荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

これが渋沢栄一の墓!

2023年06月23日 | 散文

タブノキと墓の間は公園のような、休憩所のような場所です。

 

 

正面が渋沢栄一の墓だと思います。

 

左から訪問します。

 

 

渋沢敬三は嫡孫で、日銀総裁、大蔵大臣を務めた人物です。それにしては墓石が小さいです。周りの人物がとてつもなく偉大だったって事でしょうか?

 

 

青淵渋沢栄一の墓石の裏です。渋沢篤二は嫡男です。

 

 

 

墓所の広さは傍流の徳川家を凌いでいます。

 

ここは「中央東広場」らしいです。

 

そして最後にやって来ました。渋沢栄一の上司です。

 

近くに眠っている徳川慶喜です。

 

思い付きから行ってみたら、驚きの多い散策となりました。改めて、渋沢栄一凄いです。

 

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渋沢栄一の墓へ行く。

2023年06月22日 | 散文

谷中霊園は丘の上です。真夏日の直射日光を遮るには樹下が恰好の場所です。下谷警察署天王寺駐在所の前で涼風に吹かれて涼んでいました。谷中天王寺五重塔跡の傍です。

退屈しのぎのスマホナビが霊園の墓所の主を教えてくれます。「渋沢栄一」の名前が有りました。一昨年の大河ドラマのときにはゆかりの場所を訪ねたものですが、墓所へは1度も行ったことがありません。よし、今日の散策のテーマが決まりました。駐在所の横を直進します。

正面に大きな墓所が在ります。

 

丸に十字は島津家の家紋で有名です。

 

田中芳男の墓でした。渋沢栄一と同時代に活躍した人です。パリ万博に赴任しているので両者は面識があった筈です。同じ霊園に眠っているのですね。爵位は男爵です。これは幸先が良いです。

 

すぐに清水徳川家の墓所が在りました。ここは門扉が閉じられて入ることができません。まあ良い。先へ行きます。

 

すぐに宇和島伊達藩8代当主伊達宗城の墓に遭遇しました。島津斉彬、松平春嶽、山内容堂と並んで四賢侯と称された人物です。一橋慶喜を次期将軍に擁立しようとしたが失敗し、その後安政の大獄で藩主を引退しましたが、その後も中央の政局に参加して、島津久光らと公武合体を進めました。

 

退出後直ぐ側に大きな墓所が在ります。入ってみます。

 

大きな墓所に沢山の墓が有ります。しかも名字が複数様々です。どういう墓所だろう?正面に向かいます。

 

老中阿部正弘の墓でした。安政の改革を推進し、ペリーの来航に際して開国を決断して和親条約を締結した人物です。近くに眠っている伊達宗城とは懇意であったらしいです。

 

墓前から振り返ります。ここは阿部家主従一族の墓所らしいです。現在もその子孫たちの墓所です。...この界隈は凄い事です。皆幕末の偉人達です。皆明治になって爵位を賜った人達です。

 

阿部家墓所の塀の外は「徳川浄園」です。数年前に界隈を整理しました。徳川家の側室達の墓所だったと聞いています。

 

そして更に、ここも塀の外から覗きます。田安徳川家の墓所です。もう家柄に圧倒されっぱなしです。

 

そして角を曲がったら、「タブノキの移植の方法」の説明板が有りました。突然何なの?

 

この樹のようです。これが渋沢家の墓所から移植したらしいです。タブノキの後ろに並んでいるのが渋沢家の墓所らしいです。

名家の墓所の間を縫うようにしてやっと辿り着きました。こんな場所に墓が在る渋沢栄一って、凄い人だったんですね。

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谷中の路地の夏

2023年06月22日 | 散文

こう暑いと誰も寄り付きません。谷中の代表的な路地なので、座り込んで写生する人が多いのですが、こう暑いとねえ。

 

夏の景色です。私が来るようになって20数年目の夏でしょうか?

 

よく見ると、屋根が波打っています。それも風情です。

 

 

 

隣のお寺です。

 

朱門が鮮やかです。振り返ります。

 

誰も寄り付かない、谷中の丘の上です。

かき氷が食べたいです。

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東京は夏です。

2023年06月21日 | 散文

帰京したら一番に蕎麦を食べに来ます。根津神社はもう夏越の大祓の準備完了です。

 

参拝者がやって来ます。コロナが明けて、今年は神職による輪潜りの神事が行われるのでしょうね。

 

芋甚に幟暖簾が出ました。

 

「かき氷始めました」の光景です。夏!です。

 

今日はまだ早いけど、今年もかき氷の食べ初めは、やっぱりここの「黒蜜きな粉」になると思います。

 

