作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 五[言語について]

2019年07月19日 | 哲学一般

§5

Die Vorstellungen, welche wir uns durch die Aufmerksamkeit erwerben, bewegen wir in uns durch die /Einbildungskraft,/ deren Tätigkeit darin besteht, dass sie uns bei der Anschauung eines Gegenstandes das Bild eines anderen Gegenstandes herbeiruft, der mit dem ersteren auf irgend eine Weise verknüpft ist oder war.


第5節[言語について]

「注意die Aufmerksamkeit 」を通して手に入れたさまざまの表象を、私たちは私たちのうちに想像力によって動かす。想像力の中には活動性が存在している。想像力の働きとは、一つの対象を直観することによって他の対象の形象を私たちに呼び起こすこと、何らかの方法で前者(ある対象の直観)を後者(他の対象の形象)と結び付けること、あるい結び付けたものを、私たちのうちに呼び起こすことである。

Es ist nicht notwendig, dass der Gegenstand, an welchen die Einbildungskraft das Bild eines andern knüpft, gegenwärtig ist, sondern er kann auch bloß in der Vorstellung gegenwärtig sein.

想像力が他の(対象の)形象と結びつけているところの対象が現に存在する必然性はないし、むしろ、また(想像力によって結びつけられた)形象はただ表象のうちにのみ現に存在することができる。

Das ausgedehnteste Werk der Einbildungskraft ist die /Sprache./ Die Sprache besteht in äußerlichen Zeichen und Tönen, wodurch man das, was man denkt, fühlt oder empfindet, zu er­kennen gibt. Die Sprache besteht in /Worten,/ welche nichts An­deres, als Zeichen von Gedanken sind. Für diese Zeichen gibt die /Schrift/ in den /Buchstaben/ wiederum Zeichen. Sie gibt unsere Gedanken zu erkennen, ohne dass wir dabei zu sprechen nötig haben.(※1)

想像力のもっとも宏遠な作品は/言語/である。言語は外にある記号と音調のうちに存在している。言語を通して、人は何を考え、感じているのか、あるいは何を察しているのか、その認識していることを明らかにする。言語は//によって成り立っている。語は思考の記号に他ならない。これらの記号に対しては、/字母/の中の/文字/が、さらにまた再び別の記号を与える。文字は私たちの思想を認識させるものであり、そこでは私たちは話す必要はない。

(※1)     文字:die /Schrift/、あ、a 、Aなど
      字母:der /Buchstabe/、アルファベット、五十音図など

— Die /Hieroglyphenschrift/ unterscheidet sich von der Buchstabenschrift dadurch, dass sie unmittelbar /ganze Gedanken/ in sich fasst. — In der /Rede/ ist ein gewisser Ton sinnlich gegen­wärtig. Wir haben darin die Anschauung eines Tons. Bei die­sem Eindruck bleiben wir nicht stehen, sondern unsere  Einbil­dungskraft knüpft daran die Vorstellung von einem nicht ge­genwärtigen Gegenstand.

⎯ /象形文字/(古代エジプト文字、漢字などの表意文字)は、そのうちに/全体の思想/が直接に表現されていることから、字母文字(アルファベット、仮名など)とは区別される。⎯ /談話/においては、何らかの音が感覚的に現存している。私たちはそこに一つの音を直観する。私たちはこれらの印象のもとに留まらず、むしろ、私たちの想像力はそこに一つの現在しない対象の表象を結びつける。

※[Translator’s Note: Though this passage was written before the Rosetta Stone was discovered and is therefore no longer valid in respect of Egyptian hieroglyphs, Hegel’s comments are still valid for other Asiatic forms of hieroglyphic writing.]
[英訳者注:この文章はロゼッタストーンが発見される前に書かれたものであり、それゆえヘーゲルのコメントは、エジプトの象形文字に関してはもはや有効ではないが、他のアジアの象形文字の形態についての記述は今なお有効である。]

Es ist hier also zweierlei vorhanden, eine sinnliche Bestimmung und eine daran angeknüpfte andere Vorstellung. Die Vorstellung gilt hier lediglich als das Wesen und als die Bedeutung von dem sinnlich Gegenwärtigen, wel­ches hierdurch ein bloßes Zeichen ist. Der /gegebene/ Inhalt steht einem Inhalt, der durch uns /hervorgebracht/ ist, entgegen.

ここでは、それゆえに二種類のものが存在している。一つは感覚的な規定であり、そしてもう一つはそれに結びつけられた他の表象である。表象はここではただ感性的に現在するものの本質として、その意味として認められる。感性的に存在するものはその結果として一つの単なる記号となる。(感覚に)/与えられた/内容は、私たちによって作り出された内容(形象)と対立する。(※2)

(※2)
私たちの感覚の対象と、その記号としての言語と、その言語に想像力によって結びつけられた表象との関係が簡潔に述べられている。人類の偉大な作物である言語の意義は私たちの「認識」を明らかにすることにある。
想像力によって言語と結びつけられた表象が、意味や本質として私たちの感覚的な対象から独立して、対立的に存在するようになる。

記号としての文字と談話において、現在する感覚的な対象や現実から独立した存在として、言語は認識の世界を、観念の世界を作り出す。これによって人間は一方で「虚偽」に悩まされるとともに、他方で、感覚にとらわれることなく抽象的な、観念的な法則についての認識も可能になった。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 四[注意について]

2019年07月09日 | 哲学一般

 

§4

Das theoretische Bewusstsein betrachtet das, was ist und lässt es, wie es ist. Das praktische hingegen ist das tätige Bewusstsein, welches das, was ist, nicht so lässt, sondern Veränderungen dar­in hervorbringt und aus sich Bestimmungen und Gegenstände erzeugt. — Im Bewusstsein ist also zweierlei vorhanden, Ich und der Gegenstand, Ich durch den Gegenstand oder der Gegenstand durch mich bestimmt. — Im erstem Falle verhalte ich mich theo­retisch.

第4節[注意について]

/理論的な/意識は、それが何であるかを考察し、そして、それをあるがままにしておく。これに対して、/実行的な/意識は、現状をそのままにするのではなく、むしろ、そこに変化をもたらし、自ら規定して、様々な対象を作り出す能動的な意識である。
したがって、意識のうちには二つの側面がある。「私」と対象であり、(その二者の関係は)対象によって規定される「私」と、あるいは「私」によって規定される対象である。前者の場合は、私は自ら理論的に行動する。(後者の場合は、実行的に行動する。)

Ich nehme die Bestimmungen des Gegenstandes in mich auf, wie sie sind. Ich lasse den Gegenstand, wie er ist, und suche meine Vorstellungen ihm gemäß zu machen. Ich habe Bestim­mungen in mir und der Gegenstand hat auch Bestimmungen in sich. Der Inhalt meines Vorstellens soll, wie der Gegenstand ist, beschaffen sein. Die Bestimmungen des Gegenstandes an sich sind Regeln für mich.

私は対象の規定を、/それらがあるがままに/私の中に取り入れる。私は対象をそれがあるようにしておき、そして私の表象の方を対象に合致させようとする。私は私の中に規定されたものをもち、そして対象はまた自らのうちに規定されたものをもっている。私の表象の内容は対象のあるがままの性状でなければならない。対象の規定は本来、私にとって基準である。

Die Wahrheit meiner Vorstellungen besteht darin, dass sie mit der Beschaffenheit und den Bestimmun­gen des Gegenstandes selbst übereinstimmen. Das Gesetz für unser Bewusstsein, inwiefern es theoretisch ist, ist nicht voll­kommen passiv, sondern es muss seine Tätigkeit darauf rich­ten, das Gegenständliche zu empfangen. Es kann etwas Gegen­stand für unsere Wahrnehmung sein, ohne dass wir deswegen ein Bewusstsein davon haben, wenn wir unsere Tätigkeit nicht darauf richten. Diese Tätigkeit im Empfangen ist die Aufmerksamkeit.

私の考えが/真実/であることは、私の考えていることが対象自体の性状と規定とに合致しているということである。私たちの意識にとって法則は、それが理論的である限り、完全には受動的ではなく、むしろ対象を感受することに、意識の活動を集中させなければならない。私たちが私たちの活動をそこに集中していないときには、そのためそれについて意識をもつことがないが、それでも私たちの知覚の対象となりうる何物かがありうる。感受するためのこの活動は/注意/である。

 

意識について論じた後、その意識の二つの側面として、「私」と「対象」を取り上げる。「私」と「対象」の二者の関係を意識するのは、「対象」をあるがままに「私」のうちに受け入れる「理論的意識」と、「私」が「対象」を規定し、作り変える「実行的意識」である。「理論的意識」が真実Wahrheitであるためには、私の考えと対象の性状や規定が合致していなければならない。知覚の対象を「私」の意識のうちに取り入れるためには「注意Aufmerksamkeit」が必要である。

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日韓関係の現況について-朝日新聞社説から

2019年07月08日 | ニュース・現実評論

朝日新聞は、今回の日本政府による対韓国輸出管理規制を例によって批判していますが、下に引用させていただいたブログ『農と島のありんくりん』の論者が指摘されているように、今回の政府の処置について朝日新聞は、「元徴用工問題」に対する「報復措置」という狭く浅い視点でしか捉えることができないでいます。今回の措置の問題の本質が「安全保障問題」にあることが、この新聞社の政治的な立場のゆえに理解できないでいます。

さらには、日韓関係がここまでこじれ悪化したことについても、朝日新聞による一連の「慰安婦」報道や、いわゆる徴用工「強制連行」報道が、韓国民の日本に対する国民感情を悪化させるそもそもの発端を作ったという責任について、朝日新聞には相変わらずその自覚も反省もありません。救いようがないと思います。⎯ 下に引用した朝日新聞社説も、韓国左翼メディアに利用されて、対日批判の種まきに使われています。

下記の2019年7月3日付け朝日新聞社説「対韓輸出規制「報復」を即時撤回せよ」に対する批判については、ブログ『農と島のありんくりん』の管理者の論考がもっとも的確で核心を突かれていると思い、転載させていただきました。関心を持たれた方は直接に当該ブログを訪れてみてください。

また、「無明」というブログの人の書かれた論考は、韓国人自身による韓国の悲喜劇的な言論状況に対する批判です。現在の韓国の置かれている言論状況を ⎯ もちろんこれも一つの立場からですが、知る上で参考になると思います。


朝日新聞社説(2019年7月3日)

(社説)対韓輸出規制 「報復」を即時撤回せよ

2019年7月3日05時00分

 政治的な目的に貿易を使う。近年の米国と中国が振りかざす愚行に、日本も加わるのか。自由貿易の原則をねじ曲げる措置は即時撤回すべきである。

 安倍政権が、韓国への輸出の規制を強めると発表した。半導体をつくる材料の輸出をむずかしくするほか、安全保障面で問題のない国としての優遇をやめるという。

 日韓には、戦時中に朝鮮半島から労務動員された元徴用工への補償問題がくすぶっている。韓国政府が納得のいく対応をとらないことに、日本側が事実上の対抗措置にでた格好だ。

 大阪でのG20会議で議長だった日本は「自由で公平かつ無差別な貿易」を宣言にまとめた。それから2日後の発表は、多国間合意を軽んじる身勝手な姿をさらしてしまった。

 かつて中国は尖閣問題をめぐり、レアアースの対日輸出を止めた。米トランプ政権は安全保障を理由に鉄鋼などの関税を上げた。国際社会はこうした貿易ルールの恣意(しい)的な運用の広がりを強く案じているさなかだ。

 日本政府は徴用工問題を背景に認めつつ、「韓国への対抗措置ではない」などとしている。全く説得力に欠ける。なぜいま規制なのか、なぜ安全保障に関わるのか、具体的な理由を国内外に堂々と表明すべきだ。

 日本は今後の貿易をめぐる国際論議で信用を落としかねないうえ、日韓双方の経済活動に悪影響をおよぼす。そんな規制に矛盾した説明で踏み切るのは、無責任というほかない。

 今のところ、半導体の材料輸出そのものを禁じてはいない。だが審査期間が長引けば、供給や生産に響く。規制の運用によっては、韓国のかなりの生産が止まるとの見方も出ている。

 韓国と取引する日本企業にも被害が跳ね返る公算が大きい。将来的には韓国企業が供給元を変える可能性もある。

 政治の対立を経済の交流にまで持ち込むことが、日韓関係に与える傷は計り知れない。

 確かに徴用工問題での韓国政府の対応には問題がある。先月に示した解決への提案は、日本企業の資金が前提で、日本側には受け入れがたいものだ。

 しかし、今回の性急な動きは事態を一層こじらせている。機を合わせるように、韓国の司法当局は日本企業の株式を現金化する手続きを一歩進めた。韓国は世界貿易機関(WTO)への提訴も検討するといい、報復の応酬に陥りかねない。

 日韓両政府は頭を冷やす時だ。外交当局の高官協議で打開の模索を急ぐべきである。国交正常化から半世紀以上、隣国間で積み上げた信頼と交流の蓄積を破壊してはならない。

>>  <<引用終わり

 

農と島のありんくりん

2019年7月 8日 (月)

朝日社説の「自由貿易への敵対」は言いがかりにすぎない

 

Dsc01448

朝日が頭に血を昇らせているようです。まずは社説(7月3日)から。

「政治的な目的に貿易を使う。近年の米国と中国が振りかざす愚行に、日本も加わるのか。自由貿易の原則をねじ曲げる措置は即時撤回すべきである。 安倍政権が、韓国への輸出の規制を強めると発表した。半導体をつくる材料の輸出をむずかしくするほか、安全保障面で問題のない国としての優遇をやめるという。
 日韓には、戦時中に朝鮮半島から労務動員された元徴用工への補償問題がくすぶっている。韓国政府が納得のいく対応をとらないことに、日本側が事実上の対抗措置にでた格好だ。 
大阪でのG20会議で議長だった日本は「自由で公平かつ無差別な貿易」を宣言にまとめた。それから2日後の発表は、多国間合意を軽んじる身勝手な姿をさらしてしまった。
 かつて中国は尖閣問題をめぐり、レアアースの対日輸出を止めた。米トランプ政権は安全保障を理由に鉄鋼などの関税を上げた。国際社会はこうした貿易ルールの恣意(しい)的な運用の広がりを強く案じているさなかだ」
https://www.asahi.com/articles/DA3S14079670.html

ついでにもうひとつ。ネット界でも有名になった同日の天声人語の一説。こっちはまるでアジビラ。

「▼韓国側にも問題があるにせよ、これでは江戸の仇(かたき)を長崎で討つような筋違いの話だ。(略)
▼ちなみに人のあくびは犬にも伝染するらしい。忠誠を尽くす飼い主からとくに影響を受けやすいとの研究結果がある。日本政府の場合は、こちらに近いか」
https://www.asahi.com/articles/DA3S14079753.html

天声人語は、安倍氏を「飼い主に忠誠を尽くす犬」と表現しているので、反響を呼びました。
下卑た言葉使いは韓国に任せなさい、朝日さん。そんな言い方をすると、「中韓の飼い主に忠誠を尽くす犬」と言い返されますよ。
それにしても薄っぺらいなぁ。
ともかく批判したいの一心で感情が先走って、事実関係を押えて書いていません。

朝日は報道と論評を混同しています。
政府は「徴用工」など口していません。
あくまでもその問題は、「信頼関係が失われた」背景に登場しているにすぎませんし、それすら明示的に言っていないはずです。

朝日は大上段に「自由貿易の原則をねじ曲げた」と批判するのですが、そもそもその自由貿易が分かって書いているのか怪しいものです。
「自由貿易」という概念を、通り一遍で「国家の介入を排除した貿易関係」ていどで理解しているようです。
ですからG20で日本政府が、なぜ「大阪トラック」を「自由で公平な貿易」という言い方で提唱したのか、朝日にはさっぱり理解できなかったはずです。

大阪トラックは、今後どこまで成功するのかは別にして、「自由と公平」という対立する概念を理念に据えました。
自由貿易は行き過ぎれば公正さを損ない、ひと握りの人たちだけが利益を得るのです。

自由貿易は自国の資本や商品をエゴイスティックに輸出できさえすればいいのか、国境管理をなくしてしまいさえすればいいのか、関税をゼロにすればいいのでしょうか。
それを突き詰めれば、
国が介入せずに無制限無原則な貿易関係こそが善だといわんばかりでになってしまいます。

実際にそのような考えかたが、行き過ぎたグローバリズムを生みだしました。
世界各地には租税回避のタックスヘブンが誕生し、他国の技術を剽窃したり、あるいは信金のカタに港を奪っていくような一体一路政策が公然とされる用になってしました。
これでいいのか、という反省の中で、「自由」貿易に「公平」というそれを規制する概念を導入して国際ルール作りを目指そうとしているのが、この「大阪トラック」です。

Eu

日経4月26日

G20の大阪トラックには原型があります。日本がEUにこの4月に提案し、合意をとりつけたものです。

「会談では次世代通信規格「5G」の通信網整備も取りあげた。日米などは中国大手の製品を巡り、情報流出などの懸念を持つ。首相は「特定の国や製品を議論したわけではない」としつつ、サイバー空間の安全性の確保へ連携する方針を申し合わせたと説明した」(日経4月26日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44229600W9A420C1000000/

この「中国の情報流出」についての懸念の表明は、朝日が「飼い主」とまで呼んだ米国が鳴らすファーウェイの脅威への警鐘と同じことを指しているのは明白です。
本来自由貿易のための国際機関であるべきWTO上級審が、韓国政府による福島県産海産物禁輸措置を認めてしまうような裁定をしたことを取り上げて、WTO改革を訴えています。

「日本政府関係者によると、韓国による福島など8県の水産物の禁輸問題で、WTOの最終審にあたる上級委員会が韓国の措置を事実上認める報告書をまとめたことも話し合った。首相は終了後の共同記者会見で「上級審も様々な課題がある。議論を避ける形で結論が出たり、結論が出るまでに時間がかかったりするのも事実だ」と指摘した」(日経前掲)

「自由貿易の原則をねじ曲げた」と朝日はいいますが、初めに原則をねじ曲げたのはどこの誰で、なぜ日本はそれに対抗措置をとらねばならなかったのでしょうか。

経済産業省はこう淡々と述べています。こういう時のお役人口調ってステキ。
※経済産業省7月1日「大韓民国向け輸出管理の運用の見直しについて」
https://www.meti.go.jp/press/2019/07/20190701006/20190701006.html

「輸出管理制度は、国際的な信頼関係を土台として構築されていますが、関係省庁で検討を行った結果、日韓間の信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない状況です。
こうした中で、大韓民国との信頼関係の下に輸出管理に取り組むことが困難になっていることに加え、大韓民国に関連する輸出管理をめぐり不適切な事案が発生したこともあり、輸出管理を適切に実施する観点から、下記のとおり、厳格な制度の運用を行うこととします」 

また萩生田光一幹事長代行はこのように述べています。

「(化学物質の)行き先が分からないような事案が見つかっているわけだから、こうしたことに対して措置をとるのは当然だと思う」(プライムニュース7月4日)

同日のFNNニュースでは与党幹部のこのような言葉が紹介されています。

「ある時期、今回のフッ素関連の物品(高純度フッ化水素、エッチングガス)に大量発注が急遽入って、その後、韓国側の企業で行方が分からなくなった。今回のフッ素関連のものは毒ガスとか化学兵器の生産に使えるもの。行き先は“北”だ」

このように政府はひとことも「徴用工」判決の報復だなどと言ってはいません。
大量破壊兵器に転用可能な戦略物資の行き先がわからなくなっていることが理由だと言っています。
つまり、ホワイト国というと特恵を与えたのは「国家間の信頼関係が土台」があったからで、「不適切な事案」が見られたためにこの特典を取り消したのだ、ということに尽きます。
当然ですが、「信頼関係の土台が壊れた」原因のひとつには「徴用工」判決などムン政権の一連の反日政策の流れはあるでしょうが、直接的には「徴用工」判決とは無関係だということです。

それをあたかも徴用工報復が原因だというのですから、自分で作りあげたありもしない的を撃っているようなもので、こういう論法を「ストローマン(麦わら人形)論法」と呼びます。

その輸出管理における「不適切な事案」とは、輸出禁止国(武器禁輸国)への転売ですが、これについては経済産業省は具体例を出していません。
先の与党幹部の発言のように、需要に見合わない注文が多々あるうえに30%が行方不明になっていると、政府関係者はみているようです。
その行く先は、韓国名義で買いつけて第3国経由で北朝鮮、あるいはイランなどに流れた可能性が指摘されています。
これでは韓国の輸出入管理体制がザルであるわけで、国際安全保証体制を危機に陥れかねません。

それを勝手に脳内で短絡させて、「事実上の対抗措置」(朝日社説)と呼び、「自由貿易の恣意的運用」とまで批判しているのが朝日です。
日本政府の大きな意図に仮に「徴用工」問題があるとしても(あって当然ですが)、現時点ではひとことも俎上に載せていない以上、メディアの批判はあくまで現時点ではこの安全保障上の危惧についての批判にとどめるべきなのです。

ここをゴッチャにしているから、朝日は今後の展開についていけません。
朝日はWTOに提訴されたらたいへんだと考えているようですし、報復合戦になると憂いています。
どこを見て言っているのやら。

韓国政府は公言しているとおり、WTO提訴に持ち込みます。そんなことは日本政府は100%想定済みのことです。
また韓国が報復したくとも、韓国が日本に輸出規制してこちらが困るようなものはごくわずかで、それもすべて代替品が存在しますから、報復合戦などはショボイものになるでしょう。

日本にとってWTO提訴はむしろ歓迎すべき事態なのです。
今パニくって日本に副会長を派遣したサムスンなどは、本心はWTO提訴なんぞやってほしくないはずです。
だって、提訴されたら裁定が下るまで延々と時間がかかってモノの役に立たない上に、日本政府が提出する地雷源にいつ触れるかわかったもんじゃないからです。
サムスンの副会長が政府の対策会議を放って訪日したのは、韓国政府がたてそうな対策なんてWTO提訴くらいにすぎないことが分かりきっているからです。

一方、日本政府はいくつかの確実な横流しの証拠を押さえて発動しています。
たとえばその中には、日米英仏豪加・NZで実施してきた、北朝鮮の瀬取り監視についての膨大な資料も含まれているはずです。

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出典不明

北朝鮮が国連制裁逃れのためにおこなっている制裁回避のための密輸が、朝鮮半島付近の海上で"Ship-to-ship cargo transfer"として公然となされていることは知られた事実です。

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出典不明

その瀬取りには、韓国も関わっています。いや、それどころか韓国軍と海上警察すら関与している疑いがあります。
それの一端が暴露されて、逆ギレしたのがあのレーダー照射事件の真実だと日本政府は考えています。
国連制裁決議違反であることは明白で、WTOに提訴されれば国際社会にこの瀬取り疑惑を公表するいいチャンスとなります。
だから、日本政府は「江戸の仇を長崎で」(天声人語)と国際社会で思われてしまうような、徴用工の「ち」の字も口にしないのです。
それをわざわざ韓国政府と口裏を合わせて、「徴用工報復だ」と言ってもいないことを批判するのですから困った人たちです。

日本は「徴用工」などと言ってもいないし、そもそも「禁輸」などしていません。
私は当初から書いてきましたが、これは一般国の規制にカテゴリー変更されただけのことです。
そもそも「ホワイト国」というカデゴリーを分かって朝日は書いているのでしょうか。
これはあくまで武器輸出に関する安全保障上の概念なのですよ。

・ホワイト国・・・ヨーロッパ21カ国(英・仏・独など)
                  アメリカ、カナダ、アルゼンチン、豪、NZ
・一般国・・・上記「ホワイト国」と下記「武器禁輸国」に該当しない国
              (例:中国・台湾・インドなどアジア各国)
              韓国は「ホワイト国」からこのカテゴリに変更
・武器禁輸国・・・アフガニスタン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、イラク、レバノン、リビア、北朝鮮、ソマリア、南スーダン、スーダン

韓国は中国やインド、台湾などと並んで普通の扱いをするだけのことで、「禁輸」でもなんでもありませんから、逆上して「自由貿易への敵対だ」なんて大げさ騒ぐほうがどうかしています。

この安全保障管理には、経済産業省の「キャッチオール指定が付帯します。
※経済産業省「補完的輸出規制(キャッチオール規制)」
https://www.meti.go.jp/policy/anpo/anpo03.html

リスト規制品以外のものを取り扱う場合であっても、輸出しようとする貨物や提供しようとする技術が、大量破壊兵器等の開発、製造、使用又は貯蔵もしくは通常兵器の開発、製造又は使用に用いられるおそれがあることを輸出者が知った場合、又は経済産業大臣から、許可申請をすべき旨の通知(インフォーム通知)を受けた場合には、輸出又は提供に当たって経済産業大臣の許可が必要となる制度です。
この制度は通称「キャッチオール規制」と呼ばれています。従って、貨物の輸出や技術の提供を行う際は、リスト規制とキャッチオール規制の両方の観点から確認を行う必要があります。
 キャッチオール規制は、「大量破壊兵器キャッチオール」と「通常兵器キャッチオール」の2種類からなり、客観要件とインフォーム要件 の2つの要件により規制されております。この2つの要件のどちらかに該当する場合には、許可申請が必要となります。
客観要件は、輸出者が用途の確認又は需要者の確認を行った結果、
  ①大量破壊兵器等の開発、製造、使用又は貯蔵等に用いられるおそれがある場合
   又は
  ②通常兵器の開発、製造又は使用に用いられるおそれがある場合
 に許可申請が必要となる要件です

大量破壊兵器等の開発、製造、使用又は貯蔵等」に転用可能な技術や材料の輸出」規制は、WTO が掲げる自由貿易下でも守らねばなりません。
そのために必要なのは、国連決議、あるいはそれに類する国際社会の国際合意です。
いずれも、北朝鮮に対しては多く作られていますので、日本はこの合意を守らない疑いがある韓国に対して一般国扱いにカデゴリー変更したわけです。

だからといって日本が韓国を非友好国だと指定したわけでもなんでもないのは、この「一般国」には親日国のインドやアジア諸国も含まれていることをみればわかるでしょう。

韓国は売り先を偽って武器禁輸国である北朝鮮に武器転用可能な物資を流しているという疑いを、自らわが国が納得できる形で説明する義務があります。
そのような時期に、「徴用工」判決うんぬんを持ち出して、「けしからん、日本の報復だぁ。自由貿易をねじ曲げるものだ」などと叫ぶほうがどうかしています。
かえって混乱を拡げるだけのことです。
朝日が韓国のベストフレンドであるならば、韓国にこの日本政府の疑惑を丁寧に説明したらいかがでしょうか、と優しくアドバイスしてあげるべきです。
シュプレッヒコールをするのはその後にしてください。
 

もちろん安倍氏がいうように「信頼関係が失われた」という背景は厳然として存在します。
ならば韓国は「徴用工」判決や慰安婦財団の廃止など思い当たることが多々あるでしょうから、信用回復のためにはなんらかのアクションをすればいいのであって、今回問われていることは別次元だということに思いを致すべきです。

 
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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 三[意識について]

2019年07月05日 | 哲学一般

 

§3

Beim Bewusstsein haben wir gewöhnlich den Gegenstand vor uns, oder wir wissen nur von dem Gegenstande und wissen nicht von uns. Aber es ist wesentlich in diesen Dingen vorhan­den /Ich/. Insofern wir uns überhaupt nur einen /Gegenstand/ vor­stellen, so haben wir ein Bewusstsein und zwar vom Gegen­stand. Insofern wir uns das /Bewusstsein/ vorstellen, sind wir uns des Bewusstseins bewusst oder haben wir ein Bewusstsein des Bewusstseins.

第3節[意識について]

意識のもとにあっては、私たちは、ふつう私たちの前に対象をもっている。あるいは、私たちはただ対象について知っているのみである。そして私たち自身については知らない。しかし、本質的なことは、この物のうちには「私」が存在しているということである。私たちが一般に、ただ一つの/対象/のみを考える限り、そこには私たちは一つの意識をもっており、そして確かにまた対象ももっている。私たちが/意識/について考えるかぎりは、私たちは、私たちの意識についても意識するのであり、あるいは、意識についての意識をもつ。

— In unserem gewöhnlichen Leben haben wir ein Bewusstsein, aber wir sind uns nicht bewusst, dass wir Bewusstsein sind; wir haben Vieles, auch schon Körperliches, /bewusstlos/; z. B. die Lebensverrichtungen, die zu unserer Selbsterhal­tung gehören, besitzen wir, ohne darum von ihrer genaueren Beschaffenheit auch schon ein Bewusstsein zu haben, das wir erst in der Wissenschaft erwerben. Auch geistiger Weise sind wir Vieles, was wir nicht wissen.(※1)

⎯ 私たちの通常の生活の中では私たちは一つの意識を持っている。しかし、私たちが意識であることを私たち自身は自覚していない。また、すでに肉体的なもの、/無意識的なもの/など、たとえば、なぜそうなのか私たちが科学において手に入れたそれらの正確な構造を意識することもなく、またあらかじめ自覚することもなくして、すでに私たちがもっている生命活動や、自己保存に係るものなど、私たちは多くのものをもっている。精神的には、私たちは知らないことがたくさんある。

— Die /äußeren/ Gegenstände unse­res Bewusstseins sind solche, die wir von uns unterscheiden und denen wir eine von uns unabhängige Existenz zuschreiben. Die /inneren/ Gegenstände hingegen sind Bestimmungen oder Ver­mögen, Kräfte des Ich. (※2 )Sie bestehen nicht außer einander, son­dern das, worin sie bestehen, ist Ich. — Das Bewusstsein verhält sich entweder theoretisch oder praktisch.

⎯ 私たちの意識の/外にある/さまざまな対象は、私たちが私たち自身とは区別しているものであり、そうしてそれらについては私たちから独立した存在として私たちが認めているものである。それに対して、/内にある/さまざまな対象は、「私」の規定するものであり、あるいは「私」の能力であり、「私」の力である。それらは互いに外には存在しない。むしろ、それらが存在するのは「私」の内にである。
⎯ 意識は、理論的にか、あるいは実行的にか、自らいずれかにふるまう。(※3)

 

※1

身体の臓器である胃や肺は、私たちが意識することがなくとも、食物を消化し、空気を呼吸する。また、血液が骨髄の中でどのようにして作られているのかも知らない。

※2

Bestimmungen
noun,pl: 規定、決定, 決意, 決断, 決心, 結論
Ver­mögen
noun: 能力, 力, 性能, 才能, 力量, 技量
Kräfte
noun,pl:力,  剛強, 強さ

※3

「物」として意識の外に意識がその対象をもつことと並んで、意識が「意識」としてを自らを対象とすること、この意識の、「私」の、自我の二重化、自己内分裂の様相を深く分析し、そのことの人間にとっての意義と必然性を明らかにしたことはヘーゲル哲学の不朽の功績といえる。

 

 

 
 
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スイスという生き方(茂木健一郎)

2019年07月01日 | 教育・文化

旅ラン in チューリッヒ この上なく成熟した文化。

 

茂木健一郎オフィシャルブログ


茂木健一郎さんがスイスのチューリッヒを訪れて、その都市文化の一端を、YOUTUBE の動画で紹介されていました。スイスに代表されるヨーロッパの歴史、文化、経済的な豊かさを見ても、やはりその水準には日本はまだまだ遠く及ばないなという印象を持ちます。同時にスイスだけではなく、イタリアやフランスなどもそうですが、ヨーロッパの都市空間に見られる「人間の生き方、暮らし方の質の高さ」は、一体どのような歴史的な蓄積があって可能だったのだろうかと思いました。

ブログを始めてまだ間もない頃に、スイスをテーマに記事を投稿したことを久しぶりに思い出しました。調べてみると、14年ほど前の記事でした。スイス政府発行で日本でもベストセラーになった『民間防衛』は今でもツイッターでもよく取り上げています。

 

 理想の国家、現実の国家(2005年11月09日

 

追記(20190702)

ちなみに、その頃の「国民一人当たりのGDP」の国際順位は、スイスは世界第5位、日本は第11位でした。調べてみると直近の昨年2018年には日本は世界第26位にまで低落しているようです。スイスは第2位と順位を上げているのですから大したものです。もちろんGDPはあくまで社会指標の一つの尺度にしかすぎませんが、それでも日本の国勢の現況を示すものとして深刻な事実の一面がそこに現れていると思います。また、いずれ行われる消費税の増税という誤った政策で、日本のGDPの世界順位はさらなる低下が予測されます。これもまた優れた政治家、官僚をもちえないでいる国民の悲しさなのでしょうか。

 

 

 
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