駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

担う人物の力量が問われる

2017年12月22日 | 政治経済

    

 保守とリベラルが対立した概念なのかはっきりしないが、最近のマスコミでは対立した考え方のように扱われている。保守というのは現状や伝統を守る立場というので内容が比較的はっきりしているのだがリベラルというのは自由と公正を重んずる流儀で内容よりも手法に重きが置かれている感じがして、必ずしも対立概念ではないように感じる。これは専門的な知識のない人間の理解印象で、専門的学問的には不正確不十分だろう。

 まあしかし、多くの人はこうした理解だろうし、記者さえもその程度の理解ではないかと忖度する。

 保守とリベラルの内容は重要なのだが、現実には保守とされる人とリベラルとされる人の内容の方が大きな問題だ。どうも保守では真っ当な保守ではなくて自守の人が幅を利かせている。自分と自分の仲間というか近しい人を利するように動き、しばしば愛い奴を厚遇するのでは保守ではなく自守に見える。リベラルでは心狭く貧しい頑なで不寛容な人が肩をそびやかしておられる。これでは息苦しくて明るく風通しの良いはずの自由が満喫できない。

 勿論と言えるのかどうか、所謂保守論客にも不寛容な方は多く、リベラルと称される方にもお仲間最優先の方が居られる。

 どうやら、保守やリベラルといった概念がどのように保守やリベラルと称される政治家や人間に体現されているかが問題で、そこにはさまざまなズレがあるようだ。自民党を誉めるわけではないが、野党に力がないのは狭く頑なで貧しい印象の人物が多いからかもしれない。

コメント
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