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帰京しました。

2023年06月21日 | 散文

松山空港を離陸しました。墨絵のように幻想的な多島海です。

 

大きく旋回して四国山脈越えです。太平洋に向かいます。霞んで見える正面奥が佐田岬だと思います。当たり前ですが、飛行機で見ると以外に近いです。子供の頃は道路事情が悪くて秘境のような場所でした。

 

雨雲の上に出ます。

 

...約1時間後降下します。やがて遠くに九十九里浜が見えます。

 

ベッドタウンです。

 

 

海岸線にロッテ・マリンスタジアムです。

 

首都圏らしくなります。

 

東京ディズニーリゾートです。

 

外周道路が懐かしいです。

 

葛西臨海公園です。

 

ゲートブリッジです。

 

東京のビル群です。

 

羽田空港です。

 

着陸しました。

一連の都会の風景に、ほっとした私が居ます。都会人になったのでしょうか?

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「かどや」の鯛めし

2023年06月20日 | 散文

松山空港に居ます。11時55分発の飛行機で、羽田着が13時30分です。昼食のタイミングが悪い便です。空いているのでいつもこの便にしています。空港のレストランで昼食を取ります。あれ?!見たことがあります。帰郷して食べてない「宇和島鯛めし」を食べたかったのでちょうど良かったです。

 

以前に東京大学の山上亭で食べた記憶が蘇りました。入ります。

 

食レポに慣れていません。料理が出て来てすぐに盛り付けました。写真を撮っていません。普通の鯛めし(鯛の炊き込みご飯)と違って宇和島鯛めしは、鯛の刺し身と海藻を生卵の入った出し汁に漬け込んで、ご飯にかけて食べます。卵かけご飯に刺し身と海藻が入った状態です。

東京大学で食べたときと同じ美味しさでした。当然です。愛媛県が本店だもの。東京大学で食べたのと同じメニューでした。

東京大学の鯛めしはこちら

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年代物の養命酒

2023年06月20日 | 散文

帰郷したものの雨ばっかりです。何処か行きたいけど、雨だと自転車に乗れなし、車は無いしで、今日も自宅で冷凍食品の昼食を食べて居ます。

昔から我が家の食器棚に有るな、と思っていました。アルコールは何でも来いの私だけれど、養命酒はそもそも飲んだことがありません。従って放っていました。写真の背景は誰も住んでいない家を、妹が片付け中の部屋です。

 

片付け中に妹が見つけて、処分しようと封を切ったけど、キャップが固くて開かないそうです。どれどれと取った私の握力でもキャップは回りません。

 

懐かしいラベルではありますが、もうボロボロです。

 

手にとって眺めていたら、下方に何やら数字が打たれています。

 

これって、製造年月日じゃないでしょうか?「1978年8月18日」と読めそうです。末尾の「A」の意味は分かりませんが、もしそうだったら、今から45年前のものです。昔両親が飲んでいたのを覚えていて、その残り物だと思います。

封を切ったものの新品です。箱も無いし、お宝とは言いませんが、レアな物件ではないでしょうか?

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母の生家訪問

2023年06月20日 | 散文

帰郷してから雨が振り続けます。今年は本格的な梅雨です。

妹に連れられて母の生家へ行ってみました。伯父が亡くなった時以来の訪問です。子供の頃はしょっちゅう泊まりに来ていました。ずいぶんお世話になった親戚です。伯父が亡くなった後は伯母さんが施設に入って、今は誰も住んで居ません。

 

庭の隅の駄屋(家畜小屋)です。牛を4頭飼えました。古い家を取り壊して前掲の家を建てる時、牛を売却して建築資金とし、空き家にしたここで煮炊き寝起きをしたのを覚えています。自宅に帰れば良いのに、キャンプみたいな生活を親戚と一緒にしていました。それを今でも覚えているのは、相当楽しく思って過ごしたに違いありません。駄屋の横と裏には複数の鶏小屋が有りました。

 

庭の反対側にも家屋が在ります。1階右側は駄屋です。中は案外広くて、ここでも牛を4頭飼えました。時々馬を飼っていて、背に乗せてもらった写真が残っています。左側は穀物倉庫です。

 

2階は、当時大学生だった母の末弟の部屋でした。夏休み等しか帰省しないので、突然居たりするのを不思議に思い馴染みにくい叔父でした。後年頼りにしている叔父です。

 

家の右のスペースです。ここには「離れ」が在りました。母は5男5女の長女でした。未婚の叔母達に遊んで貰った建物が場所です。今はその跡形もありません。大きな柿の木も有りました。活発な4番目の叔母にねだって、木に登って熟した柿を取って貰っていました。

 

