荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

稀勢の里が引退した日の田子ノ浦部屋周辺

2019年01月17日 | 散文
部屋がある小岩の商店街から行ってみます。
優勝時や横綱になった時には一杯応援の貼紙が出ていましたが、今日あったのはこの店だけです。

まあ、熱烈なファンでなければこんなものです。
他の部屋の周りにはな~にも無いもの。
「ありがとう稀勢の里」も出ていないけど・・・。
明日になったら出るかな。

部屋の近くの寿司屋です。
稀勢の里行きつけの店だと、昨夜のニュースに登場していました。
この店は田子ノ浦がここに引っ越して来て以来ずっと応援してきました。


同じく近くの蕎麦屋も同様に、ずっと稀勢の里を応援していました。


部屋へ行ってみました。
引退発表が終わり、親方や力士達が本場所中の国技館へ行った後なので、マスコミも誰も居ません。


部屋の近くには有名な善養寺の「影向の松」があります。




天然記念物の、1本の松です。






お寺の裏は江戸川です。
土手から見ます。


土手の景色です。


あれ!?
これって、
そう、あの「下町ロケット」の土手です。




実は、田子ノ浦部屋の近くなのです。
稀勢の里の引退の日の、土手の景色です。






次にこの部屋に来るのはいつでしょうか?


稀勢の里は荒磯親方を襲名してこの部屋に居るそうですが、高安の優勝の時でしょうかねえ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稀勢の里が引退した日の国技館前

2019年01月16日 | 散文
今朝稀勢の里が引退発表した事を知りました。
いつもに増して凄い人出です。




風が強い日です。


稀勢の里の幟が一番左にあります。
今場所東の正横綱だから・・・。
千秋楽までこの幟は残っているのでしょうね。


切符売り場の「完売御礼」の画面が替わると、


「引退力士のお知らせ」が現れました。
やっぱり引退したんですね。

その向こうの入り口が混雑しています。
相変わらずの相撲人気ではあります。

今日の「もぎり」は元関脇寺尾の錣山親方です。
相変わらず人気者です。


この幟ももうすぐ見られなくなります。


両国駅前のグッズ販売テントにあった三横綱の絵です。
待望の日本人横綱だったのに残念です。
貴乃花もそうだったし初優勝したときの照ノ富士も稀勢の里もしかり、怪我したのに無理して相撲を取って優勝したけど、その代償は大きいです。
二人の横綱と横綱候補を失いました。
周囲も考えないといけないと、しみじみ思いました。


明日から稀勢の里は「荒磯親方」になるらしいです。
この相撲人気を引き継ぎます。


己の経験を踏まえて、次代の関取を育成してもらいたいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩の町商店街の娼館跡ー1

2019年01月16日 | 散文
墨田区に「鳩の町商店店街」があります。
昔の賑やかだった頃の写真を引っ張り出してみました。


かつては「赤線」で賑わった場所です。
ここに「赤線」があった事を知る人が少なくなりました。
行った事がある人はもう殆ど故人になっています。


ここは私の好きな商店街の一つでよく通る道ですが、「赤線」の名残りはありません。


先日、商店街の裏に迷い込んで、それらしい建物を見付けました。
以降、現在の写真です。


改めて娼館の痕跡を探してみました。
ここは、前回偶然行き当たった元娼館らしい建物があった、商店街から1本入った路地です。
タイルを貼った円柱が娼館の特徴です。


大きな窓もあります。




窓の上にはコンセントがあります。


おそらくここからコードを引いて、窓の上に電灯を付けていたと推察できます。


いずれ無くなってしまう歴史の名残りです。


現在はアパートでしょうか?
今はもう下町の生活に溶け込もうとしています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬晴れの「鳩の町商店街」に入って行く。

2019年01月15日 | 散文
東向島1丁目交差点です。
工事中の建物は元「繁盛スーパー」でした。


現在マンションが建設中です。


時計はもうずっと前から止まったままです。




冬の空が目に凍みます。


商店が廃業していきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「及川茂鳩舎若大将系」看板に出くわす。

2019年01月15日 | 散文

古い建物とごちゃごちゃの電線の上にスカイツリーがそびえる下町の路地に居ます。


上を向いて歩いていたら、「及川茂鳩舎若大将系」の看板に出くわしました。
これって、人名が付いた鳩小屋ってことですよね。


この奥のようです。


路地から見上げると、あそこに鳩小屋があります。
中・高生の6年間、鳩を飼っていました。
飼っていたのは血統書の無いドバトだったので、血統書付きの鳩に憧れていました。
あそこに血統書付きの鳩が居るのだろうか?
だとしたら、憧れのその世界に人生最接近していることになります。


鳩の鳴き声が聞こえます。

表路地に戻って再び看板を見上げていたら、ご婦人があの路地から出て来ました。
思い切って質問しました。
「この看板にある若大将って、鳩の血統のことですか?」
「ええ、ここには居ないけど、2本目の角を左に曲がったら4軒目位に鳩舎があります。そこに居ます」
どうやら、若大将系の鳩はそちらに居るようです。
行ってみます。

ここのようです。
すぐに分かりました。金網に鳩の絵が描かれているもの。


「若大将」の文字があります。
外国でも有名な鳩なのでしょうか?
英語記載ですもの・・・。
伝書鳩はベルギー血統が強いと聞いています。


正面から見上げます。
金網の中は階段です。
普通、鳩が上空からよく見えるように、鳩小屋というか鳩舎は最上階にあります。


5、6階の高さに鳩小屋があります。


あそこに「若大将系」の、血統書付きの鳩が居るわけですね。
憧れの世界があるのでしょうねえ。
これは、私のような素人がのこのこの入って行く場所ではない雰囲気です。


凄いのだろうなあ。
てか何が凄いって具体的に言えませんが、鳩から施設から飼育方法から、何から何まで凄いのだろうなあ。


・・・そもそも「若大将系」って、何んだろう?
帰宅後パソコンで検索したら、思った以上に凄いページにアクセスできました。
鳩好きにはたまりません。

及川鳩舎

ここ押上はスカイツリーの麓にあります。
高い建物は鳩の良い目印になります。
でも縦横無尽に走る電線は、邪魔っけだろうなあ・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今頃の不忍池

2019年01月14日 | 散文


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新大久保から大久保へ(百人町のプライド)。

2019年01月14日 | 散文
山手線・埼京線の新大久保駅が見えてきました。
異国情緒タップリの街です。


横断歩道を渡ります。


韓流店を見上げます。
向こうから見下ろされています。


ガード下へ入ります。
壁画がありました。


皆仲良くしている楽しそうな絵です。




ガードをくぐり抜けると百人町です。
日の丸があって、ガラリと雰囲気が変わりました。


隣の新大久保との違いを強調しているように見えます。


「百人町明るい会商店街」に来ました。


韓流店が無くなりました。


中央線大久保駅が見えてきました。


ガード下に「江戸幕府鉄砲組百人隊と大久保つつじ」の説明板がありました。
天正18年(1590年)徳川家康が江戸入府の際、内藤氏に率いられた伊賀組などの鉄砲同心は、江戸の西の警備にあたるために駐屯しました。関ヶ原の戦いの後、幕府は鉄砲組に組屋敷を与え、現在の百人町に定住しました。鉄砲組は同心百人を配属されたので百人組と呼ばれ、百人町の地名の由来になりました。平時は、江戸城の警護にあたり、将軍が寛永寺、日光東照宮などに参拝する際には警護にあたりました。


大久保村付近は、つつじの自生地であったとされますが、鉄砲組は定住後、屋敷内で余暇を利用して、つつじの栽培を行いました。やがて名所として江戸で評判となり、「江戸名所図会」「江戸名所花暦」などに紹介されています。つつじ栽培は、明治維新以降、一時衰退しましたが、明治16年に大久保躑躅園が開園し、一万株ものつつじが栽培され明治時代花見客で賑わいました。明治天皇が、大久保つつじの短歌を詠まれ、それを記念した歌碑が皆中稲荷神社に建立されています。


その後、日比谷公園ができると大部分のつつじが移され、町の発展の歴史と共に姿を消していきました。しかし、「大久保つつじ」への愛着は強く戦後になって毎年4月、ゆかりの深い皆中稲荷神社において、地元商店街の二世会の若者たちによって「大久保つつじ祭り」が行われるようになり、昭和47年には新宿区の花に指定されました。また昭和36年からは、「江戸幕府鉄砲組百人隊出陣行列の儀」が地元有志の尽力により行われるようになり、平成14年に新宿区無形民俗文化財として登録されました。
大久保壁画制作委員会

なるほど、誇りを持った壁画ですね。

大久保駅を過ぎて小滝橋通りを北上したら、柏木教会がありました。
歴史があって、色々な文化が共存している街のようです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新大久保へ行ってみた。

2019年01月13日 | 散文
明治通りから大久保通りを入って来ました。


韓国っぽいです。


平日なのに随分と賑わっています。




歩道にはテイクアウト店が多くあります。


新大久保は立ち食いの街です。






最近、食べカスを道に捨てて迷惑しているとの新聞記事を読みましたが、歩道はきれいです。


それにしても凄い混雑です。
老若男女、邦人外人雑多な人々がひしめき合っています。


彼らには戦後最悪と言われはじめた日韓関係は全く関係ないようです。
「好きなものは好き、です。


この感性は好ましく思いますが、感性だけに頼っているとマイナス方向に振れた時が大変です。


感情だけで行動するのではなく、理性的に行動するのが大人の対応でしょう。


韓流百貨店がありました。
異国情緒たっぷりな街です。


遠くに新宿のコクーンビルが見えます。
この大久保通りはヘイトスピーチの街宣車がよく現れる街ですが、皆が仲良くするのは悪いことなんですかね。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成最後の初場所が始まる。

2019年01月13日 | 散文
大相撲1月場所が始まります。
左側は外国人向けのチラシです。
裏にはチケットの買い方の案内等があります。


国技館に幟が出されました。
幟の真ん中の冬空にスカイツリーが立っています。


鮮やかな幟が出ると、勝手に気分が高揚します。


もうすぐこの道を相撲取りが闊歩します。


幟と櫓の画が、名勝負の期待を高めます。


幟は番付順に並べられます。
この1月場所は、記録的な並び順です。

4戦4敗1不戦敗の稀勢の里が一番左です。
2番の白鵬も3番の鶴竜も先場所全休したので、出場した稀勢の里が1番です。
先々場所全勝優勝して先場所東の正横綱の番付だった白鵬が2番目というわけです。
全敗でも出場した者の番付が上になるのですね。

切符売場のこの表示を初めて見ました。
「販売可能な座席が無いので休業」するとのことです。
不祥事やゴタゴタがあっても、相変わらずの大相撲人気です。


国技館入り口です。


壁際には3横綱の立て看板があります。


相撲ファンとして、全員が最後まで土俵を務めることを願います。
・・・願望のレベルが低いです。


国技館入り口からの景色です。
冬の青空の下、2019年最初の大相撲、そして平成最後の初場所の準備完了です。
どんなドラマを提供してくれるのでしょう。
さあ!!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「まねき通り」から「あかるい花園八番街」を行く。

2019年01月12日 | 散文
ここで改めてこの街の地図を再確認しておきます。

花園街には既に紹介したとおり1、3、5街があります。
何故奇数だけなんだろうと思っていたら、一番上に「八番街」がありました。

そして、一番左(西側)に「まねき通り」があります。


「まねき通り」を行きます。


すぐに行き当たりが見えます。
どの通りも短くて狭い路地です。


端に来ました。


振り返ります。


出た所が八番街でした。


このように、狭い場所にごちゃごちゃと個性的で楽しそうな店が詰まっている飲み屋街でした。
で、2、4、6、7番街は無くなったのでしょうか?


これで、学生時代から一方的に偏った観点から憧れていた「新宿ゴールデン街」に初回訪問した訳です。
次は夜ですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あかるい花園五番街」を行く。

2019年01月12日 | 散文
「花園三番街」から隣の路地へ移動します。
路地と路地の間の幅が狭い1軒だけのスペースには、噂に聞いた「ゴールデン街劇場」があります。


「五番街」です。
ニューヨーク以外にも五番街があります。

ここにも「マリー」が居そうです。

自転車を押しながら行きます。


好い感じです。
夜、入ってみたい店構えです。


更に行きます。


隣の三番街へ通じる路地です。


もう終点が見えてきました。




突き当たります。


そこは「まねき通り」です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あかるい花園三番街」を行く。

2019年01月11日 | 散文
入り口にアメリカ映画のヒーロー・ヒロインの絵がある通りです。


路地毎に特徴があります。
楽しいです。


自転車を押しながら行きます。


「スエズ・スエズ」と読めば良いのでしょうか?
「スズエ・スズエ」でしょうか?


曇り空を見上げながら歩きます。




終点です。
正面2階は花園神社の境内です。


振り返ります。
こんな路地です。


工事中のお兄さん小父さん、お邪魔しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花園一番街」を行く。

2019年01月11日 | 散文
ゴールデン街から「あかるい花園まねき通り」に出ました。
次の角を覗きます。
飲み屋街です。


好い感じです。


自転車を押して入って行きます。


このちょっとピンぼけの画像がこの路地の雰囲気を捉えているように思います。


隣のゴールデン街G2通りへ通じる路地です。


終点が見えてきました。
花園神社があります。


終点です。


引き返します。


再び飲み屋街を行きます。








こんな路地です。


終点の「あかるい花園まねき通り」が見えて来ました。


隣にも路地があります・・・。
この話、まだ続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おかず横丁」の正月風景/2019年

2019年01月10日 | 散文
真冬の陽射しが射している横丁に入って行きます。


1月7日の朝です。
まだ「松の内」です。営業していません。


和菓子屋は営業していました。


横丁を行きます。


営業を止める店が多くなってきました。
ここに何屋があったか思い出せません。


この漬け物屋は時々TVに紹介されます。




この看板が、この不景気下での店主の本音ですね。
政府の発表と違って、私は不景気になっていると思います。


商店街の中央部です。
改めて見ると、商店会としての正月飾りが無いです。
これは寂しい・・・。せめて正月飾りくらい・・・。


更に行きます。




魚屋が営業していました。




こんな正月風景でした。


ちょっと心配です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新宿ゴールデン街」を歩いてみた。

2019年01月10日 | 散文
もう1筋のゴールデン街を行ってみます。




短い通りです。


地図があります。
つまり、「ゴールデン街G2通り」にいるようです。
赤枠のゴールデン街の隣には青枠の飲み屋街があるようです。

後ほど行ってみます。

引き続き自転車を押して歩きます。


店の多さは圧巻です。


昼間では、私のイメージしているゴールデン街らしさが見えません。


通り抜けて振り返ります。
正面に花園神社が見えます。


ゴールデン街と直角に、南北の路地があります。


飲み屋が並んでいます。


「あかるい花園 まねき通り」という飲み屋街です。
「花園神社」からの命名だと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする