作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

大原野神社

2006年10月31日 | 日記・紀行

 

久しぶりに大原野神社まで足を延ばした。東海道自然歩道は散歩コースでいつも来るが、大原野神社や勝持寺に立ち寄ることはあまりない。それに最近は日の落ちるのも早くなって、日の光の明るい内に散策できる時間も短くなって、なおさら寄り道する気にならないでいた。

それでも、ここしばらく秋晴れの美しい日が続いて、それに先日に西行について書いたこともあったせいか、大原野神社の方に向かってみようと思った。

洛西高校近くの並木に、きれいな紅葉が目に付くようになり、青空を背景に春の花におとらない色彩をみせている。ただ植物についての知識に詳しくない私は、その樹木の名を指定することができない。


神社脇の駐車場に自転車をおいて、歩いて境内に向かった。時期としてまだ紅葉の盛りに遠いのはわかっていた。紅葉を楽しみたければ、もう一度来る必要がある。帽子を脱いで、神社の氏神に敬意を表す。ここで祈りを捧げる人には、氏神はどのような姿の神だったのだろうと思う。神話や伝統から疎遠な世界に育った自分には想像もできない。


この大原野神社は、前に在原業平について書いた(老いらくの恋)ときにも触れたように、当時権勢を伸ばし始めていた藤原氏が、延暦三年(784年)奈良から長岡京に遷都したときに、藤原氏の氏神である奈良の春日野大社を分霊して建てた神社である。だから、平安京の家屋敷の基礎もまだ定かでないときに、木肌も朱塗りもまだ新しかったに違いないこの神社のどこかで、業平も藤原氏の高子も、共に時間を過ごしたことがあったはずである。

清和天皇が産湯に使ったとされる瀬和井(せがい)という井戸も残されている。大伴家持も紀貫之らもこの井戸を訪ねて歌を詠んでいる。業平が恋焦がれた藤原高子は、この清和天皇の女御に上って手の届かぬ人となった。今境内を歩いていても、神社の建築などに往時の面影を見ることはできるのだろうけれども、千二百年という歳月が、その昔の姿をどのように変えたのか、タイムマシンでもさかのぼれない以上は確かめようはない。ただ正面入り口の薬医門の左脇に垂らされている悠仁親王殿下誕生の祝い幕が、歳月の隔たりを実感させるばかりだ。

西行にゆかりの深い勝持寺も神社の隣にある。私が着いたときには、拝観の時間はすでに過ぎていた。いつも車で来ることが多かったので、これまで駐車場から歩いて寺の門戸に向かっていたので気がつかなかったのだけれども、仁王門があるとは思わなかった。この日は自転車だったので、仁王門の石段下に自転車を立てかけて、門をくぐって参道を上っていった。おそらく、西行たちの時代にはこの参道を辿って寺に入ったのだろう。

ただ、この仁王門と、その両脇に並び立っている仁王像の傷みの激しいのを見て驚いた。保存のためにほとんど何の配慮もなされているようにも思えなかった。行政や管理者は一体どういうつもりなのだろう。京都市や京都府の文化財課に尋ねてみるべきかと思った。


そして、もう一つ残念だったことは、勝持寺にいたる参道が砂利道ではなくて、コンクリートで塗り固められていたことだった。たしかに、管理者には保全しやすくなるだろうが、参道の両脇の竹林にはあまりに不似合だった。

小塩山勝持寺、通称花の寺は白鳳八年(680年)に役小角の創建になるものであり、境内の鐘楼脇の桜は、西行法師手植えの、ゆかりのある桜だともいう。

こうした、歴史的な由来の深い伽藍は、その周辺の光景もふくめて貴重な文化遺産である。だから、できるかぎり往時を偲ばせるように、そのまま姿を変えずに保存されるべきものだと思う。


それなのに、残念なことに、どういう料簡か現代日本人は、千三百年も前の創建になる寺社の参道を、コンクリートで塗り固めたり、境内にプレハブの建物を建てても、何の違和感も抱かないようだ。現代日本人の感性と哲学、そして行政の問題だと思う。それが古人から問われていると思った。そうして貴重な過去の遺産が現代人の無責任によって破損されてゆく。美しい遺産はできうる限りそのままに後世に残し伝えてゆきたいものだ。久しぶりにこの寺を訪ねて思ったことだった。

