作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第二〇節[報復と理性]

2020年11月24日 | 哲学一般

 

§20

Der Zwang, der durch eine solche Handlung gesetzt worden, muss nicht nur aufgehoben, d. h. die innere Nichtigkeit (※1)einer solchen Handlung nicht nur negativer Weise dargestellt werden, sondern es muss auch auf positive Weise die  Wiedervergeltung  eintreten. (Es muss gegen sie die Form der Vernünftigkeit über­haupt, die Allgemeinheit oder Gleichheit (※2) geltend gemacht wer­den.) 

第20節[報復と理性]

このような行為によって引き起こされた強制は、取り消されなければならないだけではない。こうした行為の内的な無効性は、ただ単に消極的な方法で表明されるのみではなく、積極的な方法で、報復  が行われなければならない。(これらの行為に対しては、合理性一般の形式が、普遍性または同等性が主張されなければならない。)

Indem nämlich der Handelnde ein vernünftiges Wesen ist, so liegt in seiner Handlung, dass sie etwas Allgemeines sei. Be­raubst du einen Andern, so beraubst du dich! Tötest du Je­mand, so tötest du Alle und dich selbst! Die Handlung ist ein Gesetz(※3), das du aufstellst und welches du eben durch dein Han­deln an und für sich anerkannt hast. Der Handelnde darf daher für sich unter dieselbe Handlungsweise, die er aufgestellt hat, subsumiert und insofern die durch ihn verletzte Gleichheit wie­der hergestellt werden: jus talionis.(※4)

すなわち、行為者は理性的な存在であるから、彼の行為のうちには普遍的なものがなければならないということが含まれている。あなたが他人からものを奪うなら、それはあなたがあなたを奪うことである!あなたが誰かを殺すなら、あなたはすべての人とあなた自身を殺すことになる!行為とはまさに、あなたが作り出した規則であり、無自覚的にであれ自覚的にであれ、あなたの行為を通してあなたが認識しているところの一つの規則である。したがって、行為者は自身がうち立てたのと同じ行為の方式の下に包摂されなければならない。そしてその限りにおいて、彼によって毀損されものと同等のものがふたたび回復される。jus talionis.(報復の権利)

Erläuterung

説明


Die Wiedervergeltung beruht überhaupt auf der vernünftigen Natur des Unrechthandelnden oder sie besteht darin, dass das Unrechte sich in das Rechte verkehren muss. Die unrechte Handlung ist zwar eine einzelne unvernünftige Hand­lung. Weil sie aber von einem vernünftigen Wesen ausgeführt wird, so ist sie, zwar nicht ihrem Gehalt nach, aber doch der  Form  nach, ein  Vernünftiges  und Allgemeines. 

報復は一般に、不法行為者の理性的な本性に基づいているか、あるいは、報復は不法そのものを合法へと転換させなければならないということのうちにある。不法な行為はたしかに一つの個別的な行為である。しかし、不法な行為は一人の理性的な存在によって引き起こされるものであるから、それは、たしかに内容においてはそうではないが、その形式  からすれば、やはり 理性的なもの  でありかつ普遍的なものである。

Ferner ist sie als ein Grundsatz oder Gesetz  zu betrachten. Aber als solches gilt es zugleich  nur für den Handelnden,  weil nur er durch seine Handlung es anerkennt, nicht aber die Andern. Er selbst also gehört wesentlich unter diesen Grundsatz oder dies Gesetz, das an ihm ausgeführt werden muss. Das Unrecht, das er ausgeübt hat, an ihm vollführt, ist Recht(※5), weil durch diese zweite Hand­lung, die er anerkannt hat, eine Wiederherstellung der Gleich­heit aufgestellt wird. Dies ist nur formelles Recht. (※6 )

さらに不法行為は一個の原理もしくは 原則 と見なされねばらない。しかし、かかるものとしては、それは同時に ただその行為者に対してのみ  通用する。というのも、ただ不法行為者のみが彼の行為を通してその原理、原則を認めるのであって、他の者はしかしそれを認めないからである。したがって不法行為者自身は本質的にこの原理もしくこの原則のもとに置かれて、彼に対してはその原理と原則が実行されなければならない。
彼の犯した不法が彼に対して実行されるとき、その不法は合法である。というのも、彼が認めているこの同じもう一つの行為を通して、同等性の回復が成し遂げられるからである。これはただ、形式的な法(正義)にすぎない。

 

