は3割程度増えたが、年間の渋滞の発生回数は7割程度減ったとされている*2。また、渋滞が減ったことから、新東名高速道路が開通された区間の交通事故件数は1割減少し、その内の人身事故は2割減少したとされている*3。

 2点目は、迂回路の確保や災害時の広域連携強化に繋がるということである。現在の東名高速道路は東海地震の防災対策強化区域を通過していることや大規模な地滑り地帯を通っている。また、今回の授業でも学んだが、東名高速道路は高潮による越波により度々通行止めもされてきた(2011年は150時間以上(5回))。一方で、新東名高速道路は、現東名より山側を通過しているため津波の影響を受けにくく、また、東海地震の想定震度が比較的低い山地部を通過している。そのことから東名高速道路が通行止めになった際の迂回路の確保にも繋がる。また、災害時においても周辺の道路が通行止めになった場合、新東名高速道路によるネットワークの多重化により、地域孤立リスクが低減することに繋がる。そのことから、大規模災害時に多方面からの支援活動が可能になる可能性を高めることにも繋がる。

 3点目として、一般道路においても交通事故が減ることが挙げられる。近年、一般道を車両が通過交通として利用することで、交通事故が起きやすくなっている。実際の統計でも同じ区間の高速道路を走っている車両よりも、同じ区間を平行している一般道を通過交通として通る車両の方が交通事故の件数が多くなっている。しかし、新東名高速道路の建設によって高速道路の渋滞の頻度が劇的に少なくなったことから、一般道路の利用者も減ることで、一般道路の混雑も減り、一般道路においても交通事故が減ることが考えられる。

 4点目としては、この授業の講義で何回も聞いてきたことであるが、新東名高速道路が開通されることにより、かなり膨大なストック効果を発揮され、周辺地域の産業や都市がさらに豊かになり、成長することが考えられる。

 これから先、新東名高速道路の建設が終わり、今の部分開通から全線開通になることで、上記のようなかなり重要な効果がさらに発揮され、より人々に愛され、人々の社会生活に貢献することが考えられる。

 次に、現在の土木技術について新東名高速道路の現場見学での経験を元に以下述べる。

 新東名高速道路について、現在は、秦野から御殿場間がという建設中の区間があるが、実際に昨年の12月には新東名高速道路の河内川橋工事現場、川西工事現場、中津川橋工事現場を見学しに行った。河内川橋ではインクラインに乗り約100mの距離を移動した。急傾斜地ではインクラインという技術を用いて建設をする手法があることを学んだ。バスや建設材料を運ぶトラック等についてもそれに載せて運ばれているとのことだったので、かなり印象に残った。また、川西工事現場では、フルICT土工ということで工事の全工程を3次元化して行っており、ドローンによる測量を行った後、3次元設計データを作成し、それを元にICT建機が無人で施工をし、3次元データで工事の状況を管理しており、現在の時代のICT技術をかなり巧みに利用していると感じた。このことはSociety 5.0の時代(後程詳しく述べる)での建設にかなり近いのではないかと感じた。今後はますます既設の構造物の維持管理も大事になってくるので、新設の構造物の建設や維持管理のどちらにおいてもこのようなICT技術を用いることは非常に重要なのではないか、と思っている。その後、中津川橋梁の見学にも行った。中津川橋梁では断層破砕帯の位置が予想よりも広範囲で見つかったため、設計に大幅な見直しがかかった。しかし、バタフライウエブという最新技術用いることで中央径間を軽くすることができている。以上のように、建設技術においても近年の技術を用いて人件費を削減したり、建設コストを下げたりしている。

 ここまで、新東名高速道路を例に高速道路を建設する目的と現在の土木技術について触れてきたが、ここからはSociety 5.0超スマート社会の時代になり、土木においても都市計画や建設技術、快適な交通にかなり関連しているのではないかと考える。

 Society 5.0とは、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)であり、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されたものである*4。土木においてはSociety 2.0において灌漑技術が発展し、農地に水を引くための水路や水害を防ぐ堤防を人力や牛馬を利用して作ることから始まった。それがSociety 3.0になると蒸気期間が発明され、建設機械の登場により大規模な工事を効率的に行うことができるようになった。次いで、Society 4.0の情報社会が到来し、新東名高速御道路の建設方法としても一部用いられているような建設機械の自由化やITを活用した新技術が導入され、測量から設計、施工、検査まで一気通貫でデータ処理できる情報通信システムが実現しつつある。

 Society 5.0では、現実のフィジカル空間とサイバー上のサイバー空間を高度に融合させるシステムがあらゆる所で導入され、それが連携されるようになる。Society 5.0の土木事業についてどのように変わると考えているかを以下述べる。

 まずは、Society 4.0で触れたデジタルトランス・フォーメーションがさらに発達することにより、さらに、現場での工事の安全性や効率性が向上する。具体的には、建設現場でさらにドローンを含むロボットやAIが使用され、デジタルデータがさらに用いられることで建設や維持管理のプロセスがさらに効率化され、実際に現場にいる作業員の数が減ると考えられる。現在の人口減少時代において、現場で作業をできる人間が限られてくる中で、人間が行っていたことを機械等に任せることができるかを考えることは重要であると考える。

 加えて、日常生活においては、Society 5.0によりデータ連携基盤を活用することできるようになり、交通情報の情報が瞬時に入るようになると考える。そのことにより、交通の混雑や混雑予測がこれまで以上に分かるようになり、それをナビの機能とこれまで以上に連携をすることで、スムーズで快適な移動ができるようになる。また、現在は自動運転がそこまで普及していないが、Society 5.0の社会ではサイバー空間とフィジカル空間を結び付けた自動運転が発達するし、さらに快適な移動ができるようになる。そのことにより、高齢者が自動運転の機能が備わった自家用車で通院しやすくなることや交通事故が減ることが考えられる。

 また、Society 5.0では、土木構造物の維持管理や防災対策にもかなり役立っていると考える。まず、維持管理において、今後はさらにドローンやヘリ、人工衛星が用いられるようになり、検査時間の短縮や検査の省力化に繋がる。加えて、検査において補強する箇所が決まり、補強方法が決まったら、実際の補強に関してもSociety 5.0の時代では無人の建設機器がその大半を占めるようになってくるのではないかと考える。

 また、災害時には、災害の情報がドローンや全方位カメラ、ヘリ、人工衛星等により収集され、リアルタイムに情報が活用できるようになり、どこでどんな災害が発生しており何を求めているのかについて共有しやすくなり、各避難場所に応じた対応を瞬時に行っていくことができるようになり、災害時における状況把握の向上に繋がると考えられる。また、ドローンによる物資輸送と繋げることで、さらに迅速に物資を運ぶことも可能となる。加えて、各道路の被災状況を瞬時に確認し、被災、避難している人への物資の道路による輸送路を素早く考え、実行することができるようになる。加えて、地上の道路のみならず、ドローン等も用いることで、陸上の輸送路がなくなり孤立してしまった所にも物資を届けることが可能となる。

 さらに、災害からの復旧や復興においては、ドローンやヘリ、人工衛星等によって収集される情報を元に復旧、復興計画を迅速に作成し、今後はさらに無人の建設機器を用いながら復旧工事、復興工事を行っていくことになると考える。

 今回は、新東名高速道路を例に新設する目的について述べた。その後、新東名高速道路の現場を例に現在の土木技術について述べた後、Society 5.0の時代における将来の土木技術がどうなると考えられるかについて述べた。今後の土木技術が上記に述べたように進歩し、人々の生活がさらによくなるように僕自身も今度さらにしっかりと土木の最新技術について勉強しなければならない、と改めて感じさせられた。

〈参考文献〉
*1. 新東名高速道路の開通とその効果 NEXCO中日本(2022年11月12日最終閲覧)
https://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/2012data/1207/1207shin_tomei_expressway_c-nexco.pdf
*2. 新東名開通10年、渋滞7割減 御殿場JCT―浜松いなさJCT 日本経済新聞(2022年11月12日最終閲覧)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC198N70Z10C22A4000000/
*3. NEXCO中日本、新東名開通で交通事故の1割減少や、旅行速度の向上など Car Watch(2022年11月12日最終閲覧)
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/549012.html
*4. Society 5.0 内閣府(2022年11月12日最終閲覧)
https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/#
*5. 土木の話題25「ソサエティ5.0時代の土木事業~インフラDXが開く未来~」(2022年11月12日最終閲覧)
https://www.kusanosk.co.jp/trivia/column/civil/11071
*6. 国土交通省におけるSociety 5.0への取り組み(2022年11月12日最終閲覧)
https://www.ieice.org/jpn/kikakusenryaku/pdf/6_society5.0.pdf

 


学生による論文(67) 「道でエコをつくる」 長谷部 颯真 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:24:46 | 教育のこと

