§281 Zusatz.〔der Monarch und der Herr in der Verfassung〕
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月26日 - 19:46
Wenn man die Idee des Monarchen erfassen will, so k… twitter.com/i/web/status/1…
§281 補註〔国家体制における君主と支配者〕一つの国家体制(憲法)において、君主と支配者は必ずしも一致しない。このことはヘーゲルの時代にナポレオンがドイツとの戦争に勝利してテューリンゲン州の州都エアフルト(Erfurt) (続く) tl.gd/nogo63
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月25日 - 22:06
かりそめにおく露とこそ思ひしか秋にあひぬる我か袂かな 詠み人:西行(山家集)
— 歌人 (@utabito) 2018年9月25日 - 04:00
我々は希望に従って約束し、恐怖に従って約束を果たす。(ラ・ロシュフコー) Wir versprechen aus Hoffnung und wir halten aus Furcht.
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2018年9月25日 - 22:04
千軍は得易きも、一将は求め難し。『通俗編』(大勢の人数を揃えるのはそこまで難しいことではないが、それらの人々を統率する指導者を得ることは極めて困難である。せっかくの人数も統制を欠けば烏合の衆と成り下がる。だからこそ優れたリーダーはいつの時代でも必要とされるのだ。)
— 老子 (@rousinokotoba) 2018年9月25日 - 23:04
国内の敵は、政府と国民を引き離すため、刃向かうものすべてを中傷し、とくに政府や州当局の要人に対して疑惑の目を向けさせることによって、政府の権威を根底から覆そうとする。国民がこれら当局者を信頼しなくなったときこそ、国民を操縦するのに最も容易なときである。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2018年9月25日 - 21:35
先にリンクした曲はバッハの作品ではないとのこと。It's not Bach. Under the upload date is the correct name - Concerto for oboe in d minor,
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月18日 - 04:35
the composer Benedetto Marcello. Please do not enter people astray.
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月18日 - 04:35
youtube.com/watch?v=-ywL_z…
Johann Sebastian BACH: Adagio, BWV 974
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月18日 - 05:38
youtu.be/2x-OHljZzHQ @YouTubeさんから
音楽の専門家でもないから、Youtube にあげられている、曲名と作曲家に十分に信用のおけるものかどうかわからない。
難波江の葦間にやどる月みればわが身ひとつもしづまざりけり 詠み人:藤原顕輔(詞花和歌集)
— 歌人 (@utabito) 2018年9月17日 - 10:00
革命前にはすべてが努力であった。革命後にはすべてが要求に変わった。(ゲーテ) Vor einer Revolution ist alles Bestreben, nachher verwandelt sich alles in Forderung.
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2018年9月17日 - 10:03
(ある国の)国民に戦うことを諦めさせ、軍用機や装甲車、訓練された部隊などはすべて役に立たないと納得させることができれば、武器を使うことなく、その抵抗を打ち破ることができる。それは巧妙な宣伝によって可能となる。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2018年9月8日 - 19:35
石破茂氏が経済論、憲法論議で犯してしまった「致命的なミス」 gendai.ismedia.jp/articles/-/575… #現代ビジネス
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2018年9月17日 - 06:04
石破茂氏が経済論、憲法論議で犯してしまった「致命的なミス」
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月17日 - 21:41
-高橋洋一
gendai.ismedia.jp/articles/-/575… #現代ビジネス
海自潜水艦が南シナ海で訓練 初の公表、中国けん制:日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXMZO…
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月17日 - 21:45
政と官 細る人材(1) はびこる慣習 衰えゆく組織
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月17日 - 22:37
2018/9/17付
日本経済新聞 朝刊
nikkei.com/news/print-art…
日本国からは本当の英雄が生まれない。なぜか?
Adagio - Johann Sebastian Bach youtu.be/-ywL_zokELE @YouTubeさんから
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月17日 - 22:58
§281 〔 最悪の制度としての君主選挙制〕 - 夕暮れのフクロウ is.gd/QU87ZU
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月16日 - 13:20
⎯ したがって、哲学のみにこの君主の尊厳を思考として考察することが許される。というのも、透視的な無限の自己創造的な理念以外の他のどのような研究の方法も・・・・。
§281c〔 最悪の制度としての君主選挙制〕
⎯ Deswegen darf auch nur die Philosophie diese Majestät denkend betrachten, denn jede andere Weise der Untersuchung als die spekulative (※1) der unendlichen, in sich selbst begründeten Idee hebt an und für sich die Natur der Majestät auf.
