荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

猛暑日の根津教会/2018年

2018年07月26日 | 散文
真っ青な空に、クッキリと教会が立っています。


一方、太陽光が射さない玄関先は、ちょっと秋の黄昏れの風情があります。


壁に張り付いた様な窓です。
日陰だからでしょうか、立体感がありません。


そんな微妙な陽射しの中で、長屋と共存する教会の風情です。
キリスト教が下町に馴染んだ風景です。


バイクがあっても生活感の無い長屋の玄関先と、元々生活感の無い教会の窓です。


陽射しを正面に受けないこの景色は、猛暑日らしく無いけど、ちょっと好いです。

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猛暑日の平賀源内の墓

2018年07月26日 | 散文
隅田川に架かる白鬚橋を西に渡って坂を下ってすぐ、明治通りにこの石碑があります。
陽射しが強いのが分かると思います。


この角を曲がってすぐに、平賀源内の墓所があります。
「国指定史跡」でもあります。




塀の中は涼しげです。


入り口の前には案内板があります。


入り口が鉄扉でカンヌキが掛かっていますが、鍵は掛かっていません。
従って、自由に入ることができます。


入ったら、いつも扉は開けておくことにしています。
だって、誰かに閉められたら出られなくなるもの。


門の脇には、各種墓掃除の道具が置かれています。


道具が錆び付いている割には、園内は手入れが行き届いていて涼しいです。






平賀源内の墓です。






後ろにあるのは従僕の墓と聞いたことがあります。


更に奥へ行きます。


奥には、源内が生まれた旧高松藩最後の藩主の息子である松平頼寿伯爵(後の貴族院議長)の「平賀源内先生逝かれて百五十年」で始まる額文があります。

四国の北側の瀬戸内海に面した土地は、温暖で風水害地震が少なく物成りが豊かなので、徳川の親藩が置かれていました。西条藩は徳川御三家紀伊藩の分家だし、松山と今治藩は家康の異父弟兄弟がそれぞれの藩祖です。
昭和初期になっても、徳川家に繋がる殿様とその家来の封建気分が社会にも残っていたのでしょう。
松平伯爵は、150年前に死んだ源内を旧領の家来気分で揮毫したのだと思います。

裏側にもびっしりと刻まれています。


その後ろには、数基の墓石があります。


家族の墓と聞いたことがあります。


そんなこんなを見学しながら、酷暑の東京でホッと一息涼をとっているいる次第です。

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