新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

仁徳天皇陵古墳に隣接する大仙公園にある堺市博物館に行く…前篇

2023-09-20 05:52:09 | 博物館・美術館

仁徳天皇陵古墳に隣接する

大仙公園

…に立つ像はおそらく仁徳天皇と鹿と百舌鳥

案内板はめちゃ読みにくいけど

「百舌鳥耳原由来の像」とある

仁徳天皇が陵墓の候補地として、この地を視察に訪れた際に、一頭の鹿が工夫の方へ突進したものの、その鹿は絶命し、その鹿の耳から一羽の百舌鳥が飛び立ったという逸話…鹿から仁徳天皇陵の工夫を助けた百舌鳥をたたえて、この地を『百舌鳥耳原』と呼ぶようになったそう

この仁徳天皇の掌にいる百舌鳥がハトのようにしかみえないけれど…ハトのようにしかみえないけれど…ハトのようにシカみえないけれど…

と、ついオヤジギャグを放り込みたくなる!!

 

さてさて、この日は生憎の雨…

公園ですので、歩いてて靴がびしょびしょになったらテンションもダダさがることは間違いない…

そんなときに…実にありがたい施設…雨に濡れないありがたいハコモノがありまして

それは

堺市博物館…

私、こういったハコモノ大好きなのよ!!

空調は効いてて暑くもなく寒くもなく快適な空間だし…おそらく…新型コロナウイルス感染拡大で、今、叫ばれているような「密」にもなりにくい場所だし…

財布にも優しくて…最高に楽しめる場所…

 

かといって、私、その地域の文化や歴史にそれほど興味があるかと言えば???…ですけど…

 

何かオモシロイ展示はないか…何かオモシロイ展示はないか…何かオモシロイ展示はないか…

そういった目線で地方にいけば寄りたい!!と思っている〇〇博物館の類…

 

でも堺市博物館は、目の前に「仁徳天皇陵古墳」

ぐるっと一周、周遊路を歩いてみた「仁徳天皇陵古墳」

興味がない訳ではない…

おお、これは「兜」かと思えば「埴輪」のモニュメント…

「衝角付冑型埴輪」のレプリカがモニュメントとして…これは、「いたすけ古墳」から出土したもののレプリカで、市民運動により破壊の危機をまぬがれたことから堺市の文化財シンボルマークになったものだそうな

実物は博物館内部に展示されており、堺市指定有形文化財とのこと…

この方、千利休さんかと思って寄ってみたら

武野紹鷗さん…誰それ???知りませんでした…

戦国時代の堺の豪商、室町時代末期の茶人だそうで…

ここ、堺市博物館にきて、よかったなとしみじみと

だって、今後の人生で武野紹鷗さんの名前をみかけたら、「あ、堺市博物館の前に座ってる人だ!」て言えちゃいますからね!!??

そばに、ちゃんと千利休さんは座っておられました…

なんかこの憂いの表情…切腹直前の顔のよーに思えいますなあ…(思えちゃいますな)

そのそばには、堺市の茶室「伸庵・黄梅庵」がありました…時間があれば、ここでお茶でも飲んで、千利休、武野紹鷗気分を味わいたいものだけど…

もう、この雨に

 

この案内看板にも十分に目を通さないまま…

 

 

雨宿りするかのように逃げ込むように堺市博物館へと

 

 

「古墳が変わる」よりも「天気が変わって」雨がやんでほしいんだけど…苦笑

 

天気がよかったら、この看板をバックに写真を撮りたかったぞ…きっと、撮れたら、さぞ、「コーフン」したに違いない…笑

さてさて、入場料は、このハコモノ、展示物がめちゃ充実してるのに、たったの200円…200円で、こんなに楽しめるなんて…もう、ここは絶対寄った方がいい…

かつ、お得な情報を…

な、なんとJAFカードを提示したら、たったの160円になっちゃうのよ!!

いや、堺市博物館に行こうと思ってる読者のみなさん、このお得な情報を知ることができて、このブログに遊びにきてよかったですよね!!

なんたって、40円も…40円も…お得な情報ですから…

さてさて、入るなり

「百舌鳥古墳シアター」の上映時間がすぐだからと、シアターに案内される…

シアターに映し出されたのは、どことなく「奈良のセントくん」に似てる感じがする

堺市博物館公式キャラクターの「サカイタケル」くん!

さて、シアターは撮影禁止

「古代のタイムカプセル 仁徳天皇陵古墳と百舌鳥古墳群」

仁徳天皇陵古墳の石室内部に入って実際に見ているかのようなバーチャルリアリティー映像の作品でした…

まあ、この映像と同じものが館内の展示でありましたけどね…

映像エエゾー!!とお決まりのオヤジギャグを交えた後には

シアターの周囲にはパネルが掛けられていて、移り変わる仁徳天皇陵古墳の図が時代ごとに…

図で追う仁徳天皇陵古墳の移り変わり

仁徳天皇陵古墳ができた頃

江戸時代

 

明治時代

そして、昭和

もう今眺める光景と変わりませんなあ…

そして、休憩コーナー

全面ガラス張りの窓からは大仙公園の「どら池」を眺めることができて、奥には平和の塔もみえる!!

ここだけを利用するなら無料…クソ暑い日なんか、ここに本でももってきて、どら池を眺めながらぼーっと過ごすのもいいかも…

ああ、堺市民になりたい…

 

そんな堺のことを年代別にパネル展示

「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」

古墳時代までの堺

古墳時代の5世紀の「堺」

 

この頃「仁徳天皇陵古墳」ができたようで

 

奈良時代…行基さんが、この辺をウロウロしてたんでしょうね

 

平安・鎌倉時代…

この頃「堺」が始まったようで

戦国・安土桃山時代の堺…

さかいのあった時代ですが…「さかい」は、裕福になったようで…

明治時代の堺

産業近代化がはじまったさかいに…と、ここだけ関西弁…笑

さて堺市博物館の展示室は、この中庭を囲むように…左回りにみていくようになっていて…

 

この窓ガラス越しに眺める中庭には

史跡旧酒井燈台旧燈部

1877年に建造され明治時代のの大阪湾を照らしたのが旧堺燈台…木造洋式燈台としては日本で最も古いものの一つだそうな

燈台の頭の部分だけ…でも「頭(とう)だい」じゃなくて「とうだい(燈台)

このスベリ気味のオヤジギャグ「どうだい??」

 

もう一つ、中庭には

家形石棺

この中で寝転がってみたいとは…全然思わない…苦笑

 

では展示室に戻って

まずは、「古墳の時代」

仁徳天皇陵古墳の廻りも小さな古墳だらけ

まさに「ゴフン(5分)」も歩けば「コフン」にあたる状態…

巨大古墳が集まる「百舌鳥古墳群」

 

さっそく先ほどの「百舌鳥古墳シアター」でみた石棺と石室内部の副葬品などが模型でみられちゃう!!

これは仁徳天皇陵古墳の中にあった長持形石棺の実物大模型…なんでも明治初期に仁徳天皇陵の前方部の竪穴式石室で確認された記録をもとに製作されたものだそうな

 

 

石棺の横に置かれていた甲冑、太刀、ガラスの器もなどの副葬品も復元されていて…

 

 

ガラス器の皿と壺

短甲

こういったものが、このように並べられて発見されたようで…きっと、これを見つけた時は、関係者はさぞ「コーフン」したに違いない!!

ここからは、古墳の紹介と、そこからでた出土品が展示されてる展示構成

百舌鳥最古級の前方後円墳

乳岡古墳と長山古墳

の時代を象徴する大塚山古墳

その副葬品の兜と

短甲

三角板革綴短甲

ふぇー!!と驚くばかり…そう、鉄(Fe)だけにね!!…

築造当時日本一、美しさも日本一の

履中天皇陵古墳

 

 

 

履中天皇陵古墳の廻りの小さな古墳

寺山南山古墳に七観山古墳

いたすけ古墳に善右ヱ山古墳

堺市博物館前にあった「衝角付冑型埴輪」のレプリカ

ホンモノはこれ!!