「道でエコをつくる」 長谷部 颯真 

 地球温暖化が進んでいる。環境にやさしくならなければならない。温室効果ガスの排出を減らそう。再生可能エネルギーを用いよう。これらが正しいかは一度置いといて、近年このような動きが主流になってきている。自動車一つにおいても、燃料電池自動車にハイブリッド車、電気自動車など所謂エコカーと呼ばれるものが登場している。私は、これまで環境にやさしくするようになるのは、このような技術を進めることに等しいと思っていた。しかし、今回のスライドの中にある新東名高速道路の、急カーブや急坂を減らすことでエコにつなげるという工夫があることを知り、インフラの新たな可能性に気がついた。

 道でエコをつくることができる。これは、インフラ整備の知られていないメリットになりうると私は感じている。自動車のガス排出を抑える要点は、急カーブや急坂に入らない、速度を一定に保つ、エンジンをつけたままにしないといったことが挙げられる。新東名高速道路といった大規模な道路では急カーブや急坂を減らし、都内や市街地では渋滞や、車の停止回数を減らすことで、それらの要点をいくつか満たすことができるだろう。高速道路や首都高といったものはそんなに気軽に手を加えることができないにしても、市街地の渋滞といった問題ならば都市計画次第では大きな効果を生み出すことができる。

 しかし、現状急カーブや急坂を規制するべきではない場所や、極端に遅い走行を許容しなければならない場所がある。それは観光地だ。いろは坂は言うまでもなく急坂と急カーブが多く、川越や都内では観光客が多いためにかなり車両が進みにくい街である。しかしそれらをなくすという選択肢はなしだろう。そこで私は、特にゾーニングを用いての規制と合わせるべきだと思う。車がスムーズに通れるような場所と、車の侵入や進行を規制する場所に分け、混雑が予想される場所の車の数を減らすとともに、車の速度を極力変化させないことで環境も守る。観光地等は幸い自然が多い場所が多く、よっぽど環境に悪い車でもなければ問題はないだろう。

 個人で新しい技術のものを導入するのはお金がかかる。自動車の渋滞は自分たちでは解決できない。自動車が環境汚染の原因の一部というのは、言われればそうだろうとは思うが自覚してない人はきっと多い。ならば普段から使う道、街からエコをつくる。これはストック効果にもなり、インフラの価値を高めるため、積極的に導入するべきだと私は思う。


学生による論文(66) 「羽田再国際化に伴う日本の航空業界の変化」  中村 亮介 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:09:50 | 教育のこと

「羽田再国際化に伴う日本の航空業界の変化」  中村 亮介 

 今回の講義で空港の建設についての話があったので、日本の首都圏の2大空港である東京国際空港(羽田空港)と新東京国際空港(成田空港)の歴史と今後の展望について私の考えを述べていきたいと思う。

 1978年に成田空港が開港して以降、羽田空港は国内線、成田空港は国際線という内際分離が行われた。開港後しばらくの間は飛行機の航続距離の関係から成田空港は北米からアジアへの玄関口として北米からの便は一旦成田空港に降りてから、東アジアの都市へ向かっていた。また、日本の経済成長の後押しもあり、日本から海外に向かう人も増加傾向にあったため、成田は黙っていても人や物が集まっていた。そうなると、求められるのが空港設備の拡張であったが、成田は建設段階から反対派との間で闘争が起きており、空港周辺地域の用地買収も思うように行かず、成田は慢性的な発着枠不足に陥った。また当時の運輸省(現在の国土交通省)も羽田空港の沖合展開や関西国際空港の建設などの重大プロジェクトがあったため、成田空港を国際線乗り継ぎ客を重視したハブ空港化することについても、国内の需要を満たすことで精一杯で乗り継ぎ客に対応している余裕がなく、さらなる空港設備の増加を恐れて消極的であった。しかしながら、このような状況で成田空港が足踏みしている間にも、アジア諸国は巨大ハブ空港の建設を進め、国際線乗り継ぎ客を含めた旅客獲得競争に動いていた。従来から国際線の乗り継ぎを重視していた香港やシンガポールに加えて、バンコクのスワンナプーム、クアラルンプールのセパン、ソウルの仁川といった巨大空港が次々と開港しアジアの空は激しい旅客獲得競争に晒された。そして、各国の草刈り場になったのが常に発着枠がパンク寸前でハブ空港についてもやる気がなかった日本であり、特に韓国は地の利を生かして仁川から日本の地方空港に続々と乗り入れて、地方からの海外旅行客を仁川に誘導し、地方からの海外旅行客を奪っていった。このような状況は場当たり的な政策を行なってきた日本の航空行政のツケとも言え、長年ハブ空港を国を挙げて育ててきた韓国に間隙を突かれたのも必然だったと言える。

