父の命日も近いので、父の教え子さんたちと、最寄り駅のいい風情の居酒屋で、偲ぶ会と称して思い出話を語り、旧交を暖める有難い会が今日の夕方開かれる。皆さん亡父を慕って頂いて、小規模ながら父の所縁の人々と、近況を語り合う、貴重な会となりそうで、心待ちにしている。私は父の教えている姿、まともなことを話している姿を見たことがないので、教え子さんたちを羨ましくさえ思う。私の父にこき使われたことも笑っていい思い出にしてくれていて、心根のきれいな、いい教え子さんたちである。私は慣れない酒を飲んで、断片的に思い出したことを喋ってニコニコしているだけだが、当地に来て教え子さんたちが親しく集まってくれるのが何より心強い。その催しが6時半からあるので、それまで体力が持ったら、洋書をめくって、作文を進めたい。私は父親とあまり似ていないと自分では思うのだが、そんな私でも父を思わせる何かがあるようで、教え子さんたちは和やかに迎えてくれる。今年も楽しみである。そんなわけで、今朝は父が好きだったモーツァルトの音楽を早朝から聞いてる。ワルター・クリーンのピアノソナタ全集である。私はクラウディオ・アラウの遅くて噛みしめるような演奏が好きだが、ワルター・クリーンもなかなかテンポを落とすところは落として、しみじみと聞かせてくれる。命日に因んでヘブラーのモーツァルトも買い集めておくべきだったかな。映画監督エイゼンシュタインが私にはほしい本が自然と集まってくると日記に書いていたが、私の父も不思議な引き寄せを呼び寄せる何かを持っていた。ヘルマン・ヘッセもモーツァルト・マニアだったし、何かを開花させる力がモーツァルトにはあったりして。
時を経ていたずら者の面影をモーツァルトの旋律に聞く
時を経ていたずら者の面影をモーツァルトの旋律に聞く