荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

綱敷天満宮境内

2022年06月24日 | 散文

綱敷天満宮境内に居ます。ここには多くの分社や神社が祀られています。その中で、故郷に固有の神社を紹介します。

 

「田坂八幡神社」です。後ほど紹介しますが、「槍の名人 田坂槍之介」を祀っています。その子孫は代々郷土に暮らしていて、教諭を退職して塾を経営していた田坂先生もその一人だと思います。

 

そしてこちらにも、おそらく固有の神社が合祀されています。

 

これらの神は、単に私の知識不足かも知れませんが、他所で見たことはありません。

 

特に興味深いのは、ここ桜井地区の「開祖  桜川神社」が祀られていることです。随分古くから拓けた町のようです。明治期に予讃線が開通したとき、高松からの終着駅は「桜井」でした。「今治」にも「松山」にも鉄道が敷かれていませんでした。先ずは、当時の商業が盛んな町まで開通させたようです。

 

さて、ここが私の卒業した保育園です。ここまで綴った歴史などに何の関心も無く、毎日ご機嫌さんで遊んでいたように思います。

 

いつの間にか建物は変わっていますが、当時と同じ場所に建っています。国立公園の松林の中です。ここから「衣干岩」迄、およそ1kmの遠足でした。

 

保育園の前は西参道です。

 

西の鳥居側に在る保育園です。

 

ここにも説明板が立てられています。「桜井名物として名高い、えびかにの料理がある。」と書かれています。帰省すればほぼ毎晩、シャコを含めた甲殻類を食べます。私の好物なので、何も言わなくても昔は母が、今は妹たちが用意してくれます。そのせいか、30代から痛風の薬を飲み続けています。

さて、名勝 志島ヶ原を後にします。

「槍の名人 田坂槍之介」はこちら

「桜川神社」の話はこちらをご覧ください。

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綱敷天満神社

2022年06月23日 | 散文

瀬戸内海国立公園の松原に鎮座する綱敷天満神社です。地元では「綱敷天満宮」との呼名の方が多いように思います。広大な境内なので、日光を遮るものが無いので眩しいです。

 

正面です。

 

振り返ると、松原に参道です。遠く、前出の「椀船の港」に通じます。

 

絵馬堂を見上げます。

 

何が描かれていたのか分からないくらい古いものが奉納されています。

 

 

 

 

 

天満神社におなじみの、菅原道真公に関する石彫です。筆塚です。

 

牛です。

 

鶯です。筆塚や牛はどこの天神にも有りますが、鶯は珍しいと思います。そして、どの石彫も大きいです。漆器で栄えた豊かな町だったことが分かります。

 

3年ぶりにお参りします。

 

厳か感があります。正面の扁額は「天満宮」です。

 

なお、最初の天満神社はここから1Km弱離れた場所に在って、今でも大切に祀られています。古天神の祭礼です。

古天神も新天神も同じ日に祭礼が行われます。何処にこんなに人が居たのか?と思うくらい集まって来ます。若者が帰省して盛り上げます。

祭礼の様子1です。

祭礼の様子2です。

祭礼の様子3です

今日はこの記事で終わりです。ゆっくり読んでください。

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名勝 志島ヶ原 厳島神社 月賦販売発祥の地

2022年06月22日 | 散文

先ずはお読みください。

 

広大な松林です。広い広い綱敷天満宮の境内です。

 

海からの参道です。

 

境内には多くの分社が在ります。海に一番近くには、厳島神社の分社が在って、お盆には「宮島さん」と呼んでいた、子供の成長を願うお祭りがあります。

 

日清戦争従軍碑(東京でも「日露戦争」の従軍碑はよく見ますが、日清戦争は珍しい)等、境内に多く有る石碑の中で比較的新しい物ですが、「全国月賦百貨店連合会」建立の石碑です。

 

桜井は「月賦販売発祥の地」なのです。既報の「椀船の港」から漆器の行商を行っていました。漆器は高価な物です。高価な物を売買するに際して、「月賦払い」を考案したのです。

子供の頃小学校で、「文字が書けない農家の人達は、相手と月賦残高を暗記していて、間違える事が無かった。益々信用が高まり、大いに商売が繁盛した」と教わりました。・・はい、地元びいきの先生でした。

