荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

薮上の町から藪下通りへ、

2018年07月30日 | 散文
「千駄木ふれあいの杜」脇の石段を上がります。


崖の途中に民家があります。
こんな場所です。




上がった所は「旧駒込千駄木町」です。


上がった所の住宅街を、ある目的があって東へ行きます。


すぐに石段があります。
南側は先程のふれあいの杜脇の石段です。
つまりここは、本郷台東崖縁です。


左右を見ながら石段を下ります。
右の民家の庭木が立派です。


左側は更地になっています。


崖下に路地があります。


振り返ります。


左右を見ます。




この路地が「藪下通り」です。


見上げるのは、先程の石段脇の民家の庭です。


つまり、あの崖の上の「旧駒込千駄木町」が「薮下通り」の上の、曰く「薮上町」なのです。



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「千駄木ふれあいの杜」へ行ってみた。

2018年07月30日 | 散文
千駄木の住宅地の奥に、鬱蒼とした杜があります。
大きな椎の木と楠が見えます。


「千駄木ふれあいの杜」です。


注意事項やオリエンテーションの案内があります。






小さな門があります。


遊歩道を行きます。
当然、誰も居ません。








注意書きがありますが、おそらく欠けた上半分は「まむし」だと思います。


薮蚊が一杯集まって来ます。
腕で振り払いながら遊歩道を行きます。


立ち入り禁止地区が至る所にあって、行動が不自由です。




「江戸時代、この辺りは太田道灌の子孫である太田備中守資宗が三代将軍徳川家光から賜った下屋敷で、現千駄木1丁目一帯に及ぶ広大な屋敷でした。


そこからの眺めは、「太田備牧駒籠別荘八景十鏡誌・画巻」(詩:林鵞峯・筆:林梅洞・画:狩野安信)に描かれています。
そこには涌き水を源泉とする池があり、明治以降これは「太田が池」と呼ばれました。近くには森鴎外、夏目漱石らの文人が住まいを構え、その作品の中に当時の風景を書き残しています。


昭和の初めまでに「太田が池」はなくなりましたが、昭和40年代まで屋敷内の庭には涌き水が残っていました。


しかし時代の変遷とともに、その涌き水も涸れ、本郷台東縁崖線の姿を伝える崖地の緑も、現在は「千駄木ふれあいの杜」を残すのみとなりました。


「千駄木ふれあいの杜」は、所有者である太田氏(道灌の子孫が現存していることに驚きました)と文京区との間で契約が結ばれ、平成13年10月より市民緑地として一般公開されてきましたが、できる限り樹林を後世まで残すよう配慮することを条件として、平成28年3月に太田氏より区に寄附されました。
区ではその意向に沿うよう、都市に残る多様な動植物の生存空間(生物多様性)の保全をする都市公園(都市林)と位置づけ、多くの方が自然に親しんでいただけるよう公開しています。」


出口にノートがありますが、蚊に追いかけられているので逃げ出しました。


公園の脇の崖に石段があります。
行ってみます。

コメント (7)
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