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作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

国民とは誰のことか

2010年02月27日 | 国家論

 

国民とは誰のことか                                                                  ――小沢一郎氏の民主主義

民主党や小沢一郎氏などがよく用いる言葉に「国民」という言葉がある。(もちろん、私もこの言葉を多用していますが。)実際においても、この「国民」という言葉は、現代の社会で最も多く使われる言葉の一つのように思われる。

先の二〇〇九年夏に行われた衆議院総選挙でも、民主党はマニフェストのなかで、「国民の生活が第一」であるといったスローガンを掲げて戦っているし、共産党の主張は昔から「国民が主人公」である。本当は「人民こそが主人公である」と言いたいのかもしれないが、国民新党などは党名そのものの中に、「国民」という言葉を使い、「国民のために働く」と言っている。

国民という言葉がこれほど多用されるようになったのも、太平洋戦争の敗戦後に制定された日本国憲法の前文などにおいて、「国民主権」の宣言されたことによるものにちがいない。明治憲法においては、井上毅の原案では「国民」となっていたが、伊藤博文によって「臣民」に代えられた。

しかし、そもそも「国民」とはいったい誰のことか。国民の定義はいったいどのようなものなのか。通常、普通に考えられている国民というのは、日本国民についていえば、日本国籍を有する人間の総体をいうのだろうと思う。さらにまた、たとえば小沢一郎氏などが「国民」という言葉で考えている中身は、具体的には、国民の人口の過半数のことであり、国民の多数者のことであろう。さらには選挙を通じて国民の過半数によって代表される、多数者の意思、いわゆる民意のことであると思われる。

とくに、本質的に権力者であろうとする小沢一郎氏などにとっては、この国民の意思とは、「民意」という自己の権力を確立するための手段であるところの「多数者の意思」に他ならない。

しかし、国民の意思といい、民意と言っても、それはちょうどルソー流の民主主義と同じく、理性や概念とはまったく無関係である。それは単に多数者に共通の、抽象的で悟性的な意思であるにすぎない。だから、フランス大革命の末期や共産党の文化大革命のように、ひとたび憎悪や嫉妬にからめとられると、多数者によるすさまじい暴虐として現象するのである。

それはまたかって共産主義国家や社会主義の歴史において、民主主義の多数者の意思として、政治的に経済的に破綻を招き寄せることになったものである。すでに過去の現実に見たとおりである。そして、鳩山民主党も同じように、この歴史の轍の跡を踏もうとしている。

このルソー流の抽象的な国家原理としての「国民の意思」は、もちろん、GHQの知識人たちの手を通して、現行日本国憲法に持ち込まれたものである。だからこそ、民主党や小沢一郎氏なども、このルソー流の「国民の多数の意思」をもって、いわゆる「民意」をもって国家の原理としようとする。しかし、この多数者の意思は、ただ多数であることを本質とするものであって、そもそも「法」とか「真理」とか「概念」とは無関係である。それゆえに彼らには、理性的な意思の現実としての国家というものに理解が及ばないのである。

その結果、多数を獲得して今やみずからを権力者と自覚するようになった小沢一郎氏は、国民多数の意思をもって、すなわち民意を自己が体しているという傲慢な思いこみの許に、なんらの畏れもおののきもなく、天皇陛下のご意志や国家や民族の理性的な伝統を踏みにじるのである。またそこから、法律違反の嫌疑に対する、検察の法に則った職務の忠実な執行も、小沢一郎氏にしてみれば、彼みずからの信じる民主主義への挑戦としか映らないのである。

民意という名の下に絶対的な意思を獲得したと盲信する小沢一郎氏は、ただひたすらに国会や選挙で多数を獲得することだけに狂奔して、そして、それが民意を体する民主主義を実行することだと悟性的に信じ込んでいる。それは多数に名を借りた「全体主義」であり、そこから小沢一郎氏に対して多くの人々から「独裁者の登場」とかいった批判も生まれてくる。

現実には彼の盲信する「民主主義」によって、かって歴史上に登場した多くの狂信的な革命家が実行したように、伝統や自然法といった現実の生ける理性をズタズタに切り裂いて殺してしまうことになりかねないのである。日本国民は、ただ多数であることだけをたのみとする小沢一郎氏などのルソー流の民主主義者を警戒する必要があるだろう。


参照


 沖縄県民の民主主義

 【正論】小沢氏の権力集中は独裁の序章 評論家・西尾幹二1.27 
 
  小沢一郎という私たちの問題(菱海孫)

 ヘーゲル『法の哲学』§258

 

 

 
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浅田真央選手、バンクーバー冬季五輪で銀

2010年02月26日 | ニュース・現実評論

 

浅田真央選手、バンクーバー冬季五輪で銀

バンクーバー冬季五輪でフィギュアスケート女子のフリーが行われ、浅田真央選手が銀メダルを獲得した。安藤美姫は五位、鈴木明子選手は八位に、アメリカの代表選手としてオリンピックに参加した長洲未来も四位に入賞した。

女子フィギアスケートは、バンクーバー冬季五輪でもそれなりの成績を残したが、全体として客観的にみれば日本チームは惨めな状況にある。かっては表彰台を独占したスキージャンプなども全く振るわない。国力からいって、本来ならドイツくらいの成績は残せるはずだが、残念ながら、今は壊滅的な状態である。その象徴がスノーボードの日本代表である國母和宏選手である。彼はまた戦後の劣化した日本人の象徴でもある。

オリンピック選手の競技能力も、人間性や国民性と深く関連している。國母和宏選手のように堕落した人間性の持ち主が、競技においても最強の選手に成れるわけがない。専門馬鹿のようにスノーボードだけ強くなることはできないのである。人間性の美しさは運動能力とも無関係ではないからである。

冬季オリンピックにおける日本チームの弱体化も、政治経済における国力の低下も、国民性の腐敗、堕落、劣化と決して無関係ではない。アメリカ議会の公聴会に呼ばれたトヨタ自動車の豊田章男社長のように、後に残された哀れな敗戦国世代が、戦前世代の築きあげた「企業の栄光」をいつまで保持し続けることができるかどうか。

浅田真央選手は銀メダルに終わったが、よく戦った。ただ、今回の女子フィギアスケートの中継放送を見ていても、前回のトリノオリンピックでの荒川静香選手ほどの域に達している選手はいなかったように思う。(荒川選手の金メダル、『NHKの言論自主規制)たしかに、キム・ヨナ選手はミスなく堅実に滑って金メダルを手にした。演技にふさわしい勝利だったと思う。韓国民にはうれしい結果だったろう。

それにしても、韓国民は何かにつけて日本の統治を植民地支配だの、従軍慰安婦だの何だのといって文句を付けて来るが、もし、日本の統治がなければ、今日のような韓国があったかどうか、自分たちの国が今果たしてどんな国家社会の姿をしていることになったか、よく胸に手を当てて想像してみるがいい。

日本は戦後のGHQの占領統治によって、日本らしい良さの多くが惜しくも失われ、忘れ去られてしまっているが、昔の日本の良さは、むしろ、日露戦争後から三十数年にわたって日本統治の続いた韓国人や台湾人にこそ残されている。戦後の日本人の多くが、GHQによる占領統治によって、國母和宏選手のような腐った植民地人のようになってしまったのと好対照になっている。戦後の日本はむしろ改悪されたが、韓国人や台湾人や戦前からのブラジルの日系人に、日露戦争を戦った頃の明治日本の良き面影が残されているといえる。

 

 

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存在・概念・真理・国家

2010年02月24日 | 哲学一般

 

存在・概念・真理・国家

どんな事物にもその「あるべき姿」ということが、それが自覚されているか否かは別にして、つねに考えられている。人間についても、バラの花についても、また、料理に使われるレモンなどについても、さらには、国家についてもおなじことが言える。

ある事物がその事物であり得ているかどうかについての判断は、人はつねにその事物の「あるべき姿」と比較しながら行っているといえる。だから私たちは「黄色くもなく」「酸っぱくもないもの」をもはやレモンとは呼ばないのである。また、もしその人間が、他者の所有品を盗んでばかりいたり、殺人行為を何らの道徳心ももたずに実行したりする人間であれば、その人間に対して「人でなし」と呼ぶのである。だから、その事物についての「あるべき姿」を頭の中に、その人の所有する観念の中にもっていないとすれば、価値判断も善悪の判断もできないと言うことになる。

個別具体的な赤い薔薇の花を指さして、あの「薔薇の花は赤い」というとき、その人は頭の中に「赤色」の「概念」と現実に目の前にある「薔薇の花の色彩」とを比較して判断している。また、「大輪の花を咲かせている」というときは、花の大小についての「概念」を基準として、その個別具体的なバラの花を見て判断しているということになる。

さらに「赤らしい赤」とか、「男らしい男」などと言うとき、その人は現実の男性や色彩の赤を、その人間が頭の中に所有する典型的で理想的な男性像や赤と、つまり「男性」や「赤」の「概念」と比較して判断しているのだ。私たちが日常にふだんに下す判断中には質的な判断、量的な判断などの本質についての判断のほかに、こうした概念の判断がある。

そして、個別具体的な事物が、人が一般にもっているその事物の「概念」と実際にはかならずしも一致しないということは多々あるものである。その時に人は、その事物ついて「おかしい」とか「変だ」とか判断するのだ。

  
ある国の国民が他国の軍隊や政府の謀略によって誘拐なり拉致などされて行ったとき、そして誘拐された国民の所属する国家が、その被害にあった国民を誘拐なり拉致から救い出すこともできず、救い出そうともしないとき、その国の国家主権が侵害されているとか、その国はおかしいとか、まともな国家ではない、とかいうのである。このとき、人々が「まともな国家」といった言い方で表している事柄を、哲学の用語では「国家の概念」というのである。

もちろん、にもかかわらず、そうした国家について、とくに「異常」とも「おかしい」とも感じも考えもしない人々、国民もいるものである。その時、「まともな国家概念」をもつ人間からは、判断能力が「低い」と評されたりする。あるいはまたそれを承認できないがゆえに、事物の価値判断をめぐって論争も起きたりするのである。たしかにイヌなどには、嗅覚や視覚については、人間と比較しても何十倍となく優れた感覚器官を持っているかもしれないが、国家や芸術品についての価値判断能力はない。その判断能力の差異は、概念的に判断する能力の差異による。

そして、なんらかの事物が、「まともでない」とか「おかしい」とか、「あるべき姿に一致していない」とかいう判断が求められるのは、その事物が何らかの対象や事件に出会うことによって、その事物の姿が対象や事件に映し出されることによってである。その事物の本質や概念が明らかにされるのは、そうした実験や経験によってである。もし、そうした現象がなければ、その事物の本質や概念も明らかにならない。その意味では、北朝鮮の行った拉致行為やオーム真理教事件などは、日本国民に国家や社会や教育などの現実の異常さを教える契機になっているのである。異常や特異さに気づくのは、その「あるべき姿」、「概念」を自覚することによってである。

現実の具体的な事物の姿、その実際の存在が、その事物の「概念」に一致しているとき、その事物は理想的な状態にあるのであり、真理にあるというのである。ヘーゲルの真理観とはそのようなものであったし、私たちもこうした真理観を継承している。だから、何よりも事物の現実の姿を理解し把握し判断するためには、その事物の概念が明らかにされていなければならないのである。概念論の決定的な重要さの所以である。しかし、このことについて論及してきた者はこれまで誰もいなかった。「真理」などを追求するという文化的な伝統も風土ももともとない民族や国民には、貧弱で虚ろな概念論しか持ちえないからである。宗教的な文化的な形而上学の干からびてしまった戦後民主主義の日本社会についてはとくにその傾向は著しいといえる。

日本国憲法は、果たして日本国をして「国家」たらしめているか、国家の概念があらためて問われなければならない。それが問われ解決されることなくして、多くの諸問題について根本的な解決も得られない。そういう時代の状況に来ているといえる。

 

 

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概念と種子

2010年02月17日 | 哲学一般


概念と種子

この論考が、「概念の概念」について研究することを根本的な目的にしていることは言うまでもありませんが、これまでも、「概念」については、その本質を「種子」との類比でたびたび説明してきたところです。一種のアナロジーですが、「概念」が「観念的な種子」でもあるということです。(もちろん、アナロジーによって説明することは哲学することではありませんが。)

しかし、こうした観点から「概念」について説明しているのは、私の知るかぎり大学のいわゆる講壇哲学者にも、在野の哲学者にもいないと思います。従来の概念理解の典型は、「概念」を「事物の何らかの普遍性を反映した観念形成物である」(ヘーゲル用語事典)とするといった理解の仕方です。一般にはそうした抽象的な単なる形式論理学的なレベルの理解にとどまっていると思います。初期の青年マルクスの概念理解もそうしたものでした。

また古在由重氏など唯物論者らの編纂になる「岩波哲学小辞典」などにおける「概念」の項目についての説明も、ほとんどこのレベルの理解にとどまっていて、ヘーゲルの概念論などは無視されているか、無理解のままにとどまっています。

そして実際にもまた多くの人がこのような「概念」の「常識的」な理解にとどまって、ヘーゲルの「概念論」についての本質的な、あるいは概念的な理解にまで進もうとせず、その豊かな富、その本質的な意義を理解し継承し発展させようとしてきた哲学者は誰もいなかったように思います。

「精神」の客観的な実在を認められない「唯物論者」は、事物に内在する主体的な、能動的な運動、発展の原理としての「概念」の客観的な実在を認めることも洞察することもできませんでした。それを認めることは「概念」を神秘化するものとして批判されてきました。その結果として、ヘーゲル哲学の「概念論」のもつ科学研究における豊かな富、貴重な遺産への洞察の道が閉ざされてしまったのではないでしょうか。

ヘーゲルのいう「科学的に」(Wissenshaftlich)に「事物」を理解するということは、その事物を概念から理解するということですのに、そうした一般の浅薄な概念理解のために、真実に事物を「科学的」に研究するということの方法論を理解し活用する道が閉ざされてしまうことになったといえます。

事物を概念から理解するということはどういうことか、もちろん、その見本は言うまでもなく、ヘーゲル自身がすでに実行して見せています。たとえば、国家の概念については、彼の「法の哲学」が国家について「概念的に理解」するということの具体的な事例ですし、彼の「論理学」は「概念」について概念的に理解することの見本になっています。

さらに国家についていえば、概念としての「自由な意思」がはじめの抽象的で普遍的な段階から、「特殊」な段階をへて、さらに「個別」の具体的な段階へと進展し発展してゆくという、その「国家の概念」の論理を明らかにすることによって、国家を科学的に理解すること、「概念的に理解する」ということがどういうことであるかを示す見本になっています。事物を「科学的に理解する」ということは、ヘーゲルの哲学的な意味では、そうしたことでした。

ですから、「種子」を具体的で個別的な生命の概念として、その具体的な普遍として理解することは、ヘーゲルの概念観を大きく誤って理解することにならないと思います。

さらに、私たちの「概念論」を深め、科学の精神と方法を深めるための議論を期待したいものです。

 

 

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津山(二)――――種子と土壌の問題

2010年02月16日 | 歴史

 

津山(二)――――種子と土壌の問題

津山では、私も商店街を歩いてみましたが、多くの地方都市がそうであるように、たしかに気がつくかぎり、津山もまた商店街の一部にはシャッターが下ろされていました。それほどに活気があるようにも思えませんでした。

日本国の力強い経済復興は、そして地方都市の再生という困難な課題の解決は、鳩山由紀夫氏のような、夢想家の指導者には望むべくもありません。それどころか、現在の鳩山(小沢)民主党政権の政策のゆえに、やがて一億国民が総化して、かってのアルゼンチンなどのように、いずれ国家破産を招くことになるでしょう。

それにしても、津山で私が思ったことは、「文化の土壌」という問題です。文化の育つ土壌ということを考える時、その土地の歴史と伝統とは切り離せません。文化の一つの象徴的な事例として、キリスト教のことを取りあげてもそうです。

安土桃山時代に南蛮文化が渡来してからも、キリスト教は全国に普及しましたが、徳川政権によって、その切支丹禁教政策によってほとんど息の根を止められてしまいました。

明治時代に入ってキリスト教は解禁になりましたが、しかし、それが受け入れられるとしても、全国津々浦々というわけには行きませんでした。

おなじイエスの教えを聴いても、それを受け入れる土壌がなければ枯れてしまいます。それが育つためには、それなりの土壌が必要だというわけです。このことについては、イエスが「種を蒔く人」にたとえて話されたことで有名です。

その種子がやがてどんなに美しい花を咲かせる可能性を持っていても、その種が道端に落ちてしまっては、鴉が啄んでいってしまって、花も咲きませんし、石だらけの土地に落ちても根付きません。茨の間に落ちても、成長を妨げられて育ちません。(マタイ書第十三章)

これまでも限りなく多くの人がキリスト教についても聴いているはずですが、津山の森本慶三や信州の井口喜源冶のようにそれを根付かせる者は限られていたという事実です。

ここでの私の問題意識は、キリスト教であれ何であれ、一つの文化的な事象が「根付くか根付かないか」その根本的な差異はどこから生まれるか、という問題です。その背景にその土地の文化、その場所の「歴史と伝統」があると考えざるをえません。

森本慶三の育った津山という土地、あるいは場所は、かっては織田信長の小姓であった森蘭丸の弟の森忠政が美作国津山藩の初代藩主となったところでした。しかし、その後、跡継ぎを得られなかった森家は断絶し、津山藩は改易となりました。そうして一六九八年(元禄11年)に越前松平家から、松平長矩(宣富)が美作津山藩を拝領して藩主となり、江戸幕府の直轄地となってそれが幕末、明治維新まで続きます。幕末、明治に日本の洋学の発展に尽くした箕作 阮甫などはこの津山藩主松平家の藩医として抱えられた家系に属していました。

幕府親藩の城下町として、津山という土地は、それなりに高い武家文化を保持していました。それは、歴史民族館を見学していてもわかることです。そして、商人の家系として、銀行の頭取の息子として森本慶三はそうした場所で生育し、明治と東京という時代と場所で内村鑑三のキリスト教と出会い、それを種として津山という土地に持ち帰り根付かせたのです。

とは言え、文化の継承と土着いう問題は、そこに人間の意思という問題が介在するゆえに、たとえ、森本慶三と全くおなじ境遇が存在したとしても、それで必然的に同じくキリスト教が受容されるということにはならないと思います。それが文化の継承という問題が、機械のようには一筋縄には行かない、むずかしいところなのでしょう。

 

 

 

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津山(一)

2010年02月12日 | 日記・紀行

 

津山(一)

所用があって津山まで出張した。前回の時は、京都から岡山駅までは新幹線で、そこから津山線に乗り換えて行った。しかし、今回は中国道を走るJR西日本バスの路線バスに、津山エクスプレス京都号のあることを知り、それを利用した。交通費も安く済んだ。

津山城跡が鶴山公園になっていることを津山駅前の案内所で教えられ、時間に余裕もあったので、そこを訪れることにする。こぬか雨の時折降る中を歩いて行く。先日ほどではないけれどまだ寒い。

やがて城垣が正面に見えたが、その通りの脇に、キリスト教図書館と歴史民俗館の建物があった。その真向かいには自然博物館もあった。歴史民俗館には、森本慶三記念館の表札が掲げられてあった。

森本慶三が内村鑑三の弟子筋の人で、津山の人であることは知っていた。だから思いがけないところで出会ったという感じだった。同じく内村鑑三の弟子で、信州で教育に従事した井口喜源冶のいることも知っていた。ただ、それでも私には、森本慶三も井口喜源冶の二人の区別もよくわからないくらいの知識しかなかった。

記念館の向かいにある自然博物館で入場券を買うようにという張り紙があったので、きびすを返してその窓口まで行き、入場券を買おうとすると、売り場に座っていた男の人が「自然博物館は入場されませんか」と言う。時間も多少に余裕もあったこともあり、ついでに見てみようかという気になって買う。

森本慶三記念館には、内村鑑三ら無教会のキリスト者たちの刊行した多くの雑誌が陳列されていた。わが国おけるキリスト教の受容の歴史と、その特殊性の存在がここにも、一つの客観的な事実として確かめられる。

この記念館には、そのほかにも江戸末期や明治期の商人の暮らしの様子を示すさまざまな民俗品が展示されていた。江戸末期や明治初期の文化の一端に触れることができる。切支丹禁令の高札の実物も、皮肉にもここで見ることができる。この一枚の高札の裏には、さまざまの悲劇が存在したにちがいないのである。

森本慶三氏は津山の商人の家系の出身の人らしく、実家の商家の品々が並べられていた。森本慶三は、教育や実業における貢献によって、初代の津山名誉市民にも選ばれている。知識に断片として残っていた礼拝に使われたオルガンが、かっての小さな伝道の歴史の跡を留めるように、説教台に並んでいた。明治期の日本のキリスト教の、地方の小都市への伝道の、それら小さな足跡をゆっくりと時間を掛けて眺めた。

自然博物館には、それほど期待してもいなかったが、実際に展示されている鳥類、ほ乳類動物の剥製、化石、鉱物など蝶、昆虫など多様多彩なコレクションを見て、その充実ぶりに、地球上のさまざまな生物の多様さ、その豊かさにあらためて感動させられる。

それはおのずからに、神の御手になる創造の、天地自然の壮大さ、人体の構造の神秘などに驚嘆せざるをえないようなものである。自然に対する、神の創造物に対する、こうした展示に見られる限りない知的好奇心と博学は、当然のことながら森本慶三のキリスト教信仰とその思想の帰結として生まれたものにちがいない。

                        

 

 

 

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