⎯ したがって、哲学のみにこの君主の尊厳を思考として考察することが許される。というのも、透視的な(※1)無限の自己創造的な理念(の概念的な把握)以外の他のどのような研究の方法も本来的に(必然的に)、(君主の)尊厳の本性を廃棄してしまうからである。
⎯ Das Wahlreich scheint (※2)leicht die natürlichste Vorstellung zu sein, d. h. sie liegt der Seichtigkeit des Gedankens am nächsten; weil es die Angelegenheit und das Interesse des Volkes sei, das der Monarch zu besorgen habe, so müsse es auch der Wahl des Volkes überlassen bleiben, wen es mit der Besorgung seines Wohls beauftragen wolle, und nur aus dieser Beauftragung entstehe das Recht zur Regierung.
⎯ 選挙君主制(選挙公国)がもっとも自然な考えであるようにみえる(※2)。言い換えれば、それが思想の浅薄さに最も近いところにあるということである。君主の配慮すべきことは、国民の関心事と利益であり、そうして、また国民の福祉の世話を誰に委ねたいかは国民の選択に委ねなければならないし、そして、この委託のみから統治の正当性が生まれるのだからと。
Diese Ansicht, wie die Vorstellungen vom Monarchen als oberstem Staatsbeamten, von einem Vertragsverhältnisse zwischen demselben und dem Volke usf., geht von dem Willen als Belieben, Meinung und Willkür derVielen aus - einer Bestimmung, die, wie längst betrachtet worden, in der bürgerlichen Gesellschaft als erste gilt oder vielmehr sich nur geltend machen will, aber weder das Prinzip der Familie, noch weniger des Staats ist, überhaupt der Idee der Sittlichkeit entgegensteht.
こうした見方は、君主についてそれを最高の公務員とみなす考え方や、君主と国民との間の関係を契約とみなす考え方などと同じように、多数者の利便、思い込み、恣意としての意志から出てくるものであり、⎯ このような考えは、ずっと前に考察されたように、市民社会において第一のものとして認められ、あるいはもっとさらには市民社会においてのみ通用するような考え方であるが、しかしそれは家族の原理でもなければ、まして国家の原理でもなくて、むしろ概して倫理の理念に背くものである。
⎯ Daß das Wahlreich vielmehr die schlechteste der Institutionen ist, ergibt sich schon für das Räsonnement aus den Folgen, die für dasselbe übrigens nur als etwas Mögliches und Wahrscheinliches erscheinen, in der Tat aber wesentlich in dieser Institution liegen. Die Verfassung wird nämlich in einem Wahlreich durch die Natur des Verhältnisses, daß in ihm der partikulare Wille zum letzten Entscheidenden gemacht ist, zu einer Wahlkapitulation, d. h. zu einer Ergebung der Staatsgewalt auf die Diskretion des partikularen Willens, woraus die Verwandlung der besonderen Staatsgewalten in Privateigentum, die Schwächung und der Verlust der Souveränität des Staats und damit seine innere Auflösung und äußere Zertrümmerung hervorgeht.
選挙君主制が諸制度の中で最悪のものであるということは、すでに、もろもろの経験からも悟性推理にとっても明らかになっている。ところで、その事実はただ偶然的なものか、見かけだけ本当らしいものに見えるけれども、実際にはしかし、この選挙君主制という制度そのものに本質的に存在しているものである。
選挙君主制においては、すなわち国家体制(憲法)は、特定の意志が究極の決定要因になるというその関係の本性からいって、一つの選挙協定によって、すなわち、特殊な意志の方向性に国家権力が支配されることになる。そこから、特殊な国家権力が私有財産へと転じ、国家の主権の弱体化と喪失、そして、その結果として国家の内部からの解体と、外からの破壊がもたらされることになる。
※
アメリカやロシアなどの大統領制をとる共和国は、君主を選挙で選出するという意味で、ここでヘーゲルのいう「das Wahlreich 」(選挙君主制・選挙公国)にほかならない。ロシアのプーチン大統領やアメリカのトランプ大統領の例に見るように、悟性推理にすら、事実に強制されて大統領制(君主選挙制)が劣悪なものであることを理解している。
また「学者」でありながら、そうした観点からしか君主制を理解できず、日本の皇室を批判して止むことのない日本の多くの憲法学者たち、また彼らによって権威とされている憲法学者の樋口陽一氏などにとっては、君主としての天皇についても「最高の国家公務員」とか「国民のロボット」といった見方しかできない。
(※1)die spekulative
ここでは「透視的な」と訳したけれども、多くの翻訳では「思弁的な」と訳して済まされている。しかし、それでは単に語句をドイツ語から日本語に置き換えただけで、その実質的な理解は得られないと思う。
「die Weise der Untersuchung als die spekulative der unendlichen, in sich selbst begründeten Idee」「透視的で無限な自己自身に根拠をもつ理念としての研究の方法」とはヘーゲル哲学の体系そのもののことにほかならない。そこに明らかにされているヘーゲルの論理学のように、絶対的に必然的な弁証法的な展開についての洞察、透視なくしては、君主の尊厳の価値も理解し得ないのだ、というのだろう。
