作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

二つの古い映画

2005年11月28日 | 日記・紀行

封切られたときから見たいと思っていた二つの映画のビデオとDVDが手に入ったので見た。一つはクリントイーストウッドとメリルストリープが主演の『マディソン郡の橋』という映画である。製作年月日を見ると、一九九五年になっていたから、早いものですでに十年が経ってしまったのだ。

もうひとつの作品はこれも古い映画で、『コンタクト』という作品である。これはジョディ・フォースターが主演している。いずれも一度は見ておきたいと思っていた作品であるが、都合が悪くていずれも見れなかったものである。ただ「コンタクト」はテレビ放送で一部は見る機会があった。

最近は便利になって、封切りの済んだ映画でも、ビデオやDVDになって売られることも多い。だから、見損なった映画も、ビデオやDVDでなら見られることになる。最近になって、この二つの作品についてビデオとDVDを手に入れることができたので、期待しながら見た。時間があれば、映画評論のようなものも書いて見たいと思っている。

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晩秋の大原野

2005年11月24日 | 日記・紀行

晩秋の大原野を散歩する。散歩と言っても自転車だから、散輪とでもいうべきか。今日は比較的に暖かく、手袋も必要はない。まだそれほど寒くもなく、心地よい。

銀杏や楓、紅葉などはすっかり色づいていた。

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日本の国家財政

2005年11月24日 | 日記・紀行

日本の国家財政

月収   47,8万円
ローン  18.4万円
可処分所得    29.4万円
家計費    47,3万円
田舎への仕送り  16.1万円
借入金      34.4万円 
ローン残高    538万円

毎月34.4万円も借金を続けながら、538万円のローンを返済することができるのだろうか。これから、財政問題を議論するときには、この数字を議論の出発点として、頭に入れておく必要がある。

 

経済諮問会議の第25回の議事録を読む。

 

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アメリカ自動車業界の苦境

2005年11月22日 | 政治・経済

 

アメリカ経済が現在、巨大な財政赤字を抱えていることはよく知られている。


「米商務省が10日発表した9月の米貿易赤字(サービス含む国際収支ベース、季節調整済み)は前月比11.4%増の661億600万ドルとなり、単月で過去最大となった。1―9月の赤字も約5298億ドルと前年同期を18.2%上回り、通年で7000億ドルに迫る勢いだ。対中赤字が単月で過去最大となった。」(日経11/10)いう。

特に対中貿易における赤字幅が大きく、米中貿易摩擦が顕在化しかねない勢いである。先般ブッシュ大統領がAPEC会議の出席後中国を訪問したさい、胡錦濤中国国家主席と会談した際に、ボーイング旅客機70機の購入を伝えたのも、特出した対米黒字に対する配慮を示したものである。アメリカは依然として最先端技術では世界最高の競争力を維持しているが、繊維では中国の、自動車や鉄鋼では日本や韓国、中国などの北アジアの工業力の前に敗退しつつある。昨日のニュースでは、GMの会長が破産法を申請をしないという声明まで出すに至っている。 


アメリカの自動車産業の不振は、環境対策とガソリン効率において日本車に比べて出遅れたことにある。インドや中国の経済的な台頭によってエネルギー需要が高まり最近の原油高騰に見られるように自動車のガソリン効率についての要求が高まるのは必然的である。この点でいち早く対応したトヨタやホンダが競争力を持つのは当然である。

 

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レンブラントの自画像

2005年11月14日 | 芸術・文化


レンブラントは肖像画家としても有名である。それも、自画像を生涯にわたって描き残した画家として。上に掲げたレンブラントのもっとも若き日の肖像も、特に印象に残っている作品の一つである。

若い日に自分の肖像を眺めるということ、青年時代には誰しも鏡に深く見入ったりするものである。自意識に目覚め異性への関心が芽生えると同時に、自己自身への強い関心からナルシシズムに浸る時期だともいえる。そんなときに、特にレンブラントのこの絵もよく見た。彼の肖像画を見ることによって、自分を見つめようとしたのかもしれない。


レンブラントは生涯に多くの肖像画を描いた画家でもあるが、青年時代から晩年にいたるまで自画像に執着するほどに、自分に関心を持ち、自己を見つめようとした画家である。オランダ市民社会の中での画家としての成功の絶頂と、その後の破産による没落、ユダヤ人たちとの交流など、すでにレンブラントは、市民社会の、資本主義社会の浮き沈みを先駆的に体験していたといえる。成功した市民名士たちからの注文によって描いた「夜警」とか「解剖学講義」などオランダの豊かな市民生活の一場面を切り取った作品もある。

 

そうした波乱万丈に富んだ生涯の中でも、サスキアやヘンドリッキェなどの妻をモデルにして官能的な女性像も多く残している。レンブラントは酒と女で人生を享楽する自分の姿を描く一方で、特に「水浴の女」などでは女性の心と肉体のやわらかさと優しさを、池の静謐さのなかに美しく見事に調和して描いている。レンブラントは器量の大きな画家である。

 

また、聖書の中の物語に取材したエッチングの作品も多い。一本一本の躍動したその線の動きは、レンブラントの才能と修行をよく現している。十字架を背負った死の道行のキリスト、十字架を立てられるキリスト、十字架から降ろされるキリストなど。その絵の中に自分を描き込むことによって、キリストに対するレンブラントの立場も明らかにしている。レンブラントの時代となると、キリストもきわめて人間的色彩が濃くなって、文字通り人間イエスが描かれる。イエスの肖像すら描いている。

 

彼の絵画の特徴は、光の取り扱いにある。鑑賞者の視線の焦点に光を当て、そこだけを闇の中から浮かび上がらせることによって、見るものに人物の精神的な内面を映し出そうとする。特に、「ホメロスの胸像を眺めるアリステレス」では、光が当たって金色に輝いている白い豊かな絹の袖をまとったアリストテレスが、盲目の詩人ホメロスの胸像に、静かにその手を置いて、凝視している。印象深い作品である。その個性的なポーズは一度見ると忘れられない。

 

また、「箒を持った少女」という作品では、その絵を鑑賞する者を、あたかも向こう側から、少女が箒をかかえながら凝視しているように描かれている。ただ、眼だけはレンブラントの眼をして見つめている。それにしても、これらの作品にはなんとも言えない甘美さも漂っている。それは画面の全体としての暗色の中に、レンブラントが目立たず散りばめた色彩の輝きから来るのかもしれない。

 

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アトムの肖像

2005年11月13日 | 日記・紀行

昨日、久しぶりにJR京都駅ビルの屋上にのぼった。大階段の前に来てみると、すでに大きなクリスマスツリーのイルミネーションが飾られていた。いつから飾られているのか知らない。ただクリスマスまでには、まだ一ヶ月以上ある。老若男女、ツリーに向けて携帯電話を振りかざして写真を撮っていた。

週末で、レストラン街の人出は多かった。専門店街のキューブもすこしうろついたが、みやげ物店もにぎわっていた。拉麺小路にも人が多い。黒袈裟に白足袋を履いたお坊さんが、五六人の子供を連れてレストランに入ろうとしているのが見えた。屋上の広場では、女性がきらびやかな衣装をまとって写真をとっていた。はじめは新婚旅行のカップルかと思ったが、どうやらモデル撮影らしい。彼女は中国語を話していた。

屋上では南側と北側から市街を展望できるが、下京区、南区、伏見区のある南側のほうがネオンサインなどの夜景はきらびやかで、それに比べると金閣寺や銀閣寺など観光地のある北側は、闇に沈んでいた。新幹線構内のホームの上にいる人が蟻ほどの大きさに見下ろせる。何か自分がガリバーよりも大きい巨人になったような気がする。京都駅周辺にはよく来るが、駅ビルの屋上にのぼることはめったにない。


京都駅ビルは巨大な建築である。それなりに立派であるとは思うが、京都の町にふさわしいかどうか。まあしかし、それは趣味の問題だから、なんとも言えない。多数決で決まったなら仕方がないと思う。
しかし、以前、鴨川の三条か五条かに架ける橋にフランスかどこかの橋をモデルにしようという企画があったくらいだから、京都の識者には、漫画好きの趣味の持ち主が多いのかも知れない。

京都劇場の横にアトム記念館ができているとは知らなかった。中には入らなかったが、入り口に手塚治虫氏の年譜がプレートにして張られてあったのを見た。氏が亡くなられたのは六十歳だという。意外に若かったのだ。何分、私が小学生の頃からアトム以前からの漫画を読んでいたから、もっと高齢で亡くなられたと思っていた。どういう因縁で京都にこういう施設があるのかよくわからなかった。ただ、手塚治虫氏が大きな足跡を残してゆかれたことだけは明らかだ。漫画を通して私の潜在意識にも強い力を持っているかも知れない。赤胴鈴之助、レッドマスク、鉄人二八号、とにかく漫画好きの子供だったから。

 

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理想の国家、現実の国家

2005年11月09日 | ニュース・現実評論



最も理想的な国家とは、宗教的に表現すれば「神の国」のことである。もちろん、完全に理想的な国家はこの地上には存在しない。しかし、より理想に近い国家ならある。現在の私にとって、その多くは欧州の国である。とりわけスイス、フィンランド、アイスランド、など北欧、中欧のどちらかと言えば小国である。さしあたっては、これらの国家を理想としている。特にスイスである。スイスは、面積としては日本の377835k㎡ に対して41290k㎡であり、日本の人口が1億2767万人であるのに対して、スイスの人口はおよそ745万人。しかし、一人あたりの国民生産は世界第5位だという。日本は11位である。世界的に有名な大企業も多い。フィンランドは携帯電話会社で世界的なシェアーを誇るノキアやパソコンの基本ソフトのLINUXで知られている。国際経済競争力でも世界一位に評価されている。

これらの国は、いずれも国民一人当たりの国民総生産は先進国でも最高水準にあり、教育程度も高い。OECDの学習到達度評価でも高い水準にある。ふだんは新聞やテレビのトップニュースに報じられるようなことはほとんどないが、国民は平和で豊かな生活を享受している。世界にトップニュースで知られることは必ずしも幸福なことではない。むしろ、その存在などほとんど知られることがなくてもよいのだ。

これらの国の特徴についても、多くのWEBサイトで調べることができる。

外務省、スイス連邦の項            http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/switzerland/data.html

スイスのページ  http://www1.linkclub.or.jp/~swiss/

スイス連邦(スイスれんぽう)──ウィキペディア(Wikipedia)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9

スイスの産業の特徴などは次のように記録されている。

──

「主な産業は、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業、金融業(銀行、保険)。

国民1人あたりのGDP(国内総生産)は、$32,000で、世界第5位(2002年)。ちなみに、日本は、$ 28,700で、第11位。

通貨のスイスフランは、金よりも堅いと言われるほどの安定通貨。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も、日本並みに高い。また、輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。スイスの欧州連合 (EU) 加盟の賛否を問う国民投票において、国民の過半数が反対票を投じる重大な理由はここにある。すなわち、スイス国民にとってEU加盟は何らメリットが見出せないのである。」──


スイスの国内産業には、観光や精密機械、化学薬品、金融保険などが多く、世界的な銀行や保険会社が多い。また、国内には、多くの国際機関が本拠地を置いている。


特に賞賛したいのは、多くの山岳地帯に非常に高度な技術に裏付けられた精密機械工業が存在することである。

わが国も、こうした美しい風土を背景とする観光産業と高度な産業技術の両立する国家社会を理想としたいものである。田中角栄の列島改造論以来、いたるところ荒廃してしまった国土を回復する必要がある。人心の荒廃と自然の荒廃には深い因果関係がある。

日本も山間部に森林を多く持っている。しかし、残念ながらそうした地帯の多くは過疎化が進み、荒廃こそ進んでも、そこに精密機戒工業が盛んになるなど考えられていない。また誰も、どこの自治体もそうした一帯に超高度の情報技術産業を確立させようと発想するものもいない。せいぜい、信州の諏訪湖畔に精工舎やエプソンなどの工業がある程度である。

発想を転換して、そうした過疎地帯にも、IC産業やその他の最新ハイテク産業を定着させることができないものだろうか。

そして、スイスにはもっともオーソドクスな民主主義国家体制を学ぶことができると思う。わが国の民主主義は、太平洋戦争の敗北を契機として、アメリカ占領軍によってもたらされたために、多くの点でわが国の「民主主義」は奇形化している。そのために『戦後民主主義』などと揶揄され誤解されることになっている。特に、戦争放棄条項と一緒に民主主義が憲法に導入されたために、民主主義が、極めて観念的な狂信的平和主義と混同されるようになった。特にこの傾向は女性に強いようである。

日本の民主主義を本来の姿に戻すために、自衛隊を国防軍に改組し、また、国民の兵役の義務化を主張したい。スイスでは、これらは自明の国民的な義務である。

私にとって多くの理想的で模範的な国家は、残念ながら、そのほとんどが北欧や中欧などのヨーロッパ諸国でありキリスト教国である。その中には残念ながら、アジアの国家、仏教国やイスラム諸国は一国もない。イエスが「ただ神の国を求めよ」と言ったことと無関係ではないと思う。

こうした事実を見るとき、国家の繁栄と民度や文化の水準の高さは、結局、宗教であるキリスト教と関係があると推測せざるを得ない。しかし、日本人は、この創造と主体性の根源を手に入れようとはしない。だから、いつまでも神の国は近づかず、いつも模倣と追随に終わるのだ。

(2005.08.05 )

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バッハの言語――①ブランデンブルグ協奏曲

2005年11月07日 | 芸術・文化

 

バッハの教会カンタータ第91、92、93番、ブランデンブルグ協奏曲、ヨハネ受難曲を聴く。

バッハの教会カンタータは、宗教詩と音楽を通じて、キリスト教の思想と感情を民衆の心の奥深くに刻みつける。今日では、特にわが国ではバッハなどは主にコンサートや音楽会で聴くが、バッハ自身は教会堂専属の作曲家として、毎日曜日ごとのミサや祝祭日に民衆が聴く音楽のために精力的に作曲した。彼の音楽は人間の情感を掘り下げ、切り開き、そこにキリスト教の思想を類まれな旋律でもって教化し続ける。この職人の芸術では音楽が言葉を支え、もっとも抽象的で原始的な「言葉」として、さらに根源から人間の情感を揺り動かす。そこには確固たる文化の様式がある。民族はこうした文化によって育まれるのだ。バッハの芸術もキリスト教なくしては生まれなかった。

キリスト教はもちろん普遍的な宗教である。キリスト教の神は人類の神であるから。しかし、それがどのように民族に受け入れられるかは、その民族の特殊性に従わざるをえない。日本独自のキリスト教神学やキリスト教芸術があって当然である。滝廉太郎の音楽や波多野精一氏らの哲学は、近代日本のキリスト教受容史の一つの足跡だと思う。

 

詩人、高村光太郎がブランデンブルグ協奏曲を聴きながら、十月三十一日に作った詩がある。

ブランデンブルグ」    

岩手の山山に秋の日がくれかかる。

完全無欠な天上的な

うらうらとした一八〇度の横道に

底の知れない時間の累積。

純粋無雑な太陽が

バッハのように展開した

今日十月三十一日をおれは見た。

「ブランデンブルグ」の底鳴りする

岩手の山におれは棲む。

山口山は雑木山。

雑木が一度にもみじして

金茶白緑雌黄の黄、

夜明けの霜から夕もや青く澱むまで、

おれは三間四方の小屋にゐて

伐木丁丁の音をきく。

山の水を井戸に汲み、

屋根に落ちる栗を焼いて

朝は一ぱいの茶をたてる。

三畝の畑に草は生えても

大根はいびきをかいて育ち、

葱白菜に日はけむり、

権現南蛮の実が赤い。

啄木は柱をたたき

山兎はくりやをのぞく。

けつきよく黄大癡が南山の草廬、

王摩詰が詩中の天地だ。

秋の日ざしは隅まで明るく、

あのフウグのように時間は追ひかけ

時々うしろへ小もどりして

又無限のくりかえしを無邪気にやる。

バッハの無意味、

平均率の絶対形式。

高くちかく清く親しく、無量のあふれ流れるもの、

あたたかく時にをかしく、

山口山の林間に鳴り、

北上平野の展望にとどろき、

現世の次元を突変させる。

おれは自己流謫のこの山に根を張つて

おれの錬金術を究尽する。

おれは半文明の都会と手を切つて

この辺陬を太極とする。

おれは近代精神の網の目から

あの天上の音に聴かう。

おれは白髪童子となつて

日本本州の東北隅

北緯三九度東経一四一度の地点から

電離層の高みづたいに

響き合ふものと響き合はう。

バッハは面倒くさい岐路を持たず、

何でも食つて丈夫ででかく、

今日の秋の日のやうなまんまんたる

天然力の理法に応へて

あの「ブランデンブルグ」をぞくぞく書いた。

バッハの蒼の立ちこめる

岩手の山山がとつぷりくれた。

おれはこれから稗飯だ。

 

Bach - Richter, Conciertos de Brandenburgo 1-6, BWV 1046-1051  

 

 

 
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ニーチェとキリスト教

2005年11月01日 | 哲学一般

                   
ニーチェは激烈なキリスト教批判者として知られている。  私もそのように聞いている。しかし、ニーチェがどのようにキリスト教を批判しているのか、その実際は不勉強のためにほとんど知らない。私はニーチェを自分の先生に選んだわけでもなく、また、限られたわずかな人生の時間の中で、ニーチェの研究にまでは到底手は回らない。

日本では西尾幹二氏らがニーチェ研究家として知られているようである。結局、どのような思想や哲学に興味と関心を持つか、そこにはおのずと個人の根本的な個性の本能的な選択が働くようである。興味や関心が持てなければ縁がなかったのだとあきらめざるを得ない。今に至るまでニーチェのような思想家に本質的な関心と興味を持てなければ仕方がないと思っている。

ニーチェの思想はキリスト教との対決と批判から生まれたと言う。ニーチェは代々の牧師の家系に生を享けたと聞いているし、また、ドイツ人は紛れもなきキリスト教民族である。私のように多かれ少なかれ青少年期からキリスト教にあるいは聖書に事実として関心を持ってきた者には、ニーチェのような思想家は、余りにもキリスト教的な土壌からしか生まれなかったことだけは理解できるように思う。共産主義と同様に、ニーチェのような思想は日本などからは生まれるはずはないのだ。

もっとも良いものは、もっとも悪いものである。もっとも純潔なものはもっとも腐りやすいものである。最善のものは最悪のものである。もっとも美しいものはもっとも醜いものである。もっとも優しいものはもっとも冷酷なものである。多少なりとも弁証法を聞きかじっている私にとって、キリスト教もまた、余りにキリスト教的なドイツにおいて、このような弁証法的な運命を辿ったことは容易に推測がつく。だから、ニーチェがキリスト教を最悪の「価値」として攻撃したことは、およそのところ推測できると思っている。劇薬は慎重に扱われなければならないのである。キリスト教と言えども、それは、いつでも容易に最悪の迷信や狂信に転化しうる。イエスもそのことを予測してか、繰り返し、「私に躓かないものは幸いである」と警告している。キリスト教がわが日本においてもドイツと同じような運命を辿らないとは誰も言うことができない。

 

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