細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(79) 「土木は地味?」小田 瞳 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:55:29 | 教育のこと

「土木は地味?」 小田 瞳

 これまでの講義の中でも度々「現代では水源が見えなくなってしまった。ゆえにインフラの恩恵を忘れてしまっている。」という話があった。先日、美容院へ行った際に、まさにこの話そのままの経験をした。

 私はいつも、美容院へ行く際は特に指名をしない。そのため、大学生です、と話せば「どこの大学に通っているの?」「何の勉強をしているの?」と、いつもありきたりな質問が飛んでくる。先日担当してくださった男性も同様であった。そしてその日は、土木工学を学んでいる、と言えば「えぇ、女の子なのに?!」と。トンネルなんかに興味がある、と言えば「それより、都内に大きなビルを建てた方がかっこいいんじゃない?」と言われる始末。そんなことない!と心の中で叫んだが、どうすれば良いか思いつかず、そうかもしれないですね、としか答えることができなかった。今思えば、小さいながらも土木広報の大切な一機会だったように思う。土木に憧れがあって私はここで学んでいるのに、その土木を伝えることができず、ただただ悔しかった。

 決してその男性を非難したいわけではない。これこそまさに、“インフラへの恩恵を忘れてしまうような環境”によるものだと考える。特に都市部では、多くの構造物が地下に埋まっている。そして、経済活動にできるだけ支障が出ないよう、メインテナンスも夜間に行われることがほとんどである。ゆえに、これまでに築き上げられたインフラはもちろん、それを現在進行形で整備し続けている人々の努力も見えない。こうして生活できることが当たり前になってしまったのである。

 たしかに、その男性が言うように、都内の大きなビルにも魅力はある。さまざまな大企業がオフィスを構え、日本の経済活動の拠点となり、そのエリアのシンボルにもなるかもしれない。しかし、そもそもそのビルに人がたどり着けなかったら?エネルギーが供給されなかったら?そのビルはただのコンクリートの箱にすぎない。つまり、ビルがビルとして機能するためには、インフラが整備されていることが大前提ということである。

 私たちが生活する上で、インフラは必要不可欠なものであり、誰もが恩恵を受けている。土木は、時代を超えて、数えきれない人の役に立つことができる。性別なんて関係なく、私はそこに魅力を感じるし、その一員になりたくてここにいる。インフラは見えなくとも、私は人にそれを気づかせることができる。またいつか、美容院で土木の話になったら、今度こそ胸を張って土木の魅力を伝えたい。土木は優しくて、かっこいいのだ、と。

 


学生による論文(78)「マンホールと日本の強み」 大河原 知也 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:54:03 | 教育のこと

「マンホールと日本の強み」 大河原 知也

 私は都市基盤の必修科目である測量学実習の時に感じたことがある。それはやたらとマンホールがあることである。特に下水。この授業では土木棟周辺を測量して地図を作成するのだが、私たちの班では二つもマンホールを見落としてしまった。そのため雨の中再測を行ったのを鮮明に覚えている。そして地図作成にあたりマンホールを種別に記号を付けていくのだがそのほとんどが下水のマンホールであった。街中を見渡しても多くのマンホールが存在する。雨天時には足を滑らせてしまい「何でこんなにマンホールがあるのだ」と思うことは多々ある。しかしマンホールには計り知れない魅力も詰まっている。

 まずマンホールの存在意義についてである。マンホールとは「man」(人)と「hole」(穴)を組み合わせた言葉であり人孔という訳語が存在する。マンホールは人工的に設置された穴であり、地下に張り巡らされている下水道をはじめとした管を点検するために存在している。マンホールがたくさんあると感じるということは多くの管が地下に埋蔵されていることを意味する。地下という私たちの目に見えない部分もマンホールの数から多くのインフラが通されていることを理解することができる。マンホールの蓋が丸いのにも理由がある。それは蓋が落ちてしまわないようにするためである。もし蓋が四角ければ対角線の方が長いために蓋が落ちてしまうかもしれないのでそのようなちょっとした気遣いも存在する。マンホールはれっきとしたインフラなのである。

 日本のマンホールはとても優れている。それは機能性ももちろんであるがデザイン性にも優れているからである。多くの外国人観光客はマンホールの蓋のデザイン性に驚かされる。日本のマンホールにはご当地のPR的なデザインになっているものが多い。その地域のシンボルであったり出身の漫画家のイラストが入れられていたりと様々である。このような動きのきっかけはマンホールのイメージ改善からである。マンホールは地下の下水道の汚い、臭いといったあまり良くない印象を持っていたが、デザイン性を高めることでその魅力的なものへと変化させることに成功した。そして地域のPRへと繋がっていった。全国各地にある魅力的なマンホールを追いかけるマニアが存在しマンホールを目当てに訪れる観光客も存在する。またマンホール聖戦といったイベントまで行われている。マンホールにより多くの経済効果を得ることができている。

 以上のことよりマンホールは本来の役割以外にも多くの効果をもたらすインフラであることを忘れてはならない。また、日本のマンホールは世界と比べてとても優れたものである。海外にも多くのデザインマンホールが存在するが日本ほど凝ったものは多く存在しない。ここが日本の武器なのではないかと思う。マンホールは本来の役割を果たせれば十分であるし、余分な努力をする必要なんてないと考えるのが普通である。しかし日本人は違う。それは細部までこだわるという日本人が長い歴史の中で積み重ねてきた文化的特性を生かした強みである。日本には確かに海外に比べて遅れを取ってしまっている面はたくさんある。その事実は重く受け止める必要はあるが悲観的になりすぎる必要は絶対にない。日本には日本のやり方がある。そのやり方で強い国を目指していくことが大事である。

参考文献
日本人はなぜマンホールの美しさにこだわるのか?
https://livejapan.com/ja/article-a0001528/

第4回#マンホール聖戦「全国出陣祭り」
https://www.guardians.city/


学生による論文(77)「1年にしてならず。1年にしてあらず。」 岩本 海人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:45:34 | 教育のこと

「1年にしてならず。1年にしてあらず。」 岩本 海人

 行政の政策への批判ランキングを作ったとして、「単年度政策」は必ず上位にランクインするだろう。そしてこの批判は何十年と続き、現在でも続いている。

 しかし、「単年度政策」によって、社会は良くなるのであろうか?私の答えは、絶対にNOだ。政策とは、人の営みへの働きかけであり、人の営みは1年という流れに乗っていないものの方が本質的には多い。その営みに対する働きかけとして、1年完結型の政策、長期ビジョンを持たない政策はふさわしくない。このことは極めて単純明快で、誰もが理解できることである。しかしその中であっても改善されなかったということは、構造的な問題があり、その構造が極めて変更しづらいことであることが予想される。

  この理由について、私見を簡潔にまとめる。
 第一に、予算年度。
 第二に、市長の任期。
 第三に、市長の選出方法、市民の潜在的ポピュリズム。
 第四に、議会内での勢力主義。
 第五に、長期ビジョン策定の困難さ。
 以上五つを、「単年度政策」が批判の中でも改善されない根拠として考える。これらについて詳細に述べることは冗長になるため控える。

 それでは、果たして、どのようにこの問題を解決するのがふさわしいのであろうか。私の答えは、「地方自治体が長期ビジョン、具体的には20年〜30年スパンのビジョンを持つこと」である。加えて、以下の要素を抑えることも必要不可欠である。
  ①住民、地域事業者がその策定に全面的に関わっていること。②内容が枝葉末節なことには触れず、エッセンスのみを抽出したような内容であること。③その地域の、風土、ランドスケープを反映させていること。④その地域の、伝統、文化を反映させていること。

  以下にその意義を述べる。

  ①実際にその地域で生きるのは住民、地域事業者であり、今を1番よく知っているのも彼らであり、今後その地域で生きていくのも彼らである。最終的に行政目線でカスタマーとなるのは彼らであるため、何より行政は彼らの意見をもとに方向性を決めなければ成らない。また、政治構造的にも市民の合意を得ることは要請される。ただし、このことは、市民の意見で全ての意思決定を行えということでは決してない。それは極めて危険な錯誤であり、注視しなければならない。

