駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

文化の違い、わからなくても認めるのは

2017年12月03日 | 町医者診言

   

 日馬富士暴行事件が過剰に報道され訳がわからなくなっている。マスコミにおもちゃにされているといってよいほどいじり回されこじれてしまった。きちんとフォローしているわけではないが、地上波テレビも週刊誌の広告もネットの表題もこの話題で持ちきりなので、過剰なのは間違いない。

 どうしてこじれているかといえば、それは文化の違い、閉じた世界、特異な人物と一般人にはわかりにくい、いわば謎が三つ巴になっているからだと思う。その上日本人は異質を理解するのが不得手ときている。まあ異質はどこの国の人もおそらく理解が得意というわけではないだろうから、これは異質接触の体験が少ないといった方が良いかもしれない。異質体験が豊富であれば深い理解はできなくても、それを認め摩擦を避ける知恵が少しは身に付いていると思われる。

 十四、五歳まで育った国の文化がその人間のバックボーンになるのは間違いない。たとえ日本語が流暢に話せるようになっても、根に染みついたモンゴル文化は抜けがたく残っているだろう。社会にはいくつかの業界があり、業界には業界ワールドがある。その中でも相撲界は相当特殊性の高い業界と思われる。貴乃花は詳しくは知らないが、説明しない人のようで謎の多い人物だ。この謎の三つ巴を世間の常識で理解するのは難しい、芸能感覚で仕切ればこじれるばかりだ。

 わかろうとするよりも、認め形で受け入れることの方が賢い選択と思う。警察と法の判断はその最たるもので、大きな社会の知恵と言えるのではないか。

 これだけ過剰に報道したのだから、細く長く粘り強いフォローをマスコミにはお願いしたいというか、フォローの責任があると思う。三年四年後、受け手である私もこの事件を憶えていたい。

コメント
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