今朝は昨日と打って変わり、放射冷却かぐっと冷え込み、頬と耳に当る風が冷たい通勤路であった。信号待ちをしていると、いい年の親父が洒落た耳当てをしてスイスイと道を横切って行った。北国から引っ越してきた人なのか、準備怠りない人なのか、お主やるなと思った。
エルサレムには嘆きの壁があるそうだが、嘆きは人類の人生に付き纏う。診察室は時に嘆きの部屋になる。Mさんは八十三歳、面長で品の良いお婆さんだ。高血圧症でもう十年ほど通っておられる。三つばかり年上のご主人が居られ、当初は二人でというかMさんが引っ張って二三年通われたのだが、爺さんの方は痛くも痒くもないのに医者に通うなんてと通院を止めてしまった。忖度すれば、我が家では儂が一番偉い、家内の言うことなんか聞いていられるか、飯は美味いし動くに不自由ない、医者にあれこれ注意されるのは不愉快だということのようだった。確かに高血圧の患者さんの中には元気溢れる人も居られる。Mさんにいつもお父さんは我儘でと聞かされていた。
去年の冬、ご主人が動けなくなったと急な往診を頼まれ訪れると、居間に横たわりこわばった表情で呻いていた。横には五十がらみの男性がおどおどと立ち尽くしていた。一見して麻痺と意識混濁から脳梗塞と考え救急車を要請した。
先日、受診された折り、もう家はバラバラでとひとしきり嘆かれた。ご主人は施設に入所し、息子さんも自立できないようで、寄る年波を感じ過ぎ越し方を振り返りこれからを考え、ついかかりつけ医の私に運の悪さを嘆かずにはいられなかったのだろう。