冬空の青は淡く澄んでいる。朝早くは曇っているのかなと思わせる淡さだが、徐々に青みが増して今日は快晴なのだとわかる。今日も雲一つないと言って良いほどの快晴だ。
昨夜、忘年会の帰り道、九時過ぎの夜の町を歩いた。若い人がたむろし忘年会の二次会への流れらしい人達が歩いていたが、人通りはさほどでもなく酔ってオダをあげる声もあまり聞かれず、ネオン街の活気はもう一つに感じられた。時代の流れか地方の景気がもう一つなのかは知らない。
世の中に公然の秘密は多いだろう。公然といっても私はその極く一部しか知らない。生きる知恵社会の潤滑油から、業界や一部の人を利する絡繰りまで色々あると思われる。
診療の中身にも公然の秘密のようなものがある。本当は秘密ではないのだけれども、一々説明せず斟酌して下される判断がいくつかある。一番黙して考慮されるのは患者さんの年齢、暦年齢だけでなく実年齢、だ。手を抜くというと語弊があるが、しばしば兵を引くことがある。時にはご本人に説明し、しばしば家族に相談説明するけれども、医師の裁量でさじ加減をすることも多い。その辺りは曰く言いがたく、額に青筋を立ててけしからんといわれれば、説明するにやぶさかではないが、診療が滞るだろうし、それで世の中のためになる判断に導かれるかは大いに疑問だ。
医療は科学的であることを原則とし、再現性があり統計的に有意である方針が打ち出されるが、個々の患者さんに杓子定規で当て嵌めてゆくわけではない。そこに主治医の裁量が加わる。それが100%妥当かどうかは誰にもわからないが諒とされて診療が行われている。より妥当であるように研修、資格、保険審査、患者の評判・・・があり、公然の秘密は妥当と受け入れられているのが現実と思われる。