【夢と喧嘩を売っている】レゾナック社長 髙橋秀仁が目指す日本型合理主義経営/GE出身社長が進めるスピード改革/飲み会をあなどるなかれ/26,000人のベンチャー企業を創る
【夢と喧嘩を売っている】レゾナック社長 髙橋秀仁が目指す日本型合理主義経営/GE出身社長が進めるスピード改革/飲み会をあなどるなかれ/26,000人のベンチャー企業を創る
牧野英一 著『最後の一人の生存権』 https://dl.ndl.go.jp/pid/926353/1/2
文献のデジタル化も最近では進んできて、明治や大正期の優れた学術書も、PDF などの文書の形式で、パソコンやタブレットで読めるようになっているようです。上記に挙げた、牧野英一 著『最後の一人の生存権』( https://dl.ndl.go.jp/pid/959929/1/35 )なども、ダウンロードしてタブレットやパソコンなどでも読めるようになっています。
ただ悲しいかな、読みたい本や読むべき本は無数にあるのに、そのための時間がほとんどないのが現状です。表題の本も半分ほどは読み進めましたが、時間の関係で途中で中断せざるを得ませんでした。しかし、いつかまたタブレットで再読できるように、Kindle やアップルの BOOK にダウンロードしておきました。
もし、こうした書物に興味や関心をもたれる方がおられるならば、ぜひ読んでいただきたいと思います。
そして、戦前の我が国の学術や文化を一律に否定、破棄するのではなく、学び継承すべきものは学び継承していきたいと思います。そうして国民の総力をあげて現在の我が国の学術文化の水準もさらに比類なきまでに高め、それが実現した暁には、戦後GHQの占領下に半ば強制的に作られた「現行日本国憲法」を廃棄し、忘れ去られた「大日本帝国憲法」を改めて見なおし検証して、私たち国民の主体性をもって、日本国民による日本国民のための「新日本(帝)国憲法」を制定していきたいものです。いまだ見果てぬ夢ですか。
今は亡き東大名誉教授の奥平康弘氏は「「天皇制」は民主主義と両立しない」と主張されていましたし、今なお憲法学の権威とされる樋口陽一氏は「天皇ロボット論」を唱えておられます。私などの立場からすれば、自著の憲法学術書をたとい背丈ほどに積み重ねられようと、こうした言説を主張される限り「樋口陽一憲法学」はそれ一発でアウト、と断ぜざるを得ません。ただ誤解のないよう言っておきますが、どのような言説、理論を主張されようが、それは彼らの「学問の自由」ではあります。
憲法の改正については、今の日本の憲法学会、「法科系アカデミズム」にはほとんど期待できないと思います。今日の学術会議、大学などの現状は見る通りです。また今日の教育では、憲法改正(悪)を唱えた故安倍晋三元首相に対しても、若者たちにテロ行為に走らせることができても、止めることはできませんでした。
なお、現在さまざまな政党や新聞社、学者たちなどから提案されているような憲法草案を見る限りは、改正というより改悪になりかねず、「下手に憲法改正しない方がいい」というのが私の今の立場です。
選挙の応援演説中にテロに倒れた安倍晋三元首相、一周忌の翌日に。
旅ラン in チューリッヒ この上なく成熟した文化。
茂木健一郎さんがスイスのチューリッヒを訪れて、その都市文化の一端を、YOUTUBE の動画で紹介されていました。スイスに代表されるヨーロッパの歴史、文化、経済的な豊かさを見ても、やはりその水準には日本はまだまだ遠く及ばないなという印象を持ちます。同時にスイスだけではなく、イタリアやフランスなどもそうですが、ヨーロッパの都市空間に見られる「人間の生き方、暮らし方の質の高さ」は、一体どのような歴史的な蓄積があって可能だったのだろうかと思いました。
ブログを始めてまだ間もない頃に、スイスをテーマに記事を投稿したことを久しぶりに思い出しました。調べてみると、14年ほど前の記事でした。スイス政府発行で日本でもベストセラーになった『民間防衛』は今でもツイッターでもよく取り上げています。
追記(20190702)
ちなみに、その頃の「国民一人当たりのGDP」の国際順位は、スイスは世界第5位、日本は第11位でした。調べてみると直近の昨年2018年には日本は世界第26位にまで低落しているようです。スイスは第2位と順位を上げているのですから大したものです。もちろんGDPはあくまで社会指標の一つの尺度にしかすぎませんが、それでも日本の国勢の現況を示すものとして深刻な事実の一面がそこに現れていると思います。また、いずれ行われる消費税の増税という誤った政策で、日本のGDPの世界順位はさらなる低下が予測されます。これもまた優れた政治家、官僚をもちえないでいる国民の悲しさなのでしょうか。
この秋、政府は臨時国会に「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」を提出する予定です。
「特定複合観光」とか「観光先進国」などと言ってごまかしていますが、その内容はカジノ法案であって、安倍晋三政府は、国民を賭博漬けにして、金儲けをしようとするものです。