 

奥の院として守られた

御廟山古墳とカトンボ山古墳

 

古墳の横綱…仁徳天皇陵古墳と

その周囲にある塚廻古墳

二重濠の

反正天皇陵古墳

百舌鳥最後の巨大古墳

ニサンザイ古墳とこうじ山古墳

そこからでてきた埴輪の欠片

いやあ、「コフン」パネルの連続に「コーフン」しっぱなし!

そんな「コフン」のさまざまな儀礼のコーナー

湯の山古墳からの

鉄斧…なんだけど…全然、鉄斧にはみえなくて…ぱっとみ、犬のウ〇チ

さびさびの鉄剣と復元のピカピカの鉄剣

手前の鉄剣は、鉄+酸素=酸化鉄…といった酸化、化学反応を起こしてしまっているのですね!

仁徳天皇陵古墳の造出し

御廟山古墳の造出し

ニサンザイ古墳の造出し

大塚山古墳の造出し

から出土した「土製品」

これら造出しからは多くの出土品が発見されているようで

軽里4号墳からは

須恵器が

巨大古墳ができるまで、をイラストで綴った巨大パネル

前方後円墳の構造

「造出し」とか、ここ堺市博物館で初めて覚えた言葉もいくつか…

これで、「ゴフン(5分)」ほどは熱く前方後円墳…そう「コフン」について語れるぞー!!

 

埴輪の解説板

…とともに埴輪がずらっと…

円筒埴輪

これ見て、いつも思うのは博物館スタッフが、この欠片を集めて、答えのないジグゾーパズルのように円筒に貼り付けていく大変さ!!

もう、その努力を思うと、胸が熱くなります!!

 

いやあ、笑っているようで、実は憂いの気持ちを、秘めているような…

いやあ埴輪の人形の心は実に奥深い…

 

おそ松くんの「シェ―」のポーズをしながらも、実に寂しそう…まあ、元の模型が寂しそうな表情に作られているだけですが…

馬形埴輪

よーし、日本ダービーは当てるぞー!!…なんのこっちゃ!!

犬形埴輪

まあ、犬と言われれば、確かに「犬」…実にワンダフル!!

こちらは人面…髪の毛が実に雑!!葉っぱを載せてるだけのようにみえちゃうけど

葉」が似合ってる…だから「葉似わ(はにわ)」…笑

これぞ、「はにわ」の本来の姿かも知れないな???

「東アジアとの交流」のコーナー

伝わり広がる文化と技術

鉄器の普及

鋳造鉄斧…けして犬のウ〇チではありません!

新たな乗り物として「うま(馬)」…

いやあ、うまに乗るなんて「うまいこと」考えたなあ…ってこのオヤジギャグを、5世紀の人も言っていたかも??

 

台所革命…煮る+蒸す

若い女の娘が集まって「LOVEマシーン 」や「ハッピーサマーウェディング 」「恋愛レボリューション21 」などを踊りながら歌う??

それ「モー蒸す」???(モー娘。)やないか!!

須恵器(すえき)

 

♪素晴らしいYMCA~

それは「すえき」じゃなくて「ひでき(秀樹)!」

渡来人…は文明の扉を開くために挑戦し続ける!!

 

まさに、それこそ「TRY人」

再登場

「情熱の嵐」♪君が望むなら~

それは「すえき」じゃなくて「ひでき(秀樹)!」

 

陶邑窯跡群と最古級の須恵器窯

5世紀の陶邑1型式

大仙中町遺跡、南瓦町遺跡、百舌鳥陵南遺跡、土師遺跡などの集落遺跡の出土品の数々

6~7世紀前半の陶邑2型式…後期古墳

7世紀後半の陶邑3型式

8世紀の陶邑4型式

9世紀の陶邑5型式

だんだん、観てることに集中力が欠けてきてるのがおわかりだろうか…

 

おそらく、読んでいるみなさんも集中力を失ってきつつあると思うので…今回は、これにておしまい…

また、明日、お会いしましょう!!

 

それにしても、こんだけ楽しめて??「160円」は安すぎるー!!!


2021年オープンの新しいハコモノ…仁徳天皇陵古墳拝所のすぐ近くにある「百舌鳥古墳群ビジターセンター」に行く!

2023-09-19 05:39:59 | B級スポット

仁徳天皇陵古墳拝所のすぐ近くにある

「百舌鳥古墳群ビジターセンター」に行く

 

 

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を受けて、新たに2021年にオープンした施設のようで

世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の情報がいっぱい…

館内に入れば、新しいだけあって、自然光も差し込んで、もちろん、空調もばっちり…クソ暑くても…クソ寒くても…とても居心地のいい空間であることは間違いない…

いやー、古墳の展示だけに「コーフン」するねえ…

(もう、このオヤジギャグ、一体、何回、このブログで使ったことやら…)

ここ、嬉しいことに…嬉しいことに…私の…私の大好きな入場無料なのよ!!…

要は…タダ…タダで楽しめちゃう!!

 

ぜひ、世界遺産の「仁徳天皇陵古墳」に寄った後に、もしくは行く前に、この「百舌鳥古墳群ビジターセンター」で、古墳の知識を蓄えておくことをお勧めしちゃう…ここ、タダでいいの??入場料払ってもいいのに…と思える施設で…実に素晴らしいハコモノだったので

 

簡単に以下に紹介すると

展示コーナーでは

世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の円状マップ…

 

こちらは「古市古墳群」

空から古墳を見下ろしているような気分もちょっとだけ…

 

こちらは、先ほどぐるっと一周した

「仁徳天皇陵古墳」のある「百舌鳥古墳群」

 

 

おお、この廻りをぐるっと一周してきた訳だけど、立ち寄らなかった古墳もいっぱいあって、ちょっと驚き…

まさに…犬も歩けば…「ゴフン(5分)」も歩けば、「コフン」にあたる状態なのが、よくわかる!!

こちらは、仁徳天皇陵古墳の立体前方後円墳模型

その廻りに解説板、そして

仁徳天皇陵古墳の陪塚の古墳の紹介がずらーっと!!

ちなみに陪塚とは仁徳天皇陵古墳の周囲に位置する、同時代の小形の古墳のこと

分かんないことがあったら、「もずふるポスト」に質問すれば答えてくれるのかな…

「仁徳天皇陵古墳って、本当に…本当に…仁徳天皇のお墓ですか???」ってもし尋ねたら、なんと返答がくるのかな…

 

なんでも「仁徳天皇陵古墳」は、円筒埴輪などの出土品の特徴から、5世紀前半〜中期に約20年をかけて築造されたものと考えられていて、宮内庁は、「仁徳天皇陵古墳」と仁徳天皇の陵墓に治定しているけど、実はその被葬者は明らかではないそうな…

日本書紀には「仁徳天皇のお墓」と記載されている…その仁徳天皇が亡くなった年は推定西暦399年…

しかし、仁徳天皇陵の築造は5世紀中頃が有力のため、50年以上のずれが生じてしまうそうな…

はい、これは私はググってみて得た知識で…もう、それだけで回答は十分なので、わざわざ質問しないけど、どんな質問が寄せられているかどうか気になる!気になる!!

「もずふるポスト」の対象は、小学生かな…

「仁徳天皇」って、何をした人ですか??どうして、古墳を作ったんですか??こういったオーソドックスな質問は寄せられていそう…笑

「コフンにコーフンする!と、ツマラナイオヤジギャグを言ってる人をどう思いますか??」

この質問は、さすがにないだろうな…笑

 

さてさて、この「百舌鳥古墳群ビジターセンター」で絶対みておきたいのが、これ!!

「Theater」

キャッチフレーズが

「時に、鳥の目になり、空を飛んで、時に、歴史の舞台に舞い降りる」

 

ここ世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」を鳥になった気持ちで…鳥は鳥でも、きっと百舌鳥に違いない…

百舌鳥になった気持ちで空中散歩ができちゃうのよ!!

 

アーチ状の巨大スクリーン(約14m×約3m)のシアタールームで、投影されるのは堺市上空からの映像

ほら、百舌鳥になった気持ちで…百舌鳥になった気持ちで…百舌鳥になった気持ちで…

8Kカメラで空撮された古墳や堺市の街並みが見下ろせちゃう!!

古市古墳群

御廟山古墳

いたすけ古墳

銭塚古墳

七観音古墳

丸保山古墳

おお、ここぐるっと廻りました

孫太夫古墳

履中天皇陵古墳

いやあ、古墳を見下ろしてる気分になって、「コーフン」しっぱなし!!

そして、古墳のラストは、日本最大級の…この廻りをぐるっと歩いてみました

「仁徳天皇陵古墳」

 

壁面に映し出されてた堺市の町並みの映像が足元にまで迫ってくる!!

いやあー素晴らしい!!ホント「コーフン」しっぱなし!!

 

続いては

「時に、歴史の舞台に舞い降りる」

堺市の歴史・文化をタイムトラベラーに乗っているような感覚で旅する内容

堺の鍛冶の技…刀、鉄砲…そして今では包丁は有名ですよね!!

実に幻想的でもあるさかいに…(あ、ここ、微妙に「堺」と掛けてみました…気づいてくれたかな)

 

千利休とゆかりのある堺市

自転車も歴史的にゆかりの深いものであるよう…

 

「百舌鳥古墳群ビジターセンター」の映像「エエゾー」

ぜひ立ち寄って、みておくと「エエゾー」

ホント、お金を払ってもみたいほどの、満足度を感じる映像だから…

 

ほんと百舌鳥になって、空を飛んでる気分がして「コフン」を見下ろした気分になって「コーフン」しちゃうから…!!

 

それにしても、5世紀なんて、こんなふうに鳥じゃなければ空からみれないのに…このバランスの良い形で造られた数々の古墳の墳丘の造形美に…ただただ驚くばかり!!

古代の人間の凄さに想いを馳せては、やはり「コーフン」せずにはいられない私なのです…

 


「ゴフン(5分)」も歩けば古墳にあたる…「仁徳天皇陵古墳」の廻りの陪塚をいくつか訪ねて…

2023-09-18 05:38:37 | 歴史史跡

大阪府初の世界遺産の「仁徳天皇陵古墳」の廻りを、ぐるっと一周ウォーキングしてたら…

やたら、あちこちに

「仁徳天皇陵古墳」以外の古墳にも出くわすのよ!!

 

まるで「犬も歩けば古墳にあたる」状態…

コフンだけに「ゴフン(5分)」も歩けば古墳にあたるのよ!!

 

このマップをみればお分かりのとおり、「仁徳天皇陵古墳」の廻りには、小さな古墳がいっぱい…

今回は、そんな古墳の中から、私が「ゴフン(5分)」も歩けば古墳にあたった、その古墳をいくつか紹介することに…

まずは、このマップのすぐそば…

大仙公園の片隅にある

収塚古墳

 

円墳のように見えるけど、前方部が削れられちゃっているようで、もともとは前方部を西に向けた帆立貝形古墳だったそうで

「仁徳天皇陵古墳」の模型には

このようにちゃんと帆立貝形古墳になってます

 

仁徳天皇陵古墳の陪塚

ちなみに陪塚とは大型古墳の周囲に位置する、同時代の小形の古墳のこと

築造時期は5世紀前半…墳丘長は59mに復元されており、後円部の高さは4.2m今ではわからなくなってるけど…濠もあったようで…

円墳のよーな帆立貝形古墳の廻りをぐるっと…

中には柵があって、入ってはいけない感じ…

感想はといえば、特になく「こふん…」…じゃなかった…「ふふん…」と思っただけ

続いて紹介するのは、「仁徳天皇陵古墳」の南、同じく大仙公園内の北側にあるにある

「孫太夫山古墳」

 

江戸時代の地権者・庄屋の南孫太夫という方が所有していたところから、この古墳の名前がついたらしい…

江戸時代から、古墳の廻りの濠水を一帯の灌漑用水とするために、代々の庄屋である南家が陵池の維持管理に尽力してきたようで

明治初期、後の堺市長・南治好が当古墳を国に寄贈したそうな…

 

廻りはお濠に囲まれている前方後円墳で

五世紀中頃の陪塚

幅10mほどの周濠があったようで、その周壕跡から出土した埴輪片が大仙陵のものと類似…
この結果により五世紀中頃築造の陪塚である可能性が高いよう…

今は、そのお濠が復元され、整備されてました…

後円部は宮内庁が管理し、前方と周濠は堺市が管理…とのことで、ここも墳丘に入ることはできません!

ぐるっと廻って眺めるだけ…

 

鳥がお濠にいました…当然、百舌鳥ではありません!!

 

最初、作り物、のオブジェかと思ってみていたら、突然、動き出したので、私、思わずトリ乱してしまいました…

 

 

 

木の生い茂る手前の丘が「前方」部……

葺石が綺麗に並べられ…整備されています…

 

感想はといえば、特になく「こふん…」…じゃなかった…「ふふん…」と思っただけ…

 

続いて紹介するのは、「いこいの広場」を挟んで「孫太夫山古墳」のすぐ横にある

 

「竜佐山古墳」

 

「仁徳天皇陵古墳」の南に接する西向きの帆立貝形古墳で、これまた五世紀後半頃築造の陪塚

 

 

 

幅10mほどの周濠があったようでその濠は「孫太夫山古墳」と同様、復元され、整備されたもの

 

この古墳も「孫太夫山古墳」と同様、墳丘は宮内庁が管理し、前方部の一部と周濠は堺市が管理してて、ここも墳丘に入ることはできません!

ぐるっと廻って眺めるだけ…

 

 

復元された緑の藻が、実に幻想的で、絵画みたいでありました…

 

遠くに見えるのが、平和塔

太平洋戦争での戦没者の慰霊のための塔で、登ることはできないよう…実は、「仁徳天皇陵古墳」が真上からみれるんじゃないか、見下ろせるんじゃないかと、ちょいと期待してしまったけど…

 

続いては

大仙公園西駐車場の横、大仙公園内の西の片隅にあるのが

「狐山古墳」

五世紀後半の円墳

陪塚で、この墳丘も宮内庁が管理、墳丘の中に足を踏み入れることはできません!

廻りにはお濠があったよう…ここは、濠の復元はなされていません!

なんでも、昔、大仙陵古墳の墓守が、猟師の流れ弾に当たった狐を助けたことがあったそうな…で、ある日、その墓守が墓を掘り返していた泥棒と取っ組み合いになり、濠へ投げ込まれてしまった…そのとき溺死しそうになった墓守を何者かが陸へ引き上げてくれたとのこと…次の日、濠の中を見てみると一匹の小さな狐が死んでしまっていたそうな…その話にちなんで狐山古墳と呼ばれているようで…

「コフン」ならぬ「コブン(古文)書」に、そう書かれていたのでしょうか…

 

さて、この後は大仙公園から離れて「仁徳天皇陵古墳」の周遊路を歩く…と…

 

また「ゴフン」も歩けば「コフン」にあたる!!

「銅亀山古墳」

仁徳天皇陵の西
一辺26メートル、高さ4.6メートル

の百舌鳥古墳群では数少ない「方墳」で

もちろん「仁徳天皇陵古墳」の陪塚

周濠の有無は不明

戦時中は古墳の上に高射砲の陣地があったらしい…

 

そして、最後に紹介するのは

「樋の谷古墳」

形状は不明…築造時も不明

古墳かどうかも疑問視する見方もあるとか…

この整備された場所も「樋の谷古墳」のあった場所でしょうか…

 

古墳のよーなオブジェ…

これは、古墳ではありません!!

 

他にも…マップをみたら、近くには「コフン」がいっぱい…

でも、私が立ち寄った「コフン」は以上…

立ち寄ったといっても、宮内庁の管轄の古墳なので

柵の中の墳丘に登ることが…どれもできなくて、

柵の中の、ここ踏んではいけないだろうし、そこ踏んでもいけないだろうし、あそこ踏んでもいけないだろうし…

こ踏んでも…そこふんでも…あそこふんでも…いけない…

もちろん、ネコふんでも…いけない…???

そう、「コフン」だけにね!!

 

 


世界遺産「仁徳天皇陵古墳」の周遊路をウォーキング…の巻

2023-09-17 08:15:52 | 歴史史跡

JR阪和線とのターミナル駅である

南海電鉄、南海高野線の三国ヶ丘駅で降りる

電話ボックスに「ふとん太鼓」が載ってる…

いやあ、こんなものが載ってるなんて、びっくりして、気分がふっとんだ!!…笑

「ふとん太鼓」は堺市堺区の「開口神社」で、毎年9月中旬に行なわれる秋祭り「八朔祭」に担がれる大型の太鼓台のことだそうな

 

 

さてさて、私、なぜ、三国ヶ丘駅で降りたかというと、新型コロナウイルス感染症対策で自粛!自粛!と言われ、言われた通り、家でゴロゴロしてたら、私のお腹廻りが緊急事態宣言!私のお腹廻りが「マンボー」ならぬ「シボー(脂肪)」でいっぱいになっちゃったのよ!!

もう、気が付いたときには、すでに時遅し…

歳を重ねてると、あっという間に体重は増えるけど、なかなか減ってはいかないのよ!!

それでも、努力しないと…と思い、ウォーキングでささやかな抵抗…

で、この日は観光を兼ねて、ウォーキングをしようと…

この大阪府初の世界遺産の「仁徳天皇陵古墳」の廻りを、ぐるっと一周しようと思って、出かけた次第…

 

 

「仁徳天皇陵古墳」は大仙町にあるから大仙陵古墳または大山古墳とも呼ばれ

天皇陵

形状は上記の図をみてもらえばわかるように

前方後円墳

百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳なんだな…

日本最大ですよ!日本最大!!

中学校の歴史の教科書にも載ってる!!いやー、コーフンするねえ…

 

といっても、生憎の本降りの雨で、実はコーフンどころか、テンションはさがってるんですけど…

ただ散策路、周遊路はこのように舗装されてて歩きやすくなっているので、よかった!よかった!!もし、未舗装だと、この雨、靴がぐちゃぐちゃになってしまうやん!!

そう、この写真の右の柵の向こう側が

「仁徳天皇陵古墳」

まるで、城址のように…お堀のように思えちゃいます

 

「仁徳天皇陵古墳」は、円筒埴輪などの出土品の特徴から、5世紀前半〜中期に約20年をかけて築造されたものと考えられているそうな

宮内庁は、「仁徳天皇陵古墳」と仁徳天皇の陵墓に治定しているけど、実はその被葬者は明らかではないそう…

日本書紀には「仁徳天皇のお墓」と記載されている…その仁徳天皇が亡くなった年は推定西暦399年…

しかし、仁徳天皇陵の築造は5世紀中頃が有力のため、50年以上のずれが生じてしまうそうな…

真実はどこに…いやあ、悠久の歴史のロマンを感じていいですなあ…

 

仁徳天皇陵を含めた周辺の古墳群は「百舌鳥古墳群」と呼ばれています…

「百舌鳥」という地名については「日本書紀」に神話的な記述があって「石津原」と呼ばれていたこの地を、仁徳天皇が御陵の造営場所に決め、工事を開始…すると、野原から一頭の鹿が走り出て、工人たちに向かってきて、あわや衝突というところでその鹿は倒れこんだそうな…

不思議に思って調べると、鹿の耳から百舌鳥が飛び立ち、鹿の耳の中が喰い裂かれていたそうな…どうやら、百舌鳥が、ぶつかってこようとした鹿から、工人たちを助けたということらしい…実際には、百舌鳥が鹿の耳を喰い裂くとは考えにくく、百舌鳥は神の使いを象徴する存在として描かれたという説があるそうだけど…まあ、それで、地名を「百舌鳥」に改称したという言い伝えがあるそうな…


仁徳天皇陵の周辺には、かつては100基以上の古墳があったらしいけど、、現在は44基が残っているとのこと…

北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに「百舌鳥耳原三陵」と呼ばれている「仁徳天皇陵古墳」

一周すると2.7kmとウォーキングにはもってこい!!…笑

墳丘の前長は525m(後円部286.33m、前方部幅347m)

墳丘の長さは、第2位の大阪府羽曳野市の「応神天皇陵古墳」の425mを100mも上回り、日本最大の古墳なんだな…

いや、日本最大どころか

「クフ王のピラミッド」「秦の始皇帝陵」とともに世界三大墳墓と呼ばれているとか…

 

な、なんと言っても「世界遺産!!」「世界遺産!!」

「仁徳天皇陵」を含む百舌古墳群は、なんと1600年以上も前に造られたというから、テンションがあがって、コーフンするねえ…

この雨が止んだら、もっとコーフンするんでしょうけど…

 

あ、天皇のお墓とされているので、墳丘の上を歩くことはできません!あくまでも、ぐるっと廻って眺めるだけです!!

 

許可された方??はここから入っていくのでしょう!!

内堀のよーなものは、ここだけ途切れていました…

この場所だけ、土橋のよーになっていて、また内堀のよーに、お濠が廻りを囲み、簡単にはお墓に侵入できない造りになっています…

 

お濠には、が…

若い頃は「こい」「コーフン」していたものでした…

今となっては、…競馬の時「買った馬よ!コイ!!」って、「こいっ!」コーフンすることはあるなあ…と思いながら、「コイ」を眺める…

いやあ、眺めるにも柵の「かこい(囲い)」が、ちょいとじゃまですなあ…と思いながらも、そんな「いこい(憩い)」のひと時…

 

被葬者が天皇や皇族とされている古墳は、宮内庁によって管理されてて、中に入ることはできないけど

そのような古墳では、墳墓を拝むための「拝所」がありまして

そのそばには、御覧のような案内板が…

この図をみると、一度空から眺めて前方後円墳だということを確かめたくなりますなあ…その時には、本当の意味で「コーフン」しそうな…

そんな空から眺めてみたいという夢を、即叶えてくれる…

そんな立体模型を見つけました…

 

おお、確かに前方後円墳だ!前方後円墳だ!コーフンするねえ!!

 

さてこの立体模型によると

「拝所」は前方後円墳の前方部の手前に設置されてまして…

 

左右はお濠が

 

宮内庁管轄で、これより先には進めません!

 

神社のように、手を浄めるところも

もう、神様のよーなお方だから

「二礼二拍手一礼」でいいのかな…鳥居もみえるしね…それで、いいのかどーかわからないけど…

 

 

案内板にしっかり目を通し

この写真で、世界遺産を感じて…笑

でも「仁徳天皇陵古墳」が築かれた1500年以上前には、こんなふうに空の上から眺めることなんて、できなかっただろうに…まるで、図形を描くように、こんな綺麗な鍵穴の形を作っちゃうんなんて

いやあ、悠久の歴史のロマンを感じずにはいられない…

やっぱり、〆はこの一言に尽きる!!