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荻の上風

2006年10月27日 | 芸術・文化

季節の変わり目を深く実感する今日のような日は、西行の歌を思い出す。秋の紅葉や春の花に触れては、西行の歌を介して世界を眺めたくなる。芸術家ならぬ私には、私の感性を芸術に形象化する技量はない。

日本にも歌人や俳人は多くいるが、その生涯の思想と行動について深く知りたいと思う者は少ない。西行はその数少ない一人である。私の見た西行の伝記をいつか書いてみたいというのは、いまだなお見果てぬ夢である。


松尾芭蕉や与謝野蕪村にないものが西行にはあると思う。芭蕉などは、私にとっては漢意(カラゴコロ)が強く、また現世的で、永遠の余韻が弱い。西行は仏教の影響を深く刻した歌人であったからだと思う。仏教思想が西行の和歌を深くしている。彼の歌には仏教の形而上学がある。

西行もまた多くの花を題材に詠んでいる。桜はいうまでもなく、紅葉、藤、なでしこ、菊、おみなえし、萩、桔梗、橘などそれぞれの季節に西行の思いを添えて詠んでいる。荻もまた秋を象徴する植物である。西行が秋風にそよぐ竹と荻に題材に取った和歌。二首。
おそらくこのふたつの歌は、同時に詠まれたものだろう。

   山里へまかりて侍りけるに、竹の風の荻に
   紛えて聞こえければ

1146 竹の音も  荻吹く風の  少なきに  たぐえて聞けば
   やさしかりけり

ある山里に参りましたところ、秋風が強くもなく、竹林の葉ずれの音も、あたかも荻の上を吹く風のように錯覚するほど、やさしいものでした。

   世遁れて嵯峨に住みける人の許にまかりて、 
   後の世のこと怠らず勤むべき由、申して帰りけるに、
   竹の柱を立てたりけるを見て


1147 世々経とも  竹の柱の  一筋に  立てたるふしは
   変らざらなむ

出家して嵯峨野に住んでいる人の許を訪ねて、怠らず仏道修行に勤め励むことなどを語らって帰りましたが、その人がわび住まいをしている庵に、竹の柱を立てていたのを見たことを思い出して詠みました。

西行は親友が出家して嵯峨野に隠棲している庵をひとり訪ねてゆきます。秋も深まりつつあります。よく晴れた日も夕暮れて、しかも、風もほとんど吹くか吹かずです。いつもなら、竹林のこずえを吹き渡る風も凄まじいけれど、今日は荻の上を吹く風のように、やさしく柔らかい。竹林に差し込む秋の夕日が、友を思いつつ道行く西行のわびしさをなおいっそうつのらせます。

友だちは、嵯峨野の山里に粗末な竹の庵を結んで暮らしていました。久しぶりの再会に、いろいろ話もはずみましたが、お互いに西方浄土に救い取られることを願って出家した身の上、この世の執着も煩悩も強いけれど、互いに仏道修行を勤めようと励ましあって別れました。その帰途、友だちの庵にまっすぐな竹を柱に据えていたのを思い出して、次のような歌を詠んだことでした。

あなたのお住まいになる庵の、竹の柱がまっすぐ一筋に立っていたように、あなたが悟りをめざした仏道修行の志も、いついつまでも変らないでほしいものです。

こうした歌からも、西行などが生きた時代―――平安、鎌倉期――に、人々がどのような世界に生きていたかを垣間見ることができる。当時の人々にとって、生は決してこの世限りで終わるものではなく、むしろ、死後の生のために現世を生きていたことがよくわかる。

嵯峨野は今もいたるところに竹林におおわれている。秋も深まった頃に荻の花の上を吹き抜ける風は西行の当時と同じだろう。

今までに見たもっとも美しい荻野原は、遠州灘近くにあった公園の、池のほとりで、秋の風に荻の穂花がそよいでいた光景。

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「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ(4)

2006年10月21日 | 教育・文化

さらに学校をはじめとする教育環境の改善をもっと大胆に推し進めることである。日本サッカー協会の川渕三郎チアマンがかねてより主張されているように、学校校地の芝生化を進めることである。校内環境の緑地化をもっと図るべきだ。とくに小学校や中学校では、森の中に学校があるような雰囲気を作るべきだ。教室内の机上学習が終われば、いつでも身近な「森の中」で遊べるような環境を用意すべきである。これは社会全体の緑地化とも関連する。

さらに、現在の教室環境の、机や椅子のプレハブ状態を改善してゆくことである。廃材の木材などを利用して、もっと、どっしりとした落ちついた「気品」を感じさせる家具備品を使用することである。鉄パイプと合板の安っぽい机や椅子の使用は止めるべきだ。教室内の雰囲気に芸術や文化の香りがなく、クラス学級内の環境はどこかの工場の倉庫のような無機質な雰囲気で教育が行われている。政治家や文部科学省の役人の教育や文化芸術についての感覚と見識が問われている。


大胆で根本的な意識改革と、革命的な発想が指導者、教育関係者に求められる。


 

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「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ(3)

2006年10月20日 | 教育・文化

そうしたクラスの組織面での研究とともに、民主主義の精神的な、倫理的な教育訓練をも研究改善し実施してゆく必要がある。

たとえば、「民主主義手帳」(名前は何でもよいし、冊子の形式でもよい)を作成して配布し、生徒たち一人一人に持たせることである。その中に、学校生活のあり方や民主主義の倫理観などの基本的な事項を記載し、ホームルームの時間などに、常時活用できるようにしてゆくのである。戦前は「教育勅語」などがその機能を果たしていたが、今日に至るまで、それに代わる確固とした倫理基準が学校現場で生徒たちに教えられていないことが問題なのである。

「教育勅語」に代わるべき倫理観とは何か。それは「民主主義の倫理観」である。そうした問題意識が、首相や文部(科学)大臣、教育委員長などに必要ではないだろうか。

それとも「民主主義の倫理」など聞いたこともないか。
個人の尊厳とは何か、基本的人権とは何か。なぜそれは尊重されなければならないか、具体的な学校生活の状況のなかで教えてゆかなければならない。現状ははなはだ不十分だから、問題を防ぎきれない。オーム真理教事件などは、現在の日本の学校教育の失敗の象徴ではなかったか。

その他にも、法律や規則は遵守すべきこと、多数決には従うこと、しかし、少数意見も尊重されて、意見を無理に変える必要はないことなど、そうした民主主義の精神と倫理についての基本的な概念を生徒たちに教えて行くことである。そうして学級や学校を民主主義教育の現場にしてゆく必要がある。

また、具体的な教科の内容や教材などについての学習上の問題の把握と改善や、体育祭・文化祭などのクラス運営の問題などについても、子供たち自身の民主主義的なクラス運営によって、できうる限り自主的に解決してゆくための教育訓練も必要である。クラス会議の議長や書記の選出や議事録の取り方、文書管理の仕方など、会議の運営の仕方を教え訓練して、クラス運営の技術などについて基本的な事項を説明し、それを常に生徒と教師に携帯させて活用して、教育訓練してゆくことである。

そうしたクラス運営のための基本的な知識や技術も「民主主義手帳」に記録して、日常的に民主主義の精神倫理とその活用の技術をクラスの現場で教えてゆく必要がある。

ホームルームなどのクラス全体会議で、クラス内で起きている問題を、もし北海道の滝川中や福岡の筑前市の三輪中の生徒たちに起きているような「いじめ」があれば、それをクラスの問題として、生徒自身に自発的、自主的に発言させ、常にどんな問題であってもクラス内の出来事は隠すことなく問題提起でき「情報公開」できる雰囲気をつくり、同時に、クラス全体の力でクラス内の問題を自主的に解決してゆく訓練に日常的に取り組んでゆくことだ。

そうした教育訓練の必要を学校教育関係者、文部科学省職員、さらには安部首相や伊吹文部科学省大臣などが切実な問題意識としてもち、そうした民主主義教育の研究こそを実行して、その恩恵を生徒たちにもたらすようにすべきである。

安部内閣は教育改革を重要な課題として取り上げ、教育改革諮問会議をも立ち上げている。しかし、率直な感想としては、おそらくこれらの陣容では改革の実は挙がらず、今度もせいぜいお茶を濁すだけに終わるのではないだろうか。

 

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「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ(2)

2006年10月20日 | ニュース・現実評論

子供のいじめ行動は、また大人社会の模倣行動でもある。どこかの学校で教諭が校長の「パワハラ」で自殺したことも報じられていたが、大人社会の「いじめ」文化が子供社会に反映しているにすぎない。

こうした「いじめ」を学校内から発生することを防ぐ根本は、まず第一に共同体としての性格を学校に復活させることである。仲間意識や友情が育まれやすいように環境を整えてゆく必要がある。そのためには現在の学校教育における立身出世主義の、受験本位の、単なる就職のための教育観を改めてゆく必要がある。

大人社会が、「ホリエモン氏」のような弱肉強食の競争社会の覇者、「勝ち組」を持て囃しているから、子供たちもそれを見習っているにすぎない。そこには遅れた敗者や仲間に対する思いやり感情のかけらもない。どこかのボクシングのチャンピオンのような、ただ暴力的に強いだけでは何の価値もないことを思い知らしめるような文化の環境が、そもそも大人社会にはない。

他者のために、社会や国家のために尽くす、そうした人間を誉めたたえるような人間観や価値観、そうした文化の浸透した社会を形成して行く必要がある。戦前のいびつな滅私奉公に国民が懲りたからかもしれない。それにしても、今日の国民大衆の国家意識や郷土意識のなさも問題ではないだろうか。もちろん、競争は健全な人間社会に不可欠であるが、ライバルと友情が両立する文化社会でなければならない。

たしかに、学校は市民社会と家族の中間に位置する共同社会である。
学校は小さな一つの市民社会であるが、同時に、家庭の性格も持たせる必要がある。そうして学校という集団に共同体としての性格を復活させ、今子供たちに欠けている「横の道徳」を回復し、生徒同士のモラルを確立してゆく必要がある。

そのためにまず、一学級の単位定員数を二十四名にすることである。そうして生徒一人一人の言動について、クラス担任の目が、つぶさに行き届くようにすることである。現在の学級定員では、教師の生徒の心理と身体の状況把握は、物理的に困難であると思われる。

そして、クラス内に三(ないし五)人を一単位とした「班」を作る。その目的は、子供たちが学校生活や学級生活を営んでゆくうえで出会う、さまざまな問題についての相互扶助のための最小単位を作ることにある。学校生活の中では、子供たちの間に自然発生的に友だちやグループが形成されるが、それを自然発生的に任せるのではなく、三(ないし五)人一組の「班」を人為的に組織的にクラス内で作り、それを、生徒のさまざまな行動単位として、またクラスの運営単位としても明確に位置づける。

戦前日本の町内会に隣組とか五人組とかいった近隣同士の相互扶助を目的とした最小単位の組織が作られたが、それと同じように相互扶助単位を学級内に「班」として作ってゆく。それは、名簿順にか席次順にかで作っていってよい。いずれにせよ、そうした「班」単位の生徒関係を作ることによって、生徒一人一人の友情関係を深めるきっかけを作るとともに、子供たちが「いじめ」のような内面的な心理的な問題や健康上や身体的な悩みに出会ったときに、子供たちの間に助け手が身近にいるようにするためである。

生徒が孤立して周囲の友人から何の支援も受けられないという、殺伐としたクラスの人間関係を「組織的」に防いでゆくことが目的である。またそれは、学習活動の遅れや欠点を補う、生徒同士の相互援助の単位でもある。このように子供たちの学級構成を、友情や相互扶助が成立しやすいように、まず生徒たちの人間関係を組織面から改善してゆく。

 

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「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ(2)

2006年10月19日 | 教育・文化

子供のいじめ行動は、また大人社会の模倣行動でもある。どこかの学校で教諭が校長の「パワハラ」で自殺したことも報じられていたが、大人社会の「いじめ」文化が子供社会に反映しているにすぎない。

こうした「いじめ」を学校内から発生することを防ぐ根本は、まず第一に共同体としての性格を学校に復活させることである。仲間意識や友情が育まれやすいように環境を整えてゆく必要がある。そのためには現在の学校教育における立身出世主義の、受験本位の、単なる就職のためだけの教育観を改めてゆく必要がある。もちろん、競争は健全な人間社会に不可欠であるが、ライバルと友情が両立する文化社会でなければならない。

他者のために、社会や国家のために尽くす、そうした人間を誉めたたえるような人間観や価値観や文化の浸透した社会を形成して行く必要がある。戦前のいびつな滅私奉公に国民が懲りたからかもしれない。それにしても今日の国民大衆の国家意識や郷土意識のなさも問題ではないだろうか。

国家や民族意識の欠如した「ホリエモン氏」のような弱肉強食のグローバル競争社会の覇者、「勝ち組」を、大人社会が持て囃しているから、子供たちもそれを見習っているにすぎない。そこには遅れた敗者や仲間に対する思いやりの感情のかけらもない。どこかの国のボクシングのチャンピオンのように、ただ暴力的に強いだけでは何の価値もないことを思い知らしめるような文化の環境が、そもそも大人社会にない。

たしかに、学校は市民社会と家族の中間に位置する共同社会である。
学校は小さな一つの市民社会であるが、同時に、家庭の性格も持たせる必要がある。そうして学校という集団に共同体としての性格を復活させ、今子供たちに欠けている「横の道徳」を回復し、生徒同士のモラルを確立してゆく必要がある。

そのためにまず、一学級の単位定員数を二十四名にすることである。そうして生徒一人一人の言動について、クラス担任の目が、つぶさに行き届くようにすることである。現在の学級定員では、教師による生徒の心理と身体の状況把握は、物理的にも困難であると思われる。

そして、クラス内に三人を一単位とした「班」を作る。その目的は、子供たちが学校生活や学級生活を営んでゆくうえで出会う、さまざまな問題についての相互扶助のための最小単位を作ることにある。学校生活の中では、子供たちの間に自然発生的に友だちやグループが形成されるが、それを自然発生的に任せるのではなく、三人一組の「班」を人為的に組織的にクラス内で作り、それを、生徒のさまざまな行動単位として、またクラスの運営単位としても明確に位置づける。

戦前日本の町内会に隣組とか五人組とかいった近隣同士の相互扶助を目的とした最小単位の組織が作られたが、それと同じように相互扶助単位を学級内に「班」として作ってゆく。それは、名簿順にか席次順にかで作っていってよい。いずれにせよ、そうした「班」単位の生徒関係を作ることによって、生徒一人一人の友情関係を深めるきっかけを作るとともに、子供たちが「いじめ」のような内面的な心理的な問題や健康上や身体的な悩みに出会ったときに、子供たちの間に助け手が身近にいるようにするためである。

生徒が孤立して周囲の友人から何の支援も受けられないという、殺伐としたクラスの人間関係を「組織的」に防いでゆくことが目的である。またそれは、学習活動の遅れや欠点、弱点を補う、生徒同士の相互援助の単位でもある。このように子供たちの学級構成を、友情や相互扶助が成立しやすいように、まず生徒たちの人間関係を組織面から改善してゆく。

 

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「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ(1)

2006年10月18日 | 教育・文化

北海道と福岡のいじめ自殺 文科省、現地調査へ(朝日新聞) - goo ニュース

相変わらず、学校でのいじめは深刻で改善されていないようだ。以前にもこうした問題で論じたことがある。高校生の犯罪にちなんで──学校教育に民主主義を(1)さらにいくつかの提言を加えたい。

いじめはどこの国にでもある。それは人間の本性の一面でもあるから、根絶することはむずかしい。だからこそ、教育関係者はいじめの存在を前提として日常的に対策を講じてゆく必要がある。いじめの報告がなかったという表面的なことで満足するのでなく、むしろ、報告のないことを不自然に思うくらいの感覚を持つ必要があるだろう。

北海道で小学校六年生の女の子がいじめを理由に自殺をしたのは一年も前だそうである。福岡県筑前町の三輪中でおきた中学二年の男子生徒の場合には、遺書も残されていたそうである。本来、楽園であるはずの学園生活が、周囲の生徒の「いじめ」によって地獄と化している。

「いじめ」を根絶することは、人間社会から殺人事件をなくすようにむずかしいかもしれない。それが人間の悲しい性(さが)なのだろう。しかし、たとえ現実がどうであれ、「いじめ」は根絶すべく対策を講じてゆく必要がある。「いじめ」問題もその方法次第によっては、対策のあり方次第では相当の成果をあげることができる。学校生活で、いじめによる自殺など、万が一にも起させてはならない。

「いじめ」は犯罪であり、場合には、それは殺人行為である。そのことを、生徒自身のみならず、社会も教育関係者も保護者も持つ必要がある。今回の自殺をした北海道や福岡の生徒の保護者の皆さんは、みずから受けた被害を殺人事件として警察に告発するべきである。
調査によって犯罪が明らかになれば、加害者は少年院なり刑務所で刑に服すことになる。「いじめ」は刑事犯罪であるという認識が、生徒らにも教育関係者にも弱いのではないか。

