「無知の恐ろしさ」 小田 瞳
今回の講義を受けて、デフレを突き進んでいる今日の日本は、築土構木の力が弱まっている、ともいえるのではないかと感じた。講義内でもお話があったとおり、築土構木とは、土を築き木を構えることで人々が豊かに暮らせるようにする、という意味である。つまり、所得が減り続けている今、私たちはこの築土構木の思想の逆をいっているということになる。この思想が衰退しているということが問題なのはもちろんだが、私たちがその事実に気づけていないということ、そもそも公共事業の存在意義をわかっていないということこそ、もっと深刻な問題なのではないだろうか。
デフレのご時世で公共事業に何兆円なんて大金を使えるはずがない、と多くの人は考えているかもしれない。しかし、このよくいう「お金がないから公共投資ができない』というのはむしろ逆で、実際は「公共投資をしないから所得が増えない、すなわち税収も増えない」のが正しいのではないだろうか。経済のサイクルは当たり前に存在しているにもかかわらず、私たちがそれを理解してないゆえに、前者のような思考に陥ってしまうのだろう。社会基盤が整っていなければ経済活動を行うことができないのは当然のことであるが、そこに気づいていない、もしくはすでに社会基盤が十分整っていると“思い込んでいる”のが大半である。
さらに、一般に公共事業は一度に多額の資金を要する。そして、インフラが本来の力を発揮するのは短期的なフロー効果ではなく、何十年何百年というスパンでのストック効果である。公共投資は未来への投資であるにもかかわらず、そこで渋ってしまうというのもまた、土木の本質を理解してないゆえの思考であろう。
築土構木の力が弱まり、建設需要が落ち込めば、当然建設業界も衰退してしまうだろう。もし、将来日本が目を覚まし、インフラの重要性に気づいたとしても、その時の建設業界のパワーがすでに不足し、もはや自国での再建が不能な状態にまで陥っていたらどうであろうか。これほど恐ろしいことはないが、今のままではこのような未来になりかねない。この危機的状況を引き起こしているのは、まぎれもなく私たちの無知である。まず、知らないことを知ること、そして自ら経済や土木の本質を理解していかなければ、この負の連鎖を断ち切ることはできず、発展途上に成り下がってしまうに違いない。
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