 一方、日本はこのような状況についてどう対処していったのかについて述べていきたいと思う。それを語る上で外すことが出来ないのは講義でも紹介のあった羽田空港のD滑走路建設である。この滑走路建設によって羽田空港の発着枠が大幅に増やすことが出来るようになり、国土交通省はこれに伴い、羽田空港を再国際化することを決めた。それまで、不文律であった国内線は羽田、国際線は成田という内際分離の原則を破ることになったがそれを崩さざるを得ない状況になったのは先ほど述べたアジアの空の変化であった。羽田の再国際化後は、JALやANAといった日本の航空会社が羽田を国内線から国際線への乗り継ぎハブ、成田を北米から東南アジアへのハブと位置づけ、両社とも接続を考慮したダイヤ設定を行うようになり、羽田空港の旅客数は急激に増加した。それまで、日本各地から東京にビジネスや観光目的で来ていた人に加えて、羽田で国際線に乗り継ぐ新たな市場を開拓したからである。成田空港についても、従来成田発着の国際線が羽田に移管され、国際線の運休や減便が目立つようになったが、格安航空会社(LCC)の誘致を進めた結果、今まで飛行機を使うことの無かった人たちが利用するようになり、成田空港発着の国内線も従来に比べてかなり充実した。また、先程述べた北米と東南アジアへの乗り継ぎハブとして整備された結果もあり、成田空港の旅客数も年々上昇している。このようなことから、日本が行ったこの政策は他国に比べて遅れは取ったものの、数年前からの日本への外国人観光客の増加もあって、日本の空の市場は他国に完全に食い潰されることは無かったと考えられる。

 さて、ここまで首都圏にある2つの空港の歴史について述べてきたが、今後の展望がどうなっていくのかについて私の考えを述べていきたいと思う。羽田空港は、都心中心部に近く、4本の滑走路を持ち、24時間運用が可能な国際空港として日本の空の玄関口に君臨している。ただ、自然災害などの有事で使用不能となった際に、代替手段となる空港の整備がまだ不十分と言える。羽田空港は、沖合に5本目の滑走路を建設する計画もあるが、私はまずは首都圏のもう一つの空港である成田空港の拡張を急ぐべきであると考えている。成田空港は、開港当初に比べれば、都心中心部へのアクセス機能なども充実しているが、空港自体の規模としてはかなり小さいと言える。成田空港は現在2本の滑走路を有しているが、最近になってようやく3本目の滑走路の建設に向けて計画が立てられた。各国の首都空港は4本の滑走路を保有していることが標準的であるため、早急に成田空港が4本の滑走路を有することを期待したい。首都圏に4本の滑走路を持つ空港が2つ出来れば、日本の航空業界もさらに発展を続けることが出来ると考えられる。特に、島国である特性上、日本と外国の行き来は空港を介して主に行われており、首都圏に2つの巨大空港が整備されていることは、日本の経済や国際的地位を回復するためにも大きなメリットがあると言える。この講義を受けていて先生がよく話している日本がインフラへの投資を減らしていることは、このような空港設備にも悪影響を与えているだろう。国はインフラへの投資をすることへの重要性を改めて認識してもらいたい。


学生による論文(65) 『日本に必要なのは秀でたリーダーだ』 中嶋 駿介 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:08:12 | 教育のこと

『日本に必要なのは秀でたリーダーだ』 中嶋 駿介 

 徳川家康が為政者として日本に残した功績は計り知れない。家康公がいなければ現在のような日本はなかっただろう。このようなことが講義中に繰り返し語られてきた。これを受けて、今の日本には家康公のような秀でたリーダーが必要だと考えるようになった。今回の論文では、本当にそのようなリーダーは必要なのか、必要ならばどうすればそのようなリーダーを持つことができるのかを考察していく。

 前提として、今の日本のリーダーは秀でたリーダーだとは言えないと私は考える。日本のリーダーとは、単に総理大臣を指すのみならず地方自治体の首長をも指す。もちろん、個別に見ていけば素晴らしい人格者はいるだろう。私が言いたいのはそういうことではなく、国全体を強力にけん引していけるような、民衆を巻き込んでともに日本を良い方向へ導いていけるような、そのようなリーダーが不足しているということである。

 国にとって秀でたリーダーは本当に必要なのだろうか。このことをブラジル南部に位置するクリチバを例に考察する。クリチバはBRTを中心とした都市計画を推進したことで都市の再興を遂げることに成功した都市である。驚くべきポイントは、BRTという言葉がまだ存在しない時代にこのことを成し遂げたことである。ここでは、BRTを中心とした都市計画の中身よりも、計画を統率したリーダーの存在に着目したい。当時の市長であったジャイメ・レルネル氏は、先見の明でBRTの必要性を認識しクリチバの都市計画を推進した。市域全体を巻き込む壮大な計画であったため中には反対する住民もいたというが、市長は強力なリーダーシップ(今から見ればほめられたものではないものもあるが)を発揮して計画を推進することに成功した。レルネル氏がいなければクリチバは都市の再興を遂げることはできなかったであろう。それほどに、レルネル氏という秀でたリーダーの存在は大きかったのである。

 では、日本にとって秀でたリーダーは本当に必要なのだろうか。日本の組織はトップダウン型の欧米と比較して、ボトムアップ型とも呼ばれる。すなわち、日本の組織は優秀な中間管理職や現場の意見を踏まえてトップが方向性を決めるということだ。このことは、古事記における次の一説からも読み取れ、日本古来の組織構造なのかもしれない。天の高天原の神々がイザナキ神とイザナミ神に国土形成を命じたとき、「この漂っている国をつくり固めよ」という非常に曖昧な指示しかしていない。このような曖昧な指示にも関わらず、イザナキ神とイザナミ神は国土を形成することに成功した。このような歴史的背景を踏まえると、日本に秀でたリーダーは必要ないようにも思える。しかし、私はそうではないと考える。日本がボトムアップ型の組織で円滑に進むのは、あくまで平時の話である。有事の際には秀でたリーダーのもとに構成されるトップダウン型の組織である必要がある。講義で紹介された東日本大震災の際の東北地方整備局は良い例である。そして、今の日本は有事だと私は考える。経済不安を抱え、成長が止まってしまった現在の日本。これを有事と言わず何というのであろうか。したがって、今の日本には秀でたリーダーが必要である。これが今回私が導き出した結論である。

 では、どのようにしたら日本は秀でたリーダーを持つことができるのだろうか。私は、国民が賢くなることが大切だと考える。その程度の国民はその程度のリーダーしか持てないからである。国民が、前回の論文で述べたような非本来性や大衆性から脱却し賢くなると、今の日本で本当に必要なことは何かが社会に広く共有されるようになる。そうすれば、メディアや国会の場で互いの足を引っ張り合う低レベルな議論はなくなり、本質をとらえた高次元での議論がなされるようになるだろう。このような社会では、国民が優秀なリーダーを見抜く能力に恵まれ、秀でたリーダーの素質がある人をきちんとリーダーに選任することができるようになるだろう。言い換えれば、現在の日本には素質がある人こそいるものの、そのような人が本来あるべき役職に就けていないともいえる。

 「リーダーを持つためにはどうすればよいのか」という問いを立てた手前、この問い自体に違和感を覚えるのが正直なところでもある。この問い自体が「当事者意識の欠如」だと感じるからだ。他の誰かが秀でたリーダーとして日本をけん引してほしいという完全に他力本願の思考である。自分自身がリーダーとなってこの国を良い方向へ導いていこう、このように自分事として日本の将来を考えることが肝要である。私自身が賢い国民の一人となるよう、これからも謙虚に日々学びを深めていくことが私にできることの一つだと考える。インフラ関係のみならずこの国の様々な分野に関する見識を深め、賢い国民となれるように日々努力を重ねていきたい。


学生による論文(64) 「戦争を無価値にしてはいけない」 是村 涼太 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:05:48 | 教育のこと

「戦争を無価値にしてはいけない」 是村 涼太

 私は教科書を読んでいて、道路の舗装や建設について戦争とともに進展がみられることが非常に気になった。旅客輸送用飛行機の陸地での発着が可能になった背景には爆撃機用滑走路のための舗装があったり、アメリカ政府は第一次世界大戦に参加した際の貨物トラックの働きから道路の重要性を認識したと書いてあるではないか。

 今でこそ旅客輸送用の大型飛行機の滑走路や舗装された道路はそこら中にあって私たちの生活になじんだものとなっている。これらは現在の生活に欠かせないものになっているが、それでは、このような進展があったので戦争には価値があったといえるのだろうか。

 日本では1943年に立案された全国の自動車国道網は戦時下の軍事・産業政策推進を目的としたものとなっている。これはドイツのアウトバーンを参考にした計画となっており、アウトバーンもまた軍事作戦用の道路として建設がすすめられたものである。

 どうしてこれほどまでも戦争を意識した建設計画が立案されてきたのだろうか。

 私が思うに、戦争によってこれらの計画を行う緊急性が発生したからである。戦争とは負けてしまえばすべてを失ってしまうものである。そのため、勝つためには優れた道路網が必要であるとわかったなら負けないためにはつくらないといけない。つまり、優れた道路計画というものはすでにつくれるだけの知識はあったものの後回しにされ、戦争によってこの課題が緊急性を伴うようになったために表立って考えられるようになったのである。

 戦争がなくてもこのような計画はいつかつくられただろうと考える人もいるだろうが、それでは遅いのである。例えば、先に述べた戦争によって緊急性を持たされた日本の道路計画であっても、現在の自動車の普及による道路混雑は解決することができていない。

 私は戦争に価値を見出すならこの部分にあると考える。つまり、戦争によってわれわれ人間はその緊急性からそれまでなかった課題からの発展を可能にするのだ。デジタルゲームではよくバグと呼ばれる不具合が発生することがある。これは開発段階では開発者も予期できなかったものであり、これが発見されると開発者側はいち早く解決のために力を尽くしてより良いゲームにしようとする。戦争はバグと同様にいち早く予期せぬ課題を認知させ発展につなげられるという点で価値があったといえる。

 しかし、これもまたバグと同様に課題を放置してしまえばただの欠陥であるため、それこそ戦争は無価値なものになってしまう。大事なことは気づけた課題を後回しにせず発展させていくことだと考える。


学生による論文(63) 「感度の鈍すぎる異様な国、日本」 久保 智裕 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:04:27 | 教育のこと

「感度の鈍すぎる異様な国、日本」 久保 智裕

 他の先進国や途上国も経済発展を続け豊かな社会を形成している中で、日本の経済は大きく低下しそして国力も低下し続けているのは明らかな事実である。この講義でも何度も紹介があったが、日本の名目GDPはこの20年以上一切伸びていないどころか成長率もマイナスである唯一の国であり、国の経済政策は「最悪」以外に論じようがない。さて、日本の国力低下の原因はデフレと政策の失敗であると私は考えるが、ではなぜそれが長期間改善されずに放置されてさらに低下の道を歩んでいるのか。その要因としては様々なことが考えられるが、一番大きなものとしてタイトルにあるように「感度の鈍すぎる事」だと私は考える。その感度の鈍さについては国民だけでなく政治家や官僚、学者も含めた日本人の多くに当てはまると言え、もはや日本全体の感度が鈍くなっているといえるだろう。

 「失われた30年」と呼ばれる中で日本の政治が行ってきたことを簡単にまとめる。景気が低迷した際には財政出動を行ってある種に意図的に景気を引き上げるが、それによって膨らんだ赤字を埋めるために消費税率を引き上げ消費の低迷が起き、再び景気を悪化させる。この循環によって経済が悪化したといっても過言ではないだろう。ましてやバブルの崩壊原因やその責任を問われることのないまま、同じ政治が繰り返されてきたのは論外である。でもなぜこのようなことが起きてしまっているのだろうか。

 まず1つは国民の感度が低く、国の政策が愚策であることや政策の失敗に気付いていないことである。普通であれば同じことが繰り返されている中でうまくいっていないことがあれば、政治に対して反発や意見が出るのは当たり前である。場合によっては政権交代が起きてもおかしくないのである。それにもかかわらず、国民が政治や国の現状に無関心すぎて何も現状に違和感に気付かない、感度が低いといえるだろう。それだけでなく、国民の意識も低いことがさらなる感度の低さをもたらすことに繋がる。例えば選挙を取り上げるが、近年日本では投票率が過去最低を更新することが増えている。若者を中心に政治参加率が低くなっているが、これでは政治に対して正しく世論を届けることができない。そうして感度の低い政治家や官僚に気付かせることができず、政府の愚策が続くことになり同じことが繰り返されるのである。

 2つ目は、政治家や官僚など国の政策を動かす当事者の感覚が鈍くなっていることである。先にも述べたが、日本の不況の元凶はデフレである。ではなぜデフレ対策がきちんとなされなかったのか、それはやはり政府の感度の低さがあるだろう。日本のデフレの特徴として緩やかなものであったことがいわれている。それだからこそ深刻に受け止めず、対策が十分になされなかったといわれる面もある。このデフレへの感度の低さが日本の国力低下につながったといえるだろう。この感度低下を改善するには、国民がしっかりするということがまず重要になるだろう。そして政治家等に世論を気づかせることも重要になるだろう。

 では感度をどのようにして高めていくべきなのか。1つは国民が世間の変化などについて様々な方向から情報を集めて勉強することである。国民が少しでも感度を高めて言うべきことを言えるようになれば、日本は少しずつ変わっていくだろう。そして2つ目は世界の変化にきちんと国全体で気づくことである。世界の動きへのアンテナをしっかりとはり、まずは情勢を正しく理解することが大切なのではないか。もっと世界と競争しているという自覚を持つことが大切だろう。

