「土木は地味?」 小田 瞳
これまでの講義の中でも度々「現代では水源が見えなくなってしまった。ゆえにインフラの恩恵を忘れてしまっている。」という話があった。先日、美容院へ行った際に、まさにこの話そのままの経験をした。
私はいつも、美容院へ行く際は特に指名をしない。そのため、大学生です、と話せば「どこの大学に通っているの?」「何の勉強をしているの?」と、いつもありきたりな質問が飛んでくる。先日担当してくださった男性も同様であった。そしてその日は、土木工学を学んでいる、と言えば「えぇ、女の子なのに?!」と。トンネルなんかに興味がある、と言えば「それより、都内に大きなビルを建てた方がかっこいいんじゃない?」と言われる始末。そんなことない!と心の中で叫んだが、どうすれば良いか思いつかず、そうかもしれないですね、としか答えることができなかった。今思えば、小さいながらも土木広報の大切な一機会だったように思う。土木に憧れがあって私はここで学んでいるのに、その土木を伝えることができず、ただただ悔しかった。
決してその男性を非難したいわけではない。これこそまさに、“インフラへの恩恵を忘れてしまうような環境”によるものだと考える。特に都市部では、多くの構造物が地下に埋まっている。そして、経済活動にできるだけ支障が出ないよう、メインテナンスも夜間に行われることがほとんどである。ゆえに、これまでに築き上げられたインフラはもちろん、それを現在進行形で整備し続けている人々の努力も見えない。こうして生活できることが当たり前になってしまったのである。
たしかに、その男性が言うように、都内の大きなビルにも魅力はある。さまざまな大企業がオフィスを構え、日本の経済活動の拠点となり、そのエリアのシンボルにもなるかもしれない。しかし、そもそもそのビルに人がたどり着けなかったら?エネルギーが供給されなかったら?そのビルはただのコンクリートの箱にすぎない。つまり、ビルがビルとして機能するためには、インフラが整備されていることが大前提ということである。
私たちが生活する上で、インフラは必要不可欠なものであり、誰もが恩恵を受けている。土木は、時代を超えて、数えきれない人の役に立つことができる。性別なんて関係なく、私はそこに魅力を感じるし、その一員になりたくてここにいる。インフラは見えなくとも、私は人にそれを気づかせることができる。またいつか、美容院で土木の話になったら、今度こそ胸を張って土木の魅力を伝えたい。土木は優しくて、かっこいいのだ、と。