このカジノ賭博法案のために政府は公聴会を開き、「パブリック・コメント」も募集しているようです。意見募集の締め切りは本日、8月31日木曜日の午後5時までです。私もこの法案には反対なので、たいへん遅巻きながらですが、下記のようなコメントを事務局の方に送っておきました。パブリック・コメントの受付には残念ながら時間的な余裕はありませんが、公聴会など機会があれば、最後まで反対の声を上げてゆきましょう。
パブリック・コメントの送付先
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ir_promotion/kokumintekigiron/ikenbosyu.html
>>
ならず者の安倍晋三氏へ
最も高い倫理観が求められるはずの首相の地位にあるものが、カジノ法案を拒絶するでもなく、率先して刑法違反であるカジノ賭博の音頭をとってどうする。
国会で多数を占めるようになった驕りか?これで、やはり安倍晋三のその本性が“ならず者rogue”であることに多くの国民が気づくことになるだろう。
こんな法案を押し通して、カジノ利権に手を染めようとする自民党はやはり腐っていて、これでは次の選挙で日本維新の会とともに潰すしかないだろう。パチンコ利権だけでは満足できず、同類ヤクザの日本維新とともに刑法違反、賭博罪のカジノ利権に手を染めようというのだから。
せっかくこれまでカジノ法案を廃案にして、カジノの非合法化を保ってきたのに、友人のIR 業者の利益のためのトランプ大統領の口利きも断りきれず、日本の健全で立派な政治の伝統を破って国民の人格と家族の崩壊を売り渡す「ならず者」の安倍晋三はやはり売国奴というしかなく、改めてこの男には現行日本国憲法の改正の音頭をとる資格のないこともよくわかった。
そうであるかぎり、こんな「ならず者」安倍晋三が総理の座にあるあいだは、こんな男には日本国の最高規範である憲法の改正は絶対に任せられず反対する。高潔な他の政治家が現れるに期待するしかない。倫理的にも腐敗した精神の政治家には、国家の最高規範である理性的な憲法を制定する資格も能力もないことは明白だからだ。
>>
手紙(メール)を長い間書けなくて残念です。することがたくさんありました。
Es tut mir sehr leid dass ich dir so lange nicht geschrieben habe. Ich hatte viel zu tun.
日本人の「猫背」化が加速…1分で解消する方法を紹介 #ldnews news.livedoor.com/article/detail…
500RT:【騙されたと思って】猫背を1分で解消する方法が超簡単で気持ちいい!
news.livedoor.com/article/detail…
1時間に2回くらい行うと猫背を矯正することができるそう。 pic.twitter.com/CvahivTeID
自助論 ~新訳完全版~ - サミュエル・スマイルズ - Google ブックス books.google.co.jp/books?id=Vex4-…
「法律というものは、うまく履行すれば個人の犠牲を強いることなく──精神的な労働か肉体的な労働かを問わず、──働いて成果を得る喜びを人々に与えることができる。しかし、どんなに厳しい法律でも、怠け者を働き者にしたり、浪費家を倹約家にしたり、大酒のみを禁酒家にすることはできない。a
そのような変革は、一人一人の行動、節約意識、自制心をもってしか達成できないものだ。つまり先にすべきは、権利の強化ではなく、習慣の改善なのである。一国の政治のありようは、その国民を鏡に映したものに過ぎない。国民よりレベルが高い政治は、必ず国民のレベルにまで引きずり降ろされる。b
逆に国民よりレベルが低い政治ならば、国民のレベルにまで引き上げられるだろう。水が低きに流れる自然の理と同じである。
国の法律や政治も、国民全体のレベルにふさわしいところに落ち着いてゆくものなのだ。例えて言うなら、品格のある国民のもとでは政治も品格のあるものになり、c
無知で堕落した国民のもとでは政治も堕落する。事実、これまでの歴史を見れば、国家の価値や強さは、体制のあり方ではなく、国民の質によって決まってきた。」d
サムウェル・スマイルズ『自助論』第一章 運命を切り開く自助の精神 NATIONAL AND INDIVIDUAL(国家と個人)
自助論 ~新訳完全版~ - サミュエル・スマイルズ - Google ブックス 2books.google.co.jp/books?id=Vex4-…
【中川八洋掲示板 】尖閣(魚釣島)に標柱すら建立しない“鵺”安倍晋三──空母も建造しない、危険で有害な“口先だけの中共批判” - fb.me/6xDDBUAjI
村山富市さん、河野洋平さん、朝日新聞記者さんなども耳を傾けて聞いたら?後世の日本人のために。中共と朝鮮の属国になったときの日本人の運命は?【イザヤ・ベンダサン/世間知らずで無神経な「進歩的文化人」の一言が招き寄せる迫害 - goo.gl/tf9PXM
一般的な概念と大きなうぬぼれは、いつも恐ろしい不幸をひき起こす。(ゲーテ) Allgemeine Begriffe und großer Dünkel sind immer auf dem Wege, entsetzliches Unheil anzurichten.