表に戻って、家を右回りに進みます。ずいぶん広いと思っていた築山です。誰も居ないので荒れています。子供の頃は遊ぶのに十分過ぎる築山でしたが、遊んでは祖父に𠮟られていました。

 

庭を通って裏へ行きます。

 

ここはトイレです。大家族だったので、2個のトイレが有りました。

 

角を曲がると風呂の焚き口です。廃屋になる前にガス風呂に改造しています。風呂炊きは子供の仕事でした。ある夜ここで大きくて赤い飛行物体を見ました。伯父はソ連の人工衛星だと言っていました。...航路を外れた飛行機だったと思います。

 

こちらは風呂の出入り口です。百姓家なので、土に汚れた体で家の中を汚さないよう、外から風呂に入る構造です。

 

裏庭です。ここの中央に大きなナツメの木が有りました。沢山食べたのを覚えていますが、もうありません。

 

塀の向こうの荒れた田圃です。台所からよく見た田圃です。耕作放棄地になっています。

 

ここが台所と外との出入り口です。離れとの連絡口でした。

 

背後が離れの在った場所です。あの角にトイレが有りました。家に上がらなくても済むように、農作業中に使う外便所です。

 

この場所に樹木は無く、だだっ広い庭でした。脱穀をしたり、駄屋を掃除するのに牛を繋いだり、ニワトリが遊ぶスペースでした。

 

ここにも鶏小屋と鳩小屋が有りました。牛小屋の周囲にも鶏小屋が有りました。普通のニワトリだけでなく、チャボや軍鶏を飼っていました。軍鶏は闘鶏に使います。チャボは軍鶏の卵も抱かせていました。祖父は闘鶏に夢中でした。お餅を噛んで、口移しで食べさせていました。我々孫より可愛い風情でした。

犬も猫も居ました。動物だらけの家でした。

家の前は太平記の舞台、世田山・笠松山です。世田山には、柿取りが上手だった叔母が嫁いで行った家の墓が有ります。落城時、城主と共に自刃しました。

思い出が次々に蘇ります。雨が降っていますが浸って居たいです。...もう来ることは無いかもしれません。

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故郷のうどん−3 「いなか屋台うどん村」

2023年06月19日 | 散文

貴重な梅雨の晴れ間です。帰郷したら行きたいうどん屋が在ります。

食べている途中に気付きました。もう手を付けていて、今更撮っても汚い画になります。食レポに慣れていない事もさりながら、美味しいのでがっついて食べてしまいました。冷やしうどん1,5とおでん3種で640円だったと思います。金額を覚えていないほどがっつきました。

年に1回の訪問ですが、私を覚えてくれていました。経営者の夫婦です。もう10年くらい帰郷の度に自転車で食べに来ます。

 

こちらがセルフサービスのコーナーです。他のうどん屋と同じように、刻みネギと天かすと摺り生姜は取り放題です。左の鍋におでんが有ります。

 

目立たないけど看板が有ります。

 

農家の庭に屋台を建てました。今日の主な話題は田植えです。私も他人に耕作をお任せしていますが、水田持ちです。

 

こんな小さな屋台です。

 

庭にビニールシートを張り巡らして客席を造っています。テーブルと椅子は不揃いでガタガタします。もう10年変わりません。こんなでも、火野正平さんが自転車で食べて行ったそうです。

「また来年来ます」と挨拶して退出しました。帰郷したら来なければならないうどん屋です。

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故郷のうどん−2 讃岐うどん「松製麺所」

2023年06月19日 | 散文

行列ができています。同じ会社に務めて退職し、Uターンした友人に連れて来て貰いました。

 

讃岐うどん「松製麺所」です。丁度お昼時で、近隣のサラリーマンらしい人も並んでいました。

 

安いですね。ぶっかけ大盛りを注文します。システムは何処も同じ、天かすとネギと摺り生姜は取り放題です。

 

かき揚げをトッピングしました。

期待通りに美味しかったです。前出の「つるべぇー」の方が好みかな?

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故郷のうどん−1讃岐うどん「つるべぇー」

2023年06月19日 | 散文

帰郷すると好んでうどんを食べます。蕎麦は食べません。東京では蕎麦を食べてうどんは食べません。東京にも「讃岐うどん」等ありますが、やっぱり違います。郷里のうどんはどこでも美味しいのですが、お気に入りはここです。天気が悪いのにやって来ました。

 

 

残念、卵を崩す途中で気付きました。慌てて撮った注文のうどんです。初めての食レポです。「温玉肉うどん大盛り」です。天かすとネギは乗せ放題で、770円だったと思います。

満足しました。帰郷に際して立案した計画が一つ達成されました。

 

