気が逸ります。今住んで居る方ごめんなさい。居住スペースに踏み入ります。
38年前に住んでいたそのままの姿です。あの4階に住んでいました。
車止めブロックが有るあそこが私の駐車場でした。
見上げます。あの角の奥に住んで居ました。
居住者の方ごめんなさい。上がってみます。スロープが設置されていました。外観で大きな変化があったのはここだけでした。
郵便受けも変わっていました。
昔と一緒で階段しか有りません。息を切らせて住んでいた4階に来ました。この奥です。
4階から見る景色です。中学校が変わらずに在りました。伊丹空港の影響で、騒音の為に、眼の前の道路から向こうは、NHKの受信料が半額でした。
奥から2番目の部屋です。ここから先の3軒は、同時期に入居した同じ年頃の新婚家族でした。妻どうしはとても仲良くしていました。夫どうしは、時々休日に話す程度です。皆んな「バブル経済」突入直前のサラリーマンでした。
この部屋に住んでいました。全く変わっていません。デジャブのようです。
突き当りの階段から覗くマンションの裏です。マンションが建っていました。当時は広い空き瓶置き場でした。ある日突然、早朝から瓶の撤去作業が始まったのを覚えています。予想通り、こうなりましたか。
廊下の突き当りからの風景です。住宅が密集しています。私は奥まで来ることが少なかったので記憶が曖昧ですが、田圃だったと思います。
振り返ります。
ここが住んでいた部屋のキッチン窓です。今も変わらない間取りだと思います。
住んでいた部屋の前の風景です。
ここで長男と次男を授かりました。ここで一緒に住んだ女性たちは同年代で、同じように子育てをして、皆んな仲が良かったです。
名残惜しいですが、怪しい者じゃないので、そそくさと退出します。