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私の愛聴盤(第20回)

2013-08-11 | 私の愛聴盤
第20回はカウント・ベイシーの「カンサス・シティ・セヴン」です。

ウィリアム・“カウント”・ベイシー(William "Count" Basie) 1904年8月21日 - 1984年4月26日
ニュージャージー州レッドバンク生まれ

カウント・ベイシーは、ジャズピアノ奏者、及びデューク・エリントンと並ぶ著名なビック・バンドのリーダーでもありますが、今回紹介するのは8人編成のアルバムです。
ベイシーのプロ活動は1924年に始まり、ブルース歌手の伴奏とソロ演奏が最初ですが、その際、仕事で訪れたミズーリ州カンサスシティで多くのジャズミュージシャンと出会うことになります。

禁酒法時代の1927年にカンザス・シティにやって来たベイシーは、そこでベニー・モーテン楽団に参加しますが、ここには賭博場やナイトクラブがあり、酒も大っぴらに飲めたので、禁酒法が廃止となる1933年以降も暫らくは歓楽の街として栄えていました。
そして1935年にベニー・モーテンが亡くなり、後を継ぐ形でカウント・ベイシー楽団を結成しています。
ビック・バンドが最も華やかだったのは、ダンス・バンドとしてですが、第二次世界大戦後の不況で興行的経営が成り立たなくなったことや、ビッグバンド・スタイルそのものの低迷も相まって、ベイシーも一時的にビックバンドを解散しています。
ベイシーの最初のピアノスタイルは、ファッツ・ウォーラーの影響を受けてのストライドピアノ奏法でしたが、ビッグバンド演奏においては「ワン・ノート・スタイル」と呼ばれるシンプルな演奏方法で、音楽的に必要な場所だけピアノを「叩く」ように変わって行きました。

ベイシーは、ビックバンドの他に小編成のバンドで演奏することも多くあり、今回のカンサス・シティ・セヴンの録音は1939年、1944年に続いて3回目となりますが、後期のビックバンド時代からのメンバーであるフレディ・グリーンの刻むギターのリズムと、ベイシーのトツトツとしたピアノ演奏(一部でオルガン)が楽しめる一枚でもあります。
また、サド・ジョーンズとフランク・フォスターは、ベイシー・亡き後、相次いでこのビック・バンドのバンド・リーダーとなり、来日しています。

「COUNT BASIE AND THE KANSAS CITY 7」 IMPULSE AS - 15
    
1. OH, LADY BE GOOD
2. SECRETS
3. I WANT A LITTLE GIRL
4. SHOE SHINE BOY
5. COUNT’S PLACE
6. SENATOR WHITEHEAD
7. TALLY-HO, MR. BASIE
8. WHAT ’CHA TALKIN’
COUNT BASIE(p,ORG) THAD JONES(tp) FRANK WESS(fl) FRANK FOSTER(ts,fl)
ERIC DIXSON(ts,fl) FREDDIE GREEN(g) ED JONES(b) SONNY PAYNE(ds)  
録音 1962年3月21日、22日

*余談ですが、上のアルバムのオレンジ色のレーベルの中の文字に、ミス・プリントが1ヶ所ありました。
 何処か分かりますか?


ベイシーのスモール・コンボでのアルバムは他にもあり、上記から11年を経過したアルバムでも、ベイシーのピアノタッチは以前と変わりませんでした。
「BASIE JAM」 PABLO 2310718
    
1. DOUBLING BLUES
2. HANGING OUT
3. RED BANK BLUES
4. ONE-NIGHTER
5. FREEPORT BLUES
COUNT BASIE(p,ORG) HARRY EDISON(tp) EDDIE DAVIS(ts) ZOOT SIMS(ts) 
J.J.JHONSON(tb) IRVING ASHBY(g) RAY BROWN(b) LOUIE BELLSON(ds)
録音 1973年12月10日

こちらのアルバムはブルースを主体とした内容で、ズート・シムスやジェイ・ジェイの参加が珍しいのですが、これはパブロ・レーベルのオーナーであるノーマン・グランツのアイデアかもしれません。
またギターはリズムを刻むだけでなく、一部の曲でソロも取っています。

ミス・プリントは、レコードの A面、B面 共に 「 Side 2 」 となっていました。

コメント
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