「コフン」だけに…古墳だけに…「コフン」だけに「コフン」だけに「コフン」だけに…

 

 

 

 

「真実はいつもひとつ」と

名探偵「コフン」…もとい、名探偵「コナン」

のように解き明かしたくなりますなあ…

 

 

 

PS…「コフン」に「コーフン」したなんて、ベタなオチでは終わりませんよ…笑

 


おそらく羽柴秀吉が築城した城…一宮市にある下奈良城跡に行く…

2023-09-16 04:48:44 | B級スポット

城跡マニアの私が今回訪問した城跡は

一宮市にある

下奈良城跡

こんな住宅街の三辻のところに…

 

 

 

 

石碑とちょっとした解説板があるだけで、まわりに遺構は全くみられない城跡…

まさに、この石碑と案内板がなければ、誰もがここが城跡だったとは気が付かないほどの住宅地の中に

石碑と解説板がぽつんと

 

 

下奈良城跡の解説板

天正十二年(1584)、豊臣秀吉軍と、織田信雄・徳川家康連合軍が対峙した小牧・長久手の合戦のおり、尾張地方北部のこの地域は、両軍の最前線地域として、非常に重要な地域となった…江戸時代の他誌類や、村絵図に下奈良城の記載は見られないが、秀吉が下奈良に砦を普請させたという文書や、秀吉と信雄の間に講和が成立すると下奈良砦は破却され道具類が河田砦に移されたという文書があり下奈良にも、砦があったものと考えられる…

 

石碑は「春明郷土史研究会」によって建立されたもののようで

 

ちょいとググってみると、この下奈良城は1584年、羽柴(豊臣)秀吉軍と、織田信雄・徳川家康連合軍が対峙した小牧・長久手の合戦の際、徳川家康は小牧山城を本陣としていた…これに対し、大坂を出陣した羽柴(豊臣)秀吉軍は当初、犬山城へ入る…その時、尾張地方北部のこの地域が、最前線地域として、非常に重要な場所であるとされ、本陣を楽田城へ移すに当たり、小牧山城との間にいくつも砦を築いたそうで…この下奈良城も、その時に築かれた一時的な砦であったよう…

なので、築城はなんと、秀吉…

秀吉が下奈良に砦を普請させたという文書が残っているらしい…

まさか、こんな場所で、秀吉が築城した城に巡り合えるとは…

 

さらに戦いの後、秀吉と信雄の間に講和が成立すると下奈良砦は破却され、道具類が河田砦に移されたという文書もあるらしい…

 

城跡のエリアにはこのような資材が置かれていて

 




まさか、今度来た時には、この狭いエリアに「下奈良城」が建立???されてる訳…はないか…笑

 

さて小牧・長久手の合戦では羽柴(豊臣)秀吉軍の敗退…

この下奈良(しもなら)城で…戦況を窺いながら

羽柴(豊臣)秀吉は、もしも負けたら奈落の底へ…と思ったりしてたのでしょうか…

 

しも奈落の底へ落ちたら…もしもならくのそこへ…

しもなら苦の底へ…下奈良、苦の底へ…

はい、戦いに負け、下奈良、苦の底へ…

このオヤジギャグは実に苦しい…この苦しさは、小牧・長久手の合戦における羽柴軍の想いと通じるところがあるかも…苦笑


「浮野古戦場浮剕首塚 浮野川激戦地跡」に行く

2023-09-15 05:46:22 | B級スポット

「浮野古戦場浮剕首塚 浮野川激戦地跡」

土砂降りの雨の中

「浮野古戦場跡」に行く…

永禄元年(1558年)清洲城主織田信長は岩倉攻略をはかる…これに対して岩倉城主織田伊勢守信安が応戦、ここに信長勢に加担する犬山城主織田十郎左エ門信清が加わり三軍が浮野において衝突した

1558年、信長に敵対して尾張上四郡を支配していた岩倉城主の織田信安が、子の信賢によって追放される事件が勃発、しかしこの信賢も信長に敵対し、美濃の斎藤義龍と手を組むことに…

この岩倉の混乱に乗じ、清洲城主織田信長は岩倉攻略をはかる…

1558年5月28日に2000余騎を率いて織田信長軍は岩倉城主の織田信安を攻撃するため、この一宮市の浮野の地へ進軍し、小競り合いとなる…この時は一旦兵を引いて、7月12日にあらためて出陣…その際、信長のいとこにあたる犬山城主織田信清が1000余騎の兵を出し、織田信長軍の味方に付き総勢3000余騎が浮野を中心に岩倉城主の織田信安と争い

信長軍は岩倉を迂回してその北側にある浮野で織田信清軍と合流し布陣…対する岩倉勢も3000余騎、人数的には互角の大戦が明け方から始まり激戦4時間ほど続いた…

最後には信長勢が勝ちを収め、翌日の首実検ではその数1250以上…

織田信長大勝利!

それにしても3000余騎の岩倉勢のうち首実検が1250以上…おおよそ、岩倉勢の4割の武士の首実検が行われたことになる計算…これは凄すぎる!!!


そんな案内解説板は、私が綴ったこのブログよりもウンと簡潔に…

浮野合戦関係略年表

「信長公記」について…

「のぶなが公記」じゃなかったんですね…ここで初めて知りました…

 

聖徳寺「信長と斎藤道三」の会見場所

 

「若き織田信長の主な戦い」

「浮野城」と「鶯池」

 

説明解説板は、たくさん、いたるところに

平成4年のNHK大河で、この地が紹介されたのでしょう…

 

この「首塚」に関係がなさそうですが

「ご存知ですか…新・青い目の人形」の案内板

「青い目の人形」とは昭和2年にギューリック1世が日米友好のために働きかけ、アメリカ合衆国から日本の小学校などに贈られた人形のこと…また渋沢栄一を中心として答礼人形と呼ばれる市松人形58体がアメリカに贈られた…しかし、当時は「日米親善の象徴」だった人形が太平洋戦争の頃には「敵国の人形」として思われたため、かなりの数が処分されることに…約12000体が贈られたのに、現存数は約300体ほどしか確認されていないとか…

そんな「新・青い目の人形」が尾張で初めて発見されたことを知らせる案内板

これが、「浮野古戦場跡」の片隅に紹介されていました…

 

 

さて、話を戻して

これが

「鶯塚(浮剕首塚)」

 

この地で、1250以上の首実検が行われたときくと…

もし晴れていても、ここに座って、ゆったりは、したくないかも…

 

 

それにしても、1250人以上の武士の眠る首塚にこの洋風な洒落たテーブルとチェアー…

なんだか…ちょいと異風景の感じも…苦笑

 

ここは古戦場跡…首実検の行われた場所…なのに…

この洋風のチェアーとテーブルはこの場に浮いてる気がする…

あ、ここは浮野だけに…か…笑


住宅の敷地内(庭)に城跡の石碑が建立…大赤見城跡に行く!!

2023-09-14 05:51:22 | B級スポット

城址マニアの私…

土砂降りの中でも、城址に行く!!

で、今回紹介するのは

一宮市にある…大赤見城跡

室町時代中期に、織田平七郎が居住したと伝わる…『尾張名所図会』での「服部系図」によれば、織田勝久とその子織田久長がここに居住し、久長が楽田村に移った(楽田城)後には、弟敏任の子孫が移住して服部と改姓し、その後裔が桶狭間の戦いで活躍した服部小平太であるとか…

しかし、「服部系図」の前半部が江戸時代に作られた信憑性の低い「織田系図」とほぼ一致することから、自身の古い系図を持たない服部氏が家系を織田家と結びつけたものと解され、「服部系図」により大赤見城主を織田久長とするのは間違いではないかという説も…

なので、織田久長が楽田城に移った際に、廃城になったのかもしれない…

そんな楽田城のことを綴ったブログも、お時間あれば…どうぞどうぞ…

久しぶりの城址探訪…「妄想城マニア」が小牧の楽田城址に行く…

1584年の小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉の第二次尾張出馬の際にこの赤見の地が戦場となり、徳川家康が大赤見城に西郷家員を入れて守備させた歴史もあるとのこと…

 

で、地図をみると、一帯には地下中屋敷・地下西屋敷・地下東屋敷・市場東屋敷・市場地下屋敷・下市場等の小字名が残っていることから、それなりに大きな城下町が築かれていたようにも思われる…


今は石碑が建つのみ…それも、民家っぽい建物の敷地内に…!!!

 

アクセスする目印は、大赤見公園を目指して

…たぶん、ここも城址だったのかも知れません

当然のことながら、この土砂降りで誰もいません!

きっと、上野動物園ではさぞ賑わっているだろうに…ここには、哀愁の感じられるようなパンダが雨にうたれてポツンと…

 

 

いや、仲間もいました…笑

でも、この大赤見公園

けして、昭和臭漂う寂れた公園ではなくて

バスケットゴールもあり…

カラフルな複合遊具もあり…

天気がよければ…きっと、この公園は子供たちで賑わっていることでしょう!!

 

さてさて、大赤見城跡の石碑ですが

大赤見公園の南側に…ある…

民家、もしくはアパート風の建物の敷地内にあるという…

 

 

 

ここが大赤見城跡??

 

えっ??どこ…と思いつつも

不審者のように覗き込めば

そう、このつつじの生垣の間に隙間が…

その奥には、御覧のような石碑が…

お隣りにある…由緒が刻まれていると思われる石碑は

この本降りの中、判読する気が全くおきません!

 

これはなんの石碑だったんだろう…不明…

 

で…これが城跡全景…笑

住宅の敷地内…庭の一角に…

 

小山になっていて、ここだけみると、土塁っぽい感じもするけど…

 

それにしても、この本降りの雨の中、それも住宅の敷地内…

これ以上、ウロウロしてて不審者に間違えられてもなんなので…

過去に何度か、職質をもうけたことのある私なので…

 

女性を襲う…おおあかみ(大赤見)??

もとい

おおかみに間違えられてもいけないので…

これにて、スコスコと退散…

 

というよりも、それ以上に遺構らしきものは何もないからね…

 

そうそう…この日は、天皇賞…

で、結果をみると…カスリもしなくて惨敗…

おおあかみ(大赤見)…???…

もとい…

おおあかじ(大赤字)でございました…泣…

 

靴の中もびちょびちょで、テンションさがって

…まさに「泣き面に蜂!」

 

 


「浅野城跡」…雨の中…一宮市の浅野公園に行く!

2023-09-13 06:15:44 | 歴史史跡

愛知県一宮市のR22から少し離れたところにある

浅野公園に行く…

この地は、戦国武将の浅野長勝と浅野長政の屋敷跡…

言うなら、ここは「浅野城跡」

そう…私…城址マニアなので、行こうと思ったら、土砂降りの雨の中でも行く!!

そう遺構(いこう)いこう!!

 

史跡 浅野公園の解説板

 

当地は尾張浅野氏発祥の地であり、戦国時代、浅野長勝やその子長政の屋敷があったと伝えられている…長勝の養女が木下家定の妹の「ねね」であり、後に木下藤吉郎に嫁す…夫秀吉の天下統一をよく助け、自らも北政所として女性最高の地位につく…「ねね」の義弟、浅野長政も秀吉の五奉行の一人となり、浅野氏繁栄の基礎を築いた。忠臣蔵で有名な播州赤穂の浅野氏はその支流である…とのこと

この屋敷を築いたのは浅野長勝…

戦国武将・浅野長勝は織田信長に弓衆として仕え、天正の1573~1593年には安井城(現在の名古屋市北区)を居城としていたものの、所領が変わり中島郡大里村(現在の稲沢市)に移り浅野屋敷を建て、さらに、その後にもこの地に移ってここ浅野城に居城としたと伝わってるとか…

このように短い在位期間でありながら、この地に浅野長勝が築いた浅野城があって、その養子となった浅野長政がここにいたようで…

浅野長政は安井重継の子として生まれ、母の弟、浅野長勝に子がなくて養子となり 織田信長に仕えていたものの、後には、豊臣秀吉の五奉行の一人となり、浅野氏繁栄の基礎を築いたよう…

そして…同じく養子となった後の豊臣秀吉の正室「ねね」も子供の頃にこの浅野城で過ごしたとか…

「ねね」は木下定利の娘で浅野長勝の養女になったのち、1591年、豊臣秀吉と結婚し正妻となり、夫秀吉の天下統一をよく助け、自らも北政所として女性最高の地位につく…

さて、浅野長勝は1575年に没、その養子の浅野長政は、1573年には近江国長浜へ移ることに…


浅野長政氏が近江へ移った後には、杉浦重勝が城主となり
さらに、1592年には、美濃・竹ヶ鼻城主となっている…

関ヶ原の戦いでは岐阜城主・織田秀信に従い、西軍として戦うも、東軍の福島正則がその関ヶ原の戦いが始まる前にも、岐阜城を攻めた…そのついでに、その時に竹ヶ鼻城も攻められ、城内で毛利広盛が東軍に寝返ったため落城…

江戸時代には川口次兵衛が二の丸に屋敷を構えたものの、1600年に廃城になったらしい…

 

浅野公園見所マップ



これをみれば…ああ、ここは城址だったんだなと、即、思えちゃう…

というのは、

浅野公園の周囲をぐるっと水路が取り巻いているけど、これはかつての浅野城の堀跡だっただろうと…

もちろん、公園なので、整備されちゃって、当時のままのものは、全く残ってないようだけど…

 

 

そう…行ったのはGW中の大雨に降った日で…

浅野公園つつじ祭が開催されていました…

 …が、激しすぎる雨…

 

祭りなのに…祭りなのに…祭りなのに…当然のことながら誰もいません!!

この、つつじに覆われた中にみえるのが

 

「馬蹄石」 

山内一豊が自宅岩倉城へ急用で帰るときの途中、浅野家に立ち寄ったときの蹄跡と伝えられているそうな

「ふじ」はもうこの頃で、終わりなのか…

藤棚が…

 

さて、公園内…このように舗装されているところは問題ないんですが…

舗装されていないところは、もう池、もしくは川のようになってて、攻城が困難な状況に…

それでも、ひたすら進みます…

こんな、土砂降りの中でも、城址に行きたい!真の!真の!城址マニアですから…

 

広場は、巨大な…とてもじゃないが、ここを通っては…もとい…行けません!!

足元を気にしながら、激しい雨の中、周囲を歩く!歩く!!

「雨ニモマケズ…」まるで、宮沢賢治のような気持ちで…

 

「手植杉・記念碑」

安芸広島藩最後の藩主浅野長勲や第21代内閣総理大臣加藤友三郎氏その他各界各氏による手植の杉だそう…

 

傘亭

ここが、唯一雨がしのげるありがたい場所…

土盛りされたやや高い場所に作られていたので、もともと、ここに土塁なんぞあったのかも…

 

 

 

こんな水たまりを飛び越えて…笑

 

そこにあるのが

「石碁盤」
浅野長政の長男幸長の娘「春姫」と尾張徳川家初代藩主「徳川義直」とが結婚 また長政公の二男が家康の三女と婚姻関係であり、この囲碁を通して親交が深まったとか…

囲碁(いご)を通して以後(いご)よろしく!と言葉にしていたのでしょう

そんな家康は長政の没後囲碁を絶ったと伝えられているとか…

「野点茶席」

表千家故宗信小川覚四郎師によって造園された茶の湯は、秀吉の時代になると政治の道具として利用されるようになった
特に、茶人「千利休」は豊臣秀吉(浅野長政公の義兄)が安心して相談できる人材であった…

この解説板、この遺構の説明にはなってないような気がしますが…

 

 

「ねねの歌碑」
 

「たちばなを 庭のまがきに 眺むれば 雲井の花を 恋しくぞ思ふ」

「「ねね」の水」と呼ばれる井戸跡

別に「ねね」の産湯に使った井戸とかいう訳ではないようで…

 

「記念碑山」

この辺りに邸宅跡があったんですね…

「浅野公園(あさのこうえん)」「雨の拷問(あめのごうもん)」のようなもので

私の靴の中が、敵陣の襲るべき水攻めで包囲され、とことん!とことん!攻められ、大変なことに…

ああ…靴下まで沁み込んで…テンションがさがる!さがる!!

このことで、確かに、浅野長政氏が近江へ移った後の…福島正則に包囲された城主、杉浦重勝のような…気分が味わえたけど…???

 

感想はこの一言に尽きる…

土砂降りの中での城址巡りはやめた方がいい…

 


豊橋に行けば…寄りたくなる…「スパゲッ亭チャオ本店」のあんかけスパ!

2023-09-12 05:05:57 | B級スポット

令和になっても昭和の色が濃い「豊橋」

「あんかけスパ」を食べる!!

 

「あんかけスパ」っていうと「名古屋めし」の一つでもあっても、普段から、「あんかけスパ」を食べたいって思うことはないけど…

 

 

今回紹介する豊橋駅前にある

「スパゲッ亭チャオ本店」のあんかけスパがめちゃめちゃ美味しいのよ!!

豊橋に行けば…食べたくなる…

なんでも、観光客のみならず、豊橋市民が喜んで、ここに食べにくるのよ!!食べるのに、待つ行列ができるのは、当たり前の人気店らしいのよ!!

 

私が行きたいと思ってる理由…の一つが店名…(笑)

「スパゲッティチャオ」…じゃなくて

「スパゲッ亭チャオ」

この昭和の色濃いオヤジギャグの店名がなかなかいいじゃないか!!

 

「スパゲッ亭チャオ」…場所は昭和の色濃い繁華街のど真ん中…お隣りはパチンコやさん!!

10年位前には、夜に、こんなところ歩いてたら、オニーサン、マッサージするよ!!と果てしなく中国の風俗オネーチャンに声を掛けられた…そんな駅前の繁華街のど真ん中…

そこにあって

まあ、人気店ということで、昼食どきの美味しい時間には…いつも行列ができている恐るべき人気店!!

 

でも、夕方の4時くらいの中途半端な時間だと、当たり前だけど、空いている…

かつ…平日だと

「おやつタイム」…「おやつスパ」として、ハーフサイズのあんかけスパとサラダと珈琲がついてのこの値段…

選ぶは、この6種類の中から…

以前はカニクリームコロッケを食べたから、今回は別のをオーダーしようと思って

「ポークビガタ」の「おやつスパセット」を注文することに…

 

店内はこんな感じで…いかにも昭和!昭和!の洋風…イタリア風レストランの店構え…

 

 

 

天井にはゴージャスなステンドグラス!!

もう「昭和」の頃の贅沢さ!!を体感することができます!!

 

コロナ禍では、なかなか行くことのできない…ヨーロッパのイタリアにいるような気分も??

 

 

おお、昔むかーし…行ったことのあるベネチアだー!!

こちらは、客席がいっぱいのときの待ちスペース…

 

サラダをのせてあるサラダ(皿だ!)

 

サラダも新鮮さが感じられたことを言っチャオ!!…(笑)

(はい、私どっぷり昭和の人間なので)

 

待っている間は、この漫画を熟読…(笑)

 

 

 

愛知県豊橋市のソウルフード

「チャオソースの魔法」…「一度食べるとまた食べたくなる」

 

さてさて、待ちに待った

あんかけ「ポークビガタスパ」

 

 

おお、これが魔法のかかったチャオソースなのね!

 

もう鉄板がジュージューいってる!!熱、熱っ!!

あの…50円高くなるけど、鉄板で注文した方がいい…

御覧のように鉄板に卵が敷いてあって、これがジュージュー言ってて、熱々で美味しいのよ!!

鉄板にこの卵…ああ、昭和だなーって、感じることもできちゃうし…

 

食べチャオって、即、口の中に入れたら、口の中の火傷は必至!

 

とろっとしたソースと鉄板のおかげで、スパゲティは熱い!熱い!私のハートのように…麺はプリッとした太麺で、魔法のソースがたっぷり絡んで…魔法のソースの風味が口の中に溢れ出す感じ!

あんかけ「ポークビガタスパ」…めちゃめちゃ美味しい!!

名古屋めしの「あんかけスパ」と違って、辛味もなく食べやすい!!…まさに魔法のソース!魔法のソース!

初めて食べる味のソースなのにどこか懐かしさも感じられるこの味

鉄板の熱さが加わって、麵の食感が変わっていく…

いやあ、美味しくて…ホント「トヨハシ」に行ったら寄りたくなる…まさに「コクのある魔法のソース」でした!!

めチャオいしい(笑)!めチャオいしい(笑)!めチャオいしい(笑)!

アイス珈琲も魔法がかかって、極彩色に…??

あ、これ、天井のステンドグラスが映しだされているだけですけどね…

笑…


JRリニア鉄道館…後篇…B級スポットマニアがハマる!ハマる!!鉄道ジオラマ編

2023-09-11 05:21:54 | B級スポット

JRリニア鉄道館の続き

 

私はB級スポットマニア

鉄道マニアではないので、JRリニア鉄道館にきても、多くのみなさんがそうされるように、電車の「顔」の写真を撮ってはみるも

さまざまな車体をみても…
うわー!新幹線!!凄ーい!!きれーい!!
…と…幼児程度の感想しか
言葉が浮かばない…

鉄道の歴史について細かく展示されてあっても
ほぼ素通り…

鉄道に…ほとんど…ほとんど…興味がないけど
このJRリニア鉄道館の
とあるコーナーには
こんな私でも
2時間程度は…いられちゃうんだな…
いや…3時間でも…4時間でも…時間の許す限り…笑
(実際、私は2時間ここにいました…)

それは

鉄道ジオラマ

この鉄道ジオラマに
B級スポットマニアの血がめちゃめちゃ騒ぐのよ!!
めちゃめちゃ楽しいのよ!!

数年前にもここへきて、そのときも、ほとんどの時間をここ「鉄道ジオラマ」のコーナーにいて、それはそれは大興奮??してた思い出が心に残っているのよ…

鉄道ジオラマ…


東京から大阪までの街並みがぎゅぎゅっと凝縮されていて
鉄道の始発から終電まで…要は、朝から深夜まで…
20分間の演出で楽しむことができちゃうんです…

即ち…バーチャルではありますが…
あっという間に東京~大阪間を鉄道旅行できちゃうんだな…


私は…全然…電車の模型が動くところには興味はないから…???…
ひたすら…
…街並みを見て楽しむわけです…笑…

 

夜明けの東京

 

だんだんと陽は昇っていく

遠くに見えるのはスカイツリ―!!
なっ!なんと!
…スカイツリ―と一緒に
東京タワーまで1枚の写真におさめられちゃいますよ…笑…

 

夜の国会議事堂

 

絶対反対のデモも…何に絶対反対してるのか、はっきり読めませんが…

私の気持ちとしては「原発反対」で

 

 

東京湾…

電飾船がキレイです

 

横浜中華街

関東方面では

気球があがる!!

天井まで…

 

名古屋駅前…

 

 

 

昼と…

このジオラマをみると…
とことん名古屋中心…



日本の首都は名古屋だぎゃ!!
…と…心から思えちゃう??


東京や大阪に比べると
名古屋がウンとウンと栄えてるような錯覚も…

名古屋駅新幹線ホームまで再現??






あの…実際はこんなふうに地下に新幹線のホームがあるわけでもないんですけど…



だって
駅前のビル群は
スカイツリーよりもウンと立派だし…

その駅前の高層ビル群

中部電力 MIRAI TOWER(旧・名古屋テレビ塔)も愛知県庁もちゃんとあって

この窓の清掃をしているという細かい演出

こういったところをみつけると、テンションが自然とあがってくるのよ…

B級スポットマニアである私の血が騒ぐのよ

それにしても、高層(こうそう)ビルのこの高さ…ビルの窓ふきの清掃員の気持ちを思えば…ホントこうそう(高層)??…もとい…こわそう

(この凍り付くオヤジギャグの方が怖そうなのかもしれない…)

 

名古屋と言えば、これ、やっぱ…これがなくちゃね…

名古屋城


でも…そこに現れた大泥棒…???





名古屋と言えばもう一つ!!

東山動物園も名古屋港水族館も見当たらなくても

これは、ジオラマの中に絶対入るよね!!

JRリニア鉄道館!!!

そりゃあ、ここがJRリニア鉄道館だもの!これがなくちゃね!!

 

 

 

さて、このジオラマでは東京や大阪に比べると
ウンとウンと栄えてる名古屋

こんなロックフェスティバルが
名古屋で開催されている!!

ちょっと「密」ですよ!このご時世…

常滑で開催された野外音楽フェス「NAMIMONOGATARI 2021」が思い出されちゃう…

この赤いタオル…ステージには永ちゃんか???

そして

東京ディズニーランドも
ユニバーサルスタジオも
みあたらないけど


ナガシマスパーランド…は100パーセント

みなさんの目に留まる…

観覧車の電飾がめちゃ綺麗…
実によくできてる!うん!電飾の色の雰囲気も実によく似てる!

 

名古屋のお隣りの岐阜長良川の鵜飼(うかい)

 

このブログを読んでくださってるみなさんも、新型コロナウイルス感染症対策のため、しっかりと…うかい…もとい…うがいをしましょう!

 

そして伊勢神宮とおかげ横丁

 

 

関西方面に目をやれば…

京都は清水寺

 

 

夜の月がキレイです…

 

 

新大阪駅のホーム

 

通天閣にグリコの巨大看板

 

 

「太陽の塔」

 

 

そして夜の繁華街…梅田かナンバか十三か…



空には花火が打ち上げられ…

 

甲子園球場…

このジオラマ…
ナゴヤドームも…東京ドームも作られていないのに
甲子園球場だけが作られている!!
東京~大阪間の間には甲子園球場はないのに…


JRリニア・鉄道館の
この鉄道ジオラマを設計した人…なかなかセンスがいいぞ!!
きっと…
めちゃめちゃ阪神タイガース贔屓であるに違いない…

夕暮れの大阪の街と

京都は大文字焼き

 

 

さてさて、私の視点は、さきほどの名古屋駅の高層ビルの清掃員をみつけたように、よりマニアックな視点へと…

関東方面…


富士山は
みんな見てると思うけど…

そのそばにある


登呂遺跡





弥生人は…いたのか??

関西方面に目を向ければ



JRのイベント

さわやかウォーキング…笑

広報に…一役買ってます…笑






関ヶ原ウォーランド…???





徳川家康は??
石田三成は??


これって
コンクリート等身大武将のジオラマ??なのかな???

 

 

煽り運転の結末でしょうか…

怪我した人が救急車へ…

もうこれをみたら安全運転に心がけたいと心から思いますよね…

 



さらには…東京方面のある雑居ビルから

突然
火災発生!!!



逃げ遅れた人がリアルに映し出される…

煙まででるといったこの演出

と…救急車…消防車が次々と駆け付ける…驚!

そして
消火されると…去っていく…

 

いやあ、このジオラマ凄すぎる!!

 

さてさて、さらに凝った演出

この鉄道ジオラマには、鉄道にはまったく関係のない

隠れキャラが潜んでいるのよ!!

それをみつけようと探そうと思えば…ゆうに2時間程はここにいれちゃうわけ…

 

たとえば…鳥羽のあたり

海女さんが浮かんでる…

 

ジュゴンの群れ…

その海底には浦島太郎と

竜宮城…よりもデカい乙姫様が待っている!!

さらに海底には

タイタニック号???
(日本近郊の海で沈没した訳がないか…)





二見浦夫婦岩があって


発見者が指さす先には

人魚の姿が…




 

海底には謎の生命体(謎の巨大生物)の骨が発見…

 

さらには
地底人…笑








名古屋港には
ネッシー出現??


 

さらには巨大ザリガニ出現

私達の知らないところで、未確認生命体が潜んでいて…地球征服を企てているのかもしれません!

禿げたそこのオヤジさん、呑気にナンパしている場合じゃありませんよ!

気がつけば、財布の中、すっからかんですよ!!

 

もう…こんな感じで
この隠れキャラさがしに夢中!夢中!!

 

東京お台場には

赤ずきんちゃん

フランダースの犬…
ネロはこのあと教会に行くのでしょうか??


いつ行くの??
「きょうかい??」





…スベッてすみません

 

訪ねたのは4月だったので、入学式が行われていました…

リニア鉄道館大学…

もう「鉄ちゃん」ならこの大学に入りたいはず…

 

その横では…メイドさんの撮影会??の右側の男性二人は、きっとリニア鉄道館大学に落ちたのでしょう…入学できなかったのでしょう…背中から漂う哀愁が半端ない…まあ、来年、頑張リニア…そう頑張り―や

このオヤジギャグも不合格ものだー!!

 

箱根大学駅伝

走っているランナーと白バイの向きにご注目…

このままだと、正面激突…明日の朝刊のトップになってしまいますよ!!

 

 

一寸ぼうし

実際は、ジオラマですので一寸の大きさもありませんが
ジオラマの他の人々と比べると

同じ大きさなので…一寸ではなく等身大…


厳密に言うと…「一寸ぼうし」じゃなくて「等身大ぼうし」??…笑

 

大きなかぶ



天の羽衣伝説




さるかに合戦








うさぎとかめ…







うさぎは
山のふもとで寝ています…笑

金太郎




どんなストーリーなのか
まったくもって知りませんが…苦笑

ここは、日本なのに…

白雪姫…東京ディズニーランドに飽きて逃げ出してきたのかな

シンデレラのかぼちゃの馬車
ここは、日本なのに…東京ディズニーランドに飽きて逃げ出してきたのかな






3匹のこぶた…

藁の家

木材で…

こちらはレンガで…

やっぱ、レンガの家は壊レンガ…笑

 

飛騨の合掌造り…

 

ここには、4月というのに…4月というのに

 

サンタクロース…笑







ビーチで日光浴を楽しんでいる女性は

な、なんとトップレス…

 

 

 

 

この女性は、コールガールでしょうか…

それにしても、そこ、誰も通っていませんよ!!

一方で、積極的に「愛」をアピールしている女性

婚活中でしょうか…

この仮設トイレで並ぶ後方の男性は…

前の人のお尻を狙っているようにしかみえません!!

お尻、ピンチ!!

 

お尻と言えば…

この男性、飼い犬に手を噛まれる…どころか、ケツを思い切り噛まれているじゃないですか…間違いなくケツは真っ二つに…

パシャパシャパシャパシャ撮りまくって
撮りまくって


もう後半は
このジオラマ…夜はいらない…
(キャラがみえなくなるから…笑)
ずっと昼間のままでいてくれと…思えてきたほど…笑

最後に紹介する1枚は、衝撃的な1枚…

殺人事件???

女性が行き倒れてる…

きっとオオカミは赤ずきんちゃんを狙わず…この女性を襲ったに違いない…

たまたま赤い服をきていたがために…オオカミは間違えての犯行ではないかと…「名探偵コナン」ならぬ「名探偵コンナン(困難)」である私の推理

いや、この足元の接着剤の痕跡…

犯人は…オオカミではなく…オオカミに扮した一般客かも知れない…

どう、この名探偵「名探偵コンナン(困難)」の推理…

 

「真実はいつも一つ!」

ジオラマに手で触れないようにしましょう!!

 

次回来た時には、この女性の一命が運よく助かって、この場で、立ち上がって歩いていることを切に望む…