荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

引越ししたみたい、井戸のある家

2024年11月28日 | 散文

時々この路地を訪ねます。ここには井戸が有って、子供のおもちゃが家の前に有りました。一度TVで紹介された家族の住まいです。

今日はこんなものが置かれていました。鏡台です。子供の遊び道具になったのだろうか?

あのガラス戸の家です。

えっ!・・・井戸が有りません。

人の気配がありません。そう言えば、前回の訪問時でも違和感を感じていました。

前回はまだここに井戸があったのです。引越ししたようです。TVで素敵な子育てをしている家族でした。

借家だったと思います。古くて、ちょっと傾いているようでもあります。ひょっとしたら、大家が取り壊して新しく建て直すのかも知れません。

根津でも少ない、古い形態の住宅です。郷愁を誘われる風情が好きで、時々訪ねていました。

第三者の利己主義的願望と承知の上ですが、残して欲しい風景です。


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2 コメント

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井戸だけでも・・・ (藤森照幸)
2024-11-29 15:30:38
何時何時、震災など起こるやも知れづ、電気が四国の様に四時間も止まれば、東京も水の無い世界に成りうるでしょうね。そんな時、人力の井戸が有ればどれだけ助かるか、・・・・。もともと、長屋は「井戸」一つに幾軒が寄せ集まって作られていたはずです。井戸端会議の発祥地ですね。関東大震災でも、釣瓶井戸は、大変役立ったそうです。東京都も文化財としても残しておくべきでしょうに。「ざんねん」私ば育った広島では、家の中に井戸がありました。水道は昭和26年に、我が親父様が器用に共同水道から三軒分分岐させて使用していました。しかし、台風になると、停電して、給水塔がある山の上まで水が送られず、皆我が家の井戸迄、水汲みに御出ででした。昭和40年代には、この井戸の水で、水冷のクーラーを、・・・。この井戸も水で洗った魚の「あらい」は、おいしかったなー。
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藤森照幸さん (荒川三歩)
2024-11-29 17:47:42
井戸に関する大切な思い出をお持ちですね。私も中学生になるくらい迄井戸でした。風呂を沸かす時の、釣瓶で汲み上げて風呂に運ぶ作業は大変でした。
郷愁を誘う話です。
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