細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(21)「インフラにおける民間と行政の組み合わせ」 大橋 直輝(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-03 09:03:36 | 教育のこと

「インフラにおける民間と行政の組み合わせ」 大橋 直輝

 1964年の東京オリンピックの時にたくさんできた首都高速道路などのインフラが一度に後期高齢インフラとなり、更新していくにも莫大な量になってしまう。建設当時、老朽化はしないものだと考えられていたようだ。おかげで首都高速道路は各地で大規模更新や大規模修繕工事を行っている。多くの人が長い間インフラの老朽化には盲目であった。そのことは国土交通省の「国民意識調査」より、「わが国では、これまでに多くの社会資本が整備され生活が豊かになった反面、施設の老朽化により、今後多くの施設が更新時期を迎えます。あなたは、社会資本に老朽化の問題があることを知っていましたか。」という質問の結果、70%の人がそのことを理解していないことからでも明らかである。またインフラの更新について、正しく理解をしていないので回答者の約六割が「すべての施設の更新」を進めることを希望する旨の回答をした。もちろん一度にそんなことはできない。また費用も膨れ上がってしまう。

 そのため、私の考えることの一つに、民間企業がよりインフラの更新に参加しやすい、参加する意欲が上がるような制度を作るべきだ。そもそもインフラはだれでも使うことができて、整備や更新をしても儲からないとされてきたので国や行政が運営していた。しかし国にとっても赤字ならほかの分野で使いたいお金が無くなってしまう。今まで郵政や国鉄が民営化されたが、通行料金を徴収しない一般道のでは費用は集まらない。これでは参入しようという民間企業は現れない。まず一般道で稼げるものを作る必要がある。そのスペースを使って新たなビジネスチャンスの創出をできるような法制定が進めばそこでの利益を修繕や更新の費用に充てることができる。

 平成23年度より、河川空間において、社会実験としての区画指定を行わずに全国で規制緩和の実施が可能になった。そうすることにより、イベント施設やオープンカフェの設置など地域のニーズに対応した河川敷地の多様な利用が可能になり、水辺における賑わいの創出や魅力ある街づくりを通して、都市及び地域の再生等を進めている。大阪の道頓堀川では民間事業者によるオープンカフェの設置やイベントの開催が行われた。

 このように道路空間や河川空間の利用制限を緩和し、これらの空間を民間に開放し、行政財産の商業的利用を図ることで、民間からの収益還元を活用したインフラ整備・管理の展開、地域活性化にもつながる新たなビジネスの展開等の効果が期待される。このようにして社会資本を民間に開放することにより、既存のストックを有効活用する手法を展開している。

 まずはインフラの更新に対して現状を知る、そのために国や行政からより積極的な情報提供があれば、多くの人の目に留まり、様々なアイディアがもたらされるかもしれない。さまざまな地域での事例を見たうえで自分たちの地域ではどのような対策をしてきたのか、どのように対応していくのか、持続可能なインフラ整備に関心を持ち、国や行政に任せきりではなく、民間の使えるノウハウを意欲的に使えるような制度設計を進めていき、官民一体となってインフラの再生を果たしていく必要があると私は考える。

 インフラに限った話ではないが、パッケージ化の政策をわすれてはならない。多様な価値観のある現在で社会に一意的な解は存在しない。だから一つの政策で複数の社会課題に対応し、別の政策と合わせることで相互作用を生む組み合わせを生みだし、効率化を図る。そこにあるだけでも威力を発揮してくれるのがインフラであるが、そこにあるだけではなく民間と組み合わさることがインフラの再生・活性化につながるのではないか。

 


学生による論文⑳ 「人間と電子世界」 岩本 海人(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-03 09:00:07 | 教育のこと

「人間と電子世界」 岩本 海人

 私は2020年春に大学に入学した。そのため、入学してから1年間は完全オンラインで授業を受け、その後もいくつかの授業はオンラインで受講している。その経験の中、人間と電子世界の関係性、電子世界を生きることによる、人間への影響について深く考える機会が多くあり、その考えをここに記す。

 電子情報の精密性の向上、処理速度の驚異的な向上、伝達技術の発展などの技術革新を経て、現在、世界中で電子世界が日常生活の大きなピースとなり、生活には必要不可決なものとして重大な役割を果たしている。その傾向は、Covid-19の感染拡大により、人間の直接・間接接触をできる限り減らすことが求められたことにより、急速に強まった。そのことは、教育の場面(初等、中等、高等教育にかかわらず)や、仕事、娯楽など様々な場面において見られた。

 こうした中、人間は電子世界から大きな影響を受け、それらの中には注意が求められ、人間による自律が求められると、私は考える。最も注意が求められると私が考える事象について、以下に述べる。

 それは、人間らしさと環境の不協和である。

 人間らしさとは、これまでの人類の歴史の中で、人間が動物、植物、山、川、海、空などの環境との交流、人間同士の交流の中で創り上げてきた、人間の生き方のことだと、私は考え、定義する。

 この人間らしさは、何千年もの歴史の中で、遺伝子に組み込まれているものも多くあるが、その反面、生まれてから死ぬまでの人生の中で培われていくものも多くある。始まりは、精子と卵子の遺伝子の掛け合わせのみであるが、その後、肉体も精神も、環境からの影響、環境そのもの吸収によって形成されていく。環境は影響を与えるだけではなく、食べ物や飲み物や、文化や伝承、言葉などのような環境は、人間の血肉となり、吸収されていく。

 つまり、環境とは、人間に影響を与えるとともに、人間そのものとなる。人間らしさを構築するものなのである。その環境が、電子世界の登場により、大きく変動している今、人間らしさと環境の不調和が起きていると私は考える。

 例として、表情を挙げる。

 Z世代には、表情に乏しい、感情・考えの顔、声、身振りによる表現を得意としない人が多いと日々感じる。このことは、電子世界の隆盛が大きく関係していると私は考察する。

 表情や、感情表現のほとんどは、周りの人間の表情、感情表現を学ぶこと、真似することから会得する。しかし、電子世界を見つめることでは、人間のリアルな機微を会得することは難しい、以下に理由を挙げる。

 第一に、電子世界の情報は、技術的な制限を受けていることが挙げられる。電子世界とつながる方法としては、視覚、聴覚が主であるが、それらの情報は、現状、極めて簡素化されたものしか伝達されない。基本的に2次元であるし、音も平面的かつ周波数は限定的である。また、それ以外の嗅覚、触覚、味覚などの伝達は基本行われない。このような電子世界ばかりを見ていれば、感情表現が乏しくなることは当然である。家族と団欒となって話をしたり、友達とスポーツでぶつかり合ったり、自然でさまざまな動植物・無生物と触れ合ったりする時間を、得られる情報が単一的な電子世界との時間へ変換しているのである。

 第二に、電子世界では、多くの場合、反応をする(リアクションをとる)必要がないことが挙げられる。電子世界では、発信者と受信者という構図がはっきりとしていて、リアクションの方法は極めて限定的、もしくは手段がない場合さえある。そのような世界では、受信者は表情や、顔、声、身振りによる感情表現をする必要性が、極めて低い。

 さて、電子世界の影響による、人間らしさと環境の不協和は悪なのか。

 悪である。私はそう結論づける。なぜなら、不調和を産んでいるという構造的な問題も根拠にあるが、これまでに培われてきた人間らしさを愛しているからだ。

 しかし、環境はうつろい行くものであり、その一端が電子世界である。そしてそれに伴い、もちろん、人間らしさも変わっていく。そのため、現在のような電子世界による人間らしさと環境の不協和は、いつかの時点では落ち着いているかもしれない。これは、電子世界の発展という環境に、人間らしさが追いついた未来のことを指す。

 私たちはすぐに古い世代となる。その頃には、今の電子世界の環境によって感性が培われ、新しい人間らしさを持った世代が生まれるだろう。その時までに、どれほどの感情表現が生き残っているだろうか。

 


学生による論文⑲ 「新しい鉄道運営の在り方の提案」伊藤 美輝(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-03 08:57:46 | 教育のこと

「新しい鉄道運営の在り方の提案」伊藤 美輝

 授業中に鉄道の国営・民営について話が上がったが、ほとんどの鉄道が民営である日本の現状を踏まえつつ、今後どのくらい国が鉄道事業に関与していくべきなのか自分なりに考えてみようと思う。私は、公営・民営のメリット、そして現在の国の関与を考慮した結果、計画、工事、定期的な見直しに国や自治体が関わり補助金を出す形態が一番良いという結論に至った。

 まず、公営鉄道事業のメリットを述べる。日本にも、神戸市営地下鉄や横浜ブルーラインなど公営の鉄道路線があるが、これらが民営ではない理由を調べてみると、このような高密度の都市の地下にトンネルを掘るためには、高度な技術力、そして多額の費用が必要である。そのため、都市の鉄道ニーズに対する地下鉄建設は、公的な信用により多額の資金を借りることや債券の発行などで予算を用意しやすい自治体が担ったのである。つまり、公営鉄道事業の良さは、初期投資がかさむものであっても、国民・市民の需要を第一に考え、計画を実行できることにある。(参考:のりものニュース)

 次に、民営鉄道事業のメリットとしてYahoo知恵袋に挙げられていたものを見てみた。国営時代の1.4兆円の赤字を黒字に回復させたこと、利潤を追求しているため建設費や経費を抑え、収益を上げるよう運営するので、行政運営の場合に起こる増税の心配がないこと、サービスが向上しやすいこと、などが挙げられていた。これらのメリットに関して考察していこう。一つ目の黒字回復については、赤字路線の運営を取りやめ、45路線をバスにしたことで実現したことである。もちろん中には富山市のLRTのようにうまく言った事例もあるだろうが、基本的には交通利便性を下げて黒字回復した、と言っていいだろう。これは公共財としては悲しい決断である。また、利益を追求するので増税の心配がないことについては、確かに心配はないが、利益を追求するということは出費を抑えるということで、これにより沿線は現状キープしかできない可能性が高くなる。乗降者が少ないならば運行数を下げ、またその地域の利便性が下がり人の活動が滞るという悪循環を生む。これでは都市計画と交通の事業で学んでいる海外の公共交通による発展の事例とは逆の方向を辿ってしまう。最後に、効率化についてはどの切り口で考えるかによるが、少し古いが従業員一人当たりの生産性は上がっているとの論文(水谷,1998)もあるので、効率化を図れている可能性が大きい。

 そして、国の関与についてJR会社法で見ていこうと思う。国は事業計画や合併、長期借入金などの場合は大臣認可が必要だと定めている。また、指導や助言を行う旨も書かれている。また、JR北海道と四国については、経営安定基金を出すことを定めている。そのほかのJRは完全民営で、上場された株式で資金を集めている。

 以上より、公営と民営のメリットを併せ持つアイデアとして、新路線計画、工事、定期的な見直しに国や自治体が関わるだけでなく、路線にかかわらず補助金を出す案を提示する。これは、普段の運送業務、保守業務に関しては民営で行い、それ以外の部分には民営会社が出した提案に国や地方自治体が口出しをし、民営会社が利益をなるべく出しながら地域活性化も叶えられる路線計画を立て、路線導入工事、導入後の資金を補助するというものである。これにより、民間が培っている企業運営のノウハウを残しながらも、「民営鉄道事業のメリットの考察」で見た、公共財の役割と地方活性化を促進することを両立させられることが期待できる。

 また、現在ほとんどが民営の日本でも導入しやすいこともメリットである。

 ただし、資金や人手不足等を考えると、これによりすべての地域に鉄道が通るわけではないだろう。鉄道が通るまで交通を整備しないわけにもいかないので、もっと安価に楽に導入できるオンデマンドバスやLRT、モノレールなどを地域特性に合わせて用意することも併せて検討してほしい。

 この仕組みが導入され、衰退する地方が少なくなることを願っている。

 そして、ここからは本論と外れた余談である。

 上で述べた結論は、地方を衰退させないための案であったが、これは「衰退する地方はなくしてしまってよい」という視点に立つと、崩れるものである。結論を考えているときに、コンパクトシティや、路線の配置、などを考える際、例えば10人しか住民がいない地区に交通を導入する意味があるのか、それならば利便性を落として人を誘導し、コンパクトシティ化を促すのがよいのでは、という思考に一旦陥ることがあって自分が恐ろしくなった。

 しかしながら、この考えは理論のみに基づいていて、住民の気持ちをまったくもって無視している。自分の生まれ育った場所を、「もう価値がないから」と切り捨てられる気持ちも考えなくてはならない。衰退し都市計画を行う者は、「効率的だから」「上で決まったことだから」と理論を押し付けるのではなく、まずは住民の話を聞き、気持ちに寄り添い、その土地にある隠れた財産を見つける気持ちで住民の気持ちと都市計画どちらも組んだ代替案を作る姿勢を常に大切にしてほしい。理論ばかりに集中してしまうと、つい二の次になってしまう「その土地に住む人の気持ち」だが、国土にメスを入れる土木技術者たちには常に心がけてほしいことである。

<参考文献>
枝久保 のりものニュース(2020)「地下鉄はなぜ公営ばかり? 民営との事業展開の違いや整備上のメリット デメリット」
<https://trafficnews.jp/post/96185>(2021/11/26参照)
水谷文俊(1996)「鉄道産業における生産性の民営・公営の比較」
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/00176113.pdf>(2021/11/26参照)


学生による論文⑱ 「既存インフラの活用と質の高いものづくり」 天野 雄浩(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-03 08:56:23 | 教育のこと

「既存インフラの活用と質の高いものづくり」 天野 雄浩

 今回の講義のテーマである鉄道の歴史は、同様の速達性が期待できる高速道路の歴史よりもはるかに長い。高速道路で最古の路線である名神高速道路は、1963年から1965年に開通しており開通してから約55年であるのに対して、東海道本線の大部分は明治時代につくられたため、開通してから130年あるいはそれ以上経過している区間がほとんどである。こうした鉄道の長い歴史と現在の活躍の例を通して、目まぐるしく変化する社会において、長期的に活躍するインフラを生み出すためには、質の高いものづくりの考え方が必要なことを主張したい。

 三大都市圏を結ぶ東海道本線は開通してから130年の間に大部分の経路、停車駅は変わらなかった一方で、日本は関東大震災や第二次世界大戦、高度経済成長、急激な人口増加を経験しており、鉄道も火災事故や技術進歩、サービス向上といった様々な変化が起こった。東海道本線は社会の変化に合わせた最先端の対応が行われていたのでこれまで活躍し続けており、今後も変化に対応して活躍しうる質の高いインフラの一例だろう。

 まず、東海道本線が130年間同じ区間を走っているということは、沿線地域へすでに130年間も効果をもたらしたということになる。当初からある程度想定していたストック効果であり、現在も東海道本線の駅を中心に発展を続けている。そして開通当初から沿線地域も、現在このように算出できる恩恵について予想していたようだ。実際に、東海道本線のルート決定時に沿線地域となり得る多くの宿場町で誘致活動が起きていた。沿線地域としては、旅客が宿場町から鉄道に移り衰退するのを避けたい人々や用地買収を嫌う屋敷、農業用水の問題は局地的にあった。だが、全体としては誘致が主流で、都市間の線路の奪い合いもみられた。鉄道事業もまた他のインフラ事業と同様に、当初の計画時点で長期的かつ大規模な効果をもたらすものである。

 また、時代の変化に合わせて東海道本線は大きく変わった部分もある。東海道本線は当初、石炭を用いた蒸気鉄道であったが、エネルギー転換によって1956年までに全線で電化が進み、ほとんどが電気鉄道となった。一方で、1951年の桜木町事故に代表されるように火災事故が多く、車両の改良も進められた。社会的なインフラストラクチャーとしての東海道本線の役割も変わっていった。東海道本線という鉄道が開通した当初は、大都市である東京名古屋間を最速で結ぶ唯一の交通機関として重宝された。1906年には、富豪と呼ばれるお金持ちでなくても乗れる三等列車にまで食堂車が登場し、鉄道は近代国家の象徴の一つとしてサービス向上に努められた。第二次世界大戦中に一度中断されたが、ファストフードやコンビニエンスストアが登場する1980年代まで人々に親しまれた。1960年代に東海道新幹線が開通して速達性は新幹線に譲ることとなり、その後は沿線地域の移動や新幹線の代替ルートとして機能することとなった。国が発展するに伴い、類似の目的を備えた便利な移動手段や生活様式が現れて、東海道本線という古くて質の高いインフラストラクチャーの役割は大きく変わった。しかしながら、社会の発展によって東海道本線という一つのインフラが時代遅れで価値が下がったということではない。

 鉄道開通の明治時代時点では想定されておらず、既存インフラの活用として注目されている役割がある。沿線地域の移動手段としての役割を担い続けながら、さらに新幹線や他の交通機関と連携して交通ネットワークを支え、国内の移動網を多重化する役割も持つようになることだ。これにより、むしろ今後さらにインフラとしての価値は上がるものだろう。東海道本線は、この130年間という長い期間を活躍し続ける質の高い設計、施工、管理があったからこそ、今後も活躍し続けられるインフラ施設なのだと私は考える。このように、新たなインフラがコスト削減などの妥協をされずにつくられた質の高いものであれば、やがて時代の変化に対応するために既存インフラの活用として当初の目的を上回る効果をもたらすこととなるだろう。

 一方で、着工されながらも実現しなかった新幹線の例がある。それは、東京駅と成田空港を最速30分で結ぶ成田新幹線である。大都市と国際空港の立地が諸外国と比べても離れており、その必要性が主張されていた路線である。成田新幹線が完成すれば、先ほどの東海道本線と同様に日本屈指の幹線路線であるはずだったものの、反対運動が強く工事途中で断念することになってしまった。1970年代は騒音などの公害の深刻化が問題視されており、沿線住民の反対運動が盛んであった。また、当時の国鉄の経営状況が悪く新幹線は黒字路線でなければ建設しない方針だった。社会の流れに流されて質の良いインフラが建設されないことは、国全体の将来を考えると負の側面が強いだろう。100年後にも使える交通手段はなくなり、国内の交通の速達性は失われ、新幹線予定地に並行して走る在来線のみに頼った代替路線のないものとなってしまった。新幹線と空港による交通ネットワークの相乗効果も期待できないので、既存の成田空港の機能まで無駄にしているだろう。

 また、着工されなかった新幹線の代わりにあたる路線の例もある。2010年に開通した京成電鉄による成田空港線である。これは、最高速度160キロメートルで日暮里から空港ターミナルビルを36分で結ぶ路線である。成田新幹線の代わりの機能を担うことが期待されて建設、運用されている。しかしながら、起点が日暮里駅であることや最高速度が新幹線には遠く及ばない160キロメートルであるのが、妥協点として挙げられる。そのため、東京駅から整備される予定だった新幹線と比べると周辺の都市横浜や川崎などからの交通の便があまり良くないので、交通ネットワークの面で不利な上に速達性も新幹線に劣る。経済面を重視しすぎると、このような能力のやや劣るインフラストラクチャーとなってしまう。日本の首都東京がもつ国際空港である成田空港の将来を考えた時に、このことが負の影響を与えてしまうと私は考える。

 以上の3例からもわかるように、長寿命なインフラストラクチャーをつくる上でその施設の能力もまた最先端なものでなければならないと私は考える。日本や世界が資本主義的な考え方になっている昨今においては、質の高いものよりも安価な割に機能的で合理的なものが評価される傾向にある。しかし、先ほどの東海道本線の例のように、質に重点をおいたインフラ建設というものが、将来日本で、社会の変化に合わせて既存インフラとして再び活躍しうるものだろう。こうしたインフラの新設が行われるべきだと私は考える。

<参考文献>
・日本鉄道史、国土交通省、2012-7-25、2021-11-26閲覧、https://www.mlit.go.jp/common/000218983.pdf
・大都市の生産性を高める空港・鉄道インフラ整備、岡本亮介、2013-3、2021-11-26閲覧、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jares/26/4/26_90/_pdf/-char/ja
・明治中期の静岡県における東海道鉄道建設とそれに対する地域社会の対応、大庭正八、1994、2021-11-26閲覧、https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1984a/67/12/67_12_833/_pdf/-char/ja
・食堂車の歴史と展望、茂木信太郎ら、未詳、2021-11-26閲覧、file:///C:/Users/amatake/Downloads/10900030.pdf
・整備新幹線による新たな交通体系の構築とネットワーク効果の進展、石井晴夫、2013-3、2021-11-26閲覧、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jares/26/4/26_57/_pdf/-char/ja
・全国新幹線鉄道網の形成過程、角一典、2001-1-30、2021-11-26閲覧、https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34003/1/105_PL105-134.pdf
・夢と消えたアクセス鉄道 都心と空港を結ぶ成田新幹線、西中悠基、2020-7-23、2021-11-26閲覧、https://www.tetsudo.com/report/260/

 


学生による論文⑰ 「真に『理解する』とは」 飯田 理紗子(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-03 08:55:06 | 教育のこと

「真に『理解する』とは」 飯田 理紗子

 日本で初めて鉄道が整備されたことは、当時の人々やその生活にどのような影響を与えたのだろうか。多くの豊かなものに囲まれながら今を生きる我々には、その気分を完全には理解することができない。しかし、いつでも自由に遠く離れた場所でも行き来することのできる、まさに夢を絵に描いたような乗り物は確実にその時代の人々の生活を潤したことだろう。今の我々にとって、鉄道に乗って旅行を楽しんだり通勤・通学は鉄道がメインであったりすることはごく普通のことであるし、鉄道が定時運行していることを前提にして自分の行動スタイルを決定するというのも日常のなかではよく見られることであり、鉄道は人々にとって当たり前の存在となっている。現在も、次世代車両の開発や導入など鉄道に関する技術は日々徐々に進化しているが、その話題性はいまひとつであるように感じられる。また、安全性や快適性を維持するためには、線路の保守作業を行ったり老朽化と向き合ったりすることが必要不可欠であるが、これらの作業は人目に付きづらい場所や時間で行われることが多いため、人々の注目を浴びることは少なくなるだろう。

 利便性や快適性が高まるという点で次々と目まぐるしく変わっていく社会の中で生きてきたひと昔前の人々にとって、鉄道をはじめとする社会インフラのパワーや影響力は肌で感じやすいものだったであろう。しかしその一方で、今を生きる人々はそうした思いを抱く機会がどうしても少なくなってしまっているため、「インフラの価値や重要性をいかにして知るか」という観点で考えることが必要であるだろう。

 話を鉄道に関することに限ると、「ブルネルは走行安定性を確保するために広軌の鉄道を建設した」ということや「1872年には新橋・横浜間で日本初の鉄道が開通した」などといったように今まで私は歴史上の「事実」を多く学んできた。だが今回の講義では、「1950年代には3日に一度どこかで列車事故が発生していたほど安全性は低かった」ことや「新幹線の気密構造の設計を急遽変えたところ、その変更がなされなかったトイレでは客が汚物を浴びる事故が発生した」ということを知り、今のような快適な車内環境に辿り着くまでは決して順風満帆な道のりだったわけではなかったということが印象的であった。このように、物事の「事実」だけでなく紆余曲折があった「途中経過」の部分も同時に知ることでより深い理解につながり、その価値や重要性を感じ取りやすくなるのではないかと考えた。

 明るい話題は人々の記憶に残りづらいという。講義中にメディアの報道に関して先生がおっしゃった言葉である。明るい話題も繰り返し報道したり口にしたりしていれば人々の記憶に残るであろうが、たしかに暗くて重い何かの粗探しをした方が人々は面白いのかもしれない。しかしそれは、人々がその話題について自分に関わる事柄として捉えずに完全に他人事として捉えてしまっているからではないだろうか。そこでこういった人々の傾向を逆手に取ることで、インフラの価値や重要性、パワーや影響力は計り知れないものであるということを知るためには、教科書に載っているような「事実」の内容に加え、過去の失敗や試行錯誤した「途中経過」の様子を同時に伝えていくことで、より効果的に人々を引き込むことができると考えた。

 物事において結果が全てだと言ってしまえばそれまでだが、今の社会で自分たちが目の当たりにしているインフラをより理解するためには、過去の偉人たちがどのような努力をしてきたかということや、彼らにどのような苦悩があったのかということを知る必要があるだろう。現在もなお進化している技術の中にも失敗や停滞が多くあるのであるだろうが、その失敗がたとえ現在は批判されることが多かったとしても、将来には「過去にはこんな失敗もあったが現在はこんなに威力を発揮している」というように誇らしく語られるようになることを願っている。