細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(81)「辰巳用水にみる上水道整備の恩恵」 梶 遼太郎 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 08:29:05 | 教育のこと

「辰巳用水にみる上水道整備の恩恵」 都市基盤学科2年 梶 遼太郎 

 私は、今日の授業の中で古代ギリシャ人が逆サイフォン式の水道を建設し、上水道を整備してローマの土地を豊かにした歴史や逆サイフォン式を取り入れた熊本県の通潤橋の事例を聞いて、今年の夏に旅行で訪れた金沢の辰巳用水を思い出した。この辰巳用水は通潤橋と同様、逆サイフォン式を取り入れており、日本四代用水の1つとして知られている。私は、この辰巳用水の事例を軸に実際に見た経験も踏まえながら上水道を整備することによる私たちへの恩恵について論じる。

 まず辰巳用水の概要について述べる。辰巳用水は藩の命を受けた一人の天才技術者の設計のもとでつくられた。その天才技術者の名前は、町人の板屋兵四郎である。現在では、百万石の偉容を忍ばせる金沢城には巨大な堀の水があり、日本三大名園である兼六園には彩る豊かな水が流れているが、辰巳用水が整備される前の江戸時代にはこのような設備はなく、この用水は兵四郎の努力の結晶である。この用水が建設されるようになったきっかけは、1631年の金沢大火といわれており、当初の目的は金沢城の防衛・防火であったとされている。その目的のもと、金沢城の辰巳(東南)の方角である犀川上流に水源を求め、約3キロの区間をトンネルで穿って導水し、開水路を経て兼六園の霞ヶ池に貯水する工事が行われたが、その工事の中で私は困難な箇所は2つあったと考える。

 1つ目は、兼六園と金沢城の3.4mの落差を乗り越え、途中にある低い空堀の箇所を通過しなければならない点である。当時ではその大規模な水頭差を克服する工事は他に見られず、大変難しいこうじであった。兵四郎はその困難な区間を水路に水が漏れないようにするために木管を採用し地中に埋めた密閉管路とするという逆サイフォンの原理を工夫させた自らの工夫で実現させた。

 2つ目は、水路を建設する際の軟弱地盤が各所に存在した点である。現代とは違って角度という概念がない中でその地盤を避け、正確無比な勾配を保ちながら細やかな計算、工夫を随所に取り入れており、兵四郎の技術力の高さと技術者としての誇りがうかがえる。また現在でも極めて高い測量技術が必要とされる導水トンネルを当時の技術で成功に導く器量も素晴らしい。

 この辰巳用水の建設に伴って人民が受けた恩恵は非常に大きいと私は考える。防衛・防火としての役割に加え、用水を使用した水田面積の増加に伴う農業の発達など加賀藩にとっても当時の人々にとっても恩恵は大きかっただろう。加賀百万石といわれるゆえんもこの水路を知ればわかるだろう。またこの水路は補修を加えながらも現在まで貴重な水を金沢の町に供給し続けており、現在の人々も日々恩恵を受けながら暮らしている。この水路の建設により日本を代表する情緒あふれる町並みが形成され、観光地としても人気となっている。実際に訪れた際に水路がきれいに整備され、美しい水路群が町並みに溶け込み、美しい町であると感じた。

 このように上水道を整備することによる恩恵は当時の農業や国としての国力を上げるだけでなく、現在の町並みや水道整備にもつながっているということを多くの人に知ってもらいたい。金沢ではまだ水路の恩恵を目に見て感じ取れるが、大都会ではなかなか水道設備などが目に見えないので、水道整備を含む水系インフラに恩恵を感じる人は少ないだろう。日々生活できているのはインフラによる恩恵を受けているからであるということを多くの人々が認知する日が訪れることを期待したい。

<参考文献>
・水土の礎 「加賀を創造した人々 1章 辰巳用水の才」
 https://www.suido-ishizue.jp/nihon/03/01.html 
(最終閲覧日:2021年12月18日)

・辰巳用水に学ぶ会
https://tatsumimanabukai.com/%e8%be%b0%e5%b7%b3%e7%94%a8%e6%b0%b4%e3%81%a8%e3%81%af/
(最終閲覧日:2021年12月18日)


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