(※2)sheinen 〜にみえる
ヘーゲルにおいては、sheinen はあまりいい意味には使われない。「外見上はそう見えるが、実際は〜〜である」としてヘーゲルらしく現象と本質との関係において事柄が見られている。
§281b〔君主の世襲制の根拠〕
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月8日 - 20:31
Geburts- und Erbrecht machen den Grund der Legitimität als Grund nicht eines bloß positiven Recht… twitter.com/i/web/status/1…
74:憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを(源俊頼朝臣)
— 百人一首bot (@onehundredpoems) 2018年9月8日 - 19:30
「最強」台風が京都の文化財に与えた深刻被害 今後の観光面への影響も懸念されている | 日テレNEWS24
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月8日 - 20:45
toyokeizai.net/articles/-/236…
二年前に平野神社で眺めた橘は無事だったろうか。
五月の花橘 - 作雨作晴 is.gd/gdnNUI
安倍首相、無電柱化進める考え~ネット「景観が良くなる、土地の価値が上がる、地震台風に強い、一石三鳥」「費用は建設国債発行して、それを日銀が買えばいいよ」「スズメはどうすんだよ」 anonymous-post.net/post-1318.html
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月8日 - 21:04
国家のトップが指導力を発揮して強靭な防災国家の建設を。
国民住宅(フォルクスハウス)―日本の科学と公共の意思 - 天高群星近 blog.goo.ne.jp/sreda/e/b35460…
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月8日 - 21:08
国家の危機管理の問題である。危機管理には、事前危機管理と事後危機管理がある。以前と比較すれば改善されてきているとはいえ、とくに地震やテロ、戦争などの対策において
首相を頂点とした統一性のある事前・事後の危機管理対策が十分に構築されているとは思えない。とくにあまりにも貧弱なのが、「事前の」危機管理対策である。国家の頭脳としての意思決定と、その全国津々浦々への迅速な伝達を担う神経組織が十分に効率よく組織立てられているとは思えない。
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2018年9月8日 - 21:09
手紙(メール)を長い間書けなくて残念です。することがたくさんありました。
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2018年9月8日 - 20:04
Es tut mir sehr leid dass ich dir so lange nicht geschrieben habe. Ich hatte viel zu tun.
祖国が占領されても、我々の力を浪費しないようにしよう。勇気を無駄に使わないようにしよう。待ちに待つことが大切だということを、誰もが理解しなくてはならない。無分別な怒りの行動を理性によって抑制しよう。行動を起こすにはまだ早すぎる。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2018年9月8日 - 20:36
§281b〔君主の世襲制の根拠〕
Geburts- und Erbrecht machen den Grund der Legitimität als Grund nicht eines bloß positiven Rechts, sondern zugleich in der Idee aus. - Daß durch die festbestimmte Thronfolge, d. i. die natürliche Sukzession, bei der Erledigung des Throns den Faktionen vorgebeugt ist, ist eine Seite, die mit Recht für die Erblichkeit desselben längst geltend gemacht worden ist.
出生と相続は、単なる実定法の根拠としてのみではなく、同時に理念のうちにある根拠として(世襲の)正当性を構成する。
⎯ 確定した王位継承を、すなわち自然な継承を通して、王座の就任をめぐる派閥の抗争は予防されるということは、それはずいぶん前から世襲そのものに対して正当に主張されていた一面である。
Diese Seite ist jedoch nur Folge, und zum Grunde gemacht zieht sie die Majestät in die Sphäre des Räsonnements herunter und gibt ihr, deren Charakter diese grundlose Unmittelbarkeit und dies letzte Insichsein ist, nicht die ihr immanente Idee des Staates, sondern etwas außer ihr, einen von ihr verschiedenen Gedanken, etwa das Wohl des Staates oder Volkes zu ihrer Begründung.
この一面はしかしながらただ帰結に過ぎない。それが根拠としてうけとられると君主の尊厳を(小理屈の)推論の領域に引き摺り下ろしてしまうことになる。この前提のない直接性と、そして究極の内在性という(君主の尊厳の)性格が、国家の内在的な理念ではなくて、尊厳の外にある何かに、尊厳とは異なった思想の一つに、国家もしくは国民の福祉とかいったものに、君主の尊厳の根拠が与えられることになる。
しかし、そのような有限な理由づけは、君主の地位の尊厳の根拠を、他にも、たとえば「国民の福祉」のためといったことに理由を求めることを許すことになる。それは世襲される君主の地位の尊厳の根拠の一面に過ぎないし、そうした有限な根拠は、君主の世襲についての正当な根拠にはならないという。実際にも、たとえば「民衆の福祉」 (salut du peuple)という大義をもって行われたフランス革命が、その結末に血を血で洗う権力抗争をもたらした歴史的な現実をヘーゲルは目撃している。
§281b〔君主の世襲制の根拠〕