数日後再訪しました。今日はあっさり系で、これです。「とりもも天おろしぶっかけの冷たいの」にオクラ天をトッピングしました。「とりもも天は席にお持ちします」との事です?トッピング棚にとりもも天が有るのに?やがて理由が分かりました。とりもも天が温かいのです。冷たいサッパリうどんと温かいとりもも天がマッチしています。オクラ天は不要でしたね。660円でした。安くて旨いです。

 

3回目です。もう自分が食べたいものと注文の要領が分かりました。今回はトッピング無しで、「イカ天おろしぶっかけの冷たいの」にしました。540円で満足です。ワンコインうどんまでもう少しです。

四国はやっぱりうどん天国です。

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今治うどん事情

2023年06月18日 | 散文

「丸亀製麺」です。

 

 

今治国際ホテルの傍、つまり今治の中心地に在ります。

 

「得得うどん」です。

 

今治港の近くに在ります。

 

「はなまるうどん」です。国道沿いに在ります。

 

本場讃岐程ではありませんが、今治もうどん屋が多いです。私は東京ではうどんを食べません。やっぱり四国のとは味とコシが違います。そして故郷では蕎麦を食べません。通ぶっている訳ではありませんが、関西の蕎麦は関東の蕎麦とは違う食べ物です。こんな私なので、帰郷するとうどんばっかり食べています。

田舎らしい地名のバス停です。

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桜井漁港の防波堤から

2023年06月18日 | 散文

桜井漁港の防波堤を歩きます。

 

 

 

 

陸を見ます。

 

正面奥に太平記の舞台の世田山・笠松山連山です。右側の笠松山の麓が「野々瀬口」で、敵味方の死体が折り重なって、山道が見えなくなったと語られています。...もう10年近く前に登りました。300mちょっとの山ですが、もう来ることは無いとの想いで歩きました。

 

こちらの正面は霊仙山です。長宗我部元親に滅ぼされた河野一族の城が在りました。今は展望広場になっています。

 

そして、唐子山です。福島正則が城を築き小川裕忠が受け継ぎましたが、彼は関ヶ原の戦いで西軍に付いた為所領を追われました。後を関ヶ原の戦いで功績があった藤堂高虎が、伊予半国20万3千石を与えられて赴任しました。彼は唐子山の城を廃し、城の石垣や柱等を使って現在の今治城を築きました。界隈の今治中心の政治経済の始まりです。今は山頂が再整備されて展望所となっています。

ちなみに、唐子山と名付けたのは藤堂高虎です。山頂と松の姿が、唐人の子供の頭に似ている事からの命名です。それ以前の呼び名は知りません。城が国分城と呼ばれていたので、国分山かも知れません。

故郷の海は有り難きかな。故郷の山は有り難きかな。いつでもそこに在ります。

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昼下りの桜井漁港

2023年06月17日 | 散文

帰郷したら行きたい場所が多くあります。南予や高知にも行きたいのですが、車が有りません。レンタカーを利用しようかとも思いましたが、雨ばっかりです。雨の観光はつまりません。近場の行きたかった場所を巡ります。

やって来ました桜井漁港です。

 

昼下りの漁港に人は居ません。

 

自転車を押して港を歩きます。

 

この港は、舳先が長いこのタイプの漁船が多いです。スピードが出そうです。何を獲るのでしょうか?それとも単に、来島海峡の急流対策でしょうか?

 

港の向こうに兵市島が見えます。今日は遠望が利く梅雨の晴れ間です。

 

タコツボです。今時分のタコは「梅雨だこ」と特に称されます。旬です。

 

体を洗うのではないと思います。猟具とか獲物じゃないでしょうか?

 

作業小屋と漁船を眺めて歩きます。

 

タコ漁の船です。

 

 

 

 

 

 

 

梅雨の晴れ間の、昼下りの桜井漁港です。

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桜井漆器の町

2023年06月17日 | 散文

貴重な梅雨の晴れ間の散策です。自転車しか無いので行動範囲が限られます。近隣の懐かしい場所を行きます。

桜井は漆器製造販売の町ですが、年々衰退しているように見えます。古い漆器藏です。もう制作はやってないと思います。

 

沢山在る漆器屋のホンの一部を巡ります。路地で猫に見咎められました。

 

ここにも漆器藏です。漆器藏が各所に在ります。

 

 

ここは小中学校の同級生の家です。

 

弟が後を継いでいます。

 

向かいにも漆器藏が在ります。

 

ここは卸販売店です。

 

「碗船」を所有して大きな商いをしていた家です。主な販売作は北九州地区でした。

 

通る過ぎる途中で振り返ります。左右の家とも、まだ後ろに敷地が続きます。

いつ来ても人に遭わない通りです。

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