人はその生まれによって高貴であったり下賤であるわけがない。
それは生まれた後の生きざまによって評価されるものでしょう。
菊や桜が高貴でスミレが可憐というのは、人間が勝手に決めて言
ってるだけで、その評価も時代にとともに変化してきているのです。
今は花見と言えばさくら、平安時代には梅だった。
東風吹かば 匂いよこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ・
・・だったかな? 流刑に遭ったなんとか天皇の詩歌だったと思う。
根はたとえ 泥中深く没すれど 咲いて見せよう 蓮の花・・・
もいい。 今の世の中、なかなか泥沼から這いあがれないけれど、
頭が良くて閃きがあれば、まんざら捨てたものでもない。
自分は脳も・チャンスもなかったけれど、孫の代には一人くらいは
そういうやつが出てこないかと期待したい。
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