ヘーゲル『哲学入門』序論 二 - 夕暮れのフクロウ blog.goo.ne.jp/aowls/e/447fac…
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2019年4月23日 - 16:09
Das Bewusstsein überhaupt ist die Beziehung des Ich auf einen Gegenstand, es sei ein innerer oder äußerer. Unser Wissen enthält teils Gegenstände, welche wir durch sinnliche Wahrnehmungen erkennen; teils aber Gegenstände, die dem Geist selbst ihren Grund haben. Jene machen die /sinnliche,/ diese die /intelligible/ Welt aus. Die rechtlichen, sittlichen und religiösen Begriffe gehören zur letzteren.
二
意識とは一般的に、一つの対象と「私」との関係である。その対象が私の内部にあるものか、あるいはそれが外部にあるかにはかかわらない。私たちの知識には、一方では、私たちが感覚的な知覚を通して認識する対象が含まれているが、しかし他方においては、その知識の対象は精神自身に根ざしている。前者は/感覚的な/世界からなり、後者は/知的な/世界を構成する。法的な概念、道徳的な概念、そして宗教的な概念は後者に属する。(※ 1)
※1
意識とは私と対象の或るものとの関係のことであるが、その対象は目や耳、鼻などの感覚器官によって認識しうる外部にある対象と、善悪や真偽、美醜など、精神自身に原因をもつ内部にある対象とに分かれる。後者は知的な世界を構成する。
現代日本の政治家の資質の劣化については、多くの国民にも気づかれ始めているのではないだろうか。右派に人気のある、ある作家の言によれば、現在の日本の政治家の八割方が「屑」の政治家なのだそうである。
しかし、現在の日本の政治家たちに、「野党の政治家たちは全部屑だ」などと愚痴ったところで、もちろん日本国民はいささかも幸福にもならず、日本政治の堕落と腐敗の事態がいささかでも改善するものではない。
考えなければならないのは、なぜ現在の日本の政治家たちの多くが国民多数の目には「屑」に映るのか、また、どうすれば国民の負託と需要に十二分に応えるこのとのできる資質と能力を持った政治家たちを得ることができるのか、ということだろう。
日本の政治家たちが「屑」に映るというのは、彼らが国民の貴重な税金を費消していながら、日本国民の多数の負託に十分に応えきるだけの資質と能力を欠いているためである。それは、最近の政党支持率を見ても明らかである。
彼ら政治家たちもまた親方日の丸で、彼らの職業活動である「政治」によって国民の需要に応えることがなくとも、政党交付金など税金で養われているために失業もしないから、堕落しきっているのである。
日本国の国家理念については、以前に「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」として定式化したことがある。これは、日本の国家としての理念であるとともに、日本国のもっとも普遍的な概念でもある。
それは国家の概念としては絶対的なものであり、日本国としての理念はそれ以外にはあり得ないものである。政党政治として、いやしくも日本国の政党である限り、与党も野党もこの国家理念を政治理念とすべきであり、すべての政治家は、この政治理念の実現を目指して政治に従事すべきものである。
もし、この政治理念に異を唱える政治家、政党が存在するならば、この政治理念に対する批判を明らかにして、自らの政治理念の優越とその正当性の根拠を論証すべきだろう。
「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」というこの普遍的な理念を日本国において具体的に現実的なものとしてゆくのは政治家の使命である。さらに、この国家の理念からいえば、日本国に存在すべき政党は、論理的には、自由を実現する「自由党」と民主的な国家社会の形成を目的とする「民主党」以外ではあり得ない。
この二つの政党によって日本国の政治が担われるべきものであり、かつ、それで必要にして十分である。そして「自由党」も「民主党」もいずれも、さらに根本的により完成された「独立した立憲君主国家」の実現を使命とする。日本国の政党と政治家は、この国家の理念を立法において、司法や行政、また軍事国防などの組織において、さらに具体的に現実的なものとしてゆかなければならない。
しかし、とくに我が国には、イギリスにおける保守党、アメリカにおける共和党に相当するような、自由と伝統を堅持する、いわゆる「保守政党」が存在しない。これは日本の宿痾といえるほどの政治の貧困であり悲劇である。日本の政治家たちの資質能力の劣悪さはここにまで至っている。とくに野党の現状はひどすぎる。
G.W.F. Hegel
Philosophische Propädeutik
Erster Kursus. Unterklasse. Rechts-, Pflichten-, und Religionslehre.
*Einleitung*
§1[意志と精神]
ヘーゲル 『哲学入門』
第一課程、下級クラス、法律、義務、および宗教についての教課
序
一
この教課の対象は人間の意志であるが、それはまた、特殊な意志の普遍的な意志に対する関係からみたときの意志である。意志として精神は行動的にふるまう。/行動的な/ふるまいは精神の/理論的な/ふるまいからは区別されなければならない。行動的なふるまいというのは、精神が自らの無規定に一つの規定を自分自身から与えるものであり、あるいは、本来的に精神自らの関わりなくしてすでにある諸規定を他の諸規定に置き換えるものだからである。(※6)
※2 / /に示された語は原文ではイタリック体。
精神はまず意志として現象するがそのときは行動的である。
1500/伊勢大輔/浮雲は立ちかくせども隙もりて空ゆく月の見えもするかな #tanka #waka
— 新古今和歌集_bot (@shinkokinshu) 2019年4月16日 - 22:30
自分が何かに役立ちうるところ、それがわが祖国だ! (ゲーテ) Wo ich nütze, ist mein Vaterland!
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2019年4月16日 - 22:04
某国元首:費用のかからない方法で敵を滅ぼすことができる。魅力でひきつける宣伝は効果的な武器だ。我々の意図を美しい装飾で包み隠そう。文化は立派な隠れ蓑になる。音楽・芸術・旅行などの口実で仲間をつくり、一方的な文化交流をしよう。彼らは徐々に罠にはまっていく。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2019年4月16日 - 23:35
百田尚樹氏「自民も8割が屑議員。他党は10割が屑。維新は5割が屑だからかなり良い」⇦これ、現在の日本の政治家に対する一般的な国民の評価を代表してるかも。 snjpn.net/archives/125078
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2019年4月16日 - 23:57
曲:愛の暮らし
歌:森山良子
作詞:Tommy Children・日本語詞:加藤登紀子
あの日 あなたの部屋をたずねた
窓をあけた ひざしの中で
あなたは 笑って迎えた
手をつなぎ ほほよせて
くり返す 愛のくらし
花は枯れて 冬が来ても
すてきな 日々はつづいていた
愛をかたる 言葉よりも
吹きすぎる 風の中で
求めあう ぬくもりが
愛のかわらぬ しるし
人はいくども 愛に出会い
終わりのない 愛を信じた
ある日 気がつく 愛の終りに
人はいくども泣いた
手をつなぎ ほほよせて
くり返す 愛のくらし
花は咲いて 春が来ても
すてきな日々は 戻って来ない
愛をかたる 言葉よりも
風にこごえた この両手に
あなたの身体の ぬくもりが
今も 消えずに残る
冷たい風の吹いていた帰途に。13時15分頃。川端通りの桜並木も、まだ二分咲きくらい。スマホから。 pic.twitter.com/zkQHpdIH2b
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2019年4月2日 - 20:05
この度のご譲位における新元号「令和」制定の経過における安倍晋三氏の元号の政治利用については、すでに多くの「識者」から警告が発せられています。
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2019年4月2日 - 20:55
安部晋三氏の元号政治利用についての自覚の低さは、氏やその他現代日本の政治家たちの資質の低さを証明しています。
政治家たちは皇室に関連することについて、あまり口を挟まないほうがいい。皇室にかかわる問題、事柄は、いわゆる識者、学者、文化人といわれる人たちに任せておけばいい。与党であれ野党であれ、政治家がしゃしゃり出て、皇室について余計な口を挟むべきではない。
とはいえ「天皇ロボット」論などを唱えておられる憲法学の泰斗である樋口陽一氏などは、今回の政治家、安倍晋三首相の元号の制定の過程における政治利用に反対できないはずだ。なぜなら、樋口陽一氏にとっては、恐れ多くも天皇陛下は、国民主権のもと選挙で選ばれた政治家、内閣総理大臣、安倍晋三氏のロボットと等しき存在でなければならないそうだから。憲法学の大先生、樋口陽一氏には立憲君主国家の意義が理解できない。
新しい元号の解釈などは、学者先生たちに、歴史家、文学者、古典研究者たちに任せておけばいいことであって、何も素人の政治家である内閣総理大臣の安倍晋三氏が、出しゃばって新元号の講釈などを垂れなくてもいい。
いうまでもなく、元号は皇室のものであり、国民主権の「国民」といった正体の定かでもない、またその実体もよくわからない雲をつかむような得体も知れない存在が決めるものでもない。
元号をお決めになるのは、あくまでも天皇陛下であって、内閣総理大臣の安倍晋三氏でもなければ、ましてや官房長官の菅義偉氏でもない。もし現行の日本国憲法が、日本の古来からの確立した慣習法から逸脱しているのなら、改正されなければならない。
内閣総理大臣はただその職責において「有識者」を組織して、元号について候補となる諸案を研究させる。その過程の中から内閣は閣議などを経て、いくつかの諸案を絞り込んでゆき、それらを新しき天皇陛下に奏上して、その諸案の中から最終的にご決定いただくべきものである。
たとい内閣総理大臣であっても、政治家である安倍晋三氏やまして官房長官である菅義偉氏などには「元号」についての最終決定権はない。このたびの「平成」後の新しい元号の制定過程を見ていて、あたかも現在の政権与党を担っている自民党政府の内閣に元号制定権があるかのように振舞っていた。
安倍晋三氏などは、あたかも自分が音頭をとって新元号を制定したかのように、高潮した浮かれた趣で、新元号である「令和」の意義の講釈を行なっているように見えた。そこには、元号はあくまでも皇室のものであって、内閣などの政治家たちによって政治的に決められるものではないという、元号制定についての政治家としての自己相対化の自覚と謙虚さがないように思えた。皇室のものである元号を取り扱っているという畏れや謙遜も見えなかったように思う。(思い違いなら幸いである)
立憲君主国家についての深い哲学的な洞察もない、国家社会主義の系譜を引く、「保守」を自称する政治家としての安倍晋三氏の振る舞いだけがそこに見られた。
(※20190403追記)
「天皇ロボット論」者である憲法学者、樋口陽一氏らには、なぜ内閣総理大臣である安倍晋三氏の「元号の政治利用」について批判する資格がないのか、上記での論考だけでは分かりにくいかもしれません。下記の論考なども参考に。
『天皇機関説』と『象徴天皇ロボット論』https://is.gd/54Lvs0