閑さや岩にしみ入蝉の声
つっかです。
松尾芭蕉の『奥の細道』の句。
山寺、立石寺で詠まれたものです。
なんでも、
初めの案は、
「山寺や石にしみつく蝉の聲」
らしく、
その後、
「さびしさや岩にしみ込む蝉の聲」
となり、
現在の形へとなったそうです。
この蝉は何蝉かという議論もあるそうで、
この句が詠まれた7月13日(現在の太陽暦に換算)だと、
山形に油蝉がいるのは稀なんだそうです。
そもそも、
俳句を詠みながら歩いたわけではなく、
メモを見ながら、
後で俳句を詠んだのですから、
そんな議論は無粋かも知れません。
学生時代、
立石寺に行ったのは7月の末頃でした。
暑い中、
息を切らしながら登りました。
登る事だけに集中したせいか、
あるいは、
暑い中、汗だくで息も絶え絶えだったためか、
「無」のような状態に一瞬なりました。
そんな中の力こんにゃくは、
旨かったし、
本当に登る力が復活したなぁ~。
静寂とは違いますが、
この句からその時の事が思い出されるのです。
まぁ、芭蕉は健脚だったでしょうから、
息を切らして失神しそうな私の心境とは違うでしょうね。(笑)
つっかです。
松尾芭蕉の『奥の細道』の句。
山寺、立石寺で詠まれたものです。
なんでも、
初めの案は、
「山寺や石にしみつく蝉の聲」
らしく、
その後、
「さびしさや岩にしみ込む蝉の聲」
となり、
現在の形へとなったそうです。
この蝉は何蝉かという議論もあるそうで、
この句が詠まれた7月13日(現在の太陽暦に換算)だと、
山形に油蝉がいるのは稀なんだそうです。
そもそも、
俳句を詠みながら歩いたわけではなく、
メモを見ながら、
後で俳句を詠んだのですから、
そんな議論は無粋かも知れません。
学生時代、
立石寺に行ったのは7月の末頃でした。
暑い中、
息を切らしながら登りました。
登る事だけに集中したせいか、
あるいは、
暑い中、汗だくで息も絶え絶えだったためか、
「無」のような状態に一瞬なりました。
そんな中の力こんにゃくは、
旨かったし、
本当に登る力が復活したなぁ~。
静寂とは違いますが、
この句からその時の事が思い出されるのです。
まぁ、芭蕉は健脚だったでしょうから、
息を切らして失神しそうな私の心境とは違うでしょうね。(笑)
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