「先見の明をもったローマ街道と現代日本への応用の必要性」 天野 雄浩
講義で紹介のあったローマ街道の特徴に感銘を受けた。その特徴が江戸時代の五街道、そして現代の新東名高速道路と共通している部分を多く持っていて、どの道路も当時の国家を支えているからである。現代の新東名高速道路はローマ街道と酷似している部分が多く今後も長期的な活躍が期待できると私は考える。また、現代は様々な情報や物であふれかえり、人々が生活していくのに本当に必要な物資、施設の見えにくい時代となっている。そのため、歴史上の優れたインフラ施設やそれに類似した現代の施設の価値を捉えなおし再評価する必要があると私は考える。
まず、ローマ街道について説明する。ローマ街道は当初、軍事利用を目的とした街道であったが、帝国各地の生産地と消費地ローマを結ぶ物流の大動脈として、帝国を支えた街道でもあった。ローマ街道の特徴はなるべく直線に最短距離でつくられていた。馬車の移動を円滑にするために勾配は8パーセント程度に抑えられており、急峻な地形は掘削や橋梁でつながっていた。幅は馬車が2台すれ違える4メートルを確保し、両側には3メートルの歩道も整備されていたという。また、大きな石と小さな石、砂などを組み合わせた排水機能を持つ舗装が施された。さらに、一定の間隔で休憩場所が設けられていた。このように、ローマ街道は現在から2000年程度前にもかかわらず、現代の道路のような多くの道路基準を満たした街道である。
日本において、ローマ街道のような存在の道路が登場するのは、今から400年前の江戸幕府によるものであった。五街道の整備は、江戸の日本橋を起点としてローマ街道でも見られる並木、側溝などの設置や道路標識、一里塚のおかれた大規模なものであった。峠を馬車が超えられるように石畳が設けられていた点もローマ街道と同じであった。参勤交代制度によって街道周辺の宿や茶屋は発達し、江戸時代以降は庶民の旅行も娯楽となった。関ヶ原の戦いの翌年に東海道の宿駅が定められており、幕府による道路整備は国を統治するための最優先項目であったと推測できる。
江戸時代の日本の道路とローマ街道との違いは、関所による警備的な取り締まりの有無である。五街道では幕府に出入りする危険人物を徹底的に排除していた。一方で、ローマ街道は敵の軍隊の移動も恐れていなかったようだ。道路建設による欠点をあまり考えなかったのがローマ人の早期建設につながったのだと私は考えた。
一方、現代の新東名高速道路は新名神高速道路、伊勢湾岸自動車道とあわせて、日本の三大都市である東京と名古屋、大阪を結ぶ高速道路である。車の最高速度の向上、時間短縮のために、急峻な地形を掘削し、あるいはトンネルを掘り、橋梁をつくって、勾配の少なく曲率半径の大きい道路となっている。また、道路舗装、サービスエリアの整備も徹底しておこなわれている。ここを利用する車という移動手段は、ローマ街道の馬車と比べて飛躍的に大きな巡航速度である一方、道に期待される機能はそれほど変わっていない。ローマ人の考えである「道とは可能な限り早く目的地に着くためのものである」が、現代の新東名高速道路にも見られる。過去のローマ街道や五街道にみられる構造、機能を踏襲して、現代の規格で建設されている。現代の新東名高速道路は軍事目的としての機能が活用されないことを願ってやまない一方、物流機能で社会に貢献してほしいと私は考える。このように歴史上で優れたインフラ施設を模倣して現代のインフラを考えることも重要ではないかと私は考える。
資源や物資の得やすい現代では、インフラの重要性は昔に比べてわかりづらくなっているだろう。しかしながら、資源や物資の得やすくなった原因も過去のインフラ施設がもたらした恩恵である。このことを決して忘れてはならないだろう。過去のインフラ施設を評価し直していく中で、現代に必要なインフラ施設の機能を検討することが大切であると私は考える。
参考文献
・ローマ帝国の高速道路「アッピア街道」、世界の土木遺産、2005、2021-12-3閲覧、https://www.jcca.or.jp/dobokuisan/world/southeurope/appia.html
・ローマ街道と江戸五街道、草野作工株式会社、2021-12-3閲覧、https://www.kusanosk.co.jp/company/9624
・安全性向上3カ年計画の取組み状況、NEXCO 中日本、2021-12-3閲覧、https://www.c-nexco.co.jp/corporate/safety/torikumi/torikumi/vol09/
・1-1-2 交通変遷と街道の整備実態、機能・役割、国土交通省、2021-12-3閲覧、https://www.mlit.go.jp/common/000055312.pdf