荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

雑司が谷の路地に、「雑二ストアー」があった。

2018年07月14日 | 散文
雑司が谷の路地に迷い込んでいます。




住宅街の通りへ出て来ました。


この道を行きます。


ん!?「雑二」?
店舗のようですが、向こう側の通りが見えます。


行ってみます。
左右に民家があります。


ここが「ストアー」ですかねえ?


左右とも八百屋かなあ?


そっと通り過ぎて振り返ります。
何か不気味さ漂う空間です。
これで客がくるのかなあ?


そそくさと出口へ向かいます。


外は明るいです。
何だかホッとしました。


あの空間を、自転車を押して通り抜けて来ました。
あそこは異空間です。


出た所は「雑司が谷弦巻通り商友会」です。


生還した思いです。


「雑二」って、「雑司が谷二丁目」の事なんでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

史跡 江戸城外堀跡 牛込見附(牛込御門)跡

2018年07月14日 | 散文
手前の水路は江戸城の外堀です。
その向こうの土手から向こうが江戸城の敷地です。


説明板に沿って話を進めます。
「この石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために『見附』と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置した『桝形門』という形式をとっています。」




「この牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建築されました。」


これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、石垣の下に保存されています。」




「江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする『上州道』の出口といった交通の拠点であり、また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。」




その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも最も良く当時の面影を残しています。」


「この橋は、『牛込橋』といいます。『御府内備考』によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、牛込口とも呼ばれた重要な交通路でした。」




また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる以前は広大な草原で、その両側は、『番町方』(千代田区側)と『牛込方』(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。」


最初の橋は、寛永13年に外堀が開かれて時に阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。現在の橋は、平成8年3月に完成したもので、長さ46メートル、幅15メートルの銅橋です。」
平成8年3月


あの外堀が千代田区との境です。


橋を渡ると新宿区です。


神楽坂に繋がっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする