九月二十六日(曇)
新しい鎌
畑の雑草などを刈るのにこれまでの鎌では間に合わなくなってきた。それで新しい鎌を手に入れるために、千代原口を越えたところにある金物屋に行った。ちょうどこの金物屋が面している物集女街道をもう少し北に走れば松尾神社に出る。さらに行くと嵐山に至る。
店内で鎌やその他の農具や工具を眺める。大小二本の鎌を手に入れた。店を出ても少し時間に余裕を感じたので松尾神社まで足をのばすことにした。自転車をゆっくりと走らせる。
酒の神様で有名なこの神社へも昔から何度も来ているのに、これまでに社中の庭園を拝観した記憶がない。さして興味もなかったから。しかし青年時代にこの神社を訪れたときとは明らかに感慨の異なるのがわかる。持参したデジカメで夕暮れの近い拝殿の外観を写真に数葉撮った。
境内の掲示によると、来月の十月の三日に観月の催しがあるそうだ。
もし記憶と余裕があれば訪れてみてもいいと思った。
神社の前に東海道自然歩道の標識があった。それを見て、苔寺の方角をめざす。
時間の合間を縫うサイクリングの散策の楽しみの一つは、まだ辿ったことのない道や町並みを新しく発見しながら走ることだ。自動車の行き来の多い物集女街道を北に外れ、閑静な住宅街を抜ける小道の間を行く。間もなく月読神社に出る。神社の前の公園で、まだ若い一人の妊婦を取り巻いて、数人の子供たちが何か歓声を上げながら遊んでいた。
月読神社はこれまで地図上でその存在は知ってはいた。実際に見るのははじめてのような気がする。あるいはこれまでに見ているのかもしれないが月読神社という明確な記憶はない。松尾大社にこんなに近くあるとは気づかなかった。
階段を上って参内すると、夕闇の濃くなりはじめた参殿の前で、数人の若い信者とおぼしき青年男女が熱心に祈祷を捧げていた。だから、拝殿の写真を撮るのは遠慮した。
境内の片隅に一羽の鶏のうろついているのが目に付いた。何という種類の鶏だろう。近づいて見ると玉虫のような光沢のある美しい羽をもった鶏である。神社の境内で飼われている神の鶏らしく、さすがに人を恐れず人なつこくて可愛い。
カメラでシャッターチャンスを狙ってかがみ込んでいる私のところに近づいては、膝や靴をしきりに嘴でつつく。背中の羽を撫でてやる。月読神社にまさか鶏がいるなど知らなかった。ハイキングではなく散歩の延長だから、弁当もパンも餌らしいものの持ち合わせのないのを残念に思った。私がもし田舎暮らしをするなら、きっと鶏も飼うはずである。
ふたたび石段を下りて道を走り出すと、ふたたび標識が目に付いた。鈴虫寺も同じ方向であることを思いだし、まずそちらに向かった。閉門時間は過ぎているから素通りするだけである。鈴虫寺の参詣の入口で写真を一枚撮っただけで苔寺に向かう。
閑静な住宅街とは細い清流を一つ隔てただけのところで、苔寺すなわち西芳寺は闇の中に沈もうとしていた。寺門への小さな架橋の脇のモミジが少し色づきはじめていた。
いずれ落ち着いて訪れてみようと思いながら、写真を一枚撮っただけで後にする。帰途に立ち寄ったホームセンターで、白と赤と桃色のきれいなコスモスが目に付いたので、裏庭にでも植えてみようと買って帰る。この花は今まで散歩の道すがらに眺めるだけだった。
新しい鎌
畑の雑草などを刈るのにこれまでの鎌では間に合わなくなってきた。それで新しい鎌を手に入れるために、千代原口を越えたところにある金物屋に行った。ちょうどこの金物屋が面している物集女街道をもう少し北に走れば松尾神社に出る。さらに行くと嵐山に至る。
店内で鎌やその他の農具や工具を眺める。大小二本の鎌を手に入れた。店を出ても少し時間に余裕を感じたので松尾神社まで足をのばすことにした。自転車をゆっくりと走らせる。
酒の神様で有名なこの神社へも昔から何度も来ているのに、これまでに社中の庭園を拝観した記憶がない。さして興味もなかったから。しかし青年時代にこの神社を訪れたときとは明らかに感慨の異なるのがわかる。持参したデジカメで夕暮れの近い拝殿の外観を写真に数葉撮った。
境内の掲示によると、来月の十月の三日に観月の催しがあるそうだ。
もし記憶と余裕があれば訪れてみてもいいと思った。
神社の前に東海道自然歩道の標識があった。それを見て、苔寺の方角をめざす。
時間の合間を縫うサイクリングの散策の楽しみの一つは、まだ辿ったことのない道や町並みを新しく発見しながら走ることだ。自動車の行き来の多い物集女街道を北に外れ、閑静な住宅街を抜ける小道の間を行く。間もなく月読神社に出る。神社の前の公園で、まだ若い一人の妊婦を取り巻いて、数人の子供たちが何か歓声を上げながら遊んでいた。
月読神社はこれまで地図上でその存在は知ってはいた。実際に見るのははじめてのような気がする。あるいはこれまでに見ているのかもしれないが月読神社という明確な記憶はない。松尾大社にこんなに近くあるとは気づかなかった。
階段を上って参内すると、夕闇の濃くなりはじめた参殿の前で、数人の若い信者とおぼしき青年男女が熱心に祈祷を捧げていた。だから、拝殿の写真を撮るのは遠慮した。
境内の片隅に一羽の鶏のうろついているのが目に付いた。何という種類の鶏だろう。近づいて見ると玉虫のような光沢のある美しい羽をもった鶏である。神社の境内で飼われている神の鶏らしく、さすがに人を恐れず人なつこくて可愛い。
カメラでシャッターチャンスを狙ってかがみ込んでいる私のところに近づいては、膝や靴をしきりに嘴でつつく。背中の羽を撫でてやる。月読神社にまさか鶏がいるなど知らなかった。ハイキングではなく散歩の延長だから、弁当もパンも餌らしいものの持ち合わせのないのを残念に思った。私がもし田舎暮らしをするなら、きっと鶏も飼うはずである。
ふたたび石段を下りて道を走り出すと、ふたたび標識が目に付いた。鈴虫寺も同じ方向であることを思いだし、まずそちらに向かった。閉門時間は過ぎているから素通りするだけである。鈴虫寺の参詣の入口で写真を一枚撮っただけで苔寺に向かう。
閑静な住宅街とは細い清流を一つ隔てただけのところで、苔寺すなわち西芳寺は闇の中に沈もうとしていた。寺門への小さな架橋の脇のモミジが少し色づきはじめていた。
いずれ落ち着いて訪れてみようと思いながら、写真を一枚撮っただけで後にする。帰途に立ち寄ったホームセンターで、白と赤と桃色のきれいなコスモスが目に付いたので、裏庭にでも植えてみようと買って帰る。この花は今まで散歩の道すがらに眺めるだけだった。