JR阪和線とのターミナル駅である
南海電鉄、南海高野線の三国ヶ丘駅で降りる
電話ボックスに「ふとん太鼓」が載ってる…
いやあ、こんなものが載ってるなんて、びっくりして、気分がふっとんだ!!…笑
「ふとん太鼓」は堺市堺区の「開口神社」で、毎年9月中旬に行なわれる秋祭り「八朔祭」に担がれる大型の太鼓台のことだそうな
さてさて、私、なぜ、三国ヶ丘駅で降りたかというと、新型コロナウイルス感染症対策で自粛!自粛!と言われ、言われた通り、家でゴロゴロしてたら、私のお腹廻りが緊急事態宣言!私のお腹廻りが「マンボー」ならぬ「シボー(脂肪)」でいっぱいになっちゃったのよ!!
もう、気が付いたときには、すでに時遅し…
歳を重ねてると、あっという間に体重は増えるけど、なかなか減ってはいかないのよ!!
それでも、努力しないと…と思い、ウォーキングでささやかな抵抗…
で、この日は観光を兼ねて、ウォーキングをしようと…
この大阪府初の世界遺産の「仁徳天皇陵古墳」の廻りを、ぐるっと一周しようと思って、出かけた次第…
「仁徳天皇陵古墳」は大仙町にあるから大仙陵古墳または大山古墳とも呼ばれ
天皇陵
形状は上記の図をみてもらえばわかるように
前方後円墳
百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳なんだな…
日本最大ですよ!日本最大!!
中学校の歴史の教科書にも載ってる!!いやー、コーフンするねえ…
といっても、生憎の本降りの雨で、実はコーフンどころか、テンションはさがってるんですけど…
ただ散策路、周遊路はこのように舗装されてて歩きやすくなっているので、よかった!よかった!!もし、未舗装だと、この雨、靴がぐちゃぐちゃになってしまうやん!!
そう、この写真の右の柵の向こう側が
「仁徳天皇陵古墳」
まるで、城址のように…お堀のように思えちゃいます
「仁徳天皇陵古墳」は、円筒埴輪などの出土品の特徴から、5世紀前半〜中期に約20年をかけて築造されたものと考えられているそうな
宮内庁は、「仁徳天皇陵古墳」と仁徳天皇の陵墓に治定しているけど、実はその被葬者は明らかではないそう…
日本書紀には「仁徳天皇のお墓」と記載されている…その仁徳天皇が亡くなった年は推定西暦399年…
しかし、仁徳天皇陵の築造は5世紀中頃が有力のため、50年以上のずれが生じてしまうそうな…
真実はどこに…いやあ、悠久の歴史のロマンを感じていいですなあ…
仁徳天皇陵を含めた周辺の古墳群は「百舌鳥古墳群」と呼ばれています…
「百舌鳥」という地名については「日本書紀」に神話的な記述があって「石津原」と呼ばれていたこの地を、仁徳天皇が御陵の造営場所に決め、工事を開始…すると、野原から一頭の鹿が走り出て、工人たちに向かってきて、あわや衝突というところでその鹿は倒れこんだそうな…
不思議に思って調べると、鹿の耳から百舌鳥が飛び立ち、鹿の耳の中が喰い裂かれていたそうな…どうやら、百舌鳥が、ぶつかってこようとした鹿から、工人たちを助けたということらしい…実際には、百舌鳥が鹿の耳を喰い裂くとは考えにくく、百舌鳥は神の使いを象徴する存在として描かれたという説があるそうだけど…まあ、それで、地名を「百舌鳥」に改称したという言い伝えがあるそうな…
仁徳天皇陵の周辺には、かつては100基以上の古墳があったらしいけど、、現在は44基が残っているとのこと…
北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに「百舌鳥耳原三陵」と呼ばれている「仁徳天皇陵古墳」
一周すると2.7kmとウォーキングにはもってこい!!…笑
墳丘の前長は525m(後円部286.33m、前方部幅347m)
墳丘の長さは、第2位の大阪府羽曳野市の「応神天皇陵古墳」の425mを100mも上回り、日本最大の古墳なんだな…
いや、日本最大どころか
「クフ王のピラミッド」「秦の始皇帝陵」とともに世界三大墳墓と呼ばれているとか…
な、なんと言っても「世界遺産!!」「世界遺産!!」
「仁徳天皇陵」を含む百舌古墳群は、なんと1600年以上も前に造られたというから、テンションがあがって、コーフンするねえ…
この雨が止んだら、もっとコーフンするんでしょうけど…
あ、天皇のお墓とされているので、墳丘の上を歩くことはできません!あくまでも、ぐるっと廻って眺めるだけです!!
許可された方??はここから入っていくのでしょう!!
内堀のよーなものは、ここだけ途切れていました…
この場所だけ、土橋のよーになっていて、また内堀のよーに、お濠が廻りを囲み、簡単にはお墓に侵入できない造りになっています…
お濠には、鯉が…
若い頃は「こい」に「コーフン」していたものでした…
今となっては、…競馬の時「買った馬よ!コイ!!」って、「こいっ!」てコーフンすることはあるなあ…と思いながら、「コイ」を眺める…
いやあ、眺めるにも柵の「かこい(囲い)」が、ちょいとじゃまですなあ…と思いながらも、そんな「いこい(憩い)」のひと時…
被葬者が天皇や皇族とされている古墳は、宮内庁によって管理されてて、中に入ることはできないけど
そのような古墳では、墳墓を拝むための「拝所」がありまして
そのそばには、御覧のような案内板が…
この図をみると、一度空から眺めて前方後円墳だということを確かめたくなりますなあ…その時には、本当の意味で「コーフン」しそうな…
そんな空から眺めてみたいという夢を、即叶えてくれる…
そんな立体模型を見つけました…
おお、確かに前方後円墳だ!前方後円墳だ!コーフンするねえ!!
さてこの立体模型によると
「拝所」は前方後円墳の前方部の手前に設置されてまして…
左右はお濠が
宮内庁管轄で、これより先には進めません!
神社のように、手を浄めるところも
もう、神様のよーなお方だから
「二礼二拍手一礼」でいいのかな…鳥居もみえるしね…それで、いいのかどーかわからないけど…
案内板にしっかり目を通し
この写真で、世界遺産を感じて…笑
でも「仁徳天皇陵古墳」が築かれた1500年以上前には、こんなふうに空の上から眺めることなんて、できなかっただろうに…まるで、図形を描くように、こんな綺麗な鍵穴の形を作っちゃうんなんて
いやあ、悠久の歴史のロマンを感じずにはいられない…
やっぱり、〆はこの一言に尽きる!!
「コフン」だけに…古墳だけに…「コフン」だけに「コフン」だけに「コフン」だけに…
「真実はいつもひとつ」と
名探偵「コフン」…もとい、名探偵「コナン」
のように解き明かしたくなりますなあ…
PS…「コフン」に「コーフン」したなんて、ベタなオチでは終わりませんよ…笑