作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

NHK「京いちにち」で見た「土の塾」

2017年04月18日 | 農事


NHK「京いちにち」で見た「土の塾」

十八日の夕方遅くなって、ふだんチャンネルを合わせることの多いNHKの「ニュース6:30 京いちにち」を見ていると、新しく始まったらしい番組で「京の農家めし、漁師めし」の「第一回 たけのこ」が放送されていました。荒山キャスターが食材の「たけのこ」を取材するために西京区へ訪れた様子を何気なく見ていると、画面に「土の塾」の名前が出てくると同時に、塾長の八田逸三さんが映し出されていたので驚きました。少しも変わらずお元気そうでした。放置され荒れ果てたままになっていた竹林を、再び開墾してたけのこ畑に蘇らせたことなどが紹介されていました。塾長さんの他にも高橋さんや長岡さんなど私の見知った方々も番組に出ておられました。

「土の塾」には、ニ、三年前まで私も参加させてもらっていて、とても充実した楽しい農作業の時間を畑で過ごさせてもらっていました。しかし止む得ない事情で洛西から引越しせざるをえなくなり、その後も時間にもあまり余裕がなくなってきて、とりあえず退塾の形になっています。農作業初心者の私に、塾長や仲間の人からは、ジャガイモ、ショウガ、ネギなどの植え方、育て方などを懇切に教わるなど、折角にとてもお世話になっておりながら、そのままズルズルと塾長にもきっちりと挨拶もすることなく、本当に失礼したままです。お詫びの言葉もありません。

洛西の大原野にある塾の畑から見下ろす京都市内の眺望は、私の密かな楽しみでした。自分で苗木から育てたイチジクもわずかでしたがその実も味わうことも出来ました。果実を楽しみに植えた桃が春にはきれいな花を咲かせていました。ただ、梅干し用に植えた梅の木の苗木三本と柿の木は、とうとう何の収穫もないままになったのは心残りです。たった五年ほどの間でしたが、暑い夏に汗をかきながら収穫したトマトやキュウリの味わいも忘れられません。トマトをもいだ時にかいだ匂いは幼い時の懐しい記憶をふたたび蘇らせてくれました。

秋の収穫祭も、暑かった夏と寒い冬の間の塾の人たちとの共同作業も懐かしいです。残された人生の時間でやり遂げなければならない課題もまだ多く、引っ越し以来、山の畑からも遠ざかったままになっています。私が「土の塾」に農作業のお世話になっていた時のことは、このブログにも記録してあります。精神的労働と肉体的労働の調和、牧野紀之さんの「午前勉強、午後労働、夜娯楽」の「自然生活」はいまもなお私の追究する夢です。しかし、この立場もある意味では、若者の立場であり、ヘーゲルの現象学の用語で言えば、「徳の騎士」のそれにほかなりません。いずれは「世路」に敗北する定めにあります。こうして若者もまた現実の論理を骨身にしみてわからせられるのです。

 

 「ニュース630京いちにち」 https://goo.gl/5Yynwt

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白川、高瀬川と夜桜

2017年04月14日 | 日記・紀行

桜が美しかったので、高瀬川や白川沿いの夜桜を見に行きました。2017年平成二十九年の今年の春は、とりわけ桜の美しさが際立っているように思います。

バスで京阪三条まで行き、そこから歩いて祇園界隈に入りました。まっすぐに大和大路を下がって行くと、すでにかなりの人出がありました。海外からの観光客らしい人の姿が目立ちました。まだたそがれ時で青空も暮れ残っていました。途中に夕暮れの桜をデジカメに取ろうとした時、一人の白人の青年が石垣の上に乗って忍者のような格好をしている様子がたまたま私のシャッターチャンスに合ってしまいました。

少し進んで白川の大和橋に出くわすと、その南通を東に向かって歩いてゆきました。川沿いの桜並木がちょうど満開で、一帯は春の風情がたけなわでした。未だ暮れ残った空を背景にライトアップされた桜がとてもきれいでした。こうした花の盛りに巡り合うことはめったにありません。

途中に和服に着飾った若い三人の娘さんたちと行き違いました。これも過ぎ去ってゆく時間の一瞬です。やがて巽橋を右に折れて渡って、さらに花見小路を下がって行きます。そして四条通に出て信号を渡るときに、道路向かいにレストランの菊水が目についたので、そこで休んでゆくことにしました。


 

お店に入ってテーブルに腰掛けると、ちょうど音楽大学の若い学生さんらしいアンサンブルが、ジブリ・アニメの音楽や「花は咲く」などを窓際の方で演奏していました。最近は生演奏も聴く機会もめったにないので、上手下手はよく分かりませんがお陰ですこしでも楽しい一時を過ごすことが出来ました。



そして店を出ると、祇園白川の他に今日のもう一つの目的であった木屋町の高瀬川沿いの夜桜を眺めに行きました。四条大橋を渡って先斗町を通り過ぎる時、通りの入り口から先斗町の北に向かう方向に写真を取りました。この辺りの木屋町の高瀬川には、白川の巽橋付近のような情緒はありませんでしたが、春の夜の享宴の雰囲気は堪能できました。


 

 

 

 

 

 

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桜並木と比叡山

2017年04月10日 | 日記・紀行

       

2017年平成二十九年四月十日(月)翳

二年ほど前からですが、荒神橋あたりから上高野あたりまで、鴨川の川端沿いを仕事で、四キロメートルぐらいの道程でしょうか、賀茂川の川端沿いを走っています。それで冬枯れの季節から昨今の桜の満開の季節へと、さらにこれからやってくる新緑の若葉へと桜並木の変貌する様相を日々眺めることになります。

とくに春になって開花の時期が迫ってくると、それまでの冬枯れの桜並木の樹木全体にやがて赤みを帯びて来ます。そしてある日一夜にして開花します。

昨夜の日曜日には、台風並みの強い雨と風が一晩吹いて、開花したばかりの桜がどうなるか心配でしたが、まだ花が若かったせいか、翌朝に車で走りながら眺めても、ほとんど花びらは散っていませんでした。だから桜の花びらの散るのも、その根本的な原因は風や雨などの外部にあるのではなくて、桜の樹そのもののもつ内部的な生理的な法則そのものによるものであることがわかります。

その後は曇りと晴れが続いて、見事に花開いた桜並木を眺めながら川端沿いを走りました。二十歳台の独身の終わり頃に、吉田神社にもさほど遠くない川端一条の近くにアパートを借りて暮らしていたことがあります。鴨川沿いを出雲路橋まで上がって、そこからアルバイト先まで満開の桜並木を眺めながら自転車で通っていました。

その頃の暮らしは今も懐かしい思い出として残っています。その時は未だアパートも木造でしたが、東京、浜松、静岡などを放浪した後に、ふたたび京都に戻って来た時には、アパートはマンションに建て替えられていました。

それから半世紀近くにもなって、偶然か必然か、どういう運命の巡り合わせか、若い頃にしばらく暮らしたことのあるこの昔のアパートの近くをこうして再び行き来しています。この日も桜並木がきれいだったので、日々眺める比叡山を背景に馬橋からデジカメにとって記録しました。それでもどうしても光の国、影の国はやはり現実の世界の美しさには及びません。

 

              

 

 

 

 

 

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4月8日(土)のつぶやき

2017年04月09日 | ツイツター






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4月7日(金)のつぶやき

2017年04月08日 | ツイツター
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4月3日(月)のTW:#国債、#スティグリッツ

2017年04月04日 | ツイツター
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