作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

1月30日(木)のつぶやき

2014年01月31日 | ツイツター

[東京都知事選]田母神俊雄氏(元航空幕僚長)日本記者クラブ記者会見: youtu.be/lQbVmwGmuW4 @youtubeさんから


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冬枯れの山畑

2014年01月29日 | 日記・紀行

 

冬枯れの山畑。春夏の色彩に満ちた光景とはすっかり様変わりしている。ここ二三日の暖かさのために雪や霜の名残も消えてない。これまで果樹への人工的な手入れは放棄して、剪定も寒肥もほどこしたことはなかったけれど、今日はじめて15キログラムある鶏糞を二袋、中腹にある畑まで運びあげて、果樹と茶畑にそれぞれに施した。作業中も小鳥のさえずりも聞こえてこない。

  

夕闇の訪れも早い。六時も回るとすっかりあたりは闇に閉ざされる。山畑でみる星々は街中とは異なり、雲の流れの合間に見せる晴れた空に、オリオンと金星がくっきりと見える。

昨日、九州の叔母さんが亡くなられたという知らせを兄から聞いた。だから畑で作業しているときも、ずっとこの叔母さんとの記憶を思い出すようにしていた。子供の頃からよく世話にもなり、可愛がってもらったという実感がある。

叔母さん夫婦を京都などにもよく案内した。天龍寺で精進料理をいただいたことや京都タワーにのぼって市内を眺望したことも遠い昔のことになる。こうしてまた共に時間を過ごした記憶のある人が失われてゆく。

何となく  あおぎ見られし  三つ星を
    この夜限りに  思ひ留めむ

 帰途、桓武天皇のお后、藤原乙牟漏様の御陵の近くから市内を眺める。

            

 

 

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下鴨神社

2014年01月24日 | 日記・紀行

 

久しぶりに下鴨神社を訪れる。よく晴れて美しい日。雲一つないきれいな青空が広がっている。空高く描かれている飛行機雲もくっきりと見える。

参道口近くに早咲き桜があるという。すぐに見つけたが、確かに花を咲かせていたけれどとても、とても小さくて貧弱な桜だった。神社にはいつも糺ノ森の方から歩いて入っていたので知らなかった。

神社を訪れて境内の社などを見てまわると、そして取り囲まれた森の中に身を置くと心も落ち着く。というか拝殿などの神社独自の古い建築様式の与える印象と、近代現代建築に特有のガラスやコンクリートに囲まれる場合とは受け取る感覚が明らかに異なる。

本殿の奥へは進めないようになっていて、たたずまいがいつもとは違うようだと思いながら覗き込むと、奥の方に鉄パイプの足組とテントが見えた。どうやら工事中のようだった。

今年の正月もすでに終わっていて、喧噪もなく落ち着いて参拝できた。社殿の造りなどの一角を眺めていると、紫式部や清少納言ら古人の往時の生活環境に自然と思いがゆく。階段の下に木靴が一足揃えられてあった。蹴鞠にでも使われたにちがいない。

大きな絵馬の板があちこちの建物の壁に立てかけられてあり、そこに参拝客らの寄せ書きがびっしりと書かれてあった。たまたまその中に自分と同じ名前を見つけた。聖子さんという名前といっしょにハート形に囲まれてあり、forever love  とか下手な字も書きこまれてある。年末年始の参拝客の雑踏と若いカップルを想像させて微笑ませる。

ただ、こうした大きな絵馬が境内のあちこちの建物の壁に立てかけられているのは、いずれ撤去はされるとしても無風流というか、神社の落ち着いた感じにそぐわないように感じる。

土産物売り場に並べられた様々なお守りやお札、茶碗などを眺める。そのあと、みたらし川の方に行った。浅い水底に苔が目についた。掛かっている赤い橋の上には銀杏の実が落ちている。尾形光琳の国宝、紅梅白梅図のモデルにもなったという梅の木も傍にあったが、まだ咲いてはいなかった。

帰途、神社を出てすぐ近くにあるお店でわらび餅をいただく。奥の方に男性ばかり連れ立った客がいたが、入口の座席には客はなかった。女店員が奥で雑談しながら立っている。本当に何年ぶりになることか。反復はありえなことではない。みたらし団子は食べなかった。この団子の名前が下鴨神社のみたらし川に由来することに今になって初めて気づく。


 

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1月20日(月)のTW:#君主無答責、#国家神道、#神道、#GHQ