(※1)
die innere Nichtigkeit
ここでの内的とは、 「内面的な」「内在的な」ことから「精神的に」「倫理的」「形而上学的な」「観念的な」の意味も含まれていると考えていいと思う。
ヘーゲルの用語法としての「inner」や「Nichtigkeit」については、あらためて別個に一項目をたてて考察する。
Nichtigkeit
無価値性、無効性、虚無性、
Nichts
空、無、虚無

(※2 )
ここでヘーゲルは、der Vernünftigkeit  über­haupt に対して、 die Allgemeinheit   普遍性 または Gleichheit 同等性 に言い換えている。
Vernünftigkeit (合)理性、über­haupt 概して、一般に、総じて、そもそも

(※3)
Die Handlung ist ein Gesetz.
行為は一つの法律である。
Gesetz は 法、法規範、法律、法規、律法、法則、原則、規則 などの訳語が当てられるが、ドイツ語には、setzen されたもの、据えられたもの、定められたもの、といった原意が含まれている。この意味でヘーゲルが言うように、「行為は一つの法律である。」 

(※4)
jus talionis、lex talionis:
the principle or law of retaliation that a punishment inflicted should correspond in degree and kind to the offense of the wrongdoer, as an eye for an eye, a tooth for a tooth; retributive justice.
目には目を - Wikipedia https://is.gd/jfbF5M

 

(※5)
Recht の概念には日本語では一括りにできないさまざまな意味がある。
noun
法、法律、掟、権利、正義、道理、正しさ、公正
右派、右翼
adjectiv
正しい、本当の、真の、右の

(※6)
Recht( 法、正義、真理、権利)において、 formelles Recht 形式的な正しさ  が考えられている。たとえば懲役や死刑のような「報復」(Die Wiedervergeltung)は、形式的に合法 Recht であるにすぎない。

「人の行為は彼自らの法である」という重要な思想が語られている。この思想はドイツ語そのものにも言い表されている。人の行為がそこに打ち立てるもの(setzen)がその者にとっての Gesetz(法律、規則、法規)にほかならない。  

 

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第二〇節[報復と理性] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/CJH

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十九節[刑事訴訟]

2020年11月16日 | 哲学一般

§19

Der andere Fall hingegen betrifft die Verletzung meiner persön­lichen äußerlichen Freiheit(※1), meines Leibes und Lebens oder auch meines Eigentums überhaupt durch  Gewalttätigkeit.

第十九節[刑事訴訟]

それに反して他の場合は、私の人格的な外的な自由や、私の身体や生命、あるいはまた私の財産一般に対する 暴力行為 による毀損にかかわるものである。

 

Erläuterung.

説明

Es gehört darunter erstens die widerrechtliche Be­raubung meiner Freiheit durch  Gefängnis  oder Sklaverei.  Es ist Beraubung der natürlichen äußerlichen Freiheit, sich nicht hin­begeben zu können, wohin man will u. dgl. m.Es gehört ferner hierher eine Verletzung des  Leibes  und  Lebens.

第一に、そこには 監禁 もしくは 奴隷制 による私の自由の不法な剥奪も含まれる。
人が自分の行きたいところにも行けない等々というのは、自然な外的な自由の剥奪である。さらに 身体 生命の毀損もここに含まれる。

Diese ist viel bedeutender, als die Beraubung meines Eigentums. Obgleich Leben und Leib etwas Äußerliches ist, wie Eigentum, so ist meine Persönlichkeit doch darunter verletzt, weil in meinem Körper selbst mein unmittelbares Selbstgefühl (※2)ist.

このことは私の財産の侵害よりもはるかに重要である。たしかに生命と身体は財産のように外的なものではあるが、そこではまさに私の人格性が傷つけられる。というのも、私の肉体そのもののうちには私の直接的な自己感情があるからである。(※3)

 

(※1)
 äußerlichen Freiheit
「外的な自由」とは生まれつきの「身体的な自由」であり、「内的な自由 der  inner­liche  Freiheit」、すなわち「精神的な自由」とは明確に区別されている。 

(※2)
私の身体も、私の財産一般と同様に、私にとっては「外的なもの」ではあるが、後者と異なるのは、そこには「私の直接的な自己感情」が存在することである。
mein unmittelbares Selbstgefühl  とは、身体にかかわる自意識である。

(※3)
民事訴訟の場合とは異なって刑事訴訟においては、被告人の行為による法一般や他者の人格に対する毀損が問題にされる。

 

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十九節[刑事訴訟] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/kgJNYs

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする