城址マニアの私…
土砂降りの中でも、城址に行く!!
で、今回紹介するのは
一宮市にある…大赤見城跡
室町時代中期に、織田平七郎が居住したと伝わる…『尾張名所図会』での「服部系図」によれば、織田勝久とその子織田久長がここに居住し、久長が楽田村に移った(楽田城)後には、弟敏任の子孫が移住して服部と改姓し、その後裔が桶狭間の戦いで活躍した服部小平太であるとか…
しかし、「服部系図」の前半部が江戸時代に作られた信憑性の低い「織田系図」とほぼ一致することから、自身の古い系図を持たない服部氏が家系を織田家と結びつけたものと解され、「服部系図」により大赤見城主を織田久長とするのは間違いではないかという説も…
なので、織田久長が楽田城に移った際に、廃城になったのかもしれない…
そんな楽田城のことを綴ったブログも、お時間あれば…どうぞどうぞ…
久しぶりの城址探訪…「妄想城マニア」が小牧の楽田城址に行く…
1584年の小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉の第二次尾張出馬の際にこの赤見の地が戦場となり、徳川家康が大赤見城に西郷家員を入れて守備させた歴史もあるとのこと…
で、地図をみると、一帯には地下中屋敷・地下西屋敷・地下東屋敷・市場東屋敷・市場地下屋敷・下市場等の小字名が残っていることから、それなりに大きな城下町が築かれていたようにも思われる…
今は石碑が建つのみ…それも、民家っぽい建物の敷地内に…!!!
アクセスする目印は、大赤見公園を目指して
…たぶん、ここも城址だったのかも知れません
当然のことながら、この土砂降りで誰もいません!
きっと、上野動物園ではさぞ賑わっているだろうに…ここには、哀愁の感じられるようなパンダが雨にうたれてポツンと…
いや、仲間もいました…笑
でも、この大赤見公園
けして、昭和臭漂う寂れた公園ではなくて
バスケットゴールもあり…
カラフルな複合遊具もあり…
天気がよければ…きっと、この公園は子供たちで賑わっていることでしょう!!
さてさて、大赤見城跡の石碑ですが
大赤見公園の南側に…ある…
民家、もしくはアパート風の建物の敷地内にあるという…
ここが大赤見城跡??
えっ??どこ…と思いつつも
不審者のように覗き込めば
そう、このつつじの生垣の間に隙間が…
その奥には、御覧のような石碑が…
お隣りにある…由緒が刻まれていると思われる石碑は
この本降りの中、判読する気が全くおきません!
これはなんの石碑だったんだろう…不明…
で…これが城跡全景…笑
住宅の敷地内…庭の一角に…
小山になっていて、ここだけみると、土塁っぽい感じもするけど…
それにしても、この本降りの雨の中、それも住宅の敷地内…
これ以上、ウロウロしてて不審者に間違えられてもなんなので…
過去に何度か、職質をもうけたことのある私なので…
女性を襲う…おおあかみ(大赤見)??
もとい
おおかみに間違えられてもいけないので…
これにて、スコスコと退散…
というよりも、それ以上に遺構らしきものは何もないからね…
そうそう…この日は、天皇賞…
で、結果をみると…カスリもしなくて惨敗…
おおあかみ(大赤見)…???…
もとい…
おおあかじ(大赤字)でございました…泣…
靴の中もびちょびちょで、テンションさがって
…まさに「泣き面に蜂!」