私の詩歌の原点は、疑いなく、寺山修司氏である。
と言っても、寺山的に幻想的な嘘を作品化する
想像力は乏しく、寺山よりは、散文的な、
絵日記調の詩歌になってしまう。
寺山修司のなかでも一番テラヤマ的な詩歌の
本は、歌集『田園に死す』である。
〇新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
〇兎追うこともなかりき故里の銭湯地獄の壁の絵の山
〇売りに行く柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
〇暗闇のわれに家系を問うなかれ漬物樽の中の亡霊
皆、フィクションだが、印象的な景色が浮かぶ。こんな才能がほしかった。
『田園に死す』は寺山自身の手で映画化されていて、日本版シュルレアリスム
になっている。
俳句にも触れておこう。
〇便所より青空見えて啄木忌 〇沈む陽に顔かくされて秋の人 〇テレビに映る無人飛行機父なき冬
〇わが夏帽どこまで転べども故郷 〇妹を蟹座の星の下に撲つ 〇十五歳抱かれて花粉吹き散らす
どれも作品として完璧である。寺山とは、何かと縁があり、私が短歌を書く切っ掛けとなる。また札幌の寺山修司上演劇団の座長さんや振付家の方と懇意となり、寺山の主な演劇作品は札幌で見た。
〇学童に家出を配る旅一座 〇美術部の生徒の塗りし厠壁 〇春の野に花粉を飛ばす強き腕
〇秘めやかに蜜滴りて蜂巣箱 〇飛び乗りし夜汽車の窓や鉄道草 などは、寺山に捧げる私の拙句である。
と言っても、寺山的に幻想的な嘘を作品化する
想像力は乏しく、寺山よりは、散文的な、
絵日記調の詩歌になってしまう。
寺山修司のなかでも一番テラヤマ的な詩歌の
本は、歌集『田園に死す』である。
〇新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
〇兎追うこともなかりき故里の銭湯地獄の壁の絵の山
〇売りに行く柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
〇暗闇のわれに家系を問うなかれ漬物樽の中の亡霊
皆、フィクションだが、印象的な景色が浮かぶ。こんな才能がほしかった。
『田園に死す』は寺山自身の手で映画化されていて、日本版シュルレアリスム
になっている。
俳句にも触れておこう。
〇便所より青空見えて啄木忌 〇沈む陽に顔かくされて秋の人 〇テレビに映る無人飛行機父なき冬
〇わが夏帽どこまで転べども故郷 〇妹を蟹座の星の下に撲つ 〇十五歳抱かれて花粉吹き散らす
どれも作品として完璧である。寺山とは、何かと縁があり、私が短歌を書く切っ掛けとなる。また札幌の寺山修司上演劇団の座長さんや振付家の方と懇意となり、寺山の主な演劇作品は札幌で見た。
〇学童に家出を配る旅一座 〇美術部の生徒の塗りし厠壁 〇春の野に花粉を飛ばす強き腕
〇秘めやかに蜜滴りて蜂巣箱 〇飛び乗りし夜汽車の窓や鉄道草 などは、寺山に捧げる私の拙句である。