サラ金の過酷な取立てでよって、債務者を鉄道自殺に追い込んだ業者が逮捕されたように、生徒を自殺に追い込んだことに客観的で明白な事実や証拠があるならば、そうした行為を行った生徒や教員は逮捕して正当な処罰を受けさせる必要がある。そうして、「いじめ」がれっきとした刑事犯罪であることを、社会にも教育関係者にも、そして、なにより生徒たち自身にはっきりと自覚させる必要がある。

そして、結果として、事実として「いじめ」による生徒の自殺を防ぎえていないということは、学校教育関係者がその職業的な義務と責任を全く果たしていないということである。学校内やクラスで起きた事件については、学校関係者は全責任を負わなければならない。それが職業的な管理者の責任であり、義務である。学校の教職員は、子供たちの人格と人命を保護し育成するという重大な責務をになっている。学校関係者がその義務を果たせていない以上は、司直の手によって法的に問題が解決されるよう対処する必要がある。


また、学校内に存在するさまざまな「いじめ」の現象のほかに、「大人社会」の中にも発生するさまざまな「いじめ」の現象傾向についても、首相や文部科学省の大臣らをはじめ、現在の日本の社会的な指導者の地位にある者の問題認識が弱いのではないか。

たとえば先般、靖国神社参拝問題で意見が異なることを理由に、元自民党幹事長の加藤紘一氏の自宅に放火した男がいた。その際にも、公然とマスコミに向かって、時の小泉首相がそうした暴力行為を非難したということも聞いていない。

今問題になっている北朝鮮の核実験にからんでも、どこかの朝鮮学校の竹やぶが放火されたり、朝鮮学校に通学する子供たちに「嫌がらせ」があるようだ。これらも明らかにいじめにほかならない。それなのに安部首相をはじめ文部科学大臣が、こうした国民大衆の下劣な傾向を、マスコミなどで公然と非難したということも聞いていない。

そうした「いじめ」にからむ品位のない国民の犯罪行為に対しては、一国の指導者である首相や文部科学大臣が、率先してマスコミなどに向かって非難し、批判するべきなのである。そうした習慣や文化を指導者が伝統的に作ってゆく必要がある。これまでの日本の指導者の誰が、そうしたことを十分に行ってきただろう。

首相をはじめとする国家社会の指導者たち自身の、「個人の尊厳」についての自覚と感度、「民主主義の倫理観」が問われている。現実がこの程度のものであるから、国民全体の水準も推して計り知るべしではないか。

 

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公明党の民主主義

2006年10月16日 | ニュース・現実評論

 

北朝鮮の核実験にからんで、それが連鎖的に日本の核武装へと波及することの懸念は欧米の論調でも多く見られる。もちろん、その根本的な理由は、日本の民主主義の成熟度に対する不審によるものだ。
海外からは、北朝鮮とならんで日本もまた、中川政調会長の発言のように「どうみても頭の回路が理解できない国」とまだ見られている。

さる十五日のあるテレビ番組で、自民党の中川昭一政調会長が、「核があることで攻められる可能性は低いという論理はあり得るわけだから、議論はあっていい」との認識を示したそうである。私もそうした意見は、自由な国民の中から当然に出て来てよいと思うが、今なおこうした問題では、「議論さえするな」という意見があるようだ。

これを報じていた朝日新聞の記事は以下の通りである。
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自民政調会長「核保有の議論必要」 首相は三原則を強調
2006年10月15日18時50分

 自民党の中川昭一政調会長は15日、北朝鮮の核実験発表に関連し、日本の核保有について「核があることで攻められる可能性は低いという論理はあり得るわけだから、議論はあっていい」との認識を示した。安倍首相は国会で「我が国の核保有という選択肢は一切持たない」と答弁している。だが、日本も核武装するのではとの見方が海外の一部で出る中での与党の政策責任者の発言は、波紋を広げそうだ。

 テレビ朝日の報道番組などでの発言。中川氏は非核三原則は守るとの姿勢を示したうえで、「欧米の核保有と違って、どうみても頭の回路が理解できない国が(核を)持ったと発表したことに対し、どうしても撲滅しないといけないのだから、その選択肢として核という(議論はありうる)」と語った。

 一方、安倍首相は15日の大阪府内での街頭演説でも「北朝鮮が核武装を宣言しようとも、非核三原則は国是としてしっかり守っていく」と明言。中川秀直幹事長も記者団に「首相の発言を評価している」と語り、党として議論するつもりはないことを強調した。

 また、公明党の斉藤鉄夫政調会長は同じ番組で「議論をすることも、世界の疑念を呼ぶからだめだ」と反論。民主党の松本剛明政調会長も「今、我が国が(核を)持つという方向の選択をする必要はない」と述べた。


http://www.asahi.com/special/nuclear/TKY200610150124.html

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この記事で気になったのは、公明党の斎藤鉄夫政調会長が「議論をすることも、世界の疑念を呼ぶからだめだ」と反論したとされていることである。

このようにして人はタブーを作り、自己規制し、思考停止に陥るのだ。そうして頭だけ布団に隠したつもりでも、危険は消えてくれる訳でもない。

この記事が真実なら、やはり公明党員らしい発言だなと思った。というのは、公明党は本来的に民主主義政党ではないと思っていたからである。もちろん、公明党が「民主主義」をその政党の基本的な原理にするかどうかは、公明党やその支持者の自由である。ただもし、多くの国民が公明党を民主主義政党であると考えているなら、再考の余地があるのではないかと言いたいだけである。そして、それが真実なら、民主主義を支持する国民はこの政党を支持しないだけの話だろう。

「議論することもだめだ」と言うのは、もちろん、「言論の自由」とその価値を知っている人の発言ではありえない。この報道が真実なら、公明党の政策責任者の「自由と民主主義観」がどのような程度のものであるかが、そこに計らずも露呈したのだろう。ふだんから民主主義が血肉になっている人には、ケガにもこうした発言は出てこない。こうした事実にも、公明党が本質的に民主主義政党ではないことを証明していると思う。もちろん、先にも述べたように、公明党が民主主義政党でなければならないということはない。日本の憲法は共産党などの全体主義的な政党も合法として存在を認めている。

ただ、近代現代を通じての人類の歴史的体験からも、自由と民主主義を原理としない組織は、それがたとえ政党であれ、国家であれ現代の組織形態としては、国際的にも公認されにくいというのが歴史的な事実ではなかろうか。そして実際、そうでない政党や組織、国家は事実として歴史からも姿を消していっている。

いずれにせよ、こうした事実からわかることは、宗教的に自由に解放されていない国民や民族が民主主義を標榜することは、やはり茶番や喜劇に過ぎないことである。これは何も公明党員のみに限らない。今イラクでアメリカは民主主義的な国家、政府の樹立を目指して、軍事的にも苦闘しているが、その困難の背景には、やはり、イラク国民、イラクの民衆の多数がいまだ自由な宗教に解放されていないという歴史的な現実がある。宗教改革を経ないそのような民族や国民が、そのままで国家や政府を民主化することはできないのである。少なくとも内在的に民主主義国家を形成することはむずかしい。

日本国がまだ事実として半民主主義国に留まっているのも、この公明党の斎藤鉄夫政調会長に見るように、国民の多数としては、いまだ自由の宗教へと解放されてもおらず、また「宗教改革」も経験していないからである。この事実は、いわゆる左翼であっても右翼であっても変わりはない。

もちろん、ある歴史的な段階にある国民や民族にとっては、民主主義的な統治形態が必ずしも適切であるとは限らない場合もある。それは先のタイで起きたクーデター事件でもみた通りである。ただ、そうした後退があるとはいえ、それでもやはり人類の進むべき歴史の方向は、自由と民主主義であることは認めてよいと思う。

  宗教と国家と自由 

  タイ国のクーデタ事件に思う

 

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詩篇第八十四篇註解

2006年10月12日 | 宗教・文化

詩篇第八十四篇

ギティトの調べにのせて指揮者に。コラの子供たちの賛歌。

どんなに愛されていることか。あなたの幕屋は。万軍の主よ。
主の庭を慕って、私の心は絶え入るばかりです。
生ける神に向かって、私の身と心は喜び歌います。
あなたの祭壇の傍らに、
スズメが宿を見出し、
ツバメが巣を作って雛を育てるように、
万軍の主、私の王、私の神よ。
なんと幸せなことか。あなたの家に住まう人は。
あなたを賛美する彼らは、さらに。セラ
なんと幸せなことか。
あなたの中に力を得、あなたの道を心に見る者は。
涙の谷を過ぎるときも、そこを泉に変え、
初雨もまた祝福となる。
彼らは力強く歩き、シオンで神々の神を見る。
主よ、万軍の神よ、私の祈りを聴いてください。
耳を傾けてください。ヤコブの神よ。セラ
私たちの盾をご覧になり、
あなたが油注がれた者の顔を顧みてください。
まことに、あなたの家の中庭で過ごす一日は、ほかの千日にも優ります。
悪人の天幕に住まうよりは、
私の神の家の門口に立つことを選びます。
まことに、主なる神は太陽にして盾。
主は恵みと誉れをお与えになる。
まっすぐに歩む者に、良いものを拒まれない。
万軍の主よ、
なんと幸せなことか。あなたに信頼する人は。

第八十四篇註解

巡礼のときに歌われたらしい。
ギティトとはハープのような楽器らしく、ガトからダビデが持ってきたとも言われる。
主の宮に旅だつ巡礼者は、主の宮の中庭をあこがれ慕って身も心も絶え入るばかりである。主の住まわれる宮はそれほど人々から愛されている。
その憧れ切なさが募るほど、それはやがて生ける神への出会いを予感して歓喜に代わる。恋する者にこがれるように、巡礼者は切ない憧れを歌う。
スズメやツバメがそこに巣を造るように、巡礼者は主の宮にたどり着き、そこに宿り憩う。主の宮に宿る人は、まして、主を賛美する人はどんなに幸せなことか。なぜなら、彼らは主の中に力の源と巡礼で辿り行くべき平安の道とを心の中に見出しているから。

私たちの生涯も巡礼のようなものである。涙の谷もあれば、苦難の山もある。

しかし、主に信頼する者には、嘆きも苦しみもすべて歓びの泉に変わる。雨も恵みの雨となる。
彼らはますます力強く歩み、ついにシオンで神々の中の神にまみえる。そこで私たちの祈りの聴き入れられることを祈る。

第十節にある「私たちの盾」とか「あなたが油注がれた者」とは誰のことだろうか。巡礼者たちを導き上った指導者か、あるいはダビデのような民族の指導者のことかもしれない。キリスト・イエスと読むこともできる。父なる神が独り子キリスト・イエスを顧みられ、永遠にいとおしまれるように。

木立に囲まれた美しい主の宮の中庭で過ごす一日は、他の所で過ごす千日にも優る喜び。まして荒野の日照りに悪人たちと同じ天幕に住まうぐらいなら、主の家に門番に立っていた方がましである。

主は、大地の恵みの源である太陽と私たちの身を護る盾にたとえられる。
主は、正しくまっすぐな道を歩む者に限りない恵みと誉れをお与えになり、良きものを何一つ拒まれない。主に信頼するものは、なんと幸せなことか。

しかし、旧約の人々がこうして憧れ巡礼で訪れたエルサレムの神殿はすでにイエスの死後、予告どおりに崩壊して今はない。今日では「嘆きの壁」として一部が存在しているばかりである。昔の神殿の麗しい面影はない。
イエスは「この山でもエルサレムでもないところで礼拝するときが来る」(ヨハネ書4:21)と言われ、イエスの宿る、聖霊の宿る私たちの身体こそが神殿とされるようになった。(コリント前書6:19)

そして、人間の手によって造られた幕屋、神殿にではなく、イエスは天に昇られて、そこで永遠の祭司としての位に就かれたのである。

こうして地上の神殿は天上に上げられ、私たちは、この天にある神殿に向けて、地上の巡礼の旅を続けることになる。しかし、たとい、神殿の場所が地上のエルサレムから、天上のエルサレムに遷されたとしても、地上の巡礼者が主の宮の麗しさを憧れ慕う心は変わらない。

 

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散歩道

2006年10月10日 | 日記・紀行

 

散歩に出る。自転車で出かけるときが多い。その散歩路の途上で出会う風景や植物、市街地など折に触れて紹介してみたい。地域の特色をさらに深く知ることができると思う。
まず身近な所から。この写真は散歩コースの一つである「竹の径」。夕方には人通りも少なく静か。最近は夕陽の落ちるのが早い。

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