若い時は年寄りは昔の思い出ばかり、それも何度聞いたかという話が多いと口には出さないが秘かに思っていた。自分も年を取り、この話はしたかも知れないがと思いながら話をするようになった。
しかし前期高齢者になっても、おそらく後期高齢者になっても、明日の夢や楽しみがないわけではない。勿論、世界一周旅行に行くとか大論文を書いたりというような夢は見ないわけだが、週末に何か旨い物を食べに行こうと女房と相談して、ひとつ星を予約すれば、それが結構な楽しみになる。来年の連休はどの国へ行こうかなどというのは一つの夢で大きな楽しみに感じる。つまりなにがしか、小さくとも先の楽しみは人を生きさせる力になる。
ちょっと飛躍する。運不運の相半ばする過ぎ来し方ではあったが、自分が生きてきた世界には愛着がある。二十年三十年先と言えばもう自分は居ない未来かも知れないが、その時代を楽しみのある光の見える世界にしたいと願う。自分に出来ることなぞたかが知れているとしても、不知火の海やみすず刈る山辺の未来をきちんと考えようとする人達を応援したい。