荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「猿江」の地名の由来とは(猿江神社)

2018年07月20日 | 散文
前回の扇橋閘門耐震工事の続きです。

新扇橋の袂に、「猿江船改番所跡」の案内板があります。


「猿江」って、変わった地名です。
この新扇橋の南(右)側の地名が「扇橋」、北側が「猿江」です。


地名の由来を訪ねました。
すぐ近くに「猿江神社」があります。






境内脇に「猿江地名発祥之地」碑がありました。

やっぱりこういう事は神社か寺院を訪ねれば手掛かりがありますね。

拝殿の手前に「猿江神社由来記」がありました。


読み辛いですが。

なるほど、源頼義の頃の発祥ですか・・・。
「猿藤太」と「入江」の合成ですか。なるほど。

「由来記」にある「猿江稲荷神社」と「日蓮宗寺院本覚山妙寿寺」も探しましょう。
拝殿脇を通って、神輿蔵前を抜けて、裏側へ行きます。




「猿江稲荷神社」銘の灯篭があります。


猿江神社拝殿の真裏に稲荷神社がありました。


ここかな?

普通の稲荷神社の様です。

と思って、道路の向かい側を見ると、そこにありました。
「妙寿寺 猿江別院」と「猿江稲荷社」が隣り合わせです。


猿江稲荷神社にお参りして、疑問が解けました。


猿藤太の屍が流れ着いてから1000年近く時代が下って、ここが入江だったなんて想像もできません。
鳥居前はマンション街です。

現在の海は、およそ10km先です。
大雑把にいうと、海までの間に複数の相撲部屋、清澄庭園、松平定信の墓、阿茶の局の墓、富岡八幡宮、洲崎球場跡、夢の島公園等々があります。
陸の隆起もあったでしょうが、よく埋め立てたものです。
「隔世の感」とはこのことですね。



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扇橋閘門耐震工事を見に行くー3

2018年07月20日 | 散文
前回の続きです。

小松橋から新扇橋橋へ来ました。


橋げた脇には扇橋閘門の説明があります。


岸壁のテラスには、現在行われている耐震工事の説明があります。


この扇橋橋から工事の全容が良く見えます。


橋の袂には「民営機械製粉業発祥の地」碑があります。


右の銅板を読みます。
「 明治12年(1879)、明治を代表する実業家雨宮敬司次郎は、水運の便のよい小名木川に着目して、この地にそれまでの水車動力に代わる蒸気機関を動力源とした、民営では最初の近代機械製粉所「泰靖社」を創設しました。
 欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は、蒸気機関のほか石臼製粉器、節器などの製粉装置を米国から輸入して製粉事業の経営に成功をおさめました。
 雨宮の製粉事業は東京製粉合資会社に受け継がれ、明治29年(1796)に日本製粉株式会社に改組されました。また、小名木川沿岸には明治30年代に製粉会社が次々と設立され、全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。こうして泰靖社は、小名木川沿岸にさまざまな近代的工場が進出してくるさきがけともなったのです。
 なお、明治初期の機械製粉所には、開拓使により札幌に設立された磨粉機械所(明治9年〔1876〕)、大蔵省による浅草蔵前の製粉所(明治12年〔1879〕)の2つがありましたが、これらの官営製粉所はともに日本製粉株式会社がその事業を継承しました。
 江東区」

東京製粉があった場所から小名木川と扇橋閘門を見ますが、その痕跡もありません。


再び工事現場を見ます。


閘門左にあった管理室も取り壊した様です。


・・・これはカヤックの活動を工夫しなければなりませんね。


活動していた時の扇橋閘門の様子です。






「民営機械製粉業発祥の地」碑の反対側の袂には、「猿江船改番所跡」の説明板がありました。
色々な歴史がある小名木川周辺です。


記載の「猿江」って、変わった地名です。
近くには「猿江神社」があります。
行ってみます。
報告は、後日。

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