2014年01月21日 | ツイツター

『帝国憲法義解』。最も解説の頁が多い第55条2項「凡ソ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」。これで第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と整合する。天皇無答責はこの第55条2項が明確に表している。

shuzo atiさんがリツイート | RT

先の大戦の評価はひとまず措く。まずは国家神道と「神道」が無関係であることを証拠を用いて証明する。次にGHQが錯誤を犯して神道指令を発した事実を立証する。そして靖国神社を軍国主義神社とGHQが定義した誤りを明らかにする。これが喫緊の靖国問題対策。

shuzo atiさんがリツイート | RT

靖国問題。「過去への痛切な反省」「不戦の誓い」を世界の国々に伝えて真意が伝わったためしがない。またこれが真意だとしたら我が国は独立国ではない。
sankei.jp.msn.com/politics/news/…

shuzo atiさんがリツイート | RT

主張は自由だが根拠のない国家神道論は如何なものか。作り話もいい加減にしてほしい。
christiantoday.co.jp/articles/12615…

shuzo atiさんがリツイート | RT

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1月18日(土)のTW: 明治憲法、教育勅語の正しい解釈と『国体の本義』の誤り

2014年01月19日 | ツイツター

「1月17日(金)のTW:明治憲法の正しい解釈と『国体の本義』」大日本帝国憲法と教育勅語の正しい解釈との比較がなければ『国体の本義』の誤りは剔抉できない」佐藤雉鳴:超国家主義論を読む p.tl... goo.gl/TVyV0e


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1月17日(金)のTW:明治憲法の正しい解釈と『国体の本義』

2014年01月18日 | ニュース・現実評論

丸山眞男らの「ファシズム論」に対する先行する批判的研究。佐藤雉鳴氏「超国家主義論を読む」 p.tl/FD-u


産経新聞の宮家邦彦氏「靖国参拝は基本的に内政問題」というトンデモ認識。靖国問題は第一義的には神道指令に始まる日米問題である。この人は外務省出身とあるが少しは昭和史を学んでもらいたい。そんな認識で靖国をめぐる外交戦術は無理である。
sankei.jp.msn.com/politics/news/…

shuzo atiさんがリツイート | RT

「丸山真男も井上哲次郎と同様に、この「徳」を忠孝等の「徳目」と誤って理解しているのである。天皇が「徳目」を定めた事実などはないから、この文章は教育勅語の事実に反しているというのが本当である。」佐藤雉鳴:超国家主義論を読む p.tl/FD-u


戦後の克服のために検証を要すべき論説。「本来ならば八・一五の日は、教育勅語の誤った解釈が超国家主義の基であり、あの戦争が大日本帝国憲法と教育勅語に違背したものであることを反省すべき日だったのではないか。」佐藤雉鳴:超国家主義論を読む p.tl/FD-u


「教育勅語の誤った解釈を放置したために、GHQから神道指令が出され今日の政教問題や教育問題にまで繋がってしまっているのである。放置のツケは限りなく大きい。」佐藤雉鳴:超国家主義論を読む p.tl/FD-u


「丸山真男の「超国家主義の論理と心理」は単なる感想文の類の論文である。超国家主義の生成過程は何ら示されず、GHQの神道指令に便乗して書かれただけのものである。ただ直観的に教育勅語から演繹して書いたあたりは、・・・」超国家主義論を読む p.tl/FD-u


「学者として不誠実ながら巧妙だというべきだろう。この教育勅語の誤った解釈は井上哲次郎をはじめとする我が国知識人すべての罪である。そしてその誤りを訂正もせず、かつこの丸山論文を放置してきた戦後の知識人の罪は、・・」超国家主義論を読む p.tl/FD-u


「明治憲法にも不備があったことは否めない。内閣の規定その他、足りないものはある。しかし明治憲法が偉大なる成文憲法であることは論を俟たない。この明治憲法の正しい解釈と『国体の本義』の相違を示して、初めて有効な評価である。」佐藤雉鳴: p.tl/FD-u


「高い意識で『国体の本義』の評価を行った著者には敬意を表したい。しかし大日本帝国憲法と教育勅語の正しい解釈との比較がなければ『国体の本義』の誤りは剔抉できない」佐藤雉鳴:超国家主義論を読む p.tl/FD-u


小野田寛郎さんがお亡くなりになったそうです。もっと生きて活躍して欲しかった。戦前が否定的にのみ捉えられがちな戦後にあって、戦前を「肯定的に」生きて来られた数少ないお一人だった。ご冥福をお祈りします。 5.tvasahi.jp/000019747?a=ne…


「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎: youtu.be/I55pGrmbX1c@youtubeさんから


佐藤雉鳴氏は美濃部達吉の「天皇機関説」を肯定的にのみ論じているが、この「天皇機関説」の登場が、なぜ金子堅太郎たちによる排撃運動を呼び起こし、むしろ「国体の本義」に連なる国体明徴運動の誘因になったのか、


この美濃部の学説の罪について、欠陥についての否定的側面につての洞察と検証がない。【超国家主義論を読む】 p.tl/FD-u


「直接行動に依り所謂支配階級を打倒し、戒厳令下に軍政府を樹立し、憲法を停止し、枢密院、貴族院を廃止し、私有財産を制限する」
昭和戦前の赤い将校。帝国憲法を称揚するものは2・26事件を徹底批判して整合性がある。同様に文部省「国体の本義」も否定しなければ支離滅裂となる。

shuzo atiさんがリツイート | RT

@kuzukazura こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。


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1月15日(水)のつぶやき

2014年01月16日 | ツイツター
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1月13日(月)のつぶやき

2014年01月14日 | ツイツター

池田信夫氏や外務省の戦後民主主義の思想としての低さは、西尾幹二氏らと比較してみれば良く分かる。池田信夫氏は、日本国が「属国」であることを認識していながら・・・・【 池田信夫「日本は「属国」から脱却できるのか」 】goo.gl/yGVC3P


・・・・・・、西尾幹二氏のように「アメリカから独立して この国をしっかりとした国にして行くこと(反米ではない)」という肝腎の主体的な倫理的根幹を持たないことである。【 池田信夫「日本は「属国」から脱却できるのか」 】goo.gl/yGVC3P


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1月12日(日)のTW:「生存のリアリズム」

2014年01月13日 | ニュース・現実評論

福澤の「生存リアリズム」の再興、これこそが今年の日本の最大のテーマでなければならないと思うのである。(拓殖大学総長・渡辺利夫)【正論】年頭にあたり 今こそ、福澤の「脱亜論」に学べ - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/politics/news/…


西尾幹二氏のテーマ「あの戦争は何かについての議論は止まっているのか。そうではなく「新しい教科書運動」を始めたのは、共産主義の否定だけではなくて、・・」安倍首相"電撃"参拝激論!「靖国のすべて」 新報道2001 2014年1月12日: youtu.be/1e2VPpB4cNM


・・・アメリカから独立してこの国をしっかりとした国にして行くこと。あの戦争は何だったかについての議論は続いている。」安倍首相"電撃"参拝 激論!「靖国のすべて」 新報道2001 2014年1月12日: youtu.be/1e2VPpB4cNM@youtubeさんから


 
 
 

 

池田信夫氏や外務省の戦後民主主義の思想としての低さは、西尾幹二氏らと比較してみれば良く分かる。池田信夫氏は、日本国が「属国」であることを認識していながら・・・・【 池田信夫「日本は「属国」から脱却できるのか」 】

 
 
・・・・・・、西尾幹二氏のように「アメリカから独立して この国をしっかりとした国にして行くこと(反米ではない)」という肝腎の主体的な倫理的根幹を持たないことである。【 池田信夫「日本は「属国」から脱却できるのか」 】



※追記20140113

昨日、1月12日の池田信夫氏のブログでたまたま「日本は「属国」から脱却できるのか」という記事を読んだ。そこで池田氏は「米軍にただ乗りしてのんびりやっていく現状維持がいいのかもしれない――アメリカが許容してくれれば。 」と皮肉に結論づけている。
 
こうした池田氏や外務省に代表される戦後民主主義の知的レベルの低さは、「サンフランシスコ体制を正面から否定する」としか言えないその馬鹿さかげんと、現状維持のぬるま湯から抜け出せないことにある。しかし客観的な状勢はもはやこれまでのようにはそうした怠惰を許さないだろう。
 
戦後民主主義者たちの彼らには、西尾幹二氏のように「アメリカから独立してこの国をしっかりとした国にして行くこと」という肝腎の主体的な倫理的根幹を持ちえない。もちろん西尾氏は単純な「反米主義者」などではない。
 

2014.1.10 03:06

 拓殖大学総長・渡辺利夫

 歴史は循環するものだとつくづく思う。現下の極東アジア情勢は、開国・維新から日清・日露戦争にいたるあの時代の「生き写し」ではないかと思わされるほどである。往時の極東アジア地政学を慧眼(けいがん)のオピニオンリーダーがどう捉えていたのか、その言説が現時点から振り返っても正鵠(せいこく)を射たものであれば、現在のわれわれがどう立ち居振る舞うべきかをその中に読み解く、そういう知的営為を欠かすことができない。

 《亡国の危機背に書いた言説》

 国際情勢判断に寸分の狂いでもあれば亡国につながるという緊迫の状況下で書かれた言説こそが、危機の時代にあってなお幻想的なポストモダニズム気分を拭うことのできない日本の世論をまっとうなものとする唯一の方法にちがいない。日本の領域を侵犯し、日本人の歴史認識に刃向かう中国、韓国を眼前にしていると、明治18年、福澤諭吉がみずから創刊した『時事新報』に「脱亜論」を執筆したときの気分が私にもわかるような気がする。

 アヘン戦争以来の列強による「西力東漸(せいりょくとうぜん)」の危機が迫る中にあって、李朝末期の朝鮮は政争と内乱に明け暮れ、文字通りの「末期」的症状を呈していた。始末の悪いことに朝鮮は清国との服属関係(清韓宗属関係)にあり、内乱に際しては宗主国清に派兵を要請して事を収めるという体たらくであった。清国はといえば、もう一つの属邦ベトナムをフランスによって侵犯されながらも、大量の兵を朝鮮に派することを辞さない。

 ここで、福澤は朝鮮の自主独立をめざす開化派への支援の思いを深める。多数の朝鮮留学生を慶應義塾に受け入れ、門下生を朝鮮に派遣してハングル紙『漢城周報』を刊行。密(ひそ)かに開化派への武器供与をも企てた。朝鮮が清国との服属関係を断ち日本の明治維新にならう近代化を成し遂げねば、列強の餌食となることは火を見るより明らかだと語り、そうなれば日本も危うい。「我(わが)ためには恰(あたか)も火災の火元を隣家に招きたるものにして、極度の不祥を云(い)えば日本国の独立も疑(うたがい)なきに非(あら)ず」。脱亜論に先だつ明治14年に福澤はそう予言していた(『時事小言』)。

 《開化派敗れ清と朝鮮に憤激》

 しかし、開化派による守旧派打倒のクーデターが清兵の介入によって「三日天下」に終わり、首謀者が日本に亡命するという惨たる事実が明らかとなった。ここで福澤は脱亜論をもって清国と朝鮮に対する憤怒を露(あら)わにしたのである。「我輩を以(もっ)てこの二国を視(み)れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚(とて)もその独立を維持するの道あるべからず」といい、ならばわが国は「寧(むし)ろその伍(ご)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之(これ)に接するの風に従て処分すべきのみ」と断じた。

 清韓宗属関係の切断を狙って日本が清国に挑んだ戦争が日清戦争であり、これに勝利して日本は朝鮮と大陸への地歩を得る。しかし、日本が清国から遼東半島の割譲を受けたことに反撥(はんぱつ)したロシアが独仏を巻き込んで三国干渉の挙に出た。このロシアの南下政策に抗する日露戦争に日本は国運を賭して戦い、これにも勝利して列強の一角を占めたのである。

 日本の近代史の序幕に福澤という言論人を得たことの意味はまことに大きいといわねばならない。福澤の脱亜論が日本のアジア侵略の理論的先達であるかのごとき愚論がいまなお語られているのは、驚くべきことである。自国の存亡を賭して血を吐くように絞り出された脱亜論の文章を、後世のイデオロギーで断罪しようというのは、ただの知的退嬰(たいえい)である。

 《中華帝国と韓国の事大主義》

 中国の海洋への膨張が著しい。防空識別圏なるものが尖閣諸島を巻き込む形で設定された。「中華民族の偉大なる復興」が近年の中国のスローガンである。史上最高の栄華を極め、最大の版図を築いた清(大清帝国)への回帰願望の表出である。現在の中国は新帝国主義国家へと変貌した。

 この事実を目の当たりにした韓国が、朝鮮に伝統的な「事大主義」(大に事(つか)える思想)への先祖返りを鮮明にしつつある。中国に寄り添いつつ日本を貶(おとし)める反日シンドローム国家へと韓国は変じてしまったのであろう。アヘン戦争以来の「失われた歴史」を回収して新帝国を築かんとする中国の意図、朝鮮の事大主義への強い傾斜は、いずれも伝統への回帰であって、そのベクトルは強靱(きょうじん)である。

 支那、朝鮮への対応は「正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ」と福澤はいうのだが、現在の文脈でいえば、抑止力を背後に擁して外交に臨むのでなければ何ごとも解決しない、という意味に他ならない。日米同盟における集団的自衛権行使容認は喫緊の課題である。福澤の「生存リアリズム」の再興、これこそが今年の日本の最大のテーマでなければならないと思うのである。(わたなべ としお)

(c) 2014 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
 
 
 
 

 

 

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1月10日(金)のTW:#伊藤博文、#安重根、#国益、#GHQ史観、#自虐史観、#個別国家

2014年01月11日 | ツイツター

伊藤博文を暗殺したといわれる安重根は我が国の関東都督府に引き渡され死刑となった。だが現在の韓国では英雄である。つまりその国での名誉というのは他国の云々するところではない。いわゆるA級戦犯なるものも同じである。これまた朝鮮語のうまい芸人を韓国に派遣して語らせてはどうか。

shuzo atiさんがリツイート | RT

いわゆる戦犯について。裁判は口惜しいが我が国はサンフランシスコ講和条約第11条を遵守した。減刑も関係国との手続きを踏んでいる。国内での名誉回復はまた別次元。mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bl…

shuzo atiさんがリツイート | RT

 
 
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