 

名勝志島ヶ原の主とも言える、綱敷天満宮です。

この話続きます。

「宮島さん」のお祭りはこちら

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史跡 御台場跡

2022年06月22日 | 散文

ああ、益々崩れていますねえ。

 

ここは御台場跡です。東京湾のフジテレビが在るお台場とは随分趣は違いますが、その役割は一緒です。

 

説明板が有ります。

「ペリーがこんな田舎に攻めてくるわけが無い!!」と今では笑い話ですが、当時の松山藩は真剣だったのです。幕府から言われるし、、

 

御台場跡だと言われなかったらわからないくらい低くなっています。

 

 

松が生い茂って益々何だか分かりません状態です。

 

すぐそこが桜井海岸です。いつ見ても穏やかな海です。

 

瀬戸内海の向こうの四国山脈の上に雲が掛かっています。

山脈の向こうの高知県と違って、この景色は向上心の無い人間を創り上げます。物成りが良くて、いつでも漁ができて、あくせく働かなくても食べていける。そんな故郷です。

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史跡 衣干岩

2022年06月21日 | 散文

わあ!!随分松が繁っていますねえ!前回の帰省時には岩の頂上に登ったのですが、、

 

こんな岩です。

 

岩の前にはこんな案内板があります。・・・つまり、訪れる人が多く居るのです。

 

こんな説明板が有ります。

 

石柱も有ります。史跡なのです。

ここは保育園の遠足の場所でした。菅原道真公を祀る天満宮の境内に保育園が、今でも在ります。私はそこのOBです。そこからここに遠足に来たのです。見上げる山のような岩でした。

 

松の根と風化で岩が崩壊しかかっています。保存が必要です。

 

前回の訪問時に登ったのはこちら

 

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史跡 椀船の港

2022年06月21日 | 散文

2ヶ月前から整形外科に通って腰の治療中です。従って遠出はできませんが、10年くらい前に東京から送って納屋に仕舞っておいた自転車を引っ張り出しました。空気を入れて出発です。故郷を巡ります。   先ずやって来たのは海です。干潮です。

 

漁港ではありません。河口にレジャー船を繋留している場所です。

 

ここは史跡「碗船の港」です。

 

「伝え聞く椀船河岸や・・子釣」

 

「椀船の昔思ふや・・・」光溢れる河岸です。

 

さて、そこの石で囲われた小さな港が、昔の「椀船の港」です。

 

堤防には行けなくしています。3年前は堤防の上を歩きました。まあ、老人だし腰痛の治療中だし、行かなくていいです。

 

小さな港を観ます。

 

側の上流はすぐに山です。満潮になったら水没する堤防です。

 

この港から「桜井漆器」を積んだ船が行商に出かけました。

 

主な行商先は九州でした。農閑期は農村からも行きました。そんなに昔の話ではありません。両親の時代まで続いていました。農家の二・三男は行商先で結婚して、向こうの人間になった人も居るといいます。九州の人から、「私の先祖は桜井から来た人です」と言われたことがあります。

そんな歴史がある故郷の海は、いつも穏やかな海です。そうそう、私は瀬戸内海国立公園で生まれ育ったのです。

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農協の稲苗代

2022年06月20日 | 散文

帰省に際して見たかった景色の一つです。越智今治農業協同組合の稲苗代風景です。爽快な風景です。

 

よく見ると、全てが同サイズの箱に植えられています。あの箱を田植え機に設置して植えていきます。以前は各家庭毎に作っていましたが、今は農協が作って農家に売っています。病気で全滅する危険もありますが、少子高齢化の最先端を行く農家対策でもあります。最近は稲が病気になった話を聞きません。農業技術が進化しているのでしょう。

 

向こうに霊仙山が望める梅雨時の風景です。有数の少降雨地域である瀬戸内海沿岸は梅雨の到来を待って田植えを始めます。

 

一部の出荷がが始まっています。入梅の印です。

 

そしてよく見ると、箱を出荷した跡は地面でなくビニールが張られています。こうして稲苗を作るのです。手間が掛りますが、秋の黄金色の収穫を期待させる風景です。

ウクライナ侵攻の世相下、食料自給率を高めなければ、と思います。

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帰省します。

2022年06月20日 | 散文

羽田空港です。3年ぶりに帰省します。2年前に帰省したら、コロナ禍のせいで妹達が会ってくれないばかりか生家にも入れてくれなくて、今治駅前のホテルに泊まって、翌朝帰京して以来です。今回はウエルカムで迎えてくれるのでしょうか?まだコロナ禍が解消したわけではありません。ちょっと不安です。

 

平日なのに空港ロビーは物凄い人でした。飛行機も満席です。おまけにカミナリが通過して、出発待ちです。

 

約40分遅れの離陸です。雷雨明けの空です。

 

いつも左側の窓ぎわの席を取ります。富士山は雲を被っています。

 

瀬戸内海国立公園が曇っています。

 

しまなみ海道です。

 

来島海峡大橋です。橋げたになっているのが馬島で、手前の大きいのが小島で、右の小さいのが来島です。そして今治の町が拡がっています。

 

瀬戸内海国立公園を観ながら飛びます。

 

鹿島です。生前の渥美清さんが隠遁していた島です。

 

多島海の上を飛びます。やっぱりこちら側の席が正解です。

 

 

 

 

 

 

 

3年ぶりに帰省しました。

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石井いり豆店

2022年06月19日 | 散文

帰省します。土産はずっと佃煮と決めていましたが、今回はここの「いり豆」も持って帰ります。遺伝的にお節介な性格です。自分が良いと思ったら他人にも薦めてしまいます。

そもそもは、根津の蕎麦屋の女将さんから頂戴したのがきっかけで、時々買いに来ています。

言問通りを西に下り降りた西片に在ります。店の向かいは樋口一葉も暮らした本郷4丁目です。

 

いり豆と柿の種のみを製造販売しています。私のお気に入りは、わさび味とカレー味です。炒ったそら豆の甘みと味付けの辛さが絶妙で後を引きます。

創業明治20年です。近くに住んでいたけど貧しかった一葉は、ここのいり豆を食べたのでしょうか?

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影を見上げたら鮮やかに風車

2022年06月19日 | 散文

向丘の路地を走っていました。陽射しが強くて眩しい路地です。最初に飛行機の影に気が付きました。

 

見上げると、鮮やかな色彩の飛行機です。

 

なんだろう?と見ていたら、風が吹いて、プロペラが回りました。風車だ!

 

もう一つ、自転車も有りました。

風に車輪が回ります。カラフルな車輪が鮮やかに回ります。

 

この2体が、真夏日の天空に回っています。好いなあ!見惚れています。

 

・・・さて、宛もなく光の中、路地を行きます。

 

 

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浅草のミストシャワー起動!

2022年06月18日 | 散文

真夏日の浅草雷門前の商店街です。人力車夫が元気よく声掛けしています。半袖半ズボンが眩しいです。

 

商店街アーケードからミストシャワーが注いでいます。真夏日にありがたいです。

 

観光客が戻っています。そして「亀十」では入店の行列です。美味しくて評判の名物のお菓子を求めての行列です。

 

雷門前にも活気が出てきました!

このままコロナが収まって、3年ぶりの下町情緒を楽しみたいものです。

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白山神社と紫陽花と孫文

2022年06月18日 | 散文

白山神社は紫陽花の名所です。そこに中国清時代の革命家孫文の碑が有ります。

 

紫陽花の季節です。

 

 

 

 

この先ににも紫陽花の群生があります。

 

 

 

 

グルリと廻って孫文の碑に戻りました。

 

孫文は日本に留学していた時期があり、東京で記念碑が散見されます。皇帝制を排して新しい中国を創るために、アジアの先進国で学んでいました。現在の両方の国を思うと隔世の感があります。

 

孫文が座った石です。留学後、辛亥革命を指導し、初代中華民国(臨時政府)大統領、中国国民党初代党総理になった人物です。

 

「前略  明治43年5月中旬の一夜、孫文先生は宮崎治天寅蔵と共に、境内のこの石に腰掛けながら中国の将来及びその経綸について幾多の抱負を語り合わされて居た折、たまたま夜空に光芒を放つ一條の流星を見られ、此の時祖国の革命を心に誓われたと言ふ   後略」

・・・紫陽花観賞のつもりでやってきたのに、歴史話になりました。

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石原さとみお勧めの西葛西

2022年06月17日 | 散文

石原さとみさんがまっすぐこちらを見ています。ドキリとしました。食料品店からのようです。

 

久しぶりに地下鉄に乗ったらこの看板に遭遇しました。私、今の場所に住む前は15~6年間西葛西に住んでいました。

 

外国人が多く暮らしていた場所です。特にIT関係のインド人が多かったです。「目眩く香りの世界」ですって。今でも異文化食材の店が多くあるのでしょうか?そしてレストランも?

 

彼女はここ数年東京メトロのCMをやっていって、沿線の街を紹介しています。

「久しぶりに今度行ってみますね」

その前にちょっと。

トイレに行きたくての出会いでした。

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滝不動堂と滝野川の地名の由来?

2022年06月17日 | 散文

緑溢れる正受院です。空気が気持ち良いです。

 

お参りします。

 

 

字がかすれた略縁起を読みます。消えかかった文字を判読するのに集中したので内容が頭に入りません。

 

こんな説明板も有りました。この人知っています。この人のお陰で、千島列島が日本の領土だった時代がありました。・・・ここにも「滝野川」が出てきました。

 

近藤藤守重坐像です。石が劣化していて顔が分かりません。

 

さて、ここに来訪をした目的を果たさなければ、と思っていたら、年配の御婦人が出てきました。なんとタイミングが良い。このチャンスを逃してはなりません。人見知りなんて言ってられません。「ちょっとお尋ねします。そこの路地に古い道標が有るのですが、なんと書いてあるのかご存知ですか?」「あれは『たきふどう』と書いています。この奥の御堂の事です」

 

なんと運が良い!お参りします。

 

彼女が言っていました。「御堂の裏に滝が在りました」裏は藪で石神井川が見えません。

 

更に言っていました。「墓地と隣の学校との境に川が流れていました」

 

あの滝御堂の左側に川が流れていて、斜め後ろに滝が在ったのですね。

 

目的以上の成果を得られました。鐘楼門を潜って退出します。

 

ずいぶん知識が増えました。散策の面白さです。

 

門前の路地です。訪問のきっかけになった道標を見ます。帰宅途中の小学生と、茶髪をなびかせて自転車を漕ぐおネエチャンとの間に、斜めに傾いで立っています。

・・・今日は良い散策でした。さて、私は何処にいるのだろう?方向音痴です。当初は不安でしたが、今は道に迷っている状況を楽しんでいます。  来た道を戻るのもつまらないので後ろに行きましょうか。

すぐに三叉路に行き当たりました。あれ!?ここ見覚えがあります。

 

なんだ、ここの近くを散策していたのか!点と点が繋がって、滝野川の知っている場所が増えました。

滝野川地区は東京北区で広い面積を持っている古い街です。地区の中を都電が走っているのも散策ポイントです。今回の体験で気づいたのですが、おそらく、「滝野川」の地名の由来は今回訪問した場所だと思います。

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滝野川の正受院

2022年06月16日 | 散文

先ほどの女性が言ってたとおり、滝野川の路地に有った道標からすぐの所にお寺が在りました。路地から参道を行くと、すぐにこの看板が有りました。「王子七滝の一つ、『不動の滝』は、泉流の滝とも称され、正受院本堂裏の峽から坂道を石神井川に下った所にありました。」から始まる説明板です。

左の絵を見るとずいぶん大きな滝です。石神井川は確かにこの辺では渓谷の趣きですが、散策時にこんな大きな滝を見たことがありません。

 

お寺に向かって自転車を押します。

 

ここにも滝の説明があります。

 

正面には山門が見えます。

 

山門脇には観音像がありました。

 

その脇に説明板が有りますが、「鐘楼門」とあります。以降の説明は読みづらいのでパスしました。

 

鐘楼門を潜ります。鐘楼門が有るお寺は、関東では珍しいと思います。東京で見たことは無いと思います。なんか特別のお寺の雰囲気です。

 

綱が有りました。

 

触っても良いのだろうか?

 

見上げます。なるほど、鐘楼です。綱を引こうかと思いましたが、気が引けて止めました。

 

紫陽花が咲く門前です。

なんか雰囲気が良さそうです。

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