  ②市長の政策は、少なくとも前市長の政策へのアンチテーゼを含む。このことがぶつ切り政策につながるのだが、エントロピーの増大の立ち切りの観点から、重要なシステムであるとも言える。しかし、その中でも、長期的な計画が必要とされる場面は多くあり、そこで重要であるのが、エッセンスのみを詰め込んだビジョンである。このポイントは詳細には触れないことであり、そうすることで、政治体制が変わったとしても、通底した観念を持って政治が実行されていくこととなる。

  ③④人間の日常を取り巻く物事の変化の中で1番遅いのが風土、ランドスケープスケープ、ついで伝統、文化であろう。これらは、②で述べたエッセンスの集大成であるとも言える。これらが、エッセンスを抽出する上で極めて重要な役割を担うだろう。

  人間生活を根本から改善する取り組みとは、決して1年では成らず、成就することはない。そしてそれゆえ、決して1年ものではあらず、長期的なものである。

 私は現在、都市計画コンサル会社に所属し、複数の地域のビジョン策定に携わっている。それらの取り組みが、人間の営みに寄り添ったまちづくりに寄与するように、真剣に取り組んでいく。


学生による論文(76)「水道設置場所のジレンマ」 伊藤 美輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:44:04 | 教育のこと

「水道設置場所のジレンマ」 伊藤 美輝

 水道は、我々の生活を支えるものである。文明を作り出すインフラと言っても過言ではないだろう。そのため、できるだけ扱いやすい状態になるよう建設を行いたいが、設置場所によっていくつか問題が生じる。この論文ではその問題点を認識し、どのように対処していくべきかを考えようと思う。

 まず始めに、水道の役割について簡単に述べる。まずはもちろん人々の生活用水を供給することだ。人は水が無くては生きていけない。次に、汚水を適切に集め処理することで公衆衛生の向上がはかれる。また、汚水を処理してから河川や海に配水できるため、水質保全にもつながる。そして、コンクリートで地表面が覆われた街中に降った雨を配水し、浸水を防いでいる。加えて、最近は下水処理で発生したバイオガスを自動車燃料や都市ガスとして利用したり、 下水汚泥からリンを回収して肥料を作る、などの有効活用もされている。

 このように水道は我々の生活に多くの側面から貢献している。しかし、水道の設置場所にはいろいろと問題がある。今回は地上に設置した場合と、地下に設置した場合の問題点を挙げようと思う。ここで、多くの場合片方のデメリットは他方では解決されることに言及しておく。

 まず、地下に水道がある場合の問題点について述べる。まず、授業でも触れられた通り、海に近い沖積平野などは、地下水が塩分を含んでいるので、塩害を受けやすく、水道が劣化しやすい。東京や横浜の下水道は塩害と戦って維持されている。次に、こちらも授業中言及があったが、インフラが見えないため、市民に重要性を認知してもらえない、忘れられるなどがある。これにより水道のメインテナンスがないがしろにされる可能性がある。

 そして、地上に水道がある場合の問題点について述べる。まず、授業でも触れられたように、水が腐るなど空気の変化の影響を受けやすいことだ。気温が低くなる地域では、水が凍ってしまうと配水が止まってしまう。次に、災害に弱くなる可能性があることだ。電柱地下化でも言われているが、地下化すると台風などの地上の外力は受けなくなり、地震等でも壊れにくくなる、とされている。しかし、一度壊れてしまうと地上にあるときに比べ地下は復旧が難しくなる。また水は電気と違い、特別な装置が無くても流れているところに行けば使用することができることから、災害時配水装置が止まってしまっても、地上に水が流れていればライフラインを確保できる、というメリットもあるだろう。これより一概に地上にあると災害に弱い、とは言えない可能性もある。最後に、地形条件に縛られることだ。地上を通すとなると、高架や橋を使わない限りは地形に沿って作らなくてはならなくなる。自然のままだと上から下に流れる水にとっては、地形というのは無視できない問題である。

 ここまで水道の設置場所の問題点について述べてきたが、ではどのように設置するのが良いのか、という提案まではこの論文では触れないこととする。なぜならば、水道の適したあり方はその地域によって様々だからだ。例えば、塩害が懸念されるが地震が頻発する地域では、塩害と地震被害のどちらが維持管理に影響を及ぼすか考え、地上か地下を選ぶか決めるべきだろう。当然、山や谷など地形にも影響されるだろう。大事なことは、地上と地下の問題点を把握し、その土地にあった方法を選べることである。この観点は、最近話題になっている電柱の地下化でも適用できる留意点ではなかろうか。また、少しでも多くの市民に水道の在り方の理由を知ってもらい、水道を大切に維持していく意識を持ってもらうことだ。

 以上述べてきたように、水道は様々な役割を持っており、人々の生活を支えているものであるが、そのメインテナンスはどんな場所にあっても難しい。苦労しながら水路の計画を立て、メインテナンスを通じて生活を支えてくれている方々のお仕事のかっこよさが、もっと世の中に知られるようになることを願っている。

 


学生による論文(75)「『人の思い』と『インフラの未来』」 飯田 理紗子 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:42:25 | 教育のこと

『人の思い』と『インフラの未来』  飯田 理紗子

 水道をひねるだけですぐに水が手に入ること、洗濯や料理によって汚れた水がきれいに処理されて海や川に戻されていること、そして我々が日々健康で快適な生活送ることができていること、これらはすべてそうであって当然のことではない。人間が毎日生きていくためには第一に飲むことのできる水の供給(=上水道の整備)が必要不可欠である。その一方で、人間が生きていれば生きているほど、食事や排泄に伴う汚水が適切に処理(=下水道の整備)されることがなければ、都市の衛生状態はたちまち劣悪なものとなってしまうだろう。

 人々が生きていく社会がその良し悪しに大きく依存するインフラの一つである「上水道」や「下水道」であるが、この両者は共に発展し、共にそれぞれの役割を果たしてこそ我々人間は豊かな暮らしを享受することができるものである。二者のいずれかの技術が停滞していたり、いずれかは人々にその重要性を理解されていなかったりすることでインフラの価値が偏ってしまえば、本来莫大な富の遺産になるはずのインフラを設けたにも関わらず、社会は貧しいままということが起こり得るだろう。こうした事態に至ってしまうような風潮をつくり出さないように我々はどうあるべきか、中世から近世の頃の歴史の出来事に着目しながら以下では論じていこうと思う。

 ヨーロッパでは中世から近世にかけて、都市人口の増大に伴って大量の水を人々に供給すべく上水道の整備が進められた。他方でこの頃のヨーロッパは、排泄物や汚物が家から投げ捨てられるような不潔な状態であり、そこで敷設された下水道も、汚水が直接川に排出される仕組みであった。ここで私にとって引っかかったことは、投げ捨てられた汚物を清掃する「ナイトマン」の存在である。

 「上水道」と「下水道」を比較したとき、下水道に対して思わず嫌悪感を示してしまったりマイナスなイメージを持ったりしてしまう人は我々のなかにどれほどいるだろうか。下水道といえばどうしても臭くて汚いものを連想してしまうかもしれない。今までの私の知識では、古い時代の排泄物の処理は、例えばインドのカースト制度時代におけるいわゆる不可触民のように、世間から差別されてきた人が生業として行わざるを得なかった仕事であるように認識していた。言葉を選ばずに言ってしまうと、昔は「皆が嫌がる穢れた仕事は身分の低く差別の対象である人にやらせてしまえ」という考えのもとで汚物処理は行われていたのだと思っていた。日本においても中世から近世にかけて被差別身分が存在したが、もしかしたらこういったことが行われていたのかもしれない。しかし、ヨーロッパにおける「ナイトマン」と呼ばれる屎尿清掃人は、差別されるどころかそれらを回収・販売して収入を得ており、屎尿の処理を商売の道具とまでしていたことが興味深く感じた。

 ここまで「汚物」に関して昔の人々がどのような考えで向き合ってきたかについて述べてきた。これを踏まえると、一度人々が「汚らわしい」「身分が低い人がやるものだ」などとマイナスな印象を持ってしまうことで、都市の重要インフラであるはずの「下水道」が、徐々に人々にとって無関係でいたいものだと思わせてしまうものになる恐れがあるのではないかと考えた。こうなると人は、もうその「汚くて関わりたくのない」インフラに魅力を感じたり重要性を認識したりすることは無くなってしまうだろう。その結果、人々にとって健康で快適な暮らしを支えるインフラも、いつの間にか人々にとって「不要なもの」に成り下がってしまうかもしれない。また、十分な手入れがされず見捨てられるようになることで、さびれたインフラが逆に人々の健康や安全を脅かすようになってしまうこともあるかもしれない。興味を持たなくなったり敬遠したりすることが増え、個人にとって「不要なもの」にまみれた社会だと感じる人が多くなってしまったとしたら、そのような社会は豊かな社会だとは言えないだろう。社会を豊かにするという使命を持つインフラの未来は、個人の主観が持つ影響力に依存しすぎるべきではないのである。

 そうは言ってもいかなる物事には光と影があり、世の中の仕事も甘いものばかりではない。臭そうな仕事もあれば、汚そうな仕事もあるし、危険そうな仕事も多くあるだろう。影の部分が垣間見えると人はネガティブな思考に偏りがちであるが、決して「影=悪」ではないのである。そのなかにも人々にとって光となる側面が必ずあり、その光はいつも人々の思い描く未来や希望であるだろう。

参考文献:wikipedia「Night soil」https://en.wikipedia.org/wiki/Night_soil (閲覧日:2021年12月17日)

 


学生による論文(74)「生活を支える人の「つながり」」天野 雄浩 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-24 06:40:31 | 教育のこと

「生活を支える人の「つながり」」天野 雄浩

 私が講義の直近に経験した4つの例を軸に、人々の生活において大切な「つながり」について考察したい。

 深夜の都心を車で走っていると、至る所で水道管工事をやっていることに気づく。水道管は、道路という都市の重要なインフラの地下に埋設されているから、道路交通の邪魔になりにくい深夜に作業が行われているのだ。また、工事現場を注意深く見てみると、多くの工程を人の操作で行われている。深夜の作業であるから、人への負担も大きくミスも起こりやすいのではないかと思われるが、人同士の「連携」によって作業がこなされているのだろうと推測できる。こうした人目につかない時間に行われている人同士の「つながり」が活かされた作業が、実は都市に欠かすことのできない水資源の供給を支えているのだと私は考えた。

 埼玉県の荒川、入間川の上流に有間ダムという多目的ダムがある。その目的は3つある。一つ目は、洪水調節の働きがある。入間川下流部の飯能市、狭山市などの都市化が進む中、水害を防ぐ機能がある。二つ目は、都市用水の確保の働きがある。都市化の進んだ下流部の水不足を防ぐため、飯能市上水道や県営広域第一水道に水を送る機能をもつ。三つ目は、河川の本来持つ機能を保つ働きがある。具体的には、動植物の保護、流水の清潔の保持、地下水の維持などの機能をもつ。私がこのダムの特徴の中で最も良いと感じた部分は、3番目の目的に関連した「選択取水機能」である。有間ダムはロックフィルダムでありながら7孔の高さの異なる取水口を備えてあるため、下流部の農業や魚業、環境に応じた温度の水を湖から選んで放流できる。このダムは下流部の人々の生活と水資源を通じて「つながり」、様々な側面から都市の生活を支えている点で素晴らしいと私は考える。

 私は週に一回中学生の家庭教師として働いており、一次関数を解くのに苦しむ中学生の姿が非常に印象的である。私も中学生の頃は、同じように一次の数式を解くのに苦労していたのを思い出す。学部二年生の秋学期、私は土質力学と水理学を学習する中で、複雑な数式が出てくるたびに私は苦しめられているわけだが、何とか理解することはできている。これは現在の私の力だけで解決できるものではなく、過去の私の勉強が現在活かされているものと考える。小学校や中学校、高校の頃の勉強と大学の勉強が「つながっている」ことに私は改めて気づいた。

 私には大学に入る前からの知り合いが何人か同じ学科にいる。そして、大学に入ってからの知り合い、友人もいる。趣味や考え方はさまざまであるが、大学の空き時間や休日に交流する機会があるので、おかげさまで充実した学生生活が送れているように私は考える。また、私の知り合い同士でもともと面識のなかった人同士が「つながる」ことで新たな活動や機会が生まれることもあった。一人の人間が持てる能力は偏りがあるので、こうした複数人が「つながる」活動に大きな価値があると私は考える。

 水資源に関わるインフラや私生活から気づく大切な「つながり」の例をいくつが紹介した。先に述べた水道管、ダム、教育、人間関係といった例は、どれも個々の能力が高いだけではうまくいかないと私は考える。これらは、互いのことをうまく認識した「つながり」を持つことで初めて、本来備わっている最大限の能力を発揮できるものだろう。常に他者に意識を向けて考えること、よりよくなる方法を生み出していくことが大切であると私は考える。
 
 技術進歩が進む昨今、個々の能力はますます向上している。例えば、材料の性能の向上により、車や列車の車体はより頑丈かつ軽量なものになっている。災害に強い建物も増えてきた。一方で個々の能力には限界も見えてきている。自然や他者の力は、人間や個人に制御できるものではない。このような時代においても忘れてはならないのは、我々の生活の中にもありふれている「つながり」という概念であると私は考える。

参考文献
・有間ダム ~入間川の支川有間川にあるダム~、荒川上流河川事務所、2021-12-17閲覧、https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000700374.pdf
・第3弾 国内初?! 水中施工を伴う選択取水設備の新設、国土交通省、2021-12-17閲覧、http://www.skr.mlit.go.jp/yamatosa/public/interview/pdf/150722.pdf
・もっと宮ヶ瀬ダムを知る、国土交通省、2021-12-17閲覧、https://www.ktr.mlit.go.jp/sagami/sagami00024.html
・曝気循環施設及び選択取水設備の運用マニュアル(案)、国土交通省、2021-12-17閲覧、https://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/dam7/pdf/bakki_sentaku.pdf

 


学生による論文(73)「福島モデルにみる日本の電力安定供給のあり方」秋田 修平 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 10:04:13 | 教育のこと

「福島モデルにみる日本の電力安定供給のあり方」秋田 修平

 我々が普段利用している電気であるが、この電気(電力)の安定供給を支えているのはどのような技術なのであろうか。電気を作る技術と聞くと、多くの方が「発電所」という施設をイメージするのではないかと思う。

 それでは、現在の日本で最も多くの電力を供給しているのはどのような発電方式なのであろうか。総務省「エネルギー白書2021」*1によると2019年度の日本における一次エネルギー供給は37.1%が石油、25.3%が石炭、22.4%が天然ガスによって賄われている。このデータを参照するに、日本の電力供給には火力発電の技術がとても重要であるということがいえるであろう。特に、石炭は存在している地域が比較的分散されており、エネルギーの安定供給という面でも日本に必要なエネルギー源であるように思われる。

 では、さらに日本の火力発電で使われている化石燃料の運搬方法に着目してみるとどうであろうか。現在、日本の火力発電で使われている化石燃料のほとんどが海外からの輸入によって賄われている。つまり、海外から日本へと電気の源を運んできているのである。そして、この化石燃料の輸入に関してとても重要な役割を果たしている施設の一つが、福島の小名浜港である。福島というと原発のイメージが強いかもしれないが、広野や相馬、勿来といった沿岸地域には多くの火力発電所が点在しており、小名浜港はこれらの発電所に原料を届けるために大きな役割を果たしている。また、小名浜港は国際バルク戦略港湾として国に指定されており、近年でも国土交通省が大水深岸壁の工事に取り組むなど、日本としてもその整備に力を入れてきた経緯がある。さらに、これらの発電所で作られた電力は首都圏へと送り届けられており、福島の発電施設は首都圏の電力需要を賄う上で重要な役割を担っている。この電力の多くが小名浜港に輸入された化石燃料をエネルギー源とする電力であることを考えると、その重要性が実感できるのではなかろうか。

 ここまでで、日本の電力供給の現状を分析することにより、火力発電の必要性とそれを支える小名浜港(港湾の土木工事)の重要性については確認することができたように思う。ここからは、この現状と現在の日本の政策について考えていきたい。現在の日本は、2020年10月に菅首相が2050年での炭素排出実質ゼロを目指すという目標を掲げるなど、脱炭素への道を歩んでいるといえる。では、この「脱」炭素は日本にとって本当に歩むべき道なのであろうか。ここまで述べてきた日本の現状を鑑みるに、脱炭素にはより慎重な議論が必要なように思われる。日本はこれまで、化学工学的な化石燃料の活用技術はもちろんのこと、化石燃料の輸入・運搬を効率的に行うための土木的なインフラ整備にも注力して自国の安定的な電力供給を維持してきた歴史がある。このように、資源の少ない中で様々な分野の技術を磨くことにより電力供給の安定性を確保してきたのが日本という国なのである。以上のことを考慮すると、この日本において我々が目指すべきは、これまでの技術にさらに磨きをかけることで「持続可能な火力発電」を実現していくことであるように思われる。なお、ここでいう持続可能な火力発電とは、需要に見合った発電量をより少ない燃料から確保できるように技術を磨いた上に達成される、世界的な情勢に大きく左右されない安定した電力供給を可能とする発電システムを指すものである。脱炭素の名の下に、安定的な電力を脅かしてまで火力発電の規模を縮小していくよりも、これまでの先人たちによって磨かれてきた世界トップクラスの技術を継承・向上させ「持続可能な火力発電」を目指すことこそが日本が投資をして取り組むべきことであるように思われる。なお、ここでひとつ述べておきたいが、この主張は再生可能エネルギーなどへの投資・研究を否定するものでは全くない。もちろん、太陽光発電や地熱発電などの再生可能エネルギー分野の開発・研究も必要であり、補助的なエネルギーとして再生可能エネルギーの技術を磨いていくことはとても重要である。一つの発電方法に頼るのではなく、複数のバックアップ的な方法を確立させておくという観点からも再生可能エネルギーの開発・研究は大切なことであるといえよう。しかしながら、供給の安定性を考慮すると、再生可能エネルギーにはまだ課題があるように思われる。先人たちの努力の結晶である技術を捨ててまで、脱炭素化を推し進めるだけの安定性を確立できていないのが現状であり、この現状はしっかりと受け止めた上で日本という国の方針を定めることが重視であると考えるのである。

 以上のように、日本を取り巻く電力供給の現状を分析することで、化学工学や土木といった様々な分野の技術の必要性や重視性を認識することに加えて、脱炭素化という現代社会の大きな話題に対しての新しい見方ができたように思われる。このように、まず現状を捉え、次にその現状に見合った策を考えるという2つの段階を経ることで、様々な問題に対して実現可能かつ効果的な解決方法を見出すことができるのではなかろうか。

参考文献 *1 総務省「エネルギー白書 2021 国内エネルギー動向」
      https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2021/html/2-1-1.html

 


学生による論文(72)「2本の港湾道路」 渡邊 瑛大 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 10:03:03 | 教育のこと

「2本の港湾道路」 渡邊 瑛大

 日本では、古来より列島内だけでなく大陸との貿易が盛んであり、沿岸部には数多くの港町が存在している。そして、幕末には、函館・横浜・新潟・神戸・長崎の5都市の開港によって外交貿易も盛んになった。そもそも、港町として発展するためには、港の整備を行うだけでは十分ではない。港からの物資を運ぶための交通網が整備されて初めて利用しやすい港になり、港湾都市として競争力が上がるのである。つまり、海路だけを整備するのではなく、それとともに陸路も整備していく必要があるのだ。ここでは昔から港町として栄えてきた神戸市を例に挙げて、神戸の発展に大きく貢献してきた阪神高速3号神戸線について述べていく。

 阪神高速3号神戸線は、大阪市(阿波座JCT)と第二神明(月見出入口)を結ぶ路線であり、現在は大阪と神戸を繋ぐ都市高速のメインルートとなっている。というのも元々は、名神高速を神戸まで繋げる予定だったが、費用が多くかかってしまうことからこの計画は断念され、西宮から先は暫定的に第二阪神国道(国道43号)で代替することになってしまった。その後、この国道に並行する高規格道路として3号神戸線が建設されることになったのである。そのため、この道路は、阪神間を移動する交通に加えて、名古屋・東京・金沢方面から名神高速を経由して流入する交通も捌いており、昼夜を分かたず交通量が多い道路となっている。その結果、渋滞が非常に激しい道路となってしまった。国土交通省では、1万人が1年間のうち渋滞でどれだけの時間を損失したかを示す渋滞損失時間の調査が行われているが、2019年のこの道路の渋滞損失時間は上り線が253時間、下り線が292時間であった。この値は全国の都市高速において断トツで最下位であり、状況はかなり深刻である。利用者からは渋滞の解消を望む声が後を絶たない。

 この3号神戸線の渋滞問題の元凶は、阪神高速5号湾岸線にある。5号湾岸線は、大阪市(南港JCT)から第二神明北線(垂水JCT)を目指す路線であり、もともとはこうした路線状況を改善するために3号神戸線の代替路の役割を担う道路として計画され建設された。そのため、車線数は最大で6車線、最高速度は80km/hと他の路線よりも高規格に作られている。しかしながら、現在、5号湾岸線は六甲アイランド止まりになっており、その先のポートアイランドや神戸市街方面については、名谷JCTまでの区間が未開通となっている。そこから先、神戸の中心市街地へ向かう場合は、神戸市が運営しているハーバーハイウェイを経由することになるが、接続点となる住吉浜出口でも渋滞が頻発しており、5号湾岸線で神戸市の中心市街地へ向かうのは不便である。その結果、交通が全て3号神戸線に集中し、全国ワーストの渋滞量を抱え込んでしまっているのである。

 ではなぜ湾岸線の未開通区間が整備されていないのかということだが、それには2つの大きな出来事が関わっている。

 1つ目は、阪神淡路大震災の発生である。3号神戸線の高架の橋脚が根元から折れて倒壊してしまった写真は、印象に残っている人も多いだろう。この地震はこの地域に甚大な被害をもたらし、復興費で人々の生活基盤や既存のインフラを立て直すことが優先されたため、5号湾岸線の整備をするどころではなくなってしまった。

 2つ目は2009年の政権交代である。都市計画が決定した矢先、政権が自民党から民主党に交代し、「コンクリートから人へ」のスローガンが全国に広まった。これによって、八ッ場ダムをはじめとする全国各地の公共事業が凍結された。もちろんこの5号湾岸線の建設も例外ではなかった。この政策は、国土強靭化とは真逆の行為であり、むしろ、国民を災害リスクのもとに曝す大変危険な政策であった。しかし、2012年に再び自民党政権になると景気対策として今度は公共事業が推進された。そして、2014年に建設に関して合意形成がなされ、ようやく計画が動き始めたのである。

 現在は、六甲アイランドから先の区間の整備がなされている。ここでは、六甲アイランドからポートアイランドまでの区間に長大橋が2つ、ポートアイランドから和田岬までの区間に1つ作られる予定であり、5000億円という巨額な整備費用を国と阪神高速が折半する形で建設が進められている。そして、この道路の開通によって、渋滞の緩和だけでなく、六甲アイランド、ポートアイランドのアクセスが大きく改善され、開発促進されるなどの効果が期待されている。

 また、西宮市では、名神高速と5号湾岸線を繋げる名神湾岸連絡線計画も進んでいる。この計画全体の事業費は1050億円程度になると考えられており、建設される道路は、完成2車線で最高速度60km/hの規格であり、交通量は1日あたり17000台程度になると見込まれている。しかし、名神高速の西宮ICは、他の高速道路のように、将来的な計画や構想のもとであらかじめ分岐を想定した構造になっているわけではなく、準備工事などが施されているわけでもない。そのため、現道を無理矢理改良することになり、名神と5号湾岸線方面の連絡路は、3号神戸線との連絡路を大きく迂回するような歪な構造になる。また、この周辺には阪神久寿川駅があり、住宅が密集した地域であることから、用地買収にも時間がかかることが予想され、相当な難工事になるだろうと考えられている。同様に、5号湾岸線の西宮浜JCTも、既存の西宮浜出入口を取り囲む構造となるため、広大な用地を取得する必要があり、かなり大規模な工事が行われることが予期されている。こうした大規模な工事とそれに伴う環境問題などから、地元住民を中心に、名神湾岸連絡線へ反対する声も多い。

 しかしながら、現在の阪神の道路ネットワークは、圧倒的にインフラの供給が交通需要に追いついておらず、交通問題は全くもって改善されていない。そのため、できるだけ早く5号湾岸線や名神湾岸連絡線を開通させて、交通量を分散させ、この地域の慢性的な渋滞を解消する必要がある。港湾の輸送力に対応した幹線道路の整備することで、神戸は港町としてさらに発展していくことができると私は考えている。

参考文献(2021年12月10日閲覧)
国土交通省「平成31年・令和元年 年間の渋滞ランキング(令和2年6月8日)」
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-data/pdf/highway_ranking_r01.pdf
阪神高速道路「大阪湾岸道路西伸部(六甲アイランド北〜駒栄)」
https://www.hanshin-exp.co.jp/company/torikumi/useful/wanganseishinbu/files/osakawangandouro_w210601.pdf
国土交通省「名神湾岸連絡線」
https://www.kkr.mlit.go.jp/hyogo/meiwan/img/meiwan_gaiyou2.pdf


学生による論文(71)「閘門が支える水の都」宮内 爽太 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 10:01:34 | 教育のこと

「閘門が支える水の都」宮内 爽太

 青山士が手掛けたパナマ運河は、太平洋と大西洋を結ぶことに成功した、世界最大級のインフラのストックである。さらに、パナマ運河は拡張工事によって、より多くの船の通航が可能になっており、まさにストック効果に際限なしである。

 ところで、パナマ運河は閘門式が採用されており、閘門によって水位を調節し、水位差のある河川や運河でも船が行き来できるという仕組みであるのだが、本稿では、この「閘門」が私たちにもたらす恩恵について、特に私の地元である水の都・大阪の「毛馬閘門」を軸に論じる。この毛馬閘門・洗堰については、今年の3月に帰省した際に実際に見学しており、そこで学んだことからも発展させて述べたい。

 明治時代、淀川は地盤の低い大阪の中心部を流れており、その下流部では大川・中津川・神崎川に分派しているが、ひとたび淀川で洪水が発生すれば、大阪の市街地には大きな被害を及ぼしていた。このような水害から大阪のまちを守るべく、満を持して現れたのが「日本の治水港湾工事の始祖」と称される沖野忠雄であり、彼によって行われたのが「淀川改良工事」であった。この工事にて、淀川は大阪市中心部から北へと移り、現在の淀川である、「新淀川」を開削した。おかげさまで、大阪の中心部での洪水の被害を減らすことができたのだが、ここで注目すべきはその新淀川(以下、「淀川」という。)と淀川(以下、「旧淀川」という。)が分岐する場所に設置された毛馬洗堰と毛馬閘門の2つの代表的な土木構造物の存在である。

 淀川と旧淀川の水位差はおよそ1mで、毛馬閘門によってこの水位差をコントロールし、大阪の中心市街地を流れる河川へと、船を導いた。また、毛馬洗堰では水量の調整が行われた。これらの土木構造物の活躍により、大阪市内の水害に対する防災力を高めると同時に、水運の発達を遂げ、日本を代表する水の都としての地位を確立させていくことができたのだ。

 このように、水の都の一時代を築いた毛馬閘門と毛馬洗堰は、「毛馬閘門・洗堰群」として土木学会の選奨土木遺産に選ばれており、さらには「淀川旧分流施設 毛馬第一閘門」として国の重要文化財にも指定されているのだ。どんな土木構造物でも、一つひとつに意味があり、一つひとつに偉人が関わっており、非常に価値があるということを、大阪人には改めて知ってほしいものである。

 ところで、この淀川に新たな閘門の整備計画が立ち上がっている。それが「淀川大堰閘門」である。この整備計画は、先に述べた毛馬閘門の見学と同時期の今年3月に国土交通省近畿地方整備局から発表された。

 大阪の急激な人口増加による下水道整備の遅れによって、水質が悪化してしまった市内の河川の水質改善のために、淀川大堰は整備されたのだった。しかし、先に述べたように、旧淀川は毛馬閘門によって船の行き来が可能になっているが、一方の淀川では、この淀川大堰によって航路が分断されてしまっている。

 そこで、現在ある淀川大堰のすぐそばに新しく閘門を設置し、淀川の船の行き来を可能にするというのがこの計画である。これが実現すれば次の3つの役割が期待される。

 1つ目は、舟運による災害時のバックアップである。特に地震災害を考えた時、鉄道や道路をはじめとする陸上交通が寸断される可能性が高く、そうなってしまうと陸上からの被災地へのアプローチは厳しくなる。しかし、船を活用すれば、水上から被災地にアプローチをかけることが可能になり、速やかな復旧作業が可能になる。実際、阪神淡路大震災や東日本大震災の時にも、船による物資や人などの輸送で、麻痺した陸上交通に代わって重要な役割を果たしていた。また、本日の講義でもあったように、船というのは大量の荷物を運ぶことができるという点が強みである。そのため、緊急時に被災地に向けて支援物資などを運び込む際にも、一度に多くの物資を提供できるという点でも、やはり舟運が活躍する。さらに、旧淀川と淀川の両方が運航可能になることにより、海上交通のリダンダンシーにも期待できる。次の南海トラフ巨大地震に備えるべく、この淀川大堰閘門の整備には大いに期待できる。

 2つ目は、舟運の工事への活用である。現在、淀川大堰より下流側には、何十本もの橋梁が架けられており、JRや阪急、阪神、大阪メトロの鉄道橋に加え、阪神高速道路や新御堂筋(国道423号)などの道路橋といったように、名だたる大動脈ばかりが走っている。これらの橋梁の架け替え工事や補修工事を行う際には、船を使うことで水上でも作業が可能になる。実際、既に阪神なんば線の橋梁の架け替え工事や、阪神高速道路淀川左岸線の工事に船舶が活用されている。これらの大動脈をこれからも支え続け、ストック効果を発揮させ続けるためにも、この閘門を整備する価値は非常に高いと考えられる。

 3つ目は、沿川地域の活性化である。まずこの閘門が整備されると、京都と大阪が航路でも結ばれることになる。淀川沿川地域には多くの観光資源があり、京都の八幡の背割堤から沿川を巡って大阪へと向かうという、新たな魅力的な観光ルートも考えられる。さらには、2025年には大阪・関西万博の開催が予定されているが、その会場である夢洲までの航路も実現する。また、大阪は水の都と呼ばれるだけあって、水辺空間を活用したまちづくりや観光産業にも優れている。この閘門がまちづくりにおいても秘めているストック効果は計り知れない。

 以上の3つの期待される役割を述べてきたが、結論としては、淀川大堰閘門を整備することにより、大阪の防災力の向上、大動脈の長寿命化、そしてまちの活性化に繋がる。

 そして最後に、毛馬閘門の近くには、沖野忠雄の銅像があり、そのすぐそばにある石碑には、「沖野忠雄は一生を土木技術者としてささげ―」と刻み込まれている。沖野忠雄の一生の一部を、私が育ってきたまち・大阪に捧げてくれたことには本当に感謝しきれない。今まで活躍してくれた毛馬閘門・洗堰に感謝するとともに、今でも活躍する現役の毛馬閘門と、この新たな淀川大堰閘門によって、水の都のさらなる発展に期待したい。

参考文献
・国土交通省近畿地方整備局Press release「淀川大堰閘門の整備に令和3年度から新規着手します ~淀川舟運の活性化により、防災力を向上、賑わいを創出~」
https://www.kkr.mlit.go.jp/news/top/press/sih68m000000bbec-att/20210330-1yodogawaozekiseibi.pdf
(最終閲覧日:2021年12月10日)
・株式会社建設技術研究所「日本最大級の淀川大堰の設計・施工計画」
http://www.ctie.co.jp/project/project43.html
(最終閲覧日:2021年12月10日)
・国土交通省淀川河川事務所HP 「淀川の舟運」
https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/index.html
(最終閲覧日:2021年12月10日)

 


学生による論文(70)「過酷な環境と快楽な環境が人間に与えるもの」 松尾 祐輝 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:59:51 | 教育のこと

「過酷な環境と快楽な環境が人間に与えるもの」 松尾 祐輝

 土木事業は大がかりかつ危険を伴うものであり、工事の環境は過酷であることが多い。現代においては多くの技術や知恵、そして人手が投入され、そこまで過酷なものではなくなってきているかもしれないが、数十年~数百年前の環境は講義を聞く限り過酷そのものである。講義の動画ではパナマ運河の建設と荒川分水路の水門の建設が話題になっていたが、パナマ運河の建設環境はあまりに過酷なものに感じ、荒川分水路の水門の建設環境もパナマ運河ほどではないが過酷なものには違いないと感じた。さて、現代の仕事に過酷な環境を伴うものはどれほどあるだろうか。過度な労働時間の増大やパワハラなど、人間環境にまつわる過酷さはいくつか残っているように思うが、大半が快楽な環境ではなかろうか。このような過去と現在の環境の違いは、人間に全く違うものを与え、全く違う人間をつくり、国の豊かさにも変化を生じさせる。そして、未来の1世代や2世代後の環境にも影響を与えることになる。レポートでは、過去と現在の環境の違いおよび未来に想定される環境について、近い将来に就職を控える大学2年生の思いをまとめ、そこから未来の環境を良くするために現代人ができることを考える。

 過去の環境について少し掘り下げる。パナマ運河のある中米は、酷暑やスコールなどの厳しい気候、ジャングルやそこに住む危険生物が形成する厳しい自然環境、マラリアや黄熱病などの疫病を抱える場所であり、パナマ運河の建設に携わった土木偉人の青山士はこのような環境での土木工事を経験した。この工事はまさに「自然と共生するための闘い」であり、昔の土木行為の本質を表しているように思える。また、青山士は荒川分水路の水門(岩淵水門)の建設にも携わっており、パナマ運河ほどではないが、軟弱地盤下における工事や新たな工法(鉄筋コンクリート工法)の導入など、さまざまな困難を伴う土木工事を成し遂げた。このような過酷な環境は、人間を強くし、自信に満ちあふれる人をつくり出す。人は緊急時にこそ本能的に本領を発揮するからである。そして、過酷な環境下での努力は功績につながり、現代人の間で「偉人」として称される。仮にもその功績が生きている間に認められなかったとしても、亡くなった後にストック効果で人々に絶大な利益を与えるのである。

 現在の環境、いわゆる快楽な環境について私の思いを述べる。私は数年後に就職して社会人になる予定であるが、正直、力仕事や過酷な仕事はあまりしたくないと思っている。前段落の過去の環境を踏まえるとこれは甘えであるかもしれないが、現代は先人の努力によって多くの人が比較的快楽な環境で働ける状況にはなっていると考えているため、多数派の考えではあると思う。人間の本性から考えて、多くの日本人は豊かに生きようとするとどうしても快楽な環境の方を取りたくなってしまうであろう。そして、大半の日本人は楽な方の人生を選択し、一部の日本人は楽な方を選択しているという事実にすら気づかず甘えっぱなしの人生を送るのではないだろうか。次段落の未来の環境のことを考慮すると、これはどうにかして改善すべき問題である。私はただ甘えるだけの人生にはなりたくないため、快楽な環境は上手に活用しつつも、自主性・主体性をもって社会問題を解決していきたいと思っている。そして、取るべきと判断したリスクは取り、自分でマネジメントできる範囲で過酷な環境を一部選択していく心構えも持っておきたい。

 未来の環境を考える上で、現在のような環境を現代人の努力によって未来に伝えることができるかどうか、が論点になる。結論として、未来においては現在あるような快楽な環境はあまり期待できず、過去と似たような過酷さが返ってくる可能性もあると考えている。現在の日本の衰退傾向やこの先の人口減少の傾向は、1人当たりの豊かさを小さくする要因である。また、快楽な環境に甘えて過ごす人が増えると、現代人の努力量は期待するほど確保できず、未来にこの環境をつなげることは難しくなる。なお、過去の偉大な土木事業によって、現在人間にとって自然はあまり脅威ではなくなってきているように思えるが、当然すべての問題が解決されたわけではない。むしろここ数十年は運よく自然災害が少なかったと考える方が理にかなっている。そのため、将来起こり得る問題を確実に想定し、解決策を能動的に考える力が求められるはずである。

 ちなみに、もし1世代後の未来に再び過酷な環境が訪れた場合、1世代後の人は過去の人と同じようにたゆまぬ努力をして、2世代後の未来に快楽な環境をもたらす(現在の我々と同じような道を歩む)という可能性が考えられる。こうなれば、偉大な土木偉人や技術が2世代間隔で発生するため技術の継承という面では良いかもしれないが、できることなら快楽で豊かな環境を永続的に保つことを目指したいところである。

 では、未来の環境を永続的に良くするために、我々現代人ができることとは何であろうか?その答えは、今までこのレポートで述べてきたこと、すなわち「過酷な環境を知り、快楽な環境を勘違いしないこと」ではなかろうか。現代人みんながこのことを自力で気づくのは難しいであろうが、自力で気づけたわずかな人たちから周りの人たちへ広げることは可能である。なぜなら、過去に比べて現在は多様な技術や人材が存在し、本気を出せばすぐに広めることができるからである(本当は「土木史と文明」の講義をオンデマンド化して誰でも見られるようにするのが手っ取り早いだろうが、そうできない事情もあるので致し方ない)。

 土木の数々の歴史を学べるこの講義から、また一つの偉業を学ぶことができた。とりあえず今の私たち(受講生)にできることは、このように講義から学んだことを言語化し、将来誰かに知見を伝えるための準備をすることであるかもしれない。

 


学生による論文(69)「現在と未来の日本の水運」 前田 頼人 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:58:32 | 教育のこと

「現在と未来の日本の水運」 前田 頼人

 多くの先進国がユーラシア大陸や北アメリカ大陸に位置するのに対し、日本は島国である。イギリスなども島国の先進国であるが、ドーバー海峡をトンネルでユーラシア大陸と結ばれ、未だに物理的に独立している先進国は日本だけである。基本的に島国は他国との貿易が難しく、独立した経済圏を創出することが多い。このような状況で、日本が先進国に這い上がることができたのは、先人たちの「海」の使い方が非常に匠であったからだ。教科書にある通り、江戸時代に全国を一つの経済圏として成り立たせていたのは水運の発展である。しかし、残念なことに日本の港は以前ほど貿易力と経済力を発揮していない。

 日本人は物や人の移動に関して特徴的な感覚がある。それは「時間」である。日本人は時間に対して、「正確さ」を特に求める。この日本人特有の「時間」感覚は、海の状態に左右される水運よりも輸送時間が正確かつ短く済み、輸送の自由さもある鉄道やトラック輸送のほうが適している。そのため、国内の人や物の移動は多くの場合陸路を選ぶべきだろう。

 しかし、対外的には別である。国土交通省の世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキングの20位以内を見ると、1980年では4位に神戸、13位に横浜、18位に東京が位置していたが、2020年では最も順位の高い港が19位の東京、横浜、川崎を合わせた京浜港になってしまった。取扱量は1980年よりも大幅に増加しているが、上位のほとんどを中国、韓国、シンガポールが埋め尽くしている。取扱量も桁数が1つ違うほどである。以前は、ハブ港として日本の港は規模でも機能面でも世界トップクラスであった。しかし、大型化し進化する船舶に合わせた港の整備を進めず、時間的にもフレキシブルな対応をとらないために日本の港は没落してしまっていた。では、港のハード面とソフト面の双方で周辺国に負け、日本は先人のように海を武器に日本を発展させることはできないのか。そんなことはないはずだ。日本の港とランキング上位の港との違いは大きく分けて2点ある。1つ目は、コンテナターミナルのゲートオープンの時間帯である。例えばシンガポールの港では24時間体制で船舶を迎え入れることができ、利便性が非常に高い。2つ目は、港の設備体制である。船舶の大型化に伴い、大型船舶が寄港できる港が減ってしまった。他にも様々な違いや劣っている個所はあるだろう。では、日本に強みはあるのだろうか。

 日本の大きな強みは安心と安全、そして日本人特有の正確さ、勤勉さだ。現在、コロナウイルスによるパンデミックが収まらないだけでなく世界情勢が複雑化、特にアジア情勢の変化が激しい時代なので、日本のこの強みは大きく支持されるだろう。大型船舶の寄港を可能にする港湾の整備も、技術がトップクラスのマリコンが存在する日本では不可能ではない。港を整備し、ハブ港として再び日本の港が大きく活躍する時代が来ることは日本経済の活性化にもつながる。やはりこの点でも、港の整備すなわちインフラの投資が大きな要となっているが、それを叶えることができるのは政府のみである。結局のところ求められるものは、インフラ投資とそれを支える勇敢な国である。

(参考文献)
国土交通省 白書・オープンデータ 統計情報 世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング(1980年,2020年(速報値))
https://www.mlit.go.jp/common/001358398.pdf


学生による論文(68)「日本版」 服部 さやか (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:57:30 | 教育のこと

「日本版」 服部 さやか

 前回の論文では日本とバンクーバーを比較し、日本がバンクーバーから学ぶべき点について論じた。今回はその続きとして、日本はなぜ政府・企業・市民の繋がりがこれほどまでに希薄なのか、また何をすればこれを改善しバンクーバーのように3者が協力してまちづくりをできるような関係を築けるかについて述べようと思う。

 まずこのような日本の現状を作ってしまった原因を考えていく。日本では、政府・企業・市民の中でも特に、政府と市民の繋がりが薄いように思える。ここを根本的に見直していかないと、三つのつながりを形成することは不可能だ。逆に言えば、ここが治れば政府・企業・市民の間に少しずつ理想の関係ができていくのではないか。ではこの政府、市民間の繋がりが薄いことの理由を考える。私が理由として考えたのは、市民の政府や政治に対する興味関心の薄さである。選挙の投票率も問題になっているように、日本国民は基本的に政治に対する関心があまりない。もちろん全員が全員そうとは言わないが全体を平均的に見ると、海外諸国と比べても日本ほど国民が政治に興味のない国はかなり少ない。この問題は都市を運営していく上で政府と市民の繋がりの薄さ(今回論文)や、法と社会の乖離(第4回論文)など、様々な問題を引き起こしている。政治に対して興味関心がここまで薄いのは言うまでもなく、政治に興味を抱くほどの知識が私たちにないからだ。政治に関する教育は義務教育の9年間で社会の授業などに取り入れられているが、日本が他の国と違うのはそこまで実際の政治に踏み込んだような教育をしないことだ。表面的なことばかりで、今の政治体制がどうなっているか、どのような歴史を経て今の状況が作られているのかなどを学べない。するとどうなるか。義務教育を終えた政治に関しての知識のない若者たちが世に放たれ、政治に関心のないまま生きていくのだ。すると今のような政府と市民の繋がりが極めて薄い、非効率的な社会が形成される。全てが悪循環だ。根本から見直していかなければ日本が海外のシステムを真似ることは意味を成さない、そう私は思うのである。

 そしてここからがバンクーバーのようなシステムを目指すために必要な事柄であるが、重要なのは国民の政治に興味を持つという姿勢とそれを手助けする日本の教育制度である。Greenest city 2020の取り組みは世界的にも大きな注目を集め、日本でもお手本にしていきたいところであるが、そっくりそのまま日本で同じことをしたってうまくいくわけがない。いくら政府が市民に呼びかけたって市民にそれが届かない、もしくは市民が取り組みに興味を示さなければそこで流れはストップしてしまう。だからまず同じことをするのではなく、原因を探り解決法を見つけて社会に反映した上で日本流の形に直して取り組むべきなのだ。この方法は今回のような都市計画のことだけでなく、多くの物事に共通するでろう。つまり言いたいのは、私たちはもっと考えて考えて考え抜いた上で物事を判断、選択すべきなのだ。そしてこれこそが私の考える解決法である。

 





学生による論文(67)「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」西浦 友教 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:56:20 | 教育のこと

「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」西浦 友教

 土木史と文明の講義内で細田先生はしばしば「海外を見てきたらいい。日本のインフラは遅れをとっている。」という趣旨の言葉を私たちに投げかける。その言葉を受け止めているとなんだか「日本って海外の下位互換なのではないのか。特にインフラに関しては。」という思いが芽生えてくる。

 実際、日本と海外諸国のインフラ整備水準の比較材料として道路を例にとると、制限速度が時速60km以上の道路は日本には約21,200km、時速100km以上の道路は約2,800km整備されている。しかし制限速度60km以上の道路を人口当たりで比較するとアメリカは日本の10倍、制限速度100km以上の道路では実に33.5倍も整備されていることが分かる。ヨーロッパ各国でも時速60kmの道路は日本の3〜4倍、時速100km以上では7〜8倍の整備水準である。また、中国や韓国といった東アジアの国々の動向に注目してみると、かつての日本がヨーロッパ諸国に追いつき追い越せと努力してきたように、東アジアの国々が追いつき追い越せとすべき対象国は日本であり、既に空港や港湾では滑走路の規模などにおいて日本を上回るインフラが整備されている現状がある。こうして考えると、やはりインフラに関して日本は海外の下位互換なのかもしれない。

 ここで少し話がそれるが、この文章のタイトルにもなっている「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」というフレーズを紹介する。このフレーズはTwitterとnoteを主な活動場所としている宇野なずきさんの歌集「最初からやり直してください」に掲載されていたものであり、個人的にとても考えさせられた。作者の実際の意図は分からないが、厳しい現実を突きつける辛辣な言葉であると感じる。ただ、私はなぜかこのフレーズを嫌いになれない。むしろ好きかもしれないとまで感じる。文字通りの意味では「あなたと全く同じ人間はいないけれども、あなたより優れた人はたくさんいる」ということになる。もしかしたら、あの細田先生にも今までにこのようなことを感じて落ち込んだり、腐ったりした経験があるかもしれない。残念ながらどんな分野でも自分より有能な人がどこかにいる、というのはほとんどの場合、事実であり、今の自分がいるポジションや役割に代わりについたらもっと上手くやれる、もっといい結果を出せる、そんな人たちがたくさんいる。たとえ自分が自身の過去最高を叩き出しても、上を見れば切りがない。

 話を元に戻すと、辛辣で棘のある「誰ひとりきみの代わりはいないけど、上位互換が出回っている」というフレーズを日本のインフラの現状に当てはめてみると、「日本のインフラ整備には素晴らしい点が多々あるが、上位互換かのように整備が進んでいる国々が海外には存在する」ということになる。この先の文章構成として、「日本には列車の安全性とダイヤグラムの精密さについて世界に誇れる交通インフラがあり、人口比で考えれば道路の渋滞だってひどくはない。」などと日本のインフラが持つかけがえのなさを主張し、それらを大切にしながら上位互換を気にしすぎることなく成長していけば良いと考える、という展開に持っていくことが頭の中をよぎった。しかし、そんなことじゃいつまでたっても欧米諸国からは差を拡げられる一方であり、気づいたら東アジアの国々に置いてけぼりにされてしまう。上を見て、上位互換かもしれない対象と比較し、時に絶望感や諦めたくなる気持ちを抱きながらも泥臭く成長していく方がかっこいい。ぜひ、日本にはインフラ整備を通じてかっこいい国になって欲しいと感じる。私自身も、何らかの形で日本の成長の手助けをできる人材に成長したい。

<引用文献>
・宇野なずき「最初からやり直してください」(歌集)


学生による論文(66)「スエズ運河から考える莫大なストック効果を発揮できるインフラの条件について」白岩 元彦 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:55:12 | 教育のこと

「スエズ運河から考える莫大なストック効果を発揮できるインフラの条件について」白岩 元彦

 私は地政学的な観点をもつことで、莫大なストック効果を発揮するインフラの整備を行うヒントになると考える。そして、そのようなストック効果を長年にわたって享受するためには、現状のインフラ整備状況に満足するのではなく、様々な分野に投資を積極的に行い、常に良質なストック効果を発揮できるような状況を整えておく必要があると考える。この論文ではこの主張について、スエズ運河の事例を紹介しながら論ずる。

 スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶエジプトのスエズの地峡を南北に走る人工運河である。この運河はアフリカ大陸とアジアを隔て、ヨーロッパとインド洋と西太平洋の周りに位置する土地との間の最短の海上ルートになっている。スエズ運河を通行することでインド洋北西部のアラビア海からイギリス・ロンドンの航行距離は、アフリカの喜望峰回りに比べ約8900kmを短縮でき、約半分になる。これによって航行日数を約1週間短くし、燃料コストも約半分に抑えることができるようになった。また、スエズ運河から地中海を進む航路には、貨物の積み下ろしのために寄港できる港も数多くあるので、利用する船が多く、スエズ運河は世界的な交通の要衝となっている。

 スエズ運河通行料は主要産業の観光とともに、エジプトの主要な外貨収入源となっている。エジプト中央銀行によると、2018/2019年度の収入は約57億ドルで、GDP全体の約2.4%を占めた。そして、同年度のエジプトのGDP成長率は5.1%だったが、産業別でスエズ運河収入は7.9%を記録し、いまやエジプトのみならず、世界中の国にとって必要不可欠なインフラになっている。このようにエジプトは自国の地政学的な特徴を利用して莫大なストック効果を生み出すことに成功している。

 また、私は莫大なストック効果を長年にわたって享受するためには、現状のインフラ状況に満足するのではなく、様々な分野に投資を積極的に行い、常に良質なストック効果を発揮できるような状況を整えておく必要があると考える。

 スエズ運河は元々、当時の標準的な船の大きさを想定し、水深約8m、水位304m2、最大積載量5,000トンで建設された。しかし、その後エジプト政府によって開発プロジェクトが開始され、水域を4800m2、喫水を62フィートに拡大し、全長191.80kmとした上で、積載量21万トンの船を受け入れられるように拡幅工事を行い、2010年には喫水が66フィートに達し、この段階で約17,000隻のコンテナ船と、世界中のバルク船を受け入れることができるようになった。さらにいまは水深72フィートとすることで、世界の海上輸送に使用されている船舶の約99%が使用できるようになっている。このようにスエズ運河は地政学的に有利な条件を活用することで莫大なストック効果を生み出すだけでなく、常にその効果を継続的に享受できるようにインフラを整備している点が素晴らしいと考える。

 一方で、こうしたインフラは有事の際に世界中に多大な影響を及ぼす。2021年3月のエジプトのスエズ運河で2021年3月、日本企業が船主の世界最大級コンテナ船による座礁事故が起きた。1週間にわたってスエズ運河を塞ぎ、世界貿易に与えた影響額は約4000億円とも試算される。このような状況では充分なストック効果が得られず、むしろ事故に対応するために費用を使うことになってしまう。このようなリスクを減らすためには緊急時に慌てて対応するのではなく、平時から様々なリスクを想定し新たな技術に投資を行いながら準備を進めていく必要がある。

 私は以上の理由により、地政学的な観点を持つことは莫大なストック効果を発揮するインフラの条件のひとつだと考える。そして、そのようなストック効果を長年にわたって享受するために投資を継続的に行い、常に良質なストック効果を発揮できるよう整えておく必要があると考える。
世界地図レベルの広い範囲で日本を捉えると、日本はスエズ運河のような船運の要衝にはなりにくく、中国とアメリカ大陸、ヨーロッパ方面の間に位置するため中継地点としての役割を果たしやすい国ではないかと考える。このように地政学的な観点から日本が置かれている状況を捉えることで世界をより深く知るきっかけになり、日本が国際的な存在感を高められるようなインフラを保有できるようになる視点のひとつになるだろう。

参考文献
1.nippon.comスエズ運河事故から学ぶ世界海運の最新事情(https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00704/) 2021/12/10参照
2.SUEZ CANAL 新スエズ運河 (https://www.suezcanal.gov.eg/English/About/SuezCanal/Pages/NewSuezCanal.aspx) 2021/12/10参照

 


学生による論文(65)「フランスと日本の塩のちがい」 佐藤 鷹 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-17 09:54:06 | 教育のこと

「フランスと日本の塩のちがい」 佐藤 鷹

 ミディ運河が塩税徴収官のピェール=ポール・リケによって構想されたという話が出た。豊富な工学的知識を有していたにせよ、彼が塩税徴収官という立場からこの運河を構想したという事実には驚くばかりである。ただ私が少々気になったのはこの“塩税”ということばで、日本ではあまり耳慣れないものである気がする。大西洋、地中海間の貨物輸送時間の大幅な短縮を可能にした同運河が大変に素晴らしいものであることは承知の上で、ここでは少し脇道に逸れて、“塩税”からはなしを広げ、フランスと日本の塩のちがいについて述べたいと思う。

 この塩税とは、世界的には古来より見られた税種の1つであって、いわば塩のみにかかる消費税のようなものだった。これを特に「ガベル」と呼んだフランスでは、その税率に地域的な格差があり、高い税率負担の地域もあれば、完全に免除されるところもあったため、それだけ塩税が、国民の貧富の差を過度に拡大させてしまうような、非常に大きな影響を与えるものであったようである。フランスにとって塩は金銭的意義を持つものであったと言えるだろう。だからこそ、と言っていいのかもしれないが、かのフランス革命の原因の一つに、長年にわたり蓄積された国民の塩税に対する不満があった。国民議会はそれを受けてやむなく塩税を廃止したのであったが、14世紀後半の最初の導入から1790年の廃止まで、実に400年以上にわたって塩税制度がフランスには存在したということになる。フランス語の“salaire:給料”(英語の“salary”)がラテン語の“salarium:塩”に由来するという事実もまた、塩に対して金銭的意義を見出すというような土壌が垣間見えるようである。

 我が国ではというと、島国だからと言って塩が軽んじられたような気配はない。実際、海に面する地域と内陸を結ぶ「塩の道」と呼ばれる道があって(千国街道や三州街道)、内陸部にとっては大変に貴重なものであったことは間違いないだろう。川中島の戦いのある逸話から生まれた「敵に塩を送る」という諺も、武田方が内陸の甲斐の国を拠点としていたからこそ成立していると言えるかもしれない。しかしながら、日本においては、塩税というものが存在しなかった。正確に言えば存在したが、日露戦争の戦費調達のため、明治38年に塩専売法の公布から施行までの凡そ6か月間だけ行われただけであった。また上代には塩そのものを税として納めた時代があったのだが、それも租庸調の庸(兵役)の代替措置として一部行われたくらいである。だから我が国においては、塩というものに然程金銭的意義は見られないと考えられる。

 金銭的意義を持たない、とするならば、我が国における塩が持つ意義とは何か。私は神秘的意義だと結論したい。清めの塩や盛り塩がその代表例である。清めの塩は葬送儀礼において厄除けのような存在を果たし、また盛り塩は日常の一般家庭において、縁起担ぎで置くところも多い。さらに、一般に日本の国技とされる相撲でも、力士たちは土俵上で塩をまく。ただ三段目以下の力士は塩をまくことができないため、力士たちにとって塩をまくという行為は、五穀豊穣を願う神聖な土俵という場所で一人前の力士として活躍するというある種の神秘性を感じるものでもあろう。したがって日本においては、こうした塩の神秘性は無視できないと考える。

 以上、フランスと日本の塩のちがいであった。フランスでは金銭的意義、日本では神秘的意義があると思う。ただどちらにせよ両国においては、塩というものが国民生活や文化に深く浸透し、影響を与えてきたことは疑いようのない事実であろう。塩というものが全人類に欠かせないミネラル源であることには違いないが、その背後の意味が異なるのは非常に興味深いと思う。食卓に並ぶ調味料一つにこうした世界が広がっていようとは思わなかったが、他の事柄についても別の視点で見てみると面白いかもしれない。

参考文献
源気商会「フランス革命と塩」
https://genkishoukai.com/blogs/salt-talk/post-46

wikipedia「塩税」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%A8%8E

国税庁「塩と税務署」
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/network/206.htm
(全て2021年12月11日閲覧)