超人日記・作文

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

日々の随筆・啄木と寺山

2024-09-27 00:03:29 | 無題
寺山修司著『啄木を読む』は一冊の本にまとめられているが、
実際は、他に、「太宰・中也を読む」や、「鏡花を読む」
「乱歩・織田作之助・夢野久作を読む」「江戸を読む」も
収録されていて、一冊丸ごと啄木論ではない。
そういう、嘘つきなところも含めて、寺山らしいと言える。
この本の中で、一人の歌人で一つの時代の青春を
代表させることができたのは啄木までだった、と説き、そうした意味では、
啄木は「最後の歌人」であり、以降、啄木以上に歌人らしい
歌人は出現しなかったと、寺山は言う。
少年時代の啄木は、「ふるさとを愛しながら、ふるさとにいることが
できない」という矛盾に悩まされていた、と寺山は言う。
その点では「誰か故郷を思わざる」を書いた寺山も同じだった。
都会に出て、改めて思い出す、故郷とはそういうもの、という
寺山の強烈な家出論に通じるふるさと観である。
啄木の「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば
指のあいだより落つ」という歌を挙げて、故郷の柱時計と、
故郷を出てさ迷っている自分の砂時計の対比を連想している。
「大いなる彼の身体が憎かりき その前にゆきて物を言う時」という歌の
大いなる彼の身体とは、やがて来る次の時代を指していると彼は言う。
「われ泣きぬれて 蟹とたわむる」情景を詠んだ啄木は、
自分の悲しみを愛していた。その啄木を、憧れを隠しつつ、寺山は見ていた。

恋人にわれは昭和の啄木と胸張って言う寺山の自負
コメント
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