11:24 from web
最終的な平和兵器。それは、核弾頭を搭載した原子力潜水艦を15隻を完成させ、それを日本列島の全国の秘密基地に潜伏巡回、常時待機させることである。そのことによって、いかなる国も日本国には武力的に手を出すことができなくなる。これは山本五十六提督の国土防衛戦略の完成でもある。
13:15 from Saezuri
哲学の仕事について―――
「絶対的なものは精神である。このことは絶対的なものについての最高の定義である。この定義を見つけ、そして、その意味と内容を把握すること、このことは全ての教養と哲学の絶対的な性向であった、と人は言うことができる。a
13:20 from Saezuri
これを焦点に全ての宗教と科学は自らを駆り立ててきた。この衝動のみから世界史は把握されなければならない。精神という言葉と表象は早くから見出されていた。そして、キリスト教の内容は、神を精神として認識させることを得させることにある。b
13:21 from Saezuri
ここで表象として与えられているもの、それ自体において本質であるものを、その固有の境地において、概念において理解することが哲学の仕事である。こうしたものは、概念と自由が哲学の対象となり、哲学の魂であるのでない限り、真実にかつ内在的に解決されることはない。c (§384)
13:40 from excite blog
[exblog] 9月30日(金)のツイッター http://t.co/EXj5UosA
14:03 from web
その時歴史は動いた 大久保利通「為政清明」 を見る。http://t.co/Y4FZaLpf
明治維新の三傑の功労者、大久保利通が命をかけて建設した日本の官僚組織。いまや一世紀半を経過して官僚らの既得権益化し、日本国民にとっては自由をもたらすものではなく、むしろ桎梏となっている。
16:27 from web
官僚組織でアレ、共産党でアレ、公明党でアレ、キリスト教会でアレ、農業協同組合でアレ、自由や正義を目指したはずの組織が、すべて時間の経過とともにその初心を失い、堕落し組織の存続自体が自己目的化し、変質して弁証法的な没落の運命を辿る。
16:28 from web
日本国民の課題は、この硬直化した官僚組織と政府を再構成するために平成の維新をやり遂げることだ。それなくして再生はない。
by soratine on Twitter
引き続きYOUTUBEを見ている。
「日本軍の極秘潜水艦 Japan's Secret Weapon」
http://t.co/DREuxh61
by soratine on Twitter
13:11 from web
ドグマティズム――二つの一面的な悟性的な規定のうち、一方のみに固執して他方を排除するのがドグマティズムである。・・・悟性的な諸規定を扱うとき、我々は感覚的な事物の場合よりももっと頑固である。・・・理性の戦いとはまさに、悟性によって固定されたものを克服することである。(§32.zs
16:52 from gooBlog production
哲学とブログの可能性 #goo_askys http://t.co/gAHKbw4j
16:55 from excite blog
[exblog] GOOブログとEXCITEブログ http://t.co/xqCIZz4m
20:39 from web
YOUTUBEで、「そのとき歴史は動いた」という番組の「吉田松陰」と「戦艦大和」を見る。
「吉田松陰」
http://t.co/8LyJZuxM
「戦艦大和」
http://t.co/q55qAFc9
by soratine on Twitter
10月6日(木)のつぶやきhttp://t.co/Ldk2rgrD
14:04 from web
通常のありきたりの意味での自己認識は、すなわち、個人に特有の弱点や欠点の探求といった意味での自己認識は、哲学にとっては何の意味も持たない。
同じことは、個々の精神の固有性に関して判定する場合にも、いわゆる人間知についても当てはまる。a (S 9 )
14:04 from web
とくに、法や倫理によるのではなく、そうではなく、個々人のわがままや気まぐれ、身勝手などが支配している劣悪な政治的状況においては、―――事柄の本性のうえにではなく、むしろ、ある者が他人の特性を上手に利用してふるまい、また、それによって偶然的な目的に達しようとするような――― b
14:07 from web
陰謀の場所においては、こうした認識は、もちろん生活にとって有益であるし必要である。しかし、人間知が、偶然的な個別性の考察から偉大な人間的性格の把握へと自分を高めることができないほど、こうした人間知は、哲学にとってはまさにまったくに無関係である。 c
14:07 from web
人間の真実の本性は、偉大な人間的性格の把握を通して、ゆがめられない純粋さにおいて直観されるようになるのである。 d
by soratine on Twitter
もっともアメリカ人らしいアメリカ人。日本からはとうてい出てこない人物。20世紀を象徴する人として、多くの人から哀惜される。>> <<http://t.co/MpoXAoOo ジョブズ氏をしのび、功績を語るビジネス界リーダー - WSJ日本版 - jp.WSJ.com
12:03 from Twitpic
福島の災害にもめげることなく http://t.co/4CrA8F8A
12:07 from Twitpic
20110928山畑の通りすがりに http://t.co/rAkWw4JB
19:14 from Tweet Button
海上保安庁の警備能力だけでは対応できないときがくる。そのとき政治家たちは津波や原発事故の時の菅や仙谷のようにうろたえないでいられるか。<<http://t.co/qIToTecM 海上保安庁、尖閣諸島沖の警備能力を増強 - Japan Real Time - jp.WSJ.com
19:45 from Tweet Button
池田氏が武田氏を批判している。自分のブログに原発問題の参考意見の一つとして、武田教授のブログにリンクを貼ったことがある。>><<RT @ikedanob: 池田信夫 blog : 武田邦彦氏の売り歩く放射能デマ - ライブドアブログ http://t.co/6M6ThUxu
20:01 from web
こうした問題については、一個人や一学者の見解ではなく、原子力安全委員会や政府が権威をもって信頼に足る数値を示すべきなのだ。しかし、東電や安全委員会、政府の対応が過去の経緯からまったく国民から信頼されていない。日本国民の不幸は、信頼に足る政府をいまだ持ち得ていないことにある。
20:10 from web
ただ、問題は国民が自ら本当に信頼に値する政府や官僚組織を持ちうるのか、それは果たして実現できる課題であるのか、できるとすれば、それはどのような条件で可能か、そういった根本問題が先行する。緊急の目先の問題解決にはまことに悠長な問題提起ではあるけれども。
20:51 from web
東電福島原発事故による放射能汚染被害についても、2011年3月11日の時点で定められていた、現行法令における線量限度が尊重され守られるべきだろう。それに違反する現状は取り締まられ、改善されるべきなのである。政府関係機関は最大限そのための努力をしなければならない。
21:00 from web
原子力百科事典http://t.co/gP6fWJkH
などによれば、2011年3月11日の時点で定められていた、現行法令における放射線量限度は次のようなものだ。
現行法令における線量限度
http://t.co/TPNMxtDX
21:01 from web
国民が政府や文部科学省、経済産業省などの関係各機関にこれらの法令を尊重してその遵守を要求するのは当然だろう。それに違反するような行政措置は訴訟問題に値する。
21:06 from web
放射線量限度 (09-04-02-13)
http://t.co/SqkKTanT
22:06 from web
政府や文部科学省の原子力行政や現在進行形の原発事故対策についても、引きつづきさらなる情報公開を求めてゆくとともに、その経過もできるかぎり多くの国民に明らかにされて、自由な監視と批判の許に置かれるべきなのでしょう。
原子力委員会定例会議
http://t.co/VzjUgF9e
by soratine on Twitter
『ヘーゲル哲学体系. 第1論理学 第2部自然哲学』 速水敬二訳 筑摩書房 1949.の古本を注文したつもりだったのに、どこでどう間違えたのか、『ヘーゲル全集.2a 自然哲学 上巻 哲学体系2』 加藤尚武訳 岩波書店 1998.3. が届いてしまった。
00:28 from Saezuri
前回は、自然哲学と精神哲学の接点に位置する、意識の実体である「心」の所を読んできた。「心」「意識」「精神」などの用語、ヘーゲルの概念規定についてもう少し復習しておきたい。「自然においては自由が支配しているのではなくて、必然性が支配しているのである。」(S 26 )
01:09 from Saezuri
経験科学と哲学との差異:
経験的諸科学においては素材が経験から与えられたものとして、外から受け入れられ、かつ、すでに確立している一般的な規則(因果関係)にしたがって外面的に関係づけられているとするならば、a
01:25 from Saezuri
弁証法的な思考は、それとは反対に、自分の対象とその発展を、絶対的な必然性の中に証明しなければならない。b(S 15 )
11:32 from Saezuri
概念は三つの契機をもっている。普遍→特殊→個別。動物は生ける普遍性として、つまり概念として捉えられる。概念は推理によって上記の三つの規定に連結されるから、動物においてもこの論理は貫かれている。A)個体的な理念―形態、B)自然との同化、C)他者において自己と関わる類の過程。§352
11:39 from Saezuri
GOOGLE+ではツイッターのように140字の制限はないから、研究メモとしてはこちらの方が使い勝手が好いかもしれないが、残念ながら今のところ、SAEZURIような便利なツールソフトが見あたらない。
12:16 from Saezuri
精神のそこに存在するものが、この普遍性である。この普遍の中で、精神の中で、自然は消えている。精神とは、自己自身に達した理念、自己を自覚している現実的な理念である。だから、理念においては客観と主観が同じ概念である。概念は自然において自らを完全に客体化している。§381
14:26 from Saezuri
「日本に敵いない」~中国ネット大手、百度に聞く日本戦略 2011/10/5日本経済新聞電子版「問題は日本の教育の仕組みだ。日本の小学校の運動会では、みんなそろって金メダルをもらっている。中国では1番にならなければ金メダルをもらえない」のだそうだ。どちらが社会主義国家か?
by soratine on Twitter
日本の政治文化から田中角栄的な金権政治体質を脱臭することは、政治思想以前に、政治の品格を高めるにも不可欠の課題だ。それ以上にだらしないのは民主党の連中だ。>>【正論】評論家・屋山太郎 小沢氏よ、議員の資格はないぞ - MSN産経ニュース http://t.co/qJLUyEfh
12:52 from web
こんな政治家しか育てられないのは、大学・大学院自身が劣化しているからではないか。とくに能力なき国立大学教授は給料を国民に返せ。>> <<【正論】拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 存在感を誇示する声高な少数派 - MSN産経ニュース http://t.co/y8NtXdT4
12:54 from Saezuri
まず大学教授自身が自己責任を果たせ。>> <<【正論】拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 存在感を誇示する声高な少数派 http://t.co/wmA4jm9M MSN産経ニュー
13:25 from Saezuri
ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つhttp://t.co/kE7ZzI3T
国民は自らにふさわしい大学・大学院しかもてない。本物のエリート教育の再建の成否こそ国家・国民の命運を決める。松下生計塾程度ではだめだ。
22:41 from Saezuri
みんなの党、江田けんじ氏のサイトで『シリーズ/「財務省支配」の何が問題か?』を読んでいる。http://t.co/9mOfIRM9
22:46 from Saezuri
大新聞も伝えることのなかったこうした情報や事実を、インターネット時代になってさまざまなルートを通じて知りうるようになったこと。このことの利点をつくづくと感じる。とにかく情報資料を通じて、人々に真実が知らされること。この原則的な情報公開こそが公正な社会の形成の条件であり前提である。
23:08 from Saezuri
みんなの党、江田けんじ氏の財務省改革案、財務省からの「国税庁を分離」して、「社会保険庁を国税庁とを統合して独立した行政委員会「歳入庁」を設置する」案は傾聴に値する。
23:09 from Saezuri
そもそも後者は民主党の公約だったものだ。民主党がどれだけ初心を失い、変質してしまっているかがわかる。>> <<野田「財務省政権」の何が問題か?http://t.co/1MLcj1Gr
by soratine on Twitter
心は、自然の普遍的な非物質性であり、自然の単純で観念的な生命でもある。心は実体Substanzであるから、精神のあらゆる特殊化と個別化の基礎である。§389
08:36 from Twitpic
嵐山 http://t.co/k8CTrjQc
09:38 from goo
2011年中秋の月 #goo_askys http://t.co/FGyYdzEg
09:54 from excite blog
[exblog] 2011年中秋の明月 http://t.co/yJVCx0um
13:09 from goo
再び天上の花 #goo_askys http://t.co/fvPNYzUV
14:11 from excite blog
[exblog] 再び天上の花 http://t.co/MzREAFZF
22:38 from Tweet Button
これまで私のブログは、基本的には EXCITE と GOOの二つだった。が、最近になってふたたびBLOGGERを試してみて、使い勝手やデザイン、性能などが以前と比べて、ずいぶん向上しているように思える。
22:39 from web
それで今後はさらに第三のブログとして、あるいはむしろ核ブログぐらいに、活用してゆくべきかと思う。Check out this site: http://t.co/PSH6GfjE
22:43 from Tweet Button
もし実現すれば、悲しい出来事の多かった今年の日本にとって、久しぶりに心から喜べる明るいニュースになる。>> <<ノーベル賞、山中氏が最有力と地元紙 iPS細胞で医学生理学賞 - 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/dz7tdhp8
23:02 from Saezuri
必ずしも脱原発論者ではないけれども。フォローした。何事も物事は両面から、しかも、できうるかぎり全面的に考察するというのが真実に至る道だから。金子勝氏の主張も参考にまたアウフヘーベンして行く必要がある。@masaru_kaneko
by soratine on Twitter
前回§50の欲望のあたりまで進みかけたが、今一度立ち戻って、意識と自己意識の関連について確認しておきたい。意識→自己意識→欲望→相互承認という、意識の進展、あるいは精神の進展を展望しながらも、意識一般の概念について立ち戻って、その詳細を見ておきたい。
13:57 from web
§42 感性的意識
意識はさしあたり直接的な意識である。だから、対象に対する意識の関係は、単純な媒介されない、対象についての確実性である。それゆえ、対象自身も同様に、直接的な対象として、存在し、自己内に反省している対象として規定される。それはさらに、個別的なものと規定されている。
19:51 from Saezuri
自我自身は単に形式的な同一性として存在するに過ぎないから、概念の弁証法的な運動は、すなわち、意識の進行は、自我にとっては自分の活動として存在するのではなくて、本来的にあるものであり、意識にとっては対象の変化として現れる。§39
19:57 from Saezuri
「私」、すなわち意識の主体は思考である。対象の在り方における論理的な進行は、主体と客体とにおいて同一のものであり、主体と客体との絶対的な関係であり、客体をも主体自身のものたらしめるものである。い (ibid§39 )
20:04 from Saezuri
カント哲学はラインホルドによって、表象能力という名の下で、意識の理論として把握されたということは、カント哲学の正当な意義を捉えたものと見るべきである。なぜなら、カント哲学は、「私」を、彼岸に横たわっているもの、すなわち、物自体に対する関係として考察する。 (ibid補注 )
20:15 from Saezuri
フィヒテ哲学もカントと同じように、非我はもっぱら「私」の対象として、意識によって規定されているに過ぎない。だから、非我はどこまでも到達できない無限の対象として、すなわち、物自体として残っている。この二つの哲学は、概念に、すなわち自己自身において存在する精神には理解が及ばない。39
20:29 from Saezuri
スピノザ哲学においては、精神は、自己を「私」として、どのように判断するかは自由な主体として構成する自己分割、判断、つまりA=Aが、精神の絶対的な在り方だと認めるがゆえに、哲学はスピノザ哲学から始まる。§39補注
21:17 from Saezuri
意識としての精神の目的は、自己の現象を自己の本質と一致させること、自分自身の確信を真理にまで高めることである。精神が意識の中にもつ実際存在は自己の有限性を意識の中にもっている。だから精神が自己と形式的に関係することは、たんなる確信に過ぎない。a
21:44 from Saezuri
なぜなら、客体は単に抽象的に精神自身のものと決められている過ぎず、あるいは、客体の中にあって精神は、ただ抽象的に自分のものとして決められている過ぎないか、あるいは、精神は意識の中で、自分自身の中で、抽象的な「私」として反映しているだけのものである。b
21:46 from web
だから、この実際存在はまだなんら自分自自身のものではない一個の内容でしかない。c
22:28 from Saezuri
単なる表象は確信と真理を区別しない。内容がつまらなく劣悪なものであっても、その表象が客体と一致する主観的なものでありさえすればいい。
22:28 from Saezuri
しかし、哲学においては真理の概念は本質的にたんなる確信にすぎないものから区別されなければならない。
22:31 from Saezuri
なぜなら、精神がたんなる意識の立場にあるところの自分自身についてもつところの確信は、非真理のもの、自分自身に矛盾するものである。というのも自分自身の許にあるという抽象的な確信のすぐ側で、ほとんど正反対の確信を、自分にとって本質的に自身に向かう他者として振る舞う確信を精神はもつ。
22:43 from Saezuri
この矛盾は解消されなければならない。§40
主体的な確信は、対象について何らの制限も残してはならない。主体的な確信は真の客観性に至らなければならない。
23:43 from Saezuri
§417
確信が真理に高まる段階は次の通りである。
a. 意識一般としてあること。こうしたものとして は、対象は対象としてある。
b.自己意識、自己意識にとっては、「私」が対象で ある。
23:43 from Saezuri
c.意識と自己意識との統一。精神は対象の内容を
自分自身として、そして、自己の上にありかつ 自己に対して定められたものとして自分自身を 直観する。理性、精神の概念。
by soratine on Twitter
08:31 from goo
今月初め頃に投稿しようと思っていて、下書きのまま完成させていなかった記事。 http://t.co/USYl9puV
08:58 from web
この月初め頃に下書きだけ書いて放置していた記事に少し修正を加えて投稿した。やはり中心的な課題は国家の概念を現実のものとすることだ。明確な国家概念をもった国民は誰もいない。
夕暮れのフクロウhttp://t.co/sehqiKaj
作雨作晴http://t.co/glJ0LOZF
10:09 from Tweet Button
この証言で、中国人船長の釈放で菅直人、仙谷由人氏らが嘘をついていたことが明らかになった。そのことは多くの国民がすでに予想していた通りであるが。【尖閣事件】中国人船長釈放「菅・仙谷氏が政治判断」 松本前参与が証言 - MSN産経ニュース http://t.co/DQIUUwRy
10:10 from Tweet Button
しかし、問題の根元は日本の政治家がなぜそんな嘘をついてまで釈放しなければならなかったかということである。その背景にある真実こそが問題だ。【尖閣事件】中国人船長釈放「菅・仙谷氏が政治判断」 松本前参与が証言 - MSN産経ニュース http://t.co/DQIUUwRy
13:40 from goo
畑の上を舞うツバメ http://t.co/pUfNvPr9
13:43 from goo
今月初めに下書きのまま放置していた日記記事。少し修正して投稿。哲学的な論考として参考になるかも。 http://t.co/pUfNvPr9