この場合の 「Allgemeine Begriffe」は「抽象的思考」と訳した方が良いと思います。抽象的思考とは悟性的思考のことで、「平等」「人権」 「平和」「民主主義」「博愛」「自由」などの概念を、時場所をわきまえず、狂信的に振り回すことによってもたらされる害悪のことです。ポルポトの例などが あります。 RT @dt_reibunshu: 一般的な概念と大きなうぬぼれは、いつも恐ろしい不幸をひき起こす。(ゲーテ) Allgemeine Begriffe und großer Dünkel sind immer auf dem Wege, entsetzliches Unheil anzurichten. tl.gd/ndio4e
Allgemeine Begriffe und großer Dünkel sind immer auf dem Wege, entsetzliches Unheil anzurichten.悟性的思考とひどい自惚れは、いつも見ていられない混乱を引き起す。鳩山由起夫さんへ。ゲーテ
中川八洋元筑波大名誉教授の論考を読んだ。
“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!? - 中川八洋掲示板 p.tl/P575
中川八洋氏の論考にまったく意義がないとは言わないけれど、西尾幹二氏への「精神病」呼ばわりは自身の論文の品格を失うだけ。西尾幹二氏の「限界」と「錯誤」についてはその事実を指摘すれば良いだけのこと。“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ── p.tl/P575
歴史上どんなにすぐれた哲学者、思想家であれ、完璧な人間はいない。人間も含め全ての有限物については、その意義と限界を論じて、・・“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!? - 中川八洋掲示板 p.tl/P575
その限界を指摘して克服するという理性的思考の本質を中川八洋氏もマスターされていないようだ。日本のアカデミズムの低さもここに至るか?“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ─「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!? - 中川八洋掲示板 p.tl/P575
井上毅「皇祖の御心の鏡もて天が下の民草をしろしめすといふ意義より成立たるものなり。かかれば御国の国家成立の原理は君民の約束にあらずして一の君徳なり。国家の始は君徳に基づくといふ一句は日本国家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」
「しらす」という妙(たえ)なる天皇の統治。
学ぶべきは偉大なる先学、井上毅。RT @kuzukazura: 井上毅「皇祖の御心の鏡もて天が下の民草をしろしめすといふ意義より成立たるものなり。かかれば御国の国家成立の原理は君民の約束にあらずして一の君徳なり。国家の始は君 (続く) tl.gd/nblrqb
Yoshio Sugino sensei Katori Shinto Ryu.flv(+ 再生リスト)
武道と伝統
YOUTUBEで音楽やドキュメントなどを視聴していると、たまに武道、武術関係の投稿映像に出会うことがある。学生時代に剣道や合気道をやっていたこともあって武道には興味や関心がないわけではないので、ついつい引かれて見て時間を潰してしまうことになる。先日もどこで迷い込んだのか、YOUTUBEで武道関連のいくつかの投稿映像を見ることになった。
学校を卒業してからもしばらく、たまたま近くに道場のあった関係で継続して練習していた。しかし転居を切っ掛けに近所に道場もなくなり、また多忙にもかまけてそれ以来、今では剣道にも合気道からもスッカリ離れてしまっている。それでも武道や武術に興味や関心を失ってしまったわけではなく、この歳になっても環境さえ許すならば再開したいという思いもある。卒業して以来進級はないが段は持っている。廿歳前後の学生時代に習得した技は今も忘れてはいない。合気道の創始者である植芝盛平翁なども、私の学生時代にはまだ存命中で何度か演武も近くで見た記憶がある。藤平光一の指導を受けたこともある。ただ、とっくの昔に「武道」から離れてしまっているので現在の武道界の実際についてはほとんど知らない。
最近は学校などでも授業で武道教育が採用されるようになっているらしい。私たちの中学高校時代にもフォークダンスや武道などの授業があったから、世代交代の中で途中でなくなっていたのが復活したのかもしれない。よくわからない。新しい教育基本法が制定され、教育の目標に「伝統と文化を尊重する」という項目が掲げられた成果だという。武道の科目としては、剣道、柔道、相撲など外に、合気道、薙刀、弓道、空手などもあるらしい。
この武道の必修化についても様々な意見があるようだ。私自身としては基本的にはこの方向を支持したいと考えている。武道を伝統文化の一つとして捉える。公教育における「武道教育」の採用は、戦後に失われた多くの伝統文化の復活の一つとして評価できるものと思う。
武道は歴史的には封建時代に軍事力を担った武士階級が、彼らの利害をめぐる様々な抗争、戦争を繰り広げる中で、いかにして敵を制し勝利を手に入れるか、戦いの技術、方法を研鑽してゆく中で、特に、剣や槍などの武器を所持した戦いの中での肉体を行使した戦闘技術として磨かれ発展してきたものである。
やがて戦国時代を経て、織田、豊臣、徳川と時代が変遷し、徳川幕府が支配権を確立してからは実際には戦争は行われなくなったが、それでも軍事力がその統治の背景に存在した。軍事力の担保することなくして平和が存在しないことは、今日においても江戸時代においても変わりはない。
武道はそうした軍事力の担い手であった武士たちが戦闘技術を向上させて行く過程で発達してきたものであるが、それは肉体を行使するものであり、肉体は精神と深く関係するものであるから、禅仏教の影響などを受けるとともに「精神修養」としての性格も深めていった。また、とくに当時は封建社会の主従関係における倫理道徳の思想として儒教が深く浸透していたから、武道においてもその倫理観に深く影響されながら発展してきたものである。
だから今日の私たちの眼前に伝統として文化遺産として残されている「武道」には、身体的な技術と倫理教育的な要素が含まれている。ただ今日においては「武道」などが古い「儒教思想」の影響を受けているからという理由で否定される傾向もないではない。しかし「武道」が「封建時代の遺産だ」という理由で全否定されてしまうのは、それこそ「盥の水といっしょに赤子も流してしまう」のと同じで大きな損失だと思う。それらは貴重な伝統遺産であって現代においても復活され活用されるべきものである。新渡戸稲造がその著書『武士道』で明らかにしたように、『武士道』には時代や民族を超えた普遍的な価値は存在する。それを「武道」の修得を通じて現在に活かして行くことは、とくにGHQ教育政策の名残として、伝統的な普遍的な倫理観を単に過去の封建時代の遺産として盲目的に否定されてきた傾向のある戦後の、否定の否定を通じて回復することは意義のあることである。
とくに青少年の身体機能の開発と発達の方法論の一つとして、また、それを社会に倫理規範の修得の機会とすること、また、精神的な修練の手段として、武道における伝統的な遺産を活用することの意義は大きい。自らの経験としても、青年時代に「武道」に関わって肉体と精神を多少なりとも「鍛錬」する機会を持ち得たことの恩恵を、この年齢に至っても痛感することもある。
民主主義国としてあまりにも自明な閣議の議事録が、明治の1885年以来作成されてこなかったことを知って今さらながら驚く。菅直人元首相も東電の原発事故で意図的に議事録を残さなかった。【閣議の議事録作成を義務化へ 安倍総理が方針表明 】p.tl/Hoyn
地方、中央を問わずあらゆる行政において、キチンとした公文書の作成とその情報公開による行政の透明化は、行政の効率と着実な改善のために必要な民主主義の基本の基本だと思います。公文書作成と管理が日本文化のあらゆる側面に浸透してゆくべく小学校段階から教育、訓練していく必要があります。
夏前にすでに総理に近い議員筋は、「8月15日は無理としても秋の例大祭には総理に参拝いただけるよう環境を整えないと…」と盛んに言っていた。そういうお膳立てが必要と周りが思うようでは到底無理だなと感じた。問題は本人の意思だから。小泉元総理の頃、周囲からそんな声が漏れることはなかった。
誤解なきよう言っておくと、私はべつに安倍総理が靖国参拝しないこと自体をどうとも思っていない。が、「痛恨の極み」という、ふつうの人なら生涯1度使うかどうかの大袈裟な表現まで用いて「靖国」を語り、8月15日のみならずとうとう春秋の例大祭まで「政争の日」にした責任は大きいと思っている。
(再ツイ)「靖国問題」なるものは、中国・韓国が騒いで「問題化」させている件である以上に「日本のマスコミ問題」。ある時期が近付くと首相(閣僚)の参拝・不参拝の「意向」を前もって伝え、その後お決まりのシナリオに沿って自ら「問題」化させた問題を報じる。日本のメディアがこの三文芝居以下の