 以上にように日本人はもっと当事者意識を高め、様々なアンテナを張って感度を高めることが重要だろう。そのためにも、幅広い知識を自ら身につけて考えるということが最も重要になるに違いない。

 私も社会に染まり切る前のこの学生のうちに、様々な情報に触れ見識を高めていきたいと思う。


学生による論文(62) 「地域高規格道路は「有力な選択肢」になれるのか」 粕谷 昌貴 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:02:37 | 教育のこと

「地域高規格道路は「有力な選択肢」になれるのか」 粕谷 昌貴 

 今回の講義は自動車道路と空港についての話であった。私は、その中でも自動車道路について注目したいと思う。

 自動車道路の中で、最も日本の自動車道路網を支えているものは、やはり全国に張り巡らされている高速道路といえるだろう。これらのおかげで、私たちは長距離の郵便や宅配便であっても、すぐに届けることが出来る。ただ、この高速道路が何らかの災害によって通行できなくなってしまった場合、私たちの生活はどうなってしまうのだろうか。

 高速道路の一部分が通行できなくなるということは、これまで高速で通過していた、都市から都市へモノを輸送する大量のトラックや人々の移動に一気に影響が生じることを意味する。しかも、この影響はたとえ迂回する方法を選択したとしても、十分に緩和できないため、高速道路が完全に復旧するまで続くのではないかと私は考える。その理由を、迂回に注目しながら考えてみたいと思う。

 迂回の方法としては主に2つが考えられる。1つ目が、素直に高速道路に平行して走る一般道路に迂回するという方法である。ほとんどの車両がこの選択をするが、高速道路より走りにくい場所に多くの車両が集まると、当然渋滞が発生し、物流に遅れが生じるうえ、その間の燃料も必要となる。私自身も、2012年に発生した中央自動車道の笹子トンネルの事故の影響で、乗っていたバスが並走する国道20号を迂回路として使用した経験があるが、かなりの渋滞に巻き込まれ、予定より大幅な遅延が生じていたことを覚えている。

 2つ目に、遠回りしてでも高速道路を利用することにこだわって迂回するという方法もある。この方法も、本来以上の時間と通行料金がかかるため物流への影響があるといえる。

 これらのように、迂回を選択することはできるものの、燃料代や通行料などが余計に必要となるので、輸送面でのコストが増加する。このことは高速道路の通行止めと周辺への迂回が続く限り、生じてしまう問題ではないだろうか。迂回によって商品が届くのが少し遅くなるのは仕方がないかもしれないが、もし仮に輸送コストの増加に合わせて様々な料金や商品が一時的に値上げされるようなことがあれば、高速道路の遮断によって私たちの家計にまで負担が及んでくることになる。

 このような馬鹿馬鹿しい事態を根本的に防ぐためにどうすればいいのか。それはやはり、授業でも紹介されていた、「重要な道路はもう1本並行して造っておくべきである」というような「有力な別の選択肢を持たせる」という考えにつながると私は思う。新東名高速道路のように、地形的な影響や老朽化の影響によって東名高速道路が通行止めになるというリスクなども見越して建設することが出来れば理想的である。

 ただ、コストや利用者数の面を考慮した結果、もう1本の高速道路建設は過剰な設備だと判断されることも十分考えられる。その際に私は、高速道路より1つ道路としてのランクは下がるのだが、有力な選択肢として「地域高規格道路」に注目したい。

 地域高規格道路は、高速道路を補完する役割を持ち、地域の自立的発展や地域間の連携を支える道路として整備することが望ましい路線とされている。自動車専用道路もしくはこれと同等の規格を有していて、概ね時速60km以上の速度サービスを提供できる道路として整備が進められている。

 この地域高規格道路は、高速道路同士や都市から少し離れた空港を連絡することや、高速道路から離れた地域でもアクセスをしやすくすることなど、明確な役割を持たせることで効果的に使うことが出来るだろう。また、地域高規格道路の整備が進んでいくと、もちろん高速道路が通行止めになった際の迂回ルートとしても利用できると思うが、高速道路のルートにもいろいろな選択肢が出てくることで渋滞の緩和などにもつながるかもしれない。

 個人的には、埼玉県(関越自動車道花園IC)と山梨県(新山梨環状道路)を結ぶ西関東連絡道路に注目している。この道路は現在の国道140号を基本とするが、一部区間に自動車専用道のバイパス区間を造ることによって地域高規格道路を実現させている。県境には1998年に開通した、日本国内の一般国道山岳トンネル延長第1位である雁坂トンネル(6625m)があり、圏央道の開通までは中央自動車道と関越自動車道を結ぶという役割も担っていた。現在も部分的なバイパス工事が進められていて、このまま線形などが改良されていけば、秩父市周辺から山梨市周辺まではかなり楽に速く移動できるようになるだろう。

 自動車道路において、たくさんの選択を持たせることは大事なことである。今後は、この地域高規格道路が高速道路の補完をしつつ、日本のそれぞれの地域を結んでいくことが期待される。地域高規格道路は、「有力な選択肢」となり、地域の人々に恩恵をもたらすことが出来るのか、また私たちの生活から災害の影響をできるだけ減らすことにつながるのか、将来の地域高規格道路システムに注目していきたい。

参考文献
・岡山市 地域高規格道路とは
 https://www.city.okayama.jp/shisei/0000003566.html
・国土交通省 高規格幹線道路等の事業実施に向けた手続きのあり方
 https://www.mlit.go.jp/road/ir/kihon/28/2.pdf
・埼玉県 西関東連絡道路について
 https://www.pref.saitama.lg.jp/b1014/nishikantou-renrakudouro/index.html
・山梨市 雁坂トンネル
 https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/karisaka.html


学生による論文(61) 「コスト項目の多様性とその可変性」 樫本 和奏 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:01:34 | 教育のこと

「コスト項目の多様性とその可変性」 樫本 和奏 

 私は講義中での「空港を整備するときに予定より高級な材料を使用したところ、全体的なコストダウンに成功した」という話が大変興味深いと思った。局所的でなく全体的な視野で考えていかなければ真のコストダウンは図れないというのはもっともである。そしてさらにいえば、この「コスト」には労働力や使用機材、制作期間も含めることができるだろうと考えた。予算的な面だけではなく、制作に要するパワーや時間などの資源に関しても「局所的でなく全体的な視野で考えるべきだ」という鉄則はあてはまる。最近このことを身近なところで実感する機会があった。

 私はこの学校の大学祭を運営する団体に所属しており、当日にキャンパス内に設置する複数の装飾を計画・制作する担当者の一人である。装飾の計画・制作・設置という一連の流れを見てきた中で、全体的に見て上手くいった装飾とあまり上手くいかなかった装飾の両方があった。まず良い例の一つとして、毎年恒例で設置する看板が挙げられる。今年はこの看板を例年より複雑な構造にしたため、制作期には時間や材料、労働力が多く費やされた。しかしこの構造変更のおかげで、大学祭2日目・3日目朝の確認作業や最後の撤収が例年より楽になり、この装飾のために当日費やす時間と労働力が大幅に削減された。結果的にいえば全体的な時間・労働力消費を抑えることができたのである。一方で悪い例だと考えられる装飾も存在する。その装飾は雨天時でも設置されるものであったため耐水性が必要だった。計画当時、耐水性が備わった少し高級な材料で制作するより、非耐水性の材料を委員自身が防水加工する方が安価であることが判明したため、予算削減のため後者の方法を選んだ。しかしこの防水加工にとても手間がかかり、時間と労働力が大幅にとられてしまった。全体から見れば少額の予算削減のために、とても見合わない量の時間・労働力を犠牲にする結果となり、「多少高級な材料を使った方が全体の装飾制作が遅れなかったのではないか」という感想が多かった。

 このような経験から私は、時間や労働力、機材(道具)などの資源もコストの一種だと捉えられると考えるようになった。また、そのような資源に関しても全体的な削減を考えるべきだと気付いた。そしてもう一つ感じたのが、コストの種類は他種のコストにある程度変換可能であるということだ。たとえば悪い例として挙げた装飾において、財政的予算削減を時間・労働力で「買った」ように、それぞれのコストの項目は他の項目と補い合う関係にあるということだ。今回悪い例となった装飾も、高級材料の使用を選択していれば、金で時間と労働力を「買う」ことができていただろう。科学的にいえば熱エネルギーを電気エネルギーに変換することが可能なように、不足した時間を労働力増や材料費増(それによる手間のかからない材料への変更)によって補うことは可能である。都市の開発やインフラ整備に関して、またはそれに限らずあらゆる事業に関しても、このようなことは可能であろう。そして、その様々なコスト項目について現状それぞれどのくらい過不足があり、そのバランスをどう取っていくかを考えることこそ、事業のマネジメントの真髄なのかもしれないと感じた。どの種類のコストが不足していて、それをどのコスト種で補うべきか見極めることが、事業の成